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八月

作者: 本叢有晴

協会の裏の土埃を箒で払い切って、ささやかな畑にジョウロで水をやる。夏の野菜はそろそろとれなくなる。肥料を与えて次の作物の準備をしなければ。


空を見上げればほのかに感じる秋の気配、それでもぎらりとまだ残る夏。そんな青色が広がっていた。


そろそろおやつの時間だからと、箒とジョウロを倉庫にしまい、教会の開け切った扉も鳥や虫が入らないように閉めてしまおうと表にまわる。


ふと扉へ続く森の小道を見やると、無骨そうな、短い黒髪の男と、きりりと古風に髪を結い上げた若い娘がいた。男は無表情だけれど、娘は柔らかく微笑んでいて、いかにも幸せそうであった。


娘は私を見つけるなり、「そこの神父様」と声をかけてきた。


「少し、この教会をかして欲しいのですがお願いできますか?」


結婚式をしたいのです。そう朗らかに言う娘は礼儀の正しそうなものいいをしていて、どこかいいところの娘さんの駆け落ちかと私は一人納得し、喜んでかしましょうと言った。このひとたちが少しでも幸せな思いが出来るように力を尽くすつもりだった。


真っ白なドレスなんてきていないし、白いベールはただの手ぬぐいなのだが、花嫁はそれはそれは幸せそうな笑顔で、新郎もちょっぴり顔を紅くして。


厳かなわけでもないし、賑やかでもなかったけれど、確かにそこには神の祝福が有った。


誓いの言葉の時、初めて新郎の声を聞いた。音量こそ小さかったけれど、自信と決意、それから深い愛情のこもった威厳のある声だった。誓いのキスをするとき、新郎がいやに恥ずかしがって、新婦のベールに隠れて短くキスをしただけだったが、耳まで赤くしてそっぽを向いてしまった新郎に、新婦はしょうがない人ね、とつぶやいて微笑みかけるのだった。


式が終わって、そういえばおやつにドライフルーツのケーキが有ったことを思い出し、ささやかなお祝いとしてお茶を飲むことにした。


私の故郷の結婚式もこんな感じにお父さんが丹精込めて育てたバラ園の真ん中で、お母さんが腕を振るったフルーツケーキやご馳走をたべるものだった。


甘いものは苦手だからとケーキに手をつけない夫に、妻はわざわざ出してくださったのだから食べないと失礼ですよと薄めに一切れ切って渡していた。その一連の流れがまるで長年連れ添ってきた夫婦のようで、とても微笑ましかった。


ケーキを平らげた娘は、こんな美味しいものが食べれるようになって幸せですねと言った。彼女の子供のころはそれはそれは貧しくて、満足に食べることすらできなかったのだと言う。


「私も子供のころは綺麗な白無垢を着た、立派な花嫁さんになるんだ、なんて夢見たこともありますけれど、この人と結婚することになったときはそんな余裕も物もお金もなかったから」


主人は私を娶るときに結婚式を挙げれなかったことを引け目に感じていたみたいで、その時とおんなじ日付の今日、もう一度結婚式をしようって、言ってくれたんですけど。


なにぶん言ったのが今日の朝でしてね、そりゃあ間に合うわけが無いですよ。前々から言いたかったみたいなんですけどなかなかこの人恥ずかしがり屋なものですから。


紅茶を啜りながら彼女は過去を懐かしむように語っていった。


ーーそれでも、聞いたときにはたいそううれしかったですとも。この人が結婚式の日を覚えてたのも驚きですよ


ほろりと涙を流す彼女に、慌ててハンカチを取り出す夫。ハンカチは綺麗にアイロンがかけて有って、そのアイロンかけも彼女がしていたのかなと思った。


なんだ、駆け落ちではなかったのか。安堵のため息。これからも、今までも彼女達は幸せなんだろう。なるべくたくさんのしあわせが、長く彼等に降り注がんことを、なんて神様に祈ってみたりした。


今日は本当に幸せな体験をさせて頂いて。ありがとうございました。


深々とお辞儀した彼女は、夫の後ろをゆっくり着いて行った。


一瞬瞬きをしたら、彼女達の姿はぼんやりと見えなくなって、そこには真っ白な髪を、彼女より少し地味にきりりと結った、着物のおばあさんと、背中をまるまると丸めて杖をつき、おばあさんに支えられたおじいさんがゆったりと歩いているだけだった。


目をこすり、それでも変わらないおばあさんとおじいさんに、これもまた神のいたずらかと微笑んで、ティーカップたちを片付けることにした。

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