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僕と魔女と

作者: 長谷川 幸信

「僕と魔女と」


「所詮この世は物語。生きるも死ぬるも物語さ。な、浩一、そうは思わねぇかい。ん? 分からねぇ? そうか、分からねぇか。そうだよなぁ。まだお前にゃぁ、分からねぇかもしれねぇなぁ」

 大正生まれの爺ちゃんは、以前僕にそんなことを言っていた。あれは僕がまだ中学生だった頃の秋の日だった。

 庭の落ち葉掃除の手を止めて庭石に腰を下ろし、お袋が用意した渋茶を運んでいった僕に、あの時言ったことはどういう意味だったんだろう。今だに意味は分からない。分からないが、その言葉だけは覚えている。そんなことがあった三日後に、爺ちゃんはぽっくりと逝った。だからはっきりと覚えている。

 日頃から人生を超越したようなことを言う祖父ではあった。

 青春時代を丸ごと戦争に取られ、厳寒のシベリアに抑留され、沢山の同胞の死を背負いながら、命からがら帰ってきた人だ。

 その後は何もないところから必死で生活を為し、家族を作り、大正七年生まれの爺ちゃんは、気が付けば八十九才になっていた訳だ。その年代の人はみんな同じだと言ってしまえば身も蓋もないが、尋常な人生ではなかったと思う。

 あの頃中学生だった僕は、そんなに本気で爺ちゃんの話し相手にはなれなかったけれど、よくそんな昔話をしていたのを覚えている。僕はそういう爺ちゃんの話を聞くのが好きだった。

 あれから四年。僕は高校三年生になった。

 ここは東北の地方都市で、昔からの町にはご多分にもれず活気がない。それに引き替え、町はずれの原野を拓いたところにできた大型のショッピングモールは、毎夜遅くまで人出が途切れず繁盛している。努力不足の古ぼけた町を取り囲んで、ぴかぴかの新しい町もどきが、旧市街の周りに三カ所も出来上がっていた。

 人口は約八万五千人。気がつけば、古い町は新しい町のベッドタウンに成り下がっていた。

 僕が通っている高校は市立の男女共学校で、町と同じく歴史だけは古い。創立百年祭というのを半年前にやったところだ。

 創立が百年前と言えば明治時代だ。今は平成で、その前は昭和。そしてその前は大正時代で、その前が明治だ。ひょっとして、その前は江戸時代かな? などと、百年祭の時に思ったものだ。江戸は古い。なんぼなんでも古すぎるだろう。でも現実には、江戸と明治は隣り合わせだし、その後には、大正、昭和、平成、と続くのだ。

 つまり百年前というのは、それはいちいち年表でも見ないと分からないような時代なのだ。

 しかし、別な考え方も出来る。百年前はどうだったか知らないが、今時の時代には百年生きる人間なんぞざらにいる。そう考えれば、百年などたったの一世代の間だ。そう思えば年表などは必要ない。人間ひとり分の時の流れだ。

 ただその時に建てられた校舎が今もちゃんと残っていて、そこで僕は勉強している。今から百年前にも、この校舎には沢山の人達が通っていて、この教室の中で今の僕と同じように勉強をしていたのだろうか。羽織袴の服装で。きっとそうなのだろう。そういうことがとても不思議な気がする。

 町の歴史によると、この町のメインストリートは奥州街道という通りで、大昔には宿場町だったらしい。その頃の町には道の両側に商家や旅籠が並び、一本裏通りに入ると沢山の隠れ宿があったという。

 現在の表通りの商店街は、今はもう殆どが現代の造作になっていて昔の面影などはないが、裏道を歩くと一目で昔の家と分かる木造の家が、年季の入った色に染まってあちこちに残っている。細かい格子造りの窓とか、黒ずんで反り返った腰板などに、時代の流れが残って見える。

 あの二階の出窓に女衆が横座りなって、紅白粉(べにおしろい)の色香で、赤い着物の手練手管で、男を手招き誘っていたのかもしれない。

 今はただ寂れた残骸があるようにしか見えないが、その昔にはさぞ(きら)びやかな場所だったのだろう。

 この町全体が高台にある。そのために坂道が多く、町はずれはどこも傾斜地になっていた。戦国の時代には二階堂氏が治めていた町で、当時城のあった場所には二階堂神社が残っている。

 裏通りの、昔遊郭だった辺りの中程に、少し離れて古びた寺があり、その脇にいかにも寂しげな路地があった。その路地を道形(みちなり)に下って行く。道沿いには背の高い木々が覆い被さるように生えている。(けやき)と赤松が多い。周りは森になっていた。

 町の中心地近くに、自然の丘をそのまま残した大きな公園があり、その路地はその公園の東の外れ辺りを通っている。歩いて行くと自然のうちに森の中に入っていく。ここは市が管理している公園なので、下草などはいつも丁寧に刈られ、いつ来ても歩きやすい。頭上からの木洩れ日が気持ちいい。

 そのまま森の緩い傾斜を下っていくと道は徐々に平坦になり、やがて森の中から大きく開けた広場に出る。

 森からの続きで広場にも背の高い欅やブナの木などがあちこちに立っている。だがその目の前には片側二車線の道路が横切っていて、交通量は激しい。そして更にその通りの向こう側に目をやると、三年ほど前に完成したばかりの大型のショッピングモールが見える。

 緑茂れる森の中に、広大な広さで小さな町があるようだ。

 町の裏通りからはほんの五・六分ほどの散歩だが、手入れの行き届いた森の中から、突然車が激しく往来する風景に出会うと、初めての人ならちょっと驚くかも知れない。でも僕としては、このミスマッチのように変身する森と町の境目が好きだ。

 森から広場に降りる緩やかな斜面の途中に幾つかの店がある。

 大きな欅の下にあるのが古着のリフォーム屋。少し離れて、二本のミズナラの木に挟まれているのが菓子パンとかラーメンを商っている店。そして桜の古木の下にあるのが、ログハウスの喫茶店。それぞれが横並びにほんの少し上下にずれた形で建っていた。そして更に、三軒から少し離れた道路に近いところに花屋がある。

 道路脇の歩道は、この丘の上にある高校と中学校の通学路になっているし、町の人達もよく利用している道なので、すぐ向こうに何でも売っているショッピングモールがあるにもかかわらず、これらの店はそれなりに賑わっているようだ。

 ここは環境がいい。山中でもなく、雑多な町中でもなく、緑溢れる場所に身を置きながらも、結構用事が足りる。今日のような暑い陽射しの日でも、上空を被っているたっぷりの木の葉がそれを防いでくれる。

 友達同士の待ち合わせ場所としてもいいだろうし、家庭の若い主婦同士のたまり場としても都合がいいみたいだ。見ればその通りで、いつも高校生とか若い女性達の姿が目立つ。

 ショッピングモールに行く人は大概は車で行く人が多い。広い道路が横切っているから、町から歩いては行きづらいのだろう。それにすぐそこに見えてはいても、結構な距離がある筈だ。

 でもこの森の広場に来る人は殆どが徒歩で来る。町から近いからだ。散歩がてらに丁度いい。

 僕は町田浩一(まちだこういち)、十八才。高校三年生。今は夏休み中だ。

 父親の妹で鏡子(きょうこ)さんという人がいるのだが、すぐそこの、三軒の店が並んでいる真ん中の、菓子パンやラーメンを商っている店は、その鏡子叔母さんが経営している店だ。

 この叔母さんがちょっと変わっている。他の人にはどう見えているのか知らないが、僕にはとても変わって見える。例えば僕の母親と同じく家庭の主婦には違いないのに、少なくとも僕の母親とは全然違う人だ。

 三年前にそこの道路が整備されると同時に、ここに店を構えて商売を始めたのだから、普通の主婦よりは積極的な人生を送っているのだと思う。しかしその反面、どことなく世捨て人のように振る舞っているようなところがある。僕にはそう見える。またそんなところが魅力的にも思える。

 容姿は普通よりちょっと痩せた感じで、鼻筋の通った美人だ。一重まぶたの目は切れ長で涼やかだが、(にら)まれると怖い感じがするかもしれない。しかしその目が大きく見開き、優しく見つめられると、どきどきすることがある。三十八歳の人妻だ。

 特に印象的なのは髪だ。真っ黒な髪がとても豊かで、いつもふさふさとしている。それにカールをかけているから尚更豊かに見えて、顔の大きさの三倍も四倍もふさふさに見える。僕が子供の頃には、魔法使いのおばさんかと思っていたことがある。でも美人だ。

 店は間口三間の木造で、L型カウンターは立ち食いにしてある。その右側の窓際に四人掛けのテーブルがふたつ。手前の棚に菓子パンとか牛乳などが入った冷蔵ケースが置いてある。

 その他店の外には、花屋を含めた四軒の店がそれぞれに、幾つもの椅子やテーブルを広場のあちこちに配置してあった。誰でも使えるようにしてある。

 左隣の喫茶店にしても右隣の古着屋にしても、ここでは店内より外のテーブルでくつろいでいる人の方が多い。それぞれの店も大型のガラス窓などを採用して、内外の境目が気にならないような造りにしてあるようだ。

 叔母さんの店の屋号は「みずなら」という。店の前と後ろにかなり年月を経たミズナラが二本、高々と屋根の上を覆っている。このみずならが秋になるとバッサリと葉を落とし、店の周り一帯が黄色い絨毯(じゅうたん)をひいたようになる。それはそれで綺麗なのだが、(いず)れ掃き掃除をするのは僕の仕事になる。たかが落ち葉などと(あなど)ってはいけない。高さ二十メートルを超える大木二本が落とす葉っぱの量は大変なものなのだ。

 近づきながらガラス窓を見ると、カウンターでラーメンを立ち食い中の男女が一組。奥のテーブルにはスープを飲みながらパンを食べている若い女子が三人いた。

 この広場の四軒の店がなぜ人気があるのかというと、安いからだ。家庭の主婦や高校生。それと、昼休みに車で立ち寄る営業マンなどを客に想定して営業している。

 四軒とも職種は違っても、それぞれの創意工夫で値段を安く押さえている。そういう店だけがこの広場に集まった。

 例えば、古着屋は若い夫婦がやっているのだが、大人の古着を切ったり張ったりして、新しいデザインの子供服に作り直すのが得意なのだと叔母さんが言っていた。店にはいつも小さな子供がいるような若い主婦達が集まってくる。その人達を相手に、リフォーム教室のようなこともやっている。

 喫茶店は近くの農家の長男夫婦が経営している。斜面の上近くにあるのだが、この広場の中では一番見晴らしがいい。そもそもこの場所の地主なのだ。農繁期には農作業に精を出し、自分のところで採れた米野菜などを、店の前に並べて安く売っていた。

 特にサイズや形が農協の規格に当てはまらなかったものなどは、タダみたいな値段で譲ってくれる。せっかく作ったものを、捨てるくらいなら誰かに食べて貰いたいというのが店主の考えだ。そして日を限って厨房に客を入れ、その日採れた野菜を使った料理教室のようなこともやっている。そんな時には鏡子叔母さんも助っ人にいく。ここは近所の主婦達のたまり場になっている。

 花屋は「鈴木花店」という看板が出ていて、五十才くらいの夫婦が経営している。この夫婦は本心から草花が好きらしく、趣味が高じて花屋を始めた人達だ。

 売り物の苗の殆どを自分達で種から育てているらしい。自然の気候に任せた苗作りをしているので、春の花は春になってから出来上がる。ホームセンターなどでは、まだ冬の内に春の花が販売されているから、そういうものと比べると季節がワンテンポずれる。それが却って好評らしい。

 本格的な温室も必要ではなく、ビニールハウスだけでできるので、暖房費などのコストはかからない。パンジーもビオラもインパチェンスもその他の花も、とても安い値段で売られている。近頃は家の周りをたっぷりの花で飾ることが流行っているから、値段さえ見合えば大量に(さば)けるのだと言っている。

 さて僕の叔母さんの店はどうかというと、これがとても叔母さんらしいのだ。まずラーメンはインスタントラーメンを使っている。これには驚く。あのビニール袋に入っている即席麺だ。そこにたっぷりのネギとかワカメとかをのっけて出している。一杯百円だ。その他に野菜の天ぷらを山盛りにのせると二百円になる。

 天ぷらにする野菜は、地主でもある喫茶店からタダ同然で分けて貰っている。その日その時の材料次第で、天ぷらの他にスープができたり、野菜の煮込み料理ができたりする。味はとてもいい。叔母さんはやはり魔法を使うと僕は思っている。

 このように、それぞれの店が頑張って工夫を凝らしている。そしてそれぞれの店の特徴がこの広場で助け合い、もたれ合って、いい味を出しているのだと思う。もしもこの中の一軒でも欠けてしまったら、人気のバランスは崩れてしまうのかもしれない。

 あの生地はビロードというのだろうか。違うのかな。僕にはよく分からないが、叔母さんはいつも真っ黒で艶のあるロングドレスを着ている。そして幅の広い赤い布を、たっぷりの髪に鉢巻きのようにして巻いている。エプロンも赤だ。赤と言ってもいわゆる赤ではなくて、あずき色に近いような朱色の生地だ。叔母さんはこの服装を仕事着と決めているようだ。いつもこの格好で店にいる。

 縦横に桟が入っているガラス戸を引くと、上に付いている鐘がカランと鳴る。僕が入っていくと、カウンター奥のテーブルでカボチャを切っていた。

 目が合い、僕が気楽に手を挙げて挨拶をする。そして壁際からカウンターの下を潜り奥の小部屋に向かう。赤いエプロンをつけ、頭にはバンダナを巻いた。いつものことなので自然にそうしていた。

 そこに丁度四人の客が入ってきて、奥のテーブル席に座った。客が入れば、いらっしゃい、と声を掛ける。叔母さんと僕と、二人の声がだぶった。驚いた。鏡子叔母さんの声じゃなかった。

 慌てて顔を見ると、陽子だった。叔母さんの娘だ。僕と同じ高校三年生で、隣のクラスにいる。

 いつもはジーンズにシャツ姿で手伝っているのに、今日はどうして叔母さんの黒いドレスなど着ているのだろう。たっぷりの黒髪も、一重の瞼も、シャープな感じの横顔も、叔母さんと同じだった。

 このスタイルは鏡子叔母さんだという先入観があるからだろう。さっき真正面から目が合った筈なのに、気づかなかった。僕の脳は陽子を鏡子叔母さんだと思い込んでいた。

「ぼやぼやしない」

 僕の驚きを見透かしたように、左の唇だけで薄く笑いながら言っている。その笑いを見たときに、わざとやったと分かった。憎々しいヤツだ。そして右手の包丁をぴらぴらさせながら、テーブルの方を指している。注文を聞きに行けというのだろう。目の前のカウンターに客がいなければ、行きがけの駄賃に拳固のひとつも食らわしてやるところだ。

 考えてみれば、陽子はいつも気だるそうにしていて、生意気で、不良みたいで、いつも何にもしてなさそうなのに、いつの間に全部終わっていて、そういう鏡子叔母さんの変な性格まで、しっかりと受け継いでいる。学生服を脱ぐと、とても高校生には見えない。

 袋からラーメンを四つ出して、煮えたぎっている鍋に入れながら陽子を見ると、坦々としてカボチャを切っている。愛想のない女子高生だ。

「お前、なんでそんな格好してんの?」

「お母さんの代理」

「ふ~ん。叔母さんは? 今日は休みか」

「上にいるよ。夕べ夜更かししたから、眠いんだって。寝てる」

「夜更かし? ここでか? 珍しいな。 ・・・そんで、お前はなんでそんな格好してんの?」

「お母さんの代理」

 大して忙しくはなさそうだし、ジョークのひとつも期待していたのだが、今の状況では無理なようだ。

 調理場の後ろには小部屋があって、そこから二階に登る階段がある。二階といっても屋根の三角部分を利用した中二階だが、結構広くて、その気になれば住むことだってできると思う。

 陽子は僕が今日ここへ来ることは当然知っていて、ちょっと驚かしてやろうという魂胆で母親のユニフォームを着ていたに違いないのだ。それは、さっきからずっと下を向いたままで、口の端がピクピク引きつっていることで分かる。

「根性の悪い娘だ。それで、気は済んだのか」

 僕が憮然としてそういうと、今まで堪えていた笑いに限界がきたようで、カボチャに突っ伏して笑っている。

 陽子とは従妹同士で家も近いので、子供の頃から兄妹のようにして育ってきた。それが近頃は色々な場面で、姉弟のように見られることが多くなってきている気がして、ちょっと癪に障っている。

「ねぇ、近頃お母さん変なのよ。浩一君、気が付かない? 」

「とっくに気が付いてるよ。叔母さんはずっと昔から変だろうよ。今更なにゆってんだよ」

「そうじゃなくって、近頃よ。近頃すごく変なの。ここに座って、お客が来てもボーっとしてたり、表の椅子に座ってタバコぷかぷかやってるのよ。どこ見てんだか、外なんか眺めて、仕事そっちのけなの」

「いつもと同じじゃないか」

「いや、そうなんだけど、そうじゃないのよ。分からないかなぁ、いつもとはちょっと違うんだよねぇ・・・ 同じなのかなぁ?」

 それは僕も気が付いていた。叔母さんは自分の気に入ったこととか、今興味のあることに取り敢えず集中する性格なのだ。そしてそれが一段落すると、ボーっと放心状態になる。気の入れようが強すぎて、それが片づくと反動で気が抜けるのかも知れない。

 でもここ数日は何もないような時でも、ただぼんやりと考えているような時がある。陽子がボーっとしているというのは、あれは何かを考え込んでいることを言っているんだと思う。

 それにしたって、いつもと同じだと言われて娘がサラッと同意するのだから、相当変わった性格であることが分かる。

「そんなこと、直接訊いてみればいいじゃないか。僕に訊いてどうする」

「訊いたって無駄。はぐらかされるに決まってるでしょう。あんな風になると、たぶん返事もしないよ」

「まぁ、そうだろうな。それにしたって、叔母さん夕べは何で夜更かしなんてしてたんだろうな。また気まぐれで星でも眺めていたのかな。それとも、とうとうUFO でもめっけたか」

 普通の主婦なのに主婦らしくなくて、いつも自由を装っているようなところがある人だ。陽子という子供もいるし、亭主もいるし、主婦がそんなに自由なはずがない。それなのにこのような店まで始めたら、尚更不自由になると思ったのに、そうではなかった。この店は叔母さんの自由の拠点なのだ。結構凄い人だと思う。

 陽子と話している内にカウンターの客が帰った。どんぶりを下げて洗い始めた処に、新たに三人の男性客が入ってきた。天ぷらラーメン三つ。

 ラーメンに天ぷらもけっこう合うものだ。特にインスタントラーメンの味というのは、日本人なら誰でも知っている味だから、これに目を付けたのは叔母さんのヒットかもしれない。

 この店の天ぷらは大きい。それが二つもどんぶりに載ると、なかなかの量になる。スープにも野菜がたっぷり入っているので、元がインスタントラーメンだとは思えない。これで二百円はずいぶん安いと思う。だから若い男女の客などが気楽に入ってくる。

 夕方になると、近所の主婦達が天ぷらだけを買いに来る。一枚五十円。これもよく売れているみたいだ。

 僕がまだどんぶりを洗っているので、陽子がすぐ隣りにある大鍋まで来てラーメンを茹で始めた。袋から麺を出し湯に入れて、菜箸で調子を取っている様子が目の端に入っている。

「なぁ、それで、叔母さんは何か言ってなかったかい?」

「なんも言ってないよ」

 びっくりした。隣にいるのは鏡子叔母さんだった。ドキッとして、どんぶりを取り落としそうになった。

「ったく、なんて親子なんだ、ここは」

 ぐっと、後ろを振り向くと、陽子はまたカボチャに突っ伏して笑っていた。叔母さんは左の唇の端だけで薄笑いしている。

 僕が後ろを向いている間にふたりで目配せしながら、そっと入ってきたのだろう。顔も性格もそっくりだ。

 真っ黒なドレスに赤いエプロンをした魔女がふたりいた。

 それにしたって、ふたりして僕などからかって何が面白いのだろう。困った親子だ。

 僕はここにアルバイトに来ている訳ではない。この店やこの広場の雰囲気が好きだからよく来るのだが、来ればただいるのも難だし、適当に手伝うことにしている。

 この店の仕事も妙に好きだし、気が向いたときだけ仕事ができるのなら、それも心地よいと思っている。また手伝いさえしていれば、ラーメンも只で気兼ねなく食える。

「ねぇ、浩一。あんた何か知ってんじゃない? なんかそんな気がするのよねぇ。あんたって、子供の頃からちょっと変わってるとこあったからねぇ。ねぇ、私に何か隠してない? 私が何か言ってなかったかって、何? なんのこと?」

 実のところ、この叔母さんにしっかりと見つめられて、女にしては低音の声で何か言われると、ドキドキする。ましてや、にじり寄られて、あの冷ややかで美人の顔がすぐ目の前まで迫ってきたら、隠し事はなかなか難しいだろう。

「あのね、叔母さんに変わってるなんて言われたらお仕舞いだよ。隠してるって? 何かって、何さ。僕が叔母さんに何を隠すの。何の話? 何にもないよ」

 何もなくとも、ついしどろもどろになってしまう。

「なんか、怪しいんだよなぁ・・・ 近頃よく来るようになったし。まぁ、いいけどさぁ」

 この叔母さんとの会話はどうしてもうまくいかない。つい焦ってしまう。

 叔母さんは麺を茹で上げると、粉スープを溶かし込んだどんぶりに野菜スープを注ぎ、天ぷらを二枚ずつのせた。そして仕上がった順にカウンターへ差し出している。その一連の仕草がいかにも気だるそうに見える。でも決して動作が遅い訳ではない。いや、むしろ早い。なのにとても面倒そうに、あまりやりたくなさそうに見えてしまう。それもこの叔母さんの変なところだ。

 僕は洗い物が終わり、顔を上げて店の外に目をやった。広場には何条もの木洩れ日が注いでいた。今日もいい天気だ。僕はふたりに聞こえないように、ふーっとため息をつく。

 店の出入り口から広場を見下ろすと、背の高い(けやき)(とち)の木の右側に鈴木花店が見える。店先の二カ所に棚が作られていて、向かって右側にはキュゥイフルーツ、左側の棚にはアケビが、沢山の青葉をまるで緑の雲みたいに茂らせていた。

 そして店先のあちこちに、わざと不揃いのように設置されている低い台の上には、自家育苗されたパンジーやビオラ。その他、ノースポール、インパチェンス、挿し芽で増やしたと思われるゼラニゥムやカクタスの類などが、山盛りになって置かれている。

 花店のある道路際は昔の奥州街道の一部だ。その名残として、おそらく優に二百年以上は経っていると思われる、太くて背の高い松並木が残っている。正しく天を突くような大並木だ。

 緩くカーブを描くように町から続いている道路際に、ずっと遠くの方からこちらまで、十九本の松が立っている。少し前まではもっと多くあったらしいのだが、近年松食い虫にやられてしまい、所々歯が欠けたように失われていた。その昔には、このような松並木が道の両側に延々と続いていたのかも知れないが、今は片側にしか残っていない。

 その向こうから数えてきて十七本目の松の木が鈴木花店の入り口の処にあり、その根株の傍に石のお地蔵さんが立っている。そしてお地蔵さんと並んで、阿弥陀如来が浮き彫りになった平べったい石碑が立っていた。

 阿弥陀如来像は気の毒なくらいに風化していて、顔も形も殆ど判別できないような有様だが、後ろに立ててある市の案内板に阿弥陀如来像であるという説明が書かれていた。石版の後ろにも細かく色々と彫られているのだが、全部は読めない。説明書きによると、鎌倉時代のものらしい。

 この広場で商売をしている人達は、朝な夕なに、何かしらお供え物を持ってお地蔵様にお参りをしているようだ。また近所の年寄り達が、前を通るたびに手を合わせている姿を目にすることがある。しかしそんなことをするのも、きっとこの人達の代までではないだろうか。今の僕たちには、そのような日頃からの信心は無くなってしまっているように思う。

 叔母さんが僕に何か隠してないかというのは、きっとこのお地蔵さんのことを言っているのだと感じている。それならそうと、はっきり言えばいいと思うのだが、そう言えないということは、おそらく叔母さん自身が、何がどう変なのかよく分かっていないのだと僕は思っている。

 夏休みになってからというもの、僕は雨でも降らない限りは毎日のように広場に行って、叔母さんの店を手伝ったり、木陰で本を読んだりして過ごしていた。

 

 僕は爺ちゃんが亡くなってからというもの、物思いにふけることが多くなった。自分でそう思う。何をそんなに考えているのかと言われても困るのだが、死ぬってどういう事なのか、人がこの世からいなくなってしまうというのは何なのか、そんな、考えてもしょうがないようなことを考えている。いや、本当は考えなど何もなくて、特に近頃はただボーっとしているだけのような気もする。だって、爺ちゃんが亡くなってから、もう四年も経っているのだから。

 僕がまだ中学生だった頃、朝方学校へ行くときには、爺ちゃんはいつも庭先にいたような気がする。

 庭は広くはないけれど、花壇になっている部分と幾つかの盆栽が置かれている部分とに別れていた。

 僕が玄関の戸を開けて爺ちゃんの方を向き、行ってきますと、挨拶をする。すると爺ちゃんは決まって、うん、気をつけてな、と言ってくれた。いつも同じ言葉だった気がする。

 学校から帰ってきた頃には、冬の寒い日には炬燵(こたつ)に入って、たいがいはテレビを見ていた。暖かい日には縁側で新聞か本を読んでいることが多かった気がする。

 夜は茶の間で、みんなで話をしたりテレビを見ていた。でも話って、何の話をしていたんだろう。たぶん学校での出来事とか、世間話のようなことだったと思うんだけど、改めて思い出そうとすると思い出せない。毎日の暮らしなんてそんなものだろう。それにしても、何の話をしていたんだろう。思い出せない。

 今日のような夏の暑い日には、庭先で土いじりをしていることが多かったように覚えている。特に急いでやるような用事は何もなくて、作業に飽きたらその辺に座ってお茶を飲んだり、婆ちゃんに隠れて昼間から酒を飲んだりしていたことも知っている。

 そんな風にして、爺ちゃんは振り向けばいつもそこにいた。

 だから僕にとっての爺ちゃんは、この世にいた頃の爺ちゃんも、死んでから四年経った爺ちゃんも、どちらも同じようなものなのだ。

「こら、浩一。なにごちゃごちゃ言ってんだ。こんなご時世なんだからな、いい若いモンが、その辺で一人でブツブツ言ってると、警察に電話されるぞ。変なあんちゃんがいるってな。へへへ」

 ほら、いつだってその辺にいるんだ。

 鼻眼鏡の老眼鏡の上から、やぶにらみで僕の方を見ている。新聞を両手で広げて、縁側に腰掛けていた。

「やぁ、爺ちゃん。丁度良かった。いちど聴こうと思っていたんだ。ずっと以前に、爺ちゃん言ってたよね。所詮この世は物語だって。僕ずっと気になっていたんだ。あれって、どういう意味なのかな? 生きるも死ぬも物語だって、言ってたよね。覚えてるかな」

 爺ちゃんはやぶにらみの細い目を、ちょっとだけ丸くして言った。

「あぁ、勿論覚えてるともさ。ふふ、お前も妙なことを気にするヤツだな。ちっちぇえ頃からそうだったもんな。そうか、気になるか。でもな、そんなことは何にも気にすることはねえんだよ。お前はもう答えを知ってるじゃねえか。今俺とこうしていることが答えだよ」

 庭先には二階の屋根に届く背丈の木蓮の木があった。今は大きな葉っぱをもくもくと湛えていて、暑い陽射しを遮っていてくれる。爺ちゃんの姿は、そのたっぷりの葉っぱをすり抜けてきた数丈の木洩れ日に透けて、ゆっくりと消えていった。

「もぅ、いっつも、肝心なとこで消えちまうんだもんなぁ。えっと、なんだって。僕はもう答えを知っているって。ったく、相変わらず訳の分からないこと言って。どういう事だよ。知らないから訊いてんじゃないかよ。答えを知っている? 僕が? 知らねぇよ。ちゃんと教えろよな、訊いてんだから。ったく。おーい、爺ちゃん。出てきてよぉ」

 庭先でひとりで大声を出していたら、それこそ警察に電話されそうだ。


 あの広場の前の道路は左へ行くと町に行くが、右の方へ行くとなだらかな上り坂になっていて、行くごとに手前の町から離れていく。その離れていく上り坂の途中が三角州みたいな土地になっていて、そこに沢山の石塔が置かれていた。それは、年季の入った不揃いな墓石が置かれているような感じがして、とても異様な雰囲気がある。

 そこにも市の案内板が立っていて、これらの石塔は元々この町のあちこちの辻に立っていたものを、区画整理や道路の拡張工事に伴い、やむなく一カ所に集めたものだと言うようなことが書いてあった。平たく言えば、邪魔だからどけたということだろう。墓石ではないようだ。

 数えてみたら、とても大きなものから小さなものまで、全部で四十三基あった。また、昔ながらの場所に今でも設置されたままのものもある訳だから、こういう類の石塔はまだ相当の数が残っているのだ。

 僕はあの大松の根本にある地蔵尊と石碑が気になって調べてみた。図書館に行って調べたのだが、全体的なことは分かっても、個々のものについては分からなかった。こういうことって、どこで調べればいいのだろう。

 古くからの民間宗教のようなもので、庚申塔というのがあった。かなり大きな石に深々と文字が彫られている。また十三夜とか二十三夜とか彫られている石碑も多くある。これも大型のものが殆どだ。たぶん何トンもあるように見える。これらは月にまつわる祈りの碑らしい。昔の人は月と話ができたみたいだ。昔の暦は月を基にして作ったのだ。

 それと馬頭観世音の供養塔。これは文字通り馬供養なのだろう。昔人間と馬は、まるで家族のような親密なつきあいをしていたのだ。これも何基もあった。

 地蔵尊は地域の守り神で、日本全国とてもポピュラーなものだが、場所によっては、ただの石ころとしか思えないものを地蔵尊のように奉っているところもあるらしい。どんなものでも、年季が入れば神が宿るのだろう。

 そして地蔵尊の脇にある阿弥陀如来が浮き彫りになった石碑については、飢饉とか疫病などと関係があるらしいことが分かった。

 昔はなぜか周期的に、全国各地で飢饉や疫病が発生した。そしてまた当時のことだから、戦も度々あったのだろう。戦のたびに農民は略奪され、殺された。つまり昔の時代には、各地で万単位の人々が死ぬという事態が周期的に起こっていたのだ。

 特に飢饉は酷かったらしい。有名なところでは江戸時代に入ってからの、寛永の飢饉、享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉が知られている。寛永から天保までの凡そ二百年間の間に、大飢饉が四回も起きている。そしてその都度、何十万人もの人が飢えて死んでいたのだ。このことはいつか学校でも習った筈だが、詳しくは覚えていなかった。

 当時は藩という単位で各地に国があった訳だが、東北のある藩は飢饉のために藩の人口が半分ほどに減少してしまったというから凄まじい。

 飢饉というのは文字通り飢饉なのだから、食べるものがなくなってしまう訳だ。それも一度起きれば数年に渡って続く。

 腹が減っても食べるものがなくて、餓死する訳だ。女房、子供、親、兄弟、そして自分自身も。辺り一面の全員が、ただ痩せこけて死んでいく。これは辛いだろう。学校での勉強とは別に、改めて自分で調べてみると身につまされる。

 人々は為す術もなく無惨に死んでいった。そんな絶望の中でできることといったら、祈ることだけだったのに違いない。信仰や宗教はそのようにして発生するものだ。

 人々はひたすら祈った。藁にもすがる思いで、ただ祈った。その祈りの対象として、形あるものが必要だった。そして彫られたのがあの阿弥陀如来像なのだ。あのような像が三角州の処にも三・四基あった。

 きっと広場の大松のところにある阿弥陀如来像にも、何百、何千もの人々の祈りが込められているのに違いないと思った。

 こんな事を調べ始めたのが今から一ヶ月ほど前のことで、その頃からあの広場の雰囲気が変わり始めたのだ。

 具体的にどう変わったのかというと、はっきりとは言えない。ただ僕があの広場に行くと、何かが傍に寄ってくるような気がすることがある。何なんだかは分からない。そんな気がするというだけのことだ。空気が違う。風が違う。

 初めは気のせいかと思っていたのだが、どうも鏡子叔母さんもそんな気がしているらしいことが分かったから、たぶん何かあるのだと近頃は思っている。鏡子叔母さんはそういう人なのだ。


 僕はあの後、僕なりに考えてひとつの結論を出した。あの後というのは爺ちゃんが死んだ後のことだ。

 世界には沢山の宗教がある。しかしこの際、世界のことなど考えてみてもしょうがないから、日本のことだけで考えても様々な宗教がある。仏教にしても神教にしても、ひとつではない。

 人が亡くなるとお弔いをする。家族親族が集まって(ねんご)ろに、その宗教に従ってお葬式は進められる。そして最後にはお墓に入り、いつか仏様になるのだ。

 これらの葬儀とは、誰のために行われるのだろうと考えてみた。亡くなった人のためだろうか。勿論そうだろう。でもそれは表向きのことであって、実はまだ死んでいない人のため、生者のためのものではないのだろうかと思ったのだ。

 生きている人達が、死んでしまった人に対しての未練を断ち切り、その人がいなくなった後もしっかりと生きていけるように、その踏ん切りを付けるための行事がお葬式なのではないだろうか。

 だから葬儀は勿論、お盆などの仏事とか、一周忌とか三周忌とか、そもそもお墓というものさえも、全ては亡くなった人のためのものではなくて、それらはみんな、生きている人達のためにあるのだと思ったのだ。

 だって、どう考えたって、人が死んでしまったら全ては無に帰すのみなのだから、死んだ後で何をしてもらおうと死者は何も感じないだろう。感じるのは生者だけなのだ。どんなに念じても思っても、どうにもなりはしない。

 でも僕は発見した。ただひとつ、死者が生き返る方法がある。僕は四年間かかって、それを発見した。

 その方法とは、忘れないことだ。いつも、いつまでも、その人のことを思い、その人を感じていることだ。難しいことではない。長年苦楽を共にしてきた人とか、ひとつ屋根の下で暮らしを共にしてきた人になら簡単にできることだ。

 考えてもみるがいい。今こうして生きているということは、今生きているだけにすぎないのだ。昨日のことは既に終わったこと。終わったことは死んだことも同然。過去の記憶にすぎない。過去の記憶なら、死んだ人にだってある。明日のことはまだ分からない。どんな人でも、明日も必ず生きている保証などないのだから。

 だから、生きていると言うことは、今のこの一瞬があるというだけのことなのだ。生など、とても(はかな)いと思う。だからこそ大切にしたい。

 これが僕が出した結論だ。

 四年間もの間、ああでもないこうでもないと考えて、こんな結論しか出せなかった。でも僕にしては上出来だと思っている。やっと、爺ちゃんがいなくなったということに踏ん切りがついたのだ。

 だから、爺ちゃんはいつでも僕の傍にいる。僕の記憶の中で生きている。そして記憶はどんどん進化する。僕が生きている限り。

「そっかぁ。分かったよ、爺ちゃん。だから、生きるも死ぬも物語なんだね。なぁんだ、そういうことか」

「あぁ、そういうことだ。貧しい百姓から成り上がって、天下まで取ったあの秀吉でさえ、浮き世のことは夢のまた夢と悟ってくたばったんだよ。過ぎちまったら、何でも夢みてぇなモンなのさ。だからな、お前も生きてるうちに、自分の物語をいっぱい作っておくんだぞ。いいな」

 木蓮の木陰に座り、サツキの盆栽をいじりながら爺ちゃんが笑っていた。


 夕方になると森の広場はとてもロマンチックな色に染まる。周りを取り囲む背の高い木々が、ライトアップされて緑が際だつ。

 四軒の店にも灯が灯り、それぞれの店内の様子が外からもよく見えるようになる。

 広場の上にある公園の森も、遊歩道に沿って点々と、防犯灯に明るく照らされている。そのふんわりとした明かりが、遠く近く木の間隠れに見えている。日暮れても、森の広場には結構沢山の光が飛び交って明るくなる。昼間とはずいぶん違う光景に変わる。

 外のテーブルには、ガラスの筒に入れられた大きめのキャンドルが灯され、それが燃え尽きた頃に広場の店は閉店となる。

 この夕暮れのテーブル席がなかなかの人気で、季節のよい時期には若い人達で取り合いになるほどだ。

 以前に図書館で調べものをした後、もっとよい資料はないかと博物館に出向いた。市の博物館はこの公園の森を越えた丁度反対側にあって、両岸が石組みされた小川が流れる崖の上に建っていた。

 有料の資料室があって、そこなら昔からの古文書のようなものが揃っているというから勇んで入ってみたが、古文書や昔の文献などというものは、とても日本語とは思えない。僕などには外国語みたいなものだった。

 それでも折角入ったのだからと、所々の飛ばし読みで、読めるところだけ読んでみたものだ。

 またそういう中にも昔の資料を現代文に直したものがあって、そこにはこの町の大昔に、飢饉によりどこそこの村が全滅になったとか、何村の庄屋が代官所に陳情にいったとかという記述があった。

 その中のひとつに、何月何日に何村の誰が死んだ、次の日には誰と誰が死んだ、というように、生々しく当時の惨状を記したものがあった。村のまとめ役でも書いたのか、或いは役人の手になるものなのかは分からないが、悲しくも珍しい資料だ。

 その資料を読むうちに、鹿ノ出口村という記述が目についた。カノデグチムラ。これは、あの石版の裏に書いてあった。うっすらと読めた。漢字で読むとシカノデグチムラかと思い飛ばしそうになったが、何かが引っかかった。言葉にして読んでみたら分かった。

 阿弥陀如来の石版の裏には、カタカナでカノデグチムラと彫ってあったのだ。鹿をカと読んだらぴたりとはまる。やったと思った。

 享保十八年、七月・カノデグチムラ・キチゾウムスメ・ヨシ死去十歳。餓死。

 その他にも岩淵村とか小塩江村とかの記述のものがあったが、石版の裏にある鹿ノ出口村とはっきりしているのはそれだけだった。

 現在のあの広場の住所は(みどり)ヶ丘だが、市役所で調べたら、今から四十六年前までは、鹿ノ出口一番地ノ二となっていた。間違いない。たぶんそうだと思っていたが、住所改定があったのだ。ここまで調べられるとは、僕としては大変な努力だ。名探偵だ。

 それにしても、今から二百七十年以上も前のことが、このようにして分かることに驚いた。こんなに小さな町のことなのに。もう誰の記憶にもないことが、記録には残っていた。

 享保の大飢饉。全国の死者数九十万人とも言われている。特に東北地方が酷かったらしい。テレビでおなじみの、暴れん坊将軍吉宗の時代だ。

 キチゾウムスメ・ヨシ十歳。十歳なら小学四年生くらいだろうか。数えで十歳なら満で九歳だから、三年生くらいか。どんな子供だったのだろう。


「浩一、そろそろ、ひまでしょ。ふたりで、店見てて」

 いつの間に来たのか、鏡子叔母さんが僕の背後から耳元で囁いている。ドキリとする。ふたりでというのは、陽子とという意味だろう。

 月の光に誘われるのか、はたまた夜が待ち遠しかったのか、夕暮れ時になると魔女は、いつも仕事に飽きるのだ。今時分の店は結構賑わっているというのに。それにしたって、日本語が変じゃないのか。

「そろそろって、なに? 暇じゃないけどね。まぁ、いいよ」

 そもそも僕の返事など聴いてはいない。僕を体で押しのけるようにして、タバコと缶ビールを持ってテーブル席に座っている。

「残念よねぇ、芳子ちゃんが何でも食べられるのなら、何だってご馳走しちゃうのにねぇ」

 広場の中央にある大欅が、地べたから上空に向かってライトで照らされている。もくもくと大きな傘を広げたように茂る青葉が、とても綺麗だ。そしてその下にあるテーブル席の向こう側には、カノデグチムラのヨシが座っていた。

「いいえ、いまはもうお腹は空きませんから、大丈夫です。どうもありがとうございます」

 焦げ茶色と、所々に赤色が混じったような模様の着物を着ている。おかっぱ頭で、まだちょっと悲しそうな目の色が気になる。赤い鼻緒の下駄だけが真新しい。

「さて、それじゃ、僕はちょっと店の仕事をしてくるからね。また後で話そうね。すまないけど、今度はこの叔母さんの相手をしてやってくれるかい。面倒だろうけど」

 僕がそういいながらそっと顔を見ると、魔女はビールのプルトップをプシュッと切りながら、僕を鋭い横目で(にら)み付けていた。美人だけど、怖い。

 二日前の夕方。僕はあの大松の下にいた。すぐ前を大型トラックとか乗用車が唸りをあげて行き過ぎていた。右から左から、眩しいヘッドライトと朱色のテールランプが行き交っていた。今はこんな有様だけれど、二百七十年前のこの辺りはどんな様子だったのだろう。

 この辺り一帯が鹿ノ出口村と呼ばれていた時代。辺り一面はずっと山だったのだろうか。そして、その山の中に一本、街道が通っていた。その両側には松並木が続き、夏の日には土埃がたつような細道だったのかもしれない。そんな路傍にお地蔵さんがあり、村の人達は通りがかるたびに手を合わせ、祈っていたのだろう。そういう日常があった。道路の向こうに広がるショッピングモールを眺めながら、そんな風景を想像した。

 そして飢饉が起きた。飢饉はある日突然起きる訳ではないだろう。夏の天候不順とか、水不足とか、幾つかの兆候がある筈だ。人々は少しずつ真綿で首を絞められるような飢饉の兆しに怯え、不安な毎日を送りながら、そして避けようもなく飢饉が襲う。

 食べるものがない。家族揃って、村中揃って、為す術がない。そして、ひとり、ふたり、と餓死者が出る。五人、十人と、痩せ細って死んでいく。冬になれば寒さも襲う。ようやく長い冬が終わる頃には、数百人もの村人の屍が横たわっている。

「たすけて」

「たすけてください」

「おにいちゃん、たすけて」

 阿弥陀如来の後ろから声が聞こえた。振り返ってみても誰もいない。細く消え入るような声だった。 

 気のせいかとも思ったが、暫く見ていると暗がりにぼんやりと、小さな女の子の姿が浮かび上がってきた。黒い壁に背をもたせ、今にもくずおれそうだ。土間に投げ出した素足が痛々しい。痩せこけて、うつろな目で僕を見ている。どうすればいいのだろう。助けてとはいうものの、助かるとは思っていないような、悲しい目の色だ。

「どうすればいいんだい? 僕に何ができる」

 僕がそう言ったとき、ぼんやりとしたその目にほんの一瞬だけ光が灯ったような気がした。でもその子の姿はそのまま闇に消えてしまった。

 繋がった。二百七十年前と。でもこの後どうしたらいいのだろう。

 僕は困ったときの魔女頼みとばかりに、すぐさま叔母さんに打ち明けた。叔母さんは、こういう話にはことのほか燃える人だ。

 僕が今まで調べた覚え書きのノートを見せると、ググッと顔を近づけて言った。

「何でもっと早く教えてくれなかったの。おかしいと思ってたのよ。あんた、このところずっと挙動不審だったものねぇ。そう、こんなこと調べてたの。私もね、何かがおかしいって感じてたのよ。そうか、こういう事だったのか。やるじゃない。後は私に任せな」

 野菜の天ぷらが沢山油の中で泳いでいるというのに、僕に菜箸を押しつけると、魔女はそのままノートを持って阿弥陀如来像のところへ行ってしまった。僕は天ぷらの揚げ方は知らない。

 次の日、魔女は赤い鼻緒の下駄を仕入れてきた。子供用のものだ。

「その子はおそらく、そのヨシって子よね。間違いないと思うわ。あんたの気が通じたんだと思う。ヨシヨシ、さすがは私の甥ッ子だわ。そうか、あんたにも遺伝してたのね。町田家の血はミラクルなのよ」

 魔女は自分がつまらない駄洒落を言っていることにも気づかずに、張り切っていた。

 日暮れを待って大松の根本にローソクを灯し、下駄を供えた。

「きっと、想い出して欲しいのよ。自分たちの事を。その子はヨシさんだけど、その子だけじゃないと思うよ。その子の中にはもっと沢山の子供達がいる。私はそう思う。飢饉があると真っ先に犠牲になるのは、力の弱い子供達だったのよ。体力が落ちれば病気にも罹りやすくなるしね。何百何千の子供達の魂がそのヨシさんよ」

 そして、森の広場に灯が灯り、空一面に薄紫の(とばり)が降りる頃。

「あなたはカノデグチムラのヨシさんでしょう。ヨシさん。よしこさん。芳子さんがいいかな。どうぞ、こちらへいらっしゃい」

 魔女はまるで目の前にヨシがいるかのように、話しかけていた。

 すぐ傍を何台もの車が行き交っているのに、音が消えている。(もや)がうっすらと石碑を包んでいた。

 そして、ヨシは現れた。赤い鼻緒の下駄を履いて。

 深い絶望の淵から、ゆっくりと身をもたげた。

 せっかくこの世に生まれてきたのに、何もいいことはなかった。短い一生だった。一生と言えるほども生きることができなかった。父も母も友達も、みんな死んでしまった。そして自分も。

 でも今想い出してもらえた。自分がいたことを。いつか、この世に自分がいたことを。ありがとう。

 ヨシは闇の中から光の指す方へ、細い腕を伸ばした。

 黒い服の魔女は、しっかりとした眼差しでヨシの手を受けとめた。

「ありがとうございます。綺麗な下駄。大事にします」

 それからというものは、夕暮れ時になると僕と叔母さんは、まるで恋人を取り合うみたいにして芳子と話している。

 可愛い仲間ができた。



 もう何年も前に離ればなれになってしまった友達とか、知り合いとかって、誰にでもいると思うけれど、そういう人のことを突然想い出すようなことってないだろうか。僕はよくある。そんな時はきっと、相手の人も自分のことを懐かしく想い出してくれているのです。僕はそう信じている。

 それは、もうこの世にいなくなってしまった人でも同じなのです。自分がその人のことを忘れないでいる限り、きっとこの広い空のどこかで、自分のことを思っていてくれる。だから、僕は寂しくない。

「ねぇ、そうだよね。爺ちゃん」

 ほら、そう思って振り向けば、爺ちゃんはいつだって縁側に座って、新聞を読んでいるんだ。


                                             了


       作者  長谷川幸信

      

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