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編集雑技団

作者: 佐井 識

 芝エビの唐揚げがテーブルに運ばれるのと、疲れた顔の黒ずくめの女が姿を現したのは、ほぼ同時だった。

「ごめん、遅くなった」

 黒髪ボブに黒ぶちメガネ、黒のライダースにレギンスという平日の社会人らしからぬいでたちは、23時過ぎのサラリーマンだらけの店内では少し浮いている。

希瑛きえ、おつかれー」

 白シャツの女が右手を上げて合図した。酔客の声で騒がしいなかでも、彼女、フィオナの声はよく通る。耳たぶに引っかかった、重そうなピアスが揺れて、照明を落とした店内できらりと光を放った。

 フィオナはいつも華やかだ。ファッション誌編集という職業柄はもちろんだが、母親がカナダ人の彼女は、学生時代から絵に描いたような“ハーフ顔”である。髪や肌の質感も普通の日本人のそれとは違う。フィオナという、ゲームの主人公のような名前も本名なのだ。高橋フィオナ。本人はそのアンバランスな響きを「ギャグみたいな名前」とネタにしているが。

「希瑛ちゃん、校了トラブルだったの?」

 テーブルにはもうひとり、フィオナとは真反対な風貌の女が座っている。丸襟のブラウスに淡い緑色のカーディガンを羽織って、両手でグラスを持ってにこにこしているのはまり子だ。その風貌は、文芸誌の編集者というより、図書委員の高校生と言われたほうがしっくりくる。実際、女学生っぽい雰囲気が、50~60代の作家先生に可愛がってもらえるのに一役買っているらしい。

 希瑛は通りかかった店員に「生ください」と素早く告げると、よっこらしょと席に着いた。荷物を置くなりまくしたてる。

「トラブったよ! 昨日大きい余震があったじゃん? おかげで巻頭ページが全面差し替え。ああ、『負けるなニッポン! 復興を支える7人の美女たち』っていうあたしの渾身の企画は持ち越しだよ……」

「なにその企画! オッサンくさ~」

 フィオナが飲みかけのグラスから口を離してゲラゲラと笑った。ふっくらとした色っぽい唇と、品のない笑い声が合っていない。

「だってオッサン週刊誌なんだもん、しょーがないじゃん! このために1週間駆けずり回ってたんだよ。一般人しばりだったから、日本橋のお弁当屋とか、赤羽の立ち飲み居酒屋とか、八王子のカラオケとか、毎日、伊能忠敬並みに歩き回って取材したのにぃ」

 希瑛は右手で頬杖をつき、左手の人差し指でテーブルを落ちつきなく叩いた。お行儀の悪い愚痴の吐き方を、誰かが咎めることはない――なぜなら今夜は、同い年の女編集者同士の飲み会だから。

「でも希瑛ちゃん、掲載がずれるだけならいいじゃない。文芸は作家次第だから。木ノ内あすか先生、地震のトラウマで今月1ページも書いてなくて。なんとか未発表の短篇でしのいだけど……」

 困り顔でまり子が言うと、希瑛が身を乗り出した。

「マジ? 木ノ内先生のツイッター見て、病んでるのかなと思ってたけど、やっぱりそうなんだ!」

「木ノ内ってだれ~?」

 能天気に聞くフィオナに、希瑛が信じられないというふうに首を振る。

「アンタ、相変わらず編集者とは思えないわ。BLからいきなり純文学に転向して、繊細な描写で注目されてる作家だよ。こないだの芥川賞にもノミネートされてたじゃん。『硝子の羽根が落ちる場所』読んでないの?」

「え~、希瑛はBL好きだから詳しいのかもしんないけどさぁ」

「ちょっと! あたしは耽美なものが好きなだけで、BL好きなわけじゃないって!」

 フィオナと希瑛の応酬の隙を見て、まり子が補足説明する。

「作風同様、繊細な人でね。『原発が爆発しそうなときに、小説どころじゃない! やっぱり2012年に地球が滅びる前兆ですよ! 若田部さんも逃げて!』って、電話で1時間も泣かれちゃった」

 フィオナが怪訝な顔をする。

「って、そのヒト、福島に住んでんの?」

 ふたりが同時に答えた。

「いや、長崎……」

「遠っ!」

 見事な“O”の形に口を開いたフィオナの姿は、深夜の海外ドラマに出てくる白人女優のようだ。ここでわざと「オーマイガッ」と口パクするのが、フィオナの持ちネタだ。

 希瑛の生ビールが運ばれてくる。一緒に、まばゆい黄色の厚焼き玉子もやってきた。

「まーとりあえず、校了終わったってことで!」

 フィオナがグラスを高く上げた。

「かんぱーいっ!!」


 2時間後、終電の時刻を過ぎてから、宴はますます深まってくる。

「地震、あたしのデスク自体は大丈夫だったんだけど、問題は向かいの先輩のデスク。積み上げてた本や資料が全崩壊して超大変だった。その先輩、ペプシの期間限定ボトルキャップを集めるのが趣味でさ、ダースベイダーがあたしの頭上に降ってきた」

 希瑛の愚痴に、フィオナが首を振って応える。

「その程度ならいいじゃん。ウチの編集部、撮影用にバカラのアンティークグラスをリースしてたのね。地震が起きたのが、まさにスタジオで台の上にセッティングしたその瞬間で……」

「割れたの!?」

 ヒエッと希瑛が裏声をあげた。

「間一髪で死守した。割れたら損害賠償がヤバいことになってたわ。でも本当に大変だったのは地震後かな。さっきのナントカって作家じゃないけど、モデルちゃんが異常にナーバスになっちゃったんだよね~。5月号巻頭の『今、みんながホントに欲しいアイテムはコレ!』特集の撮影直前に、ひとり関西に逃げちゃって」

 フィオナが右腕を伸ばして、お新香を箸でつまむ。シルクの袖が豚角煮に触れそうなのも気にせず、口の中でガリガリとお新香を噛み砕いた。

「大丈夫だった? そういうとき、どうするの?」

 まり子が問いかけながら、そっと皿をフィオナのほうに近づける。

「比較的融通のきくモデルに連絡して、なんとか埋めた。でも逃げちゃったモデルは人気ある子だから、あんまりキツく怒るわけにもいかないんだよね。ちなみに、来週は仲いいスタイリストさんの誕生日会があるから帰ってくるらしい」

「かーっ! ちょっと可愛いからってムカつく!!」

 ぐいっとグラスを空けて、希瑛が叫んだ。ビールを4杯いったあと、今は東北産の日本酒を飲んでいる。

「作家もモデルも勝手に逃げてりゃいいけどさ、尻ぬぐいすんのはあたしたち編集じゃん。みんなが大規模停電で自宅待機してるときも、『入稿・校了作業のある者は出社しろ』って言われて、じゃあ週刊誌なんて一生休めないっつーの。くらーい編集部で、パソコンの明りだけでしこしこ仕事して、あたし確実に視力が0.1は下がったよ。あ、すんません浦霞のおかわりください!!」

 酔っぱらった希瑛は、普段の早口にさらに拍車がかかる。

「週刊誌は、こんなときほど忙しくなるもんね」

 まり子が同情するように言う。

「でもある意味、ちょっとうらやましいかも。週刊誌の地震報道はニーズがあるだろうけど、文芸誌にできることなんてほとんどないもん」

「ファッション誌はさらにヤバいよ~。みんな服なんか買ってる場合じゃないでしょ。アパレルも大打撃だから、次の広告出稿、考えただけでコワい。タイアップのファッション企画もすでに何本か飛んだし……」

「週刊誌もパツパツだよ。新聞みたいに何人も記者を派遣できるわけじゃないし。東北の工場がやられて、紙の調達もどうなるかわかんないし」

 一瞬、全員が黙った。まり子がぽつりとつぶやいた。

「こんなときに雑誌は必要なの?って、ふと思うよね……」

 それは、地震が起きて以来、みんな感じていることだ。

 地震の記事を書いたり、誌面で募金を呼び掛けたり、こうして東北のものを飲み食いしたからって、今、被災地で震えている人たちを救えるわけじゃない。

 編集者は、紙の上でしか自由に踊れない。

 3人は思い思いの顔で、自分のグラスに集中する。

 白ワインを飲み干したフィオナが、ゆっくり語り出した。

「でもさ……」

 いつになく真面目な表情でふたりを見据える。こういう表情をすると、彼女は美人なのだという事実がいきなり思い出される。

 フィオナはきっぱりと言った。

「出ちゃうもんは、しょうがないよね!」

 ガクッ、と希瑛の頬杖がずれた。

「フィオナさんさぁ、用を足す、みたいに言う?」

 希瑛が黒ぶちメガネをかけ直しながら、呆れた声を出した。

「ある意味トイレみたいなもんだよ! 入れては出す、入れては出すの繰り返しじゃん」

 人気OLファッション誌編集らしからぬことを、悪びれもせずフィオナが言うのがおかしい。まり子は声を忍び笑いしながら、「まぁ……、ある意味真理かもしれないよね」と頷いた。

 このタイミングで〆のネギチャーハンが運ばれてきたので、まり子が小皿によそう。手頃なうえに、ラストオーダーが遅いこの店を、3人は気に入ってよく利用している。

「最近思うんだけど」

 小皿を受け取りながら、希瑛が言った。

「うちらの仕事って、編集者っていうより、雑技団みたい。見た目よりも仕事内容は雑用っぽいことが多いし。駆けずり回って面白いことを延々提供し続けるのは、両手で皿を回しながら、一輪車を漕ぎ続けてるような感じ」

「言えてる! 複数の仕事が同時進行だし、無理難題も多いし」

 フィオナが同意!と言わんばかりに指を鳴らした。

 まり子が付け加えた。

「読者に喜んでもらうといいつつ、その忙しさがクセになっている部分もあるかもしれないよね」

 明日は土曜だが、フィオナは週明けの企画会議のためにネタを30本考えなければいけない。テーマはもう、夏物だ。希瑛はテープ起こしと、取材用の資料の読み込みがある。まり子は先輩が担当している作家のサイン会に駆り出される。

 休みだからといって、いつなんどき仕事の連絡が来るかわからないうえ、そのまま休日出勤になることも珍しくない。

 もちろん忙しい。だが、それだけではないから。

 チャーハンを口に含んで、フィオナがにんまりした。

「おいしー!」

 仲間たちと美味しいものを食べている瞬間だけは、嫌なことは全部吹き飛ぶ。気がする。


 深夜の居酒屋で、編集雑技団の女子たちは、ひとときの休息を得る。


仕事をしている人に「この気持ち、わかる!」とちょっとでも思ってもらえればうれしいです。

ネタがあれば、この3人で単発シリーズを作ってみたいです。

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