カルマ
とある曲が大好きで,書いたものです。
腹が減った。そろそろ何か食べなくては。
町の中心にある広場からいくらか離れた裏路地のゴミだめで少年は呟いた。
髪は伸びたい放題で、顔も真っ黒の汚れていた。元の色がわからぬほど黄ばんだ薄いシャツの上に茶色い布きれを羽織っている。もう何日も水浴びをしていない。
似合いの場所に、似合いの格好。少年にとって世界の中心はこの裏路地だった。
左右の建物に挟まれる形で存在しているこの裏路地は「道」ではない。その奥には別の建物の壁があり,つまりは袋小路となっている。
少年はこの裏路地の入口に向かい、奥の建物の壁に背中を預けている。彼は座るとも寝転がるともいえぬ姿勢でひたすら夕暮れを待っていた。
両側の建物に挟まれ狭くなった空に、左側から夕陽が現れ、すぐに右側の建物に隠れていく。
ここはうす暗いがきっと広場は赤く染まっているだろう。そろそろ時間だ。
さっきより少しだけ体を起こすと、背中に鈍い痛みが走る。不自然な体勢で長時間過ごしていたためだ。だが、それはいつものことだった。
少年は朝からちょうど今くらいにかけて死人のように過ごしている。
死人のように動かず、死人のように考えず、死人のように笑わず。
そして・・・。
その死人が生きるためにこれから罪を犯すために動き出すのだ。
今日の獲物は、ここから数ブロック程度離れたパン屋だ。
少年は立ち上がった。今日も生き抜くために。
少年は裏路地を出て、夕陽を浴びる。
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石畳の上を多くの平民と馬車が行きかう。そこはこの国としては有数の市場の通りだった。さまざまな商店が軒を連ねている。かろうじてまともな衣服を身につけている女たちが食料を買っている。しかし、そこに市場らしい活気はなかった。誰もかれも疲れを隠すために表情のない仮面をかぶっているのだ。この者たちが作り上げる異様な空気がこの国の疲弊を表している。そして、その疲弊を受け取ってしまった者たちは道の端でごみのように寝転がっているのだ。かろうじて普通に生活ができる者、持たざる者、そして一部の富める貴族。生まれた時から変わらない光景に少年は絶望という言葉知らずに生きてきた。数年前、両親という保護者を野党に殺されたときも不思議と何も感じなかった。
彼の家はこの国の一般家庭,一歩間違えば路頭に迷うような家庭だった。
両親は彼が物心ついた時には既に死人のような顔をしていた。希望を捨て、ただ日々をようやくやり過ごすだけの人形のようだった。
そうした両親を見て育ったからだろうか。少年はもとより希望というものを持てなかった。生まれながらに絶望しているのだ。
ああ、そういうことか。
自分もこれから、道端でゴミのような暮らしをするようになる。
両親の血だまりに足を濡らしたその時、感じたのはそれだけだった。
ただ、少年には一つ,誇りのようなものがあった。たとえ、ゴミのような存在になろうとも,生きることだけには縋り付いているのだ。浮浪者となって,1,2週間で死んでいくゴミとは種類が違う。少年は生きるために罪を犯している。ただのゴミよりはタチが悪いが、ただのゴミよりは美しい存在だった。
たとえ、死人とほとんど変わらなくなっても生き延びる。
希望のない生の継続を続けている。生きるために食べる、何をしてでも。
目当ての店が近づいてきた。人の流れにまぎれ一度通り過ぎる。
店主は相変わらずヤギのように痩せていた。年齢を感じさせるその眼には光はなく、だが盗人に商品を取られまいと、ギョロギョロと眼を動かしている。半分閉じられたまぶたの裏の眼は客など見ていない。
少年はしばらくして裏通りに入った。ここから店の近くの裏路地を通り、店の脇のパンを盗むのだ。裏路地の出口が近づき、少年は走りだした。その手には石が握られている。勢いそのままに少年は店のパンを抱れるだけ抱えると、店主に向かい石を投げつける。
そして、ひたすら走る。後ろで店主が金切り声をあげている。
もう、やめてくれ。もう盗まないでくれ。私ももう貯えがないんだ。パンが売れなければ,小麦が買えない。生きていけないんだ,頼むよ。お願いだ。
店主はそう叫ぶだけで追ってはこない。その年からか、すでに走れなくなっているのだ。そのため、この店は盗人達の格好の漁場だった。
気にするものか。お前の事情など。俺は生きたいんだ。生きることがすべてじゃないか。死んだら何もない。神様だって俺はもう信じちゃいないよ。そういうものはとっくにどこかへやってしまったさ。
少年はただただ風を切る。その姿は誰よりも「生きること」を体現していた。
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逃げる途中少年は裏通りに入り、人目につかないように自分の寝床であるあの裏路地の近くまできた。すでにあたりは暗くなりかけていた。少し広めの通りの石畳の模様が見え辛くなっている。そうしたほの暗さが原因だろうか。少年は視界の端にぼんやりと光る馬車をとらえた。馬車と少年の間には何もない。少年は何かの予感を馬車に感じた。そして目が離せなくなった。
ほんの少しすると、馬車の窓があいた。
顔を覗かせたのはとても美しい,麗しい少女だった。ブロンドの髪にまだ幼さの残るその少女もまた、少年を見ていた。その瞳はこの町の住人を同じだった。希望がないことを当たり前に悟っている。そんな目をしていた。少年にとって見慣れたはずのものだった。しかし、少年は視線をそらす。見つめ続けることができなかった。
ゆっくりと石畳の上を走る馬車は道の先にある貴族の館へ吸い込まれていった。少年にはその入口が虚空の口をあける悪魔にも思えた。その貴族は町の噂になるほどの好色家だった。きっとあの少女も人形のように遊ばれ、使えなくなったら捨てられてしまうのだろう。
実際、少年はそのような女性を裏路地で見たことがあった。いや、正確には女性だった、人間だったものだった。その時少年は何も感じなかった。
自分の両親が死んだとき、自分がゴミになると悟ったときと同じように。
だが、今はどうだろうか。手は震え、その眼はかつてないほど見開いている。髪の毛の一本一本が逆立っている。今まで感じたことのない心地よい熱が少年を支配していた。気がつくと少年は抱えたパンを放り出し、走り出していた。
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この日少年は初めて食べ物以外のものを盗んだ。剣を盗んだ。しかし、理由は変わらない。生きるためだ。人として生き抜くためだ。まだ朝ではない。死人に戻るのはまだ、早い。だが、きっと朝が来る前に自分は本当の死人になるだろう。
剣を引きずる少年は狂喜していた。今までにない人として異常な表情。笑わずにはいられなかった。この自分が、生きることのみに執着していた自分がまさか貴族の家へ攻め込むとは。
滑稽だった。実に滑稽だった。自分を観覧席から見ている自分がいた。剣を引きずる自分はピエロ。それを大笑いで見下す自分。
彼は貴族の家の入り口にたどりついた。すでに時刻は午前2時。剣を盗むのに時間をとられてしまった。
見張りは一人いた。あっけにとられていた。鳥のような顔をした男は、その身体に不釣り合いな大剣をもった少年をただただ見下ろす。
少年は剣を振った。そしてそれは男の首を切り裂いた。
溺れるような声で、何かを喋ろうとする男にさらに剣を突き立てた。
男は絶命した。
そして乱暴にドアを開ける。中にいた大柄の男が少年をみる。その男も入口の男と同じ、いやそれ以上に驚愕した顔をする。当然だ、血まみれの少年が剣を引きずり乗り込んできたのだ。
少年は異様な雰囲気を出していた。黒々とねっとりとした。少年の周囲の景色が歪んで見えるほどの。
少年は大柄の男に剣を突き刺した。大柄の男は一瞬ビクッとしたが、あっさりとその場に倒れ動かなくなった。
そして、少年は寝室に向かう。なぜだろう、場所はわかった。少年には悲しみの光が見えたのだ。あの美しい少女の目から漏れる悲しみの光が。その光が少女の歩いた道を表していた。
少年は寝室のドアを勢いよく明けた。
明かりがなく薄暗い部屋には月の明かりが差し込んでいた。そしてベッドに人形のように横たわった少女の顔を月明かりが照らしていた。その顔は美しかった。しかし、もう彼女の眼に光はなかった。誰もいない空に向かって、言葉を紡ぐ少女。その眼は宙を見つめ焦点が合っていない。少年は悟った。きっと薄汚いあの貴族に人形にされてしまったのだ。本当の人形に。
少年は少女に近づいた。そして、剣を振りかぶった。
だったら、人に戻してあげる。壊れた人形ではなく、死んだ人間に。
少年は剣を振り下ろした。
周囲が騒がしくなっている。たくさんの足音が聞こえてくる。
不思議と恐怖はなかった。ただ、少しだけパンを捨てたのを後悔した。今日は何も口にしていない。すべてをやりきった少年をただただ空腹感のみが支配していた。
だが、全く動けないほどじゃない。自分の喉に剣を突き立てるくらいの力はある。
少年はもう一度少女を見た。月明かりに照らされた少女の顔は変わらず美しかった。人形ではなく、人の顔になっていた。人として微笑みを浮かべている。
少年も不思議と笑うことができた。
ああ、神よ。俺は死してなお、決してあなたの奴隷にはならない。
この少女と同じように人として死に、人として永遠に完結してやる。
笑うがいい。愚か者と。責めるがいい。不徳な者と。
蔑むがいい。哀れなものと。
そして、絶望するがいい。
人のすべてが思い通りにならないことに。
もう一度言う。全知全能のものよ。
私は
あなたの
思い通りには
絶対に
ならない。
そして、叫び終えた少年は自分には大きすぎる剣を自分の喉に突き立てた。
パクリじゃない。インスパイアーだ!!