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第1話 詰んでからこそが本番

 最初に見えた数字は【30】だった。


 お互い七歳で婚約が結ばれた、その直後。

 第一王子殿下と目が合った瞬間、わたくしの脳に一気に情報が流れ込んだ。

 古い文字のようなものの羅列で、ほとんど理解できない。

 それは一瞬の事で、何が起こったのか分からないままポカンと殿下の頭上を見た。当時の殿下はわたくしより背が低く、頭上がちょうど目線の高さで――そこに、その数字はあった。


 唯一わかったのは「この数字が100になるとわたくしは死ぬ」ということだけ。


 失礼のないようにとお父さまとお約束していたので、それについて尋ねるのは失礼になるのかしら?と、ほんのちょっぴり小首をかしげる。

 すると、緊張した面持ちの殿下の頬がほんのちょっぴり赤くなり、ピコンという音と共に頭上の数字も【31】になった。


 ……どうして今数字が増え…いえ、それよりも最初から30ってどういうこと?

 なんとも無慈悲なことである。





 それから十年。

 わたくし、オルテンシア・ミラスティは孤独な戦いを続けてきた。


 もちろん当初は、この謎の数字について周囲に相談しようとした。けれど話そうとすると口がぱくぱくするばかりで声にならず、筆談も同様。

 ……なるほど、そういう仕様らしい。


 わたくしに与えられた情報は「殿下の頭上の数字が100になったら死ぬ」、たったこれだけ。

 ちなみに殿下以外の人の頭上に数字が見えたことはない。

 何らかの呪いだと推測するけれど、たとえ話せたとしても「王家との婚約時に呪われました」だなんて不敬罪で100を待たずに即死である。


 これはもう自分で調べるしかない!と婚約者特権を駆使し、叡智の海である王宮図書館に通い詰めることにした。

 呪いの手がかりは一行も見つからなかったけれど、物語の素晴らしさを知り、歴史書の面白さに目覚め、薬草図鑑を眺めるだけで時間が潰れる本の虫となったわたくしは、将来の王太子妃に相応しい勤勉な公爵令嬢だと周囲にも大好評。

 図書館には通うのに婚約者に挨拶もしないなんて事は許されないので、殿下にもお目にかかる機会が増えて自然と仲良くなっていく。


 さて、順風満帆な王太子妃ライフを歩むわたくし。

 その目下最大の問題。

 婚約者であるユリウス・アーヴェルシュタイン第一王子殿下の頭上に浮かぶ数字は現在―――


【80】


 思えば七歳のあの日から、わたくしがどうにかしようと頑張れば頑張るほど、この数字もコツコツと着実に上がり続けてきたのである。

 どうしてなの。





「……シア」


 目の前に座るユリウス殿下が、静かにティーカップを置いた。

 万年雪の奥底を思わせるアイスブルーの切れ長な瞳。冬の夜空に輝く月光のような銀髪は後ろで一つに束ねられ、さらりと流れる。

 なんとも禁欲的で厳かな美貌、研ぎ澄まされた気品、場を制する存在感――この国の至宝。ただそこに座っているだけで美術館が設立される。

 そのような人間離れした方が、わたくしにとって美しい死神なのだから世はままならない。

 いえ、もちろん「死神」は比喩だわ。

 確かに社交界では、この完璧な美しさへの畏怖と憧れを「氷絶の彫像」と称しているけれど、殿下はとっても思慮深く誠実でちっとも怖い方ではないのだ。

 あぁ、ユリウス殿下。今日も神!


 ――と、早口になっている場合ではなかった。

 今まさにその神が、わたくしに微笑みかけている。

 正確には無表情に分類されるであろう顔だ。けれど十年の付き合いですもの。わたくしには瞳の奥にほんのわずかな温度が灯っているのがわかる。

 殿下、それは危険です。

 ちなみに、この「危険」は比喩ではないわ。

 わたくしは十年の間に自身の呪いについて推測を立てた。これまで数字が増えていく状況を振り返ると、殿下とわたくしが仲良くなる度に……もっと言えば、殿下がわたくしに好感を持ってくださる度に増えているように思うのだ。

 正直なぜ今上がったの?という状況も多々あるのだけれど、それ以外に思い当たるものはなく。そう、言わばこの数字は殿下からわたくしへの好感度なのだろうと思う。

 ……好感度100で死ぬ!? 将来の夫に好かれると危険だなんて、そんな事ある?!


「なんでしょう、殿下」


 饒舌な思考をおくびにも見せず、ゆったりとした仕草で淑女の微笑みを向ける。


「今度の週末だが、公務が空きそうだ。もしよければ、久しぶりに街へ出かけないか?」


 ぜひ!

 ――と。


 二つ返事で飛びつきたいのは山々なのだけれど。

 待って。落ち着いて、オルテンシア。

 あなた先々週も「これで最後にしよう」とお出かけして、うっかり数字を+3にしたばかりでしょう?

 あの日の帰り道、殿下が「楽しかった」と小さく笑った(もちろん無表情)瞬間のピコン!を、もう忘れたの?

 なんとも緊迫感のない音のくせに、わたくしにだけ聞こえる死の足音はしっかり現実を突き付けてくるのである。


 わたくしの意志は弱く、幼少期よりジワジワと上がってきた数値はついに先日80の大台に乗った。

 いつだって決意だけは強い。ダイエットは明日から!

 でももうこれ以上は、本当に見て見ぬふりはできない。なんとしてでも減らさなきゃ。

 そう、わたくしは決めた。目標は一カ月で-10!

 無謀かもしれない。しかし人間やってやれないことはない。今日ここで、己の甘さと決別するのよ……!


「お断りしますわ」

「……え?」

「週末は、図書館へ行く予定がございますの。わたくし、殿下のひっ……暇つぶしにお付き合いしている時間はございません」


 言った……!

 言ってやったわ! きっぱりと、冷たく、悪女のごとく!

 「お前の相手をするより本を読んでいる方がマシだ」という、最大級の侮辱!

 これには流石の殿下もムッとなさるはず。さあ、下がれ好感度!

 【70】、いや【60】くらいまで暴落なさい!


 わたくしは自信半分、祈り半分の気持ちでそっと反応を伺う。しかし。


「…………そうか、それはとても大事な予定だな」


 感情を表に出さないよう教育を受けた殿下の表情管理は完璧だ。

 鉄壁のポーカーフェイスは微動だにせず、ただスッ……と長い銀色の睫毛が伏せられただけ。

 けれど、なんでだろう。

 わたくしの目には、まるで楽しみにしていたお散歩がキャンセルされた子犬のように見えてしまう。背中から漂う哀愁がすごい。王宮のサロン全体がズーンと薄暗くなった気さえする。


 なのに、数字はピクリとも動いていない。

 こんなにも効果はてきめんだ!といわんばかりの空気のくせに。


「……殿下、あの」


 思わず言い淀むと、はっとしたように殿下は視線を戻した。

 ほんの一瞬だけアイスブルーの瞳が揺れる。すぐにいつもの凪に戻ったけれど。


「……すまない。私の配慮が足りなかったようだ」

「えっ?」

「君は未来の王太子妃として、休日も返上して研鑽を積もうとしているのに、私は自分の都合を優先させてしまった」

「えっ!」

「ただ、一つだけ訂正させてほしい」


 殿下は真っ直ぐにわたくしを見つめた。

 万年雪の瞳に、柔らかな光が宿る。


「君と過ごす時間は、私にとって暇つぶしなどではないよ。いつも貴重な時間をありがとう、シア」


 ……………………。


 ねぇ、これ無理じゃない?

 わたくし、詰んでない?

 こんなにも素晴らしい神に抗える人間など存在しないし、わたくしはただの人間。やや身分高めではあるが一般令嬢なのだ。

 えぇ、もはや好きとかそういう次元ではないわ。いえ、好きか嫌いかで言えばそれはもちろん好きだけれど。婚約者として、人間として尊敬しているという意味の好きであって。

 つまりその、殿下はわたくしの…そう! 信仰対象!


「シア?」


 殿下の声に、はっと我に返る。


「い、いえ、そう……あの、恥ずかしながら、わたくしは普通の人間ですので……」

「……? 人間……?」

「わたくしこそ感情を優先してばかりで……己の甘さを断ち切る力が、全く足りておりませんわ」

「そんなことはない。母上から、王太子妃教育は完璧だと聞いている」

「まぁ!完璧なのは殿下ですわ。先日も陛下が嬉しそうに殿下のお話を語ってくださいまして……ふふ、とても微笑ましく思いましたの」

「……………!」


 ユリウス殿下の瞳が、大きく見開かれた。

 あの鉄壁の表情管理に、一瞬だけ亀裂が走る。


 えぇ、えぇ、驚かれるでしょうとも。

 完璧であるご自分の隣に立つ婚約者が「自分はダメ人間です」だなんて自己申告。恥でしかな――


 ピコン!


 あまりにも場違いで軽快なあの音が、わたくしの脳内に響いた。

 ――まさか。


 恐る恐る視線を上げると、殿下の頭上の数字がクルッと書き換わっていた。



【82】



 ど、どういうことなの?!

 い、今の会話のどこに好感度が上がる要素があったのかしら…?

 表情筋を征服した殿下の瞳に宿っているのは、深き敬愛の色だ。


「こんなにも温かく真摯で、勤勉な君を……私は誇りに思うよ」

「ふぎゃっ」


 変な声が出た。出てしまった。

 淑女にあるまじき悲鳴である。

 ……でも今は取り繕う余裕がない。

 だって、わたくしの一カ月-10計画が、初日にして-2どころか+2になってしまったのだから。


「共に図書館へ行ってもいいだろうか?」

「……え?」

「もちろん邪魔はしない。私も読書は好きだから」


 殿下はそう言って、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ首を傾げた。

 周囲の人間には微塵も変化のない無表情に見えるだろう。

 けれどわたくしには、それが「お願い」の顔だとわかってしまう。

 十年間、隣で見つめ続けてきたのだ。殿下の表情の小さな変化を、読み逃すはずがない。


「で、ですが、退屈ではありませんか?」

「退屈なわけがないよ。シアと一緒なら、なおさら」


 殿下。殿下。

 そういうことをさらっと仰るから数字が上がるのですよ。

 いえ、わたくしの数字ではないのだけれど。

 わたくしの心臓が跳ねる数字があったら、今ごろ四桁くらいいっている。


 えーん、殿下! 好き!


 ――ではなくて!

 好きではなくて!

 尊い! 拝みたい! 信仰対象!


 わたくしだって、感情を表に出さないよう教育を受けてきたはずなのに。

 無謀で最弱の意志を持つわたくしは、顔を真っ赤にしてコクコクと頷くことしかできなかった。


 だって、拒否なんてできないわ。人間だもの。

はじめての投稿です。

ぜひお付き合いいただけると嬉しいです!

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