「お嬢様に祝福をお送りいたします。今日からあなたは悪役令嬢です」
「お嬢様に祝福をお送りいたします。厳正な選定に基づき、あなたは認定されました」
「はい?」
「今日からあなたは、悪役令嬢です」
説明なんてものはなかった。
突然やってきた、真っ白な仮面をつけた謎の男にそう言われた時には、私は既に全く知らない場所にいた。
まっさらな空間の中にポツンとある、空中に浮いている丸い台座に、自分を含めたたくさんの女性がここにはいた。
「どうなっていますの?」
「ここはどこですか?」
「私、さっきまで自室にいたのに……」
周囲を見渡すと、自分と同じように女性たちは口々に声を出し、困惑している。
良かった。この状況が理解できていないのは、自分だけじゃない。私は少し、安心した。
ただ、気になることもある。
私はごく普通の学生服なのに、他の女性たちは今流行りの小説にある、令嬢と呼ばれるきらびやかな衣装に身を包んでいることだ。
言葉遣いや仕草なんかも、なんというか現代人っぽくない。
「みなさん、こんにちは」
台座の中央から、男性の声が聞こえた。さっき見た時はいなかったはずなのに、今は確かにいる。
「私はナビゲーターを務めております、ナナシです」
ナナシと名乗った男は、先ほど私に悪役令嬢だと言ってきた、真っ白な仮面をつけた謎の男だった。
「ただいまより、あなた方には悪役令嬢として、様々な王国の第一王子と婚約中である女性を虐げ、二人の恋仲を邪魔してもらいます」
ナナシの言葉を聞いたことで、一斉にどよめきが起こった。
こんなことをいきなり言われて、はい分かりましたとならないのは当然だ。いろんな女性たちが自分の都合で喋るので何を言っているのか聞き取れないが、大体がふざけないでとか、いいから家に帰しなさいとか、まるで意味が分かりませんといったものだと思う。
「もしかしてこれ、悪役令嬢として転生しちゃった、みたいなやつ?」
みんなが困惑している中、私はちょっとわくわくしていた。
私は今流行りの令嬢ものとか追放とか、ざまぁとか俺ツエーとか、そういうテンプレが大好きだ。そして、そんな世界に行けたら、私ならこうする! みたいな妄想を、それはもう両手で数えられないぐらいしてきた。
それが今、まさに目の前で起ころうとしているのだ。そりゃあ楽しみに決まってる。
「みなさん、お静かに」
ナナシが指を横にすっと動かすと、先ほどまで騒いでいた女性たちがぴたりと口を閉じた。どうなっているのかと確認するため、私は自分でも喋ってみようとしたが、口が開かなかった。
これは魔法みたいなやつだと思い、私はもっとわくわくした。
「何故私がこんなことを? どうしてそんなことをするの? このような疑問が、皆様の中で渦巻いていることでしょう。ですが、深く考える必要はありません。皆様が覚えておくことは、たった一つ」
悪役令嬢として最もふさわしい振る舞いをした者は、どんな願いでも叶えることができる。
ナナシはそう言った。
「どうぞ、願いはその胸の内に秘めておいてください。それでは、皆様をこれより悪役令嬢として様々な世界へお送りいたします。悪役令嬢として必要になるものは全て、こちらでご用意させていただいております。安心して、悪役令嬢としての手腕をお振るいください」
ナナシがお辞儀をすると、私はまた別の場所に飛ばされていた。
周りには自分以外いない。他の人たちは、他の国へ配属されたのだろう。
つまり、私は周りを気にすることなく、この後出会うであろう、王子の婚約者を虐げればそれでいいらしい。
さて、私の目の前には大きな姿見があり、自分を映している。
絹のように滑らかな金髪を、螺旋状の縦ロールに仕上げた完璧な髪型。宝石のように輝く紅い瞳は、常に誰かを見下す角度で伏せられている。ドレスは深紅のベルベットに黒のレースをあしらった豪奢なもの。首元には巨大なルビーのチョーカー、指先には白い手袋――その上からでも伝わる、育ちの良さと圧倒的な自信。
少し足を動かせば、ヒールが床を打ち、まるで私の存在を讃えなさいと言わんばかりの足音を響かせる。
「これは誰がどう見ても完璧な悪役令嬢! すごい、テンプレすぎる……」
乙女ゲームの世界なのか、小説モチーフの異世界なのかは分からないが、とにかく現代とは違う場所に来ているという事実に、私は大興奮だった。
正直なところ、ナナシが言っていた自分の理想の世界を叶えられるというものには、あまり興味がない。というか、もう叶ったと言ってもいい。だから、欲はあまりない。
それはそれとして、悪役令嬢を演じろと言われているのだから、それはやってみたい。
演技は元々好きだし、何よりそれを求められているのなら、最低限こなしておくのは異世界転生をさせてくれた者への礼儀だろう。
「お嬢様、本日が学園最後の舞踏会となります。準備はよろしいですか?」
ノックがされ、扉越しに声が聞こえてきた。恐らく相手は侍女で、私を呼びに来たのだろう。
「ええ、今行くわ」
いつも通りに喋ったつもりが、勝手に変換されている。なんてすごく便利なんだと、私はうっきうきで舞踏会の場へを向かった。
♢
会場についた私は、ひとまず人ごみに紛れてじっとしていた。
周りの小声を拾っていったところ、王子は今日、この舞台で婚約者と共にやってくる予定らしい。姿どころか名前すら知らない相手だが、そこは適当に名称が出てくることを祈るか、名称を呼ばないという荒業で誤魔化す予定だ。
王子の名前すら知らないとかとんでもない不敬だが、悪役なんだし、常識など持ち合わせていなくていいだろう。と、私は開き直っていた。
ここで、会場の扉がゆっくりと開いた。
瞬間、ざわめきが止み、空気が一変する。まるで誰かが物語の主役を運び込んだかのような、完璧な演出だ。
そこに立っていたのは、絵画から抜け出してきたような青年がいた。白金の髪をなびかせ、豪華な衣装に身を包み、背筋はまっすぐ伸ばされている。
そして、隣には彼の婚約者の女性がいた。
栗色の髪を揺らしながら王子の腕にそっと手を添え、少し不安げに周囲を見回している。淡いピンクのドレスに、控えめな髪飾り。
華やかな令嬢たちの中では地味に見えるが、王子の隣に立つことで、まるで選ばれし者のような輝きを放っていた。
私がテンプレな悪役令嬢なら、彼はテンプレな王子だ。そして、婚約者もテンプレな庶民系婚約者。ここまでテンプレ尽くしなことに、私の顔はちょっとひきつった。
「お待たせしました、皆さま」
王子が一歩踏み出す。
その声は低く、よく通り、何より王子っぽい。ぽいじゃなくて王子なんだけど、本当にこれ以外の言いようがない。
私は多分、一時間後には彼の顔をさっぱり忘れているだろう。だって、あまりにも見たことがある顔過ぎて、もはやどこで見たことがあるのか分からないのだ。
会場にいる者たちが一斉に頭を下げ、会場の空気が彼を中心に回り始める。
私は仕掛けるならここだと思い、あえて頭を下げなかった。
このことに王子と婚約者も気づいたらしく、王子は私を睨みつけ、婚約者はひどく怯えた表情を浮かべた。
私はゆっくりと扇子を開き、口元に添えた。
視線の先に捉えるのは、王子の隣で小さく縮こまっている婚約者。
栗色の髪を揺らしながら、怯えた瞳でこちらを見ている。うん、完璧な虐げられる側のビジュアルだ。
「相も変わらず、品が足りない衣装なこと。王子の隣に立つには少々……ねえ?」
初めてみたはいいものの、背景が全く分からない状態で人を虐げるとか、どうやればいいのだろう?
とりあえず私は誤魔化すように、オーッホッホッホ! と、笑っておいた。
周囲の令嬢たちがざわめき、王子がやめろと声を荒げる。
本当にお門違いなことを言っているなら、なんだこいつ、やべえやつじゃん……って沈黙すると思うのだが、こういう反応を返してくれるということは、多分今の私の動きは通常運転なのだろう。
じゃあ、このままテンプレで突っ走っていいかな?
「衣装だけではありません。立ち居振る舞いも、まるで庶民のよう。王子の婚約者にしては、あまりにも場違いですわ。これでは、我が国全体が他国に笑われてしまいそう」
少女の肩が震える。王子が一歩前に出る。
でも、私は一歩も引かない。むしろ、さらに一歩踏み出す。
「失礼。庶民のよう、ではなく、庶民、でしたわね? だと言うのに王子に近づくなんて、身の程知らずにも程がありますわ。あなたのような方が、王子の隣に立つなんて烏滸がましい。そう、自分で少しも思わなかったのですか? 私には、その考えにすら至らないことが不思議でなりません」
どうだ? まさにテンプレを踏襲した、なんかよく分からないそれっぽい糾弾! 実際の私にも、よくわかっていない!
婚約者が泣きそうな顔で俯き、王子が拳を握りしめた。
周囲の空気が張り詰めているのが肌で分かる。後はなんか、最後の決め台詞だ!
「聡明な王子であれば、どなたと婚約を結び直すことが国のためになるか。お分かりですよね?」
ドヤァァァァ。
これは決まったな! 私と明言しないことでリスクを減らしながらも相手の気持ちを揺らす、このチクチク言葉!
というか、この後の悪役令嬢はテンプレどおり、論破されて酷い目に合ってご退場だろう。
――あれ、もしかしてそこまでするのかな。
悪役令嬢として振舞ってこいって言われてるだけだから、振る舞いが終わった時点で勝手に採点に入ってくれるものだと思ってたんだけど。
もしかして、凄惨な最期を迎えるシーンまでが採点ですとか、そういうオチ――。
嫌なことを思い浮かべていたら、空間が歪んだ。何事と思っている間に、私はあの真っ白な不思議空間へやってきていた。
台座の中心で私が一人静かに立ち尽くしていると、あの男――ナナシが、再び現れた。
「おめでとうございます。あなたは悪役令嬢として、最もふさわしい振る舞いを行いました」
仮面の奥から響く声はどこか嬉しそうで、どこか機械的だった。
私は扇子を閉じ、軽く一礼する。演技だったけど、まあ、やり切った感はある。
ただ、あんなちゃちな演技で一番になってしまったのだが、それは良かったのだろうか。あ、他の人は全然乗り気じゃなかったのかな。
「それでは、あなたの望む世界を叶えましょう」
そう言われた瞬間、視界が白く染まり――気づけば、私は元の場所にいた。
いつもの制服姿。いつも私が使っているスマホ。見慣れた自室。
先ほどまで演じていた悪役令嬢が、まるで夢だったかのように、いつもの空気が肺に染み込む。
私は深呼吸した。
そして、ふと笑った。
「……なんだかんだで、やっぱりこの世界が好きなんだな、私」
もしかしたら、夢だったのかも。
そんな風に思える程度には現実味がなくて、短い体験だった。
異世界転生なんて、実際のところ、あれぐらいの経験で十分だ。そう考えると、私はなんておいしいとこどりをしたのだろう。
「お嬢様に祝福をお送りいたします」
背後から、聞き覚えのある声。
振り返ると、そこにはまたしても真っ白な仮面の男――ナナシが立っていた。
「厳正な選定に基づき、あなたは認定されました。今日からあなたは、悪役令嬢です」
私は目を見開いた。今度は、声すら出なかった。
空間が歪む。
世界が反転する。
まっさらな空間の中にポツンとある、空中に浮いている丸い台座に、私はまた来ていた。
「一体何が起きているの?」
「ここはどこですか?」
同じだ。さっき、夢だったのかな、なんて思っていた、あの光景と同じ。
私はごく普通の学生服を着ているのに対し、他の女性たちは今流行りの小説にある、令嬢と呼ばれるきらびやかな衣装に身を包んでいる。これも同じだ。
でも、似ているのは衣装だけだ。全部の人を覚えているわけではないが、少なくとも私が覚えていた範囲の中で、同じ顔の人はいない。
「みなさん、こんにちは」
台座の中央から、男性の声が聞こえた。さっき見た時はいなかったはずなのに、今は確かにいる。間違いない、あれはナナシだ。
「私はナビゲーターを務めております、ナナシです」
同じだ。私が夢として経験したと思っていた、さっきまでと全く同じ。
「ただいまより、あなた方には悪役令嬢として、様々な王国の第一王子と婚約中である女性を虐げ、二人の恋仲を邪魔してもらいます」
こうして、私は再び悪役令嬢を演じることとなった。