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腐女子ロザリーは男女比8対2の異世界に転生しました ~きっとBL異世界に違いないのでお義兄様の恋のキューピットになります~



「初めまして、コンラートお義兄様。大教会より参りました、ロザリーと申します。クロムウェル公爵家の養女としてこれからお世話になります。よろしくお願い申しあげます」


 本日よりロザリー・クロムウェル公爵令嬢となった私は、客間の扉が開く音が聞こえた途端、ソファーから立ってお辞儀をした。きっと義兄が入室したに違いない。ここで義兄がやって来るのを待つようにと、義父となったクロムウェル公爵様がおっしゃっていたもの。

 八歳にしては固すぎる挨拶だったかもしれないけれど、優しい笑顔で私を見送ってくれた大神官様も『新しいご家族に立派にご挨拶をなさい』とおっしゃっていたし、失礼な振る舞いをするよりはよほどいいはず。


 すると、扉のほうから、変声期を迎える直前の少年の高く澄んだ声が聞こえてきた。


「顔をあげていいよ、ロザリー。楽にして」

「はい」

「僕が今日からきみの家族になるコンラートだ。よろしくね」


 義兄に促されるがままに顔をあげると、目の前には絶世の美貌を持つ少年が立っていた。

 ブロンドベージュの髪に、アメジストのような紫色の瞳、白磁のようにすべすべの肌は内側から発光しているみたいに美しい。伏せがちに生えた長い睫毛が印象的な瞳や、高い鼻梁など、パーツ一つひとつの形も美しいが、それらが神がかったバランスで配置されている。

 上質な衣装を身に着けているせいもあって、まるで等身大のビスクドールのようにも見えたが、笑顔を浮かべた途端にふわりと色気が漂う。万人をも狂わせることの出来そうな生々しさは、生きた人間の証である。


 私は義兄の美しさを前に、雷に打たれたかのような衝撃を感じていた。


 ……受けだわ。

 まごうことなく受けだわ。

 前世から思い描いていた理想の受けが、今、私の目の前に……っ!!!


 コンラートお義兄様は握手のために私に向けて片手を差し出していたのだけれど、私はその手を取ることも出来ず、そのまま失神した。





 前世の私は『ニホン』だったか『ニッポン』だったか、自分が生まれた国の名前もあやふやにしか覚えていないし、自分の名前も『鈴原愛梨』なのか『カレーライス雲仙丸』なのかよく覚えていないのだけれど。とにかく腐女子だった(たぶんどちらかは腐女子として使っていたSNSのアカウント名だと思うのだけれど、どっちが本名でどっちが真名かしら?)。

 学生時代からBLをこよなく愛し、商業BLやイベントで一次BLを買い漁り、社会人になってからも誰に迷惑をかけず楽しく腐女子ライフを送っていた。

 けれど記憶が途中で途切れているので、事故か事件かは分からないけれど、死んでしまったのでしょう。


 ロザリーとして異世界に生まれ変わった私は、孤児だった。

 この中世ヨーロッパふうの異世界では、孤児の存在自体が珍しい。結婚の形が前世とは異なり、基本的に一妻多夫なのだ。

 女性の数が極端に少ないらしく、男女比はなんと八対二。百人の人口に対して、八十人が男性で、女性はたったの二十人である。

 それゆえ、女性は五人以上の夫を持つことが推奨されている。一つの屋敷で大家族になることもあれば、妻がそれぞれの夫の元に定期的に通う『通い婚』の形になることもあり、さまざまだ。

 たとえ子供が遺伝子上の父親を亡くしても、ほかの夫が養育することがほとんどだ。

 両親が離婚をしたとしても、父親が引き取ることになっている。この世界の男性にとって子供がいることは、あまり良い言い方ではないけれど立派なステータスなのだ。


 そして、子供が女の子であるならば、孤児になることなど絶対にありえない。男あまりのこの世界で、女の子は宝なのだ。

 女の子が生まれたと周囲に知られると、あちらこちらから「ぜひ、うちと縁談を」と贈り物のラッシュが始まる。近所の人々どころか、王侯貴族からも縁談の申し込みが絶えないらしい。縁談相手が女の子と同世代の男の子ならまだ可愛いもので、父親と同世代の男どころか、「どうしても死ぬまでに一度は結婚生活を送ってみたい」という病床のお爺さんからも縁談の申し込みがあるそうだ。

 正攻法で駄目ならば女の子を攫おうとする男たちもいるので、父親は掌中の珠を守るがごとく娘を育てていくのだ。


 そんな男女比八対二の異世界で、私は赤ん坊の頃に大教会の前に捨てられていたらしい。

 女の子の赤ん坊が捨てられていたということで、国中がとんでもない大騒ぎになったのだとか。

 大神官様が「この子を捨てた親は名乗り出なさい!!!」と大激怒したところ、国内どころか国外からも「自分が父親です!!!!! 娘を返してください!!!!!」と名乗る自称父親が後を絶たず、けっきょく私は大教会の奥で大神官様に育てられることとなった。

 ロザリーという名前は、大神官様が名付けてくださった。カレーライス雲仙丸じゃなくて良かった。

 ある程度物心がついた頃、私は自然と前世を思い出したのだが、自分が孤児であったことについて『そもそも異世界転生だから、私には両親が最初からいなかったのかもしれない』と思うようになった。

 だって、なんだか私の外見が異常に美少女なのである。攻めに横恋慕して、受けにマウントする性悪女みたいに。

「○○様は私のように美しい女性が好きなのよ。あなたのような平凡な男に本気になるわけないの。今はあなたを珍しがって遊んでいるみたいだけれど、しょせん遊びは遊びよ。○○様に飽きられて捨てられるあなたが可哀想だから、忠告してあげるわ。さっさと○○様から離れなさい」とか言いそう。

 こんなに可愛い娘を捨てる両親は絶対いないだろう。遺伝子上の父親が死んでいたとしても、ほかの夫たちが喜んで育ててくれたはずだ。

 なので、私はたぶん神様が手ずから作ってくださった肉体に異世界産の魂を入れてもらって、この世界に突然現れたのだろうと思っている。


 年頃になるまではこのまま大教会の奥でひっそりと暮らしていくのだろう、と楽観視していた私だが、八歳になると、大神官様から「ロザリーはクロムウェル公爵家の養女になることが決まりました」と伝えられた。


「もともとロザリーが赤ん坊の頃から、国内どころか国外の者までがあなたを狙っていました。ですが最近では、外見が美しい上に心優しく育ったロザリーに、大教会の中にも欲を出す者が増えてきました。神官ですら惑わせる『傾国の美姫』だと噂が立って、収拾がつきません」


 毎日平和に暮らしていると思っていたら、全然そんなことはなかったらしい。


 女の子は宝ゆえに、父親を始めとした周囲の人々から蝶よ花よと育てられ、たいへん我儘な性格に育つことが多いらしい。

 私だって実父がいたなら、我儘くらい平気で言ったと思う。けれど、大神官様や大教会にこんなにお世話になっているのに、性別がただ女であるという理由だけで傲慢な態度を取れるはずがない。

 ただそれだけの理由で大人しくしていただけなのに、心優しいという評価になってしまうのね。異世界とは本当に不思議だわ。


「私ももう年です。侵入者や裏切者からロザリーを二十四時間守り抜くのは容易ではありません。もはや大教会に安全な場所はどこにもないのです。国一番の切れ者と言われている、現宰相のクロムウェル公爵に、あなたを託すことにしました」


 大神官様も八十歳を超えているので、私を守り切るのは非常に困難だ。八歳の今でそんなにたいへんなら、あと五年も経てば大教会は戦場になってしまう……。

 これ以上、大神官様にご迷惑はかけたくない。ここで暮らすのはもう限界なのだろう。


「今まで守り育ててくださってありがとうございました、大神官様。今までのご恩は決して忘れません。私はクロムウェル公爵家に行きます」

「分かってくれてありがとう、ロザリー」





 気を失っている間に、クロムウェル公爵家の養女になる前の記憶を夢で見ていた。

 コンラートお義兄様にお会いして失神した後、私は自室として与えられた可愛らしい部屋の天蓋ベッドに寝かされていた。

 もうすっかり外は暗くなっていて、室内には明かりが燈されている。


「大丈夫かい、ロザリー?」

「……コンラートお義兄様」


 寝起きに理想の受けの姿が現れて、私の心臓はドンドコドッコン!! と聞いたことのない音を立てていたが、表情には出さない。前世で暮していた国では国民全員が成人するまでに習得していたと思われる『愛想笑い』は、今でも私の得意だった。


 また興奮がぶり返して気絶しないよう、慎重に上体を起こす。

 するとコンラートお義兄様が優しく私の背中を支えてくれて、ベッドヘッドと背中の間に枕を挟んでくれた。

 なんて優しいの!! さすがは私の理想の受け!! 綺麗で色気がある上に、初めて会った義妹にさりげない気配りも出来るなんて!! この世のすべての攻めが惚れるわ!!


「どこか具合の悪いところはあるかい?」

「ご心配をおかけいたしました。私、普段は健康で倒れることなんてないんです。もうなんともありません」

「もしかしたら今日のことで緊張していて、昨夜は眠りが浅かったのかもしれないね。今夜はゆっくり眠るといいよ」

「ありがとうございます、お義兄様」


 コンラートお義兄様は私の頭を撫でてから、額にさらりとキスを落とした。


「わっ」


 びっくりして、思わずキスされた部分を手で押さえてしまう。


「嫌だったかい、ロザリー? おやすみのキスのつもりだったんだけれど」

「い、いいえ。びっくりしただけです。初めてだったので……」

「……そう。大神官様はロザリーのことをきちんと守り抜いてくださっていたんだね」


 これがそこら辺の男性相手なら平和ボケしている私もさすがに警戒するけれど、コンラートお義兄様はあまりにも自然で、なんのいやらしさも感じさせなかった。さすがは私の理想の受け。

 お義兄様はもう一度私の額にキスをしてから、「じゃあ、おやすみ」と言って、部屋から出ていった。


 私はお義兄様が出ていった扉をじっと見つめ、一つの結論に達していた。


「ここはBL異世界だったんだわ。だから異常に男性が多いのよ」


 BLではよくあるのだ。女性が少ないために男性同士での恋愛が活発だという設定は。

 それなら納得だわ。だから女性はBL異世界の種の保存のために基本的に一妻多夫なのね。

 もしかすると今後、男性同士でも子供が作れる方法がも見つかるかもしれない。魔法や医療の発展で~という設定は百万回読んだもの。大神官様あたりが神様から奇跡の力を得て、男性同士の妊娠方法を編み出してくれる可能性もなきにしもあらずだ。


 私は男女比八対二の異世界に生まれた意味を、今までずっと考えてきた。

 ようやくその答えが分かった気がする。


 そう、私は――理想の受けであるコンラートお義兄様が素敵な攻めとイチャイチャするのを見届けるために異世界転生したに違いないわ!!!


 きっと自分の役どころは『攻めに横恋慕する意地悪なモブ』か『攻めと義兄の恋を取り持つ心優しいモブ』のどちらかでしょう。


 どちらの役でもコンラートお義兄様の恋のキューピットには変わらないので、頑張るわ!!





 コンラートお義兄様の恋のキューピットになると決めたからには、最高の攻めが必要だ。私の理想の受けなのだから、最上級の攻め様に愛されるべき。

 お義兄様はすでに好きなお相手がいるかもしれないし、まだ出会っていないかもしれない。十二歳のお義兄様にはさすがにまだ恋人はいないと思うのだけれど、BLには『おにショタ』といった成人×未成年のジャンルもあるし、ショタ同士のカップリングもあるので、油断は出来ない。

 とにかく、お義兄様の周囲の人間関係を探らなくては。


 私はコンラートお義兄様を探して庭の裏手に出る。

 クロムウェル公爵家の大きな屋敷にはクロムウェル公爵様とコンラートお義兄様、そしてたくさんの使用人しかいない。どうやら母親は通い婚で、他の夫たちや異父兄弟はそれぞれ別の場所で暮らしているらしい。それゆえとても静かだ。


 コンラートお義兄様は、家庭教師の授業がない時はたいてい庭で剣術や体術の鍛錬をしている。

 絶世の美少年の上に真面目で努力家だなんて、本当にお義兄様は受けになるべくして生まれた希望の星だわ。


「コンラートお義兄様! 冷たいお飲み物をお持ちしました。少し休憩なさってはいかがですか?」

「ロザリー? わざわざ飲み物を運んで来てくれたのかい? 重たかっただろう?」


 子供用の木刀を素振りしていたお義兄様は、驚いたように目をまるくした。私が両手に持っているバスケットを凝視している。

 この世界の女の子たちはスプーンより重いものは持たないものらしい。

 私が飲み物の準備をお願いした使用人も「自分が運びますので、ロザリーお嬢様に持たせるわけには……!」と焦っていたし、断固としてバスケットを運ぶ私を見かけた使用人たちが、心配そうに後ろからゾロゾロと付いてくる始末だった。

 ちなみにクロムウェル公爵家の使用人は全員男性なのだけれど、直接私の身の回りのお世話をしてくれる使用人は同性愛者らしい。クロムウェル公爵様が私の身の安全のために新たに雇ってくれたのだとか。


 私は近くのベンチにお義兄様を座らせると、ミントの入ったレモネードを手渡した。


「ありがとう、ロザリー。そろそろ休憩しようと思っていたところなんだ。……ああ、冷たくてとても美味しいよ」


 お義兄様はすごく喉が渇いていたのか、とても美味しそうにレモネードを飲み干した。


「コンラートお義兄様は暇さえあれば鍛錬をなさっていますね。とてもご立派です」

「そうかな? 僕なんてまだまだだよ」


 どう誘導してお義兄様の恋愛事情を聞き出そうか、頭を素早く働かせていると、いつも穏やかなお義兄様の表情が少し曇ったことに私は気が付いた。

 これはもしかすると、切ない片思いでもしていらっしゃるのかしら?


「こんなに真面目に努力なさっているのに、どうしてお義兄様はそんなにご自分を卑下されるのですか?」

「……僕が、お母様が望まれるような息子になれないからかな」


 コンラートお義兄様が話してくれたのは、母親(一応私の義母でもある)との確執だった。切ない片思いの話では全然なかった。


 母親にはクロムウェル公爵様を含めて五人の夫がいるのだけれど、コンラートお義兄様は生まれてから一度しかお会いしたことがないらしい。他の異父兄弟は頻繁に母親と会って、可愛がられているにも関わらず。

 原因は、クロムウェル公爵様が母親のタイプの男性ではないから。

 他の夫たちは騎士だったり冒険者だったりと、とにかく厳ついマッチョ系なのだ。クロムウェル公爵様はコンラートお義兄様の実父なだけあって、線が細くて繊細な感じのする美形で、ガチムチとは確かに真逆のタイプである。

 じゃあ、母親がどうしてタイプじゃない男性と結婚したのかと言うと、クロムウェル公爵様がお金を積んだらしい。跡取りを一人生んでくれればそれでいいと、契約結婚したのだ。男女比八対二のこの世界では、まぁまぁよくある話である。

 クロムウェル公爵様は契約結婚でも納得出来たでしょうが、実際に生まれてきたコンラートお義兄様にはたまったものではない。

 他の異父兄弟に会う機会があると、『お父様とお母様と食事へ行った』だとか『お母様が剣術の試合に応援に来てくださった』だとかマウントされて、とても傷付いてきたらしい。


「だから僕はお母様が認めてくれるような男になって、会って褒められたいんだ。でも、どんなに鍛錬して、剣術や体術の腕が上がっても、なかなか筋肉がつかなくてね。これはクロムウェル公爵家の血のせいなんだろうな……」


 なんて健気なのかしら、私の可愛い受けは。

 コンラートお義兄様の愁いを帯びた表情は色っぽくて美しいけれど、彼を悲しませることが許されるのは、攻めだけだ。それもとびっきりのスパダリだけ。

 毒母相手にそんな顔をさせてはいけないわ。


「お義兄様は今のままで世界でいちばん素敵です! もう、存在そのものが完璧で、最高で、筋肉がつこうとつかまいとお義兄様の価値は小揺るぎもいたしません!」

「……ロザリー」


 私がコンラートお義兄様の両手をぎゅっと握りしめて伝えると、アメジスト色の瞳が日の光に当たったように明るく煌めいた。私たちが腰掛けているベンチは木陰になっているのに、不思議だわ。

 お義兄様は暫くパチパチと瞳を瞬かせると、ふわりと色っぽく微笑む。


「ありがとう、ロザリー。きみのおかげで目が覚めたよ。僕のことを否定する人のために心をすり減らすより、僕のことを大事にしてくれる人のために生きるほうが、よほど幸せだ。これからはお母様に認めてもらうためじゃなく、ロザリーを守るために鍛錬を続けるよ」


 お義兄様はそう言って、私の手の甲に口付けた。

『華奢なままで完璧。お義兄様は最高の受けよ』という気持ちを非常にオブラートに包んで伝えたら、腐女子としての熱意もあってか、お義兄様の心に届いたらしい。よかったわ。


「……お父様が自分の結婚の二の舞にならないようにと、いろいろ蹴落としてロザリーを僕の元に連れて来てくださったけれど。本当に正解だったな」


 コンラートお義兄様が何か小声でぼそりと言ったようだけれど、私の耳にはよく聞こえなかった。





 その後、コンラートお義兄様がクロムウェル公爵様とお話して、母親への貢物をやめたらしい。

 母親から『他の夫と食べたいのに王都で今流行りのお菓子が手に入らないから、送って』とか『異父兄弟の誕生日パーティーを開くから新しい宝飾品を用意して』とか手紙だけが届き、少しでも彼女の気を引いて息子に会ってほしかったクロムウェル公爵様は、唯々諾々と貢いでいたそうだ。しまいには、母親が買った物の請求書がクロムウェル公爵家にしょっちゅう届くようになったのだとか。


 この世界では女性が働くことがまずないので、妻の衣食住に掛かる費用は夫が全部支払うことになっている。

 だが、一妻多夫が基本のため、その支払いは夫同士で分けることになっている。

 全員で同じ屋敷に住んでいる場合は、夫同士で等分する。

 妻が通い婚の場合は、例えば第一夫が月に二週間ならその分だけ支払い、第二第三夫が月に五日ずつならその分だけ、第四第五夫が三日ずつならその分の費用だけ支払う。

 そんな感じだ。

 コンラートお義兄様の母親の場合、他の夫と食べるためのお菓子だとか、他の子供のパーティーにつけるための宝飾品なんて、クロムウェル公爵様が支払う義務はまったくない。まして請求書を送りつけるなんてもってのほかである。その時一緒に過ごしていたマッチョ夫たちに支払ってもらうべきだ。


「利用されているだけだと分かっていたのですが、それでも息子に母親と会う機会を失わせたくなかったのです。ですが、もう、やめ時なのでしょうね……」


 線が細くて、いつもアルカイックスマイルを浮かべているクロムウェル公爵様が、そう口にした時だけ、寂しそうな表情になった。

 どうやら離婚を考えているらしい。


「クロムウェル公爵様、いいえ、お義父様。これからは私とコンラートお義兄様と三人で幸せな家族になりましょう!」

「ロザリー……!」


 私は子供特権を使って、お義父様に抱き着くと。お義父様の瞳には光るものが浮いていた。

 その場にいたお義兄様も誘って、三人でぎゅっと抱き締め合った。





 その後、ひと月もしないうちに件の毒母がやって来た。

 貢物が来なくなった上に、公爵家に送った請求書が突き返されるようになったからだ。


「どういうつもりよ、バジル! あなたに送ったはずのドレスの請求書が、ジャスパー宛てに戻ってきたわ! あんな高額なお金をCランク冒険者のジャスパーが払えるわけないじゃない!」


 お義父様の名前はバジル・クロムウェルだ。ジャスパーは毒母の他の夫らしい。


「ですが、あのドレスの請求書はジャスパー氏とその息子たちと観劇へ行くときのために仕立てたものなのでしょう? 仕立て屋がそう言っていましたよ。それにきみのドレスどころか、ジャスパー氏とその息子たちの仕立てた衣装の代金まで請求されていた。私に支払い義務はありませんね」


 お義父様は淡々と言う。


「何よ、それ! 今までは何も言わなかったじゃない!」

「今までとはもう違うのですよ」

「そんなことを私に言ってもいいの!? 離婚するわよ!? 宰相に妻がいないなんて恥だから~とか、跡取りがほしいから~なんて私に言って、頭を下げてきたのはあなたじゃない! 今までどおり支払わなくちゃ、私、バジルと別れてやる!」

「契約結婚を申し込んだ時に、きみには十分な額を支払ったはずなんですがね」


 自分を手放すはずがない、と勝ち誇った表情で叫ぶ妻に、お義父様は後ろに控えていたコンラートお義兄様を呼んだ。


「きみはこの子が誰か分かりますか?」

「は? 誰よそれ。初めて会う相手なんて、分かるわけないじゃない。身なりは良いから、家令見習いか何か?」


 赤ん坊の頃に一度会っただけ。そしてその後は一切興味を持たなかったのだろう。自分が生んだ息子の顔も分からず、年頃からも推測出来ず、彼女はただ首を傾げるだけだった。


 コンラートお義兄様は「もういいです、お父様」と微笑んだ。


「こんな性悪女から息子として愛される夢を見ていた僕は、もう消えました。どうぞ離婚してください」

「そうか、分かったよ」


 すでにコンラートお義兄様は毒母に対する期待を手放していたけれど、こうして対面してみて、幼い未練さえ吹っ飛ばされてしまったらしい。


 お義父様が妻に一枚の書状を手渡す。


「さぁ、ここにサインをしてください。それで私たちの結婚は終わりです」

「は……?」


 彼女はここでようやく夫が本気で離婚する気なのだと理解したらしい。顔色が真っ青になる。


「ま、待ってちょうだい、バジル! こ、今回は私もちょっと言い過ぎたわ! あなたと離婚だなんて嘘よ! あなたが意地悪をするから、ちょっと我儘を言ってみただけ! いいのよ、私は今までどおり、あなたと結婚していてあげる! 今回の請求書はちゃんとこっちで支払うから! ほら、あなたにもらった大粒の真珠のネックレスを売ればどうにかなるし。そうよ、真珠のネックレスは新しいものをまたバジルに買ってもらえばいいんだわ! 今のはもうデザインが古臭いしね。ねぇ、そうでしょ、バジル? 私と別れるわけないわよね?」


 毒母は焦ってしまって、言わなくても良いことを口にしているのか。それとも、蝶よ花よと育てられて我儘放題に生きてきたから、本気で名案だと思って口にしているのかしら。

 どちらか分からないけれど、部屋の空気は最悪だった。


「私は本気です。さぁ、離婚届にサインを書いてください」

「い、いやぁぁぁぁぁ!!! バジルがいなくちゃお金がないじゃない!!! ジャスパーはいつまで経ってもCランクだし、他の夫たちも見習い騎士から階級が上がらないし!!! バジルは公爵位を持っているから、あなたの妻だと言えば、上流階級の遊び場にだって行けたのに!!! こんなおいしい生活を手放すのは嫌よぉぉぉ!!!」


 毒母はジタバタ暴れたが、忠誠心の篤い使用人たちに取り押さえられる。

 そして、毒母が屋敷に来た時点で私が連絡を送っていた大神官様が、大教会から慌てて駆けつけて来てくださった。

 毒母は大神官様に促されて、泣く泣く離婚届にサインをし、そのまま受理されて離婚が成立した。


 こうしてクロムウェル公爵家は、平和で穏やかな三人暮らしになったのだった。





 それから早八年。私は十六歳に、コンラートお義兄様は二十歳になった。

 なんと、未だにお義兄様のお相手となるべき理想のスパダリ攻め様が見つからない。

 お義兄様はまだ固い蕾のように危うい美しさを持つ少年期が過ぎてもなお美しく、今では花開いた白いシャクナゲのように妖艶だ。

 マッチョのような太い筋肉はつかなかったけれど、固く引き締まった体は若い牡鹿のように優美で、剣術や体術をさせれば舞のように優雅だ。

 今は宰相補佐としてお義父様と共にお城で働き、クロムウェル小公爵として名を轟かせている。

 それなのにどうして、攻め様が現れないの……。


 私も一応頑張ったのだ。

 コンラートお義兄様のお友達を屋敷に呼ぼうと画策してみるも、「ロザリー、他の男に会ったらいけないよ。世の中の男は全員野獣だと思いなさい」と諭されてしまう。


「そんなことないと思います。だって、世の中の男性すべてなんておっしゃったら、お義兄様まで野獣になってしまいますもの」

「ふふふ。そうだね」


 コンラートお義兄様は笑って、本気で取り合ってくれなかった。


 ならば自分から攻めを探しに行こうと、コンラートお義兄様が通い始めた学園(貴族の子息が十五歳から十八歳まで通える)の見学をお願いしたこともあった。


「学園を見学したいのかい? じゃあ、学園長にお願いして、丸一日休校にしてもらうよ。生徒も教師も学園関係者も絶対に登校しないように脅しておくね。だいじょうぶ、学園長の弱みはすでに握ってあるから」

「それだと意味がないんです、お義兄様」


 外出先でお義兄様に相応しい攻めを探そうと思っても、お義兄様がすぐにお店を貸し切ったり、人払いをしてしまうので、けっきょく義兄妹で仲良くお出かけするだけで終わってしまう。三回に一回は多忙なお義父様も参加してくださるので、家族のお出かけになったりもする。


 このままではコンラートお義兄様の将来が心配だ。

 若干、自分の将来も気になっているけれど、きっとお義父様がクロムウェル公爵家のためになる縁談を複数用意してくれるのだろう。私はこのおうちが大好きなので、出来れば夫とは通い婚にして、基本的にこの屋敷で子育てしつつ暮したいなぁと思う。


 そんなことを思っていたある日、いつも以上にビシッとした正装を身に着けたコンラートお義兄様が、宝飾品用の黒い天鵞絨張りのケースを持ってきた。

 ケースを開けると、大きなダイヤモンドが輝く指輪が入っている。

 公爵家の養女になってから、たくさん高価な物をプレゼントされてきたが、ダイヤモンドの指輪は初めてだった。


 ぽけっとして指輪を見つめていると、お義兄様が私に言った。


「そろそろ僕と結婚しようか、ロザリー」

「え……?」


 お義兄様が結婚するのは、最高のスパダリ攻め様では……?

 などと、口が裂けても言えるような雰囲気ではなかった。

 理想の受けのはずのコンラートお義兄様から、スパダリ攻め様のような妖艶な圧を感じる。


「お父様は自分の結婚が上手くいっていなかったから、僕には苦労させたくなかったみたいでね。『一夫一妻』の縁談を探していたんだ」

「『一夫一妻』? この国は基本的に一妻多夫では……?」

「国王夫妻が『一夫一妻』なのは、ロザリーも知っているだろう?」

「はい」


 基本的に一妻多夫というのは、国王夫婦は例外的に『一夫一妻』だからである。

 これは王位継承問題のせいだと思っていたのだけれど。


「『一夫一妻』は三つの条件をクリアするなら、王族どころか平民にだって許される制度なんだ。一つは、夫婦のあいだに五人以上の子供を設けること。もう一つは、一妻多夫と同等の生活水準を夫が妻に保証できること。そして最後に、妻が他の縁談を望まないこと」


 つまり、一妻多夫の場合と同じだけの子供を生み、同じだけの生活を妻に保障し、なおかつ、妻自身が一途に夫を愛せる場合にのみだけ、適応されるらしい。

 一つ目の条件は夫婦ともに健康体であれば問題ない。こういう世界なので女の子の健康は本当に重要で、私も定期的に健康診断を受けてきたし、公爵家嫡男であるコンラートお義兄様も同様だろう。

 二つ目の条件は、クロムウェル公爵家なら余裕だ。

 そして三つ目の条件が、本当なら一番難しい。ふつうなら母親から「素敵な男性をたくさん手に入れなさい」と言い聞かせられるだろうし、父親も娘のより良い将来を考えて、評判の良い男性を何人も斡旋するはずなのだ。最初から一妻多夫思考に育てられている。

 その点、私は非常に珍しい孤児で、大教会の奥で八歳まで大神官様に守られて育ち、その後はクロムウェル公爵家の中だけで生きてきた。一妻多夫思考をまったく植えつけられずに。


 もしかして私、若紫状態だった……?


「ロザリーには、僕以上に好きな男なんていないよね?」

「……いないですけれど。確かにいないですけれど……っ!」


 コンラートお義兄様にしか出会っていないのだから、いるわけがない。

 でも、なんだか嵌められた気がしてならない。

 頭を抱えてしまう。


「僕はロザリーが好きだよ。ロザリーは僕のことが嫌いかな?」


 そう言ってお義兄様が寂しげに目を伏せる。

 あぁ、しょげた表情まで愛おしい。やはりコンラートお義兄様は私の理想の受けだわ。嘘でも嫌いだなんて言えない。


 プロポーズをしてくる相手に、嘘でも嫌いと言って突っぱねることができないのなら、もう受け入れるよりほかはないのでしょう。


「もちろん大好きです、コンラートお義兄様」


 こうして私は理想の受けであるコンラートお義兄様と結婚することになった。

 もしかするとこの世界は、BL異世界ではなかったのかもしれない。



END


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