第四節:初めての言葉は、わりと普通だったのに――
「リアナ様、そろそろ“お言葉”が出るのでは……?」
「いえ、あのお方の第一声は、きっと人知を超えた啓示に違いありません」
「……記録魔石の準備、万端です」
(……ねぇ。なんで“初めて喋るだけ”なのに、こんなピリピリしてるの?)
2歳になった私、リアナ・グランツェル・ヴァルトルート。
元・社畜OL、現・独裁国家ヴァルト帝国の第六皇女。
だいたいこの世界にも慣れてきた。
赤ちゃん期を無事(?)に乗り越え、言葉もぼちぼち覚えてきたし、
今はもう、自分の意思で歩いて喋ってツッコめる程度には発達した。精神年齢は30代だけど。
ただ――
私が**“初めて喋る”瞬間が、なぜか国家的イベント**みたいになってるのは、どう考えてもおかしいと思う。
だって、私の口から出る“最初の言葉”が、
未来の政治方針を示す神託になる可能性があるって、
誰が言い出したの? ほんと誰?
(ねぇ、私の中身ただの元社畜なんだけど!?)
でもそんなこと、誰も信じない。
クラリス母は、「あなたの最初の言葉、楽しみにしてるわ」って微笑んでるし、
王父に至っては、「その日が来たら、帝国全軍に祝砲を撃たせよう」って言ってた。
(それ、物騒すぎるから!!)
でも――私としては、普通に喋りたいだけだった。
というか、むしろ早く喋れるようになって、もっと意思表示をしたい。
前世じゃ、理不尽に黙って耐えるしかなかったことが多すぎた。
だから、今世ではちゃんと伝えたい。言いたいことを、言いたいように。
そして、その日は、何の前触れもなくやってきた。
昼下がりの王宮の庭。
いつものようにお茶会をしていたクラリス母の膝に座り、私はぽつりと呟いた。
「……おなか、すいた」
その瞬間――空気が、止まった。
「……っ!」
「記録魔石、今の音声は……!?」
「おなか……すいた……“お腹を空かせた者に、施しを”という意味か!?」
(いや、ただお腹すいてただけなんですけど!?)
「“施し”か、“分け与える心”か……さすが、リアナ様……!」
「天啓だ……!」
「我らの女神が、ついに語りかけた……!」
その日のうちに、街の掲示板には“第六皇女初の御言葉”として――
《おなか、すいた》
という言葉が、金文字で掲示された。
(マジでやめて!?)
その言葉の意味を解釈した宗教関係者が、「慈悲の女神としての第一歩」として語り始め、
近隣の教会では“リアナの名のもとに炊き出し”が始まった。
(いや、善行にはなってるけど、全然意図してないからね!?)
家族の反応も、まあ予想通り。
第一王子「リアナが食べたいと言うなら、王都中の料理人を集めよう」
第二皇女「胃腸に良い薬草ミルクの調合、任せて」
第五王子「今後、“飢え”についての政策を整理する必要があるな」
(言葉の影響力、どうなってるんだよこの国!?)
それからも、私はぽつぽつと喋り始めた。
「ねむい」→「全人類に癒しが必要」
「これ、すき」→「価値観の転換の兆し」
「やだ」→「これは否定の意思……つまり革命の意思……!」
何を言っても、勝手に深読みされて、過剰に美化される。
(……これじゃ、自由に喋れないじゃん……)
でも――それでも。
クラリス母が、ふっと微笑んで言ってくれた。
「あなたの言葉は、誰かにとって希望なの。あなたが普通に生きるだけで、救われる人がいる。それって、素敵なことじゃない?」
その時、私は思った。
(……ちょっと、悪くないかも)
(だったら私、もっとちゃんと生きよう。やりたい放題、自由に。だけど、できることはしよう)
そう思った矢先。
「リアナ様、明日から家庭教師がいらっしゃいます」
(えっ、もう勉強!? まだ3歳なんだけど!?)
──自由に生きるには、努力もいるらしい。
でも私は決めた。“普通に、自分らしく生きる”ってことを、曲げないって。
(さて、とりあえず勉強の前に……お昼寝タイム!)
「……リアナ様は、今日も“すき”とおっしゃったそうです」
「うむ。民草はこのお言葉を“日々の中に愛を見出せ”と解釈しておる」
「……つまり、恋人との連絡は毎日欠かさない方がよい、ということか」
「違うと思います」
(違うよ!? なんでそんな解釈になるの!?)
私は、ただの三歳児(中身30代)として、今日も王宮で普通に過ごしている。
でも、周囲の“普通”は、どう考えても普通じゃない。
ちょっと好きなものを口にしただけで、
数時間後には王都に“第六皇女のお気に入り特集”の紙が配布されていた。
「リアナ様が好んだ木の実を、特産品として育て直そうと思うのですが」
「それ、国策になるレベルでは……?」
「えっ、あれおやつだったんだけど……」
そして今日、クラリス母のサロンで、私は言った。
「これ、いらない」
ただその一言。
意味としては、もらったプレゼントが可愛すぎてちょっと恥ずかしい→気持ちは嬉しいけど遠慮するっていうニュアンスだった。
でもその言葉が――
「贅沢を良しとせぬ、そのお心……」
「まさに、質素の美徳!」
「さすが、リアナ様……!」
王都の貴族連中の中に、**“贅沢否定ブーム”**が生まれかけていた。
(あのね!? 私はただ、ぬいぐるみが大きすぎて困っただけなんだってば!?)
けれど、その裏で。
私の知らないところで、“別の声”が動き出していた。
――王都の外れ。人の気配が少ない、古びた屋敷。
「……聖女、ね。くだらん」
焚き火のような明かりの前で、低い声が呟いた。
「たかが子どもの寝言を、神の言葉に祭り上げるとは。民も落ちたものだ」
「だが、事実として帝国の民心は、“第六皇女”に集まっている」
「だからこそ、排除する」
「“神”を崇めるようになった民は、次に“偶像”を求める。だがそれは、我らにとっての毒だ」
「準備を。まずは――“疑念”からだ」
木箱の中に、数枚の手紙がある。
それは王都の市民に向けて、偽名で送られる中傷文。内容はこうだ。
――「第六皇女の微笑みは、作られたものだ」
――「すべてはクラリス妃が仕組んだ神格化の演出である」
――「騙されるな。真の支配者は別にいる」
男たちは笑った。
「神を信じた民が、その神に裏切られたと知った時――炎はよく燃える」
──それは、まだ私の知らないところで。
水面下で、ゆっくりと、毒が染み込み始めている。
でも――
「ふあぁ……ねむい……」
「リアナ様、お昼寝なさいますか?」
「……うん」
私は今、のんびりと午後のお昼寝タイムである。
枕はふかふか、ブランケットは魔法でちょうどいい温度。
そばにいる侍女さんは歌がうまいし、クラリス母の香水の香りも落ち着く。
(あ~……幸せ……)
“自由に生きる”をモットーにした第二の人生は、まだまだ始まったばかり。
……だけど、知らないところで、“自由”を脅かす影が動き出していた。