01-01
その昔、渡部ケンジが小学校低学年だった頃のことである。
当時のケンジは知る由もないが、彼の父親もまた公安警察であった。
ケンジを含め、家族や周囲の人間に知らされていたのは「警察官である」ということだけ。
何故なら公安警察は職務内容の都合上、身内にすら自身の仕事の一切を明かすことがないからである。
ケンジは、そんな父親のことが嫌いであった。
兎にも角にも愛想がなく、家にいても雑談をする訳でもなければ、仕事の話をする訳でもない。
休日に出掛けることもなければ、遊ぶこともしない。
母親とですら、ろくすっぽ会話をしないのだ。
ケンジにとって父親は、そこに居るだけで家の中の空気を悪くする、ただただ得体の知れない異質な存在でしかなかった。
母親は父親の何が良くて結婚したのだろうと、しばしば疑問に思っていたものである。
しかし、ある年の冬、何も知らなかった父親の思想と信条にケンジは触れることになる。
正確には「触れてしまった」或いは「地雷を踏んだ」と表現すべきであろうか。
休日にケンジと父親が、二人揃ってリビングで過ごしていたときのことである。
ソファに腰かけ、コーヒーを飲みながら雑誌を読む、まるで置き物のような父親を意に介することなく、ケンジはテレビの前で床に座ってアニメを視聴していた。
番組の途中でコマーシャルが挟まると、とある商品にケンジは反応する。
それは〈プレイ・ボックス六十四式〉という最新のゲームハードであった。
ケンジは何の気なしに「クリスマスプレゼントはプレイ・ボックス六十四式がいいなぁ」と、小さく独り言を呟いた。
そして、その呟きは父親の耳にまで届いていた。
「ケンジ、お前、クリスマスプレゼントが欲しいのか?」
父親はケンジの言葉に反応し、問い掛ける。
珍しく自発的に声を掛けてきた父親に驚きながらもケンジは答える。
「うん、このゲーム機が欲しいんだ。学校の友達はみんな持ってる」
「みんな? みんなって誰だ?」
「松野、西村、荻生田、高木と、あとは……、えっと……、世耕かな」
「みんなって、たったの五人じゃないか?」
「うちのクラスはね。でも他のクラスにも持ってる奴がいるんだ。岸田とか、二階とか、石破とか、岩屋もかな」
「そうか。ところで、去年もクリスマスプレゼントを買ってもらったのか?」
「うん。お母さんがゲームソフト買ってくれた。クソゲーだったけど」
「なるほど――」
持っていたマグカップを卓上に置き、口元に手を当て、何かを考え始める父親。
暫しの沈黙にケンジは気まずくなり、視線をテレビに戻す。
「おい、ケンジ」
「何?」
振り向き、父親の方に向き直るケンジ。
「お前、クリスマスが何の日か知っているか?」
「……知らない」
「クリスマスっていうのはな、キリスト教の人間にとって特別な日だ。だからプレゼントがある。ケンジ、お前はキリスト教か?」
「……え、キリスト教?」
不意の質問。
宗教というものに触れずに育ってきた少年にとって、キリスト教という存在は理解の外のものであった。
「お前はクリスチャンなのかと聞いている」
父親の語気が強まり、ケンジは萎縮してしまう。
張り詰めた空気に漂う苛立ち。
声を荒げたり、感情を表に出すということはしないものの、父親は全身から明らかに怒りを滲ませていた。
「……えっと、違う……、と思う……」
緊張が支配する空間を脱したい一心で、しどろもどろになりながらもケンジは何とか言葉を絞り出す。
しかし回答の内容がどのようなものであれ、結果は変わらなかった。
父親の怒りが発露する。
「クリスマスが何なのかも知らずにプレゼントを欲しがっていたのか! お前は!」
こめかみに血管を浮かべて怒鳴り散らす父親。
あまりの態度の豹変ぶりにケンジの頭は真っ白になる。
「あさましい奴め! 物欲を満たす為に宗教を利用し、擦り寄る愚か者めが! 俺はお前をそんな風に育てた覚えはない! そんなにプレゼントが欲しければな、どこぞの教会にでも行ってキリスト教に入信してこい!」
教会、入信。
若き少年にとっては難しい単語が並ぶ。
父親は椅子から立ち上がると足早にケンジに近付き、首根っこを掴んで玄関まで引き摺る。
そのまま玄関の扉を勢いよく開けると、ケンジを外に放り出した。
「ほら、行って来いよ、教会。プレゼントが欲しいんだろ? 近くにあるぞ。あそこに見える十字架が目印だ」
訳も分からないままに怒りを買い、ただ父親を見上げることしか出来ないケンジ。
父親は建物の間に覗く、教会の屋根に立つ十字架を指差していた。
ケンジの体は恐怖で強張る。
「但し、クリスチャンになって帰って来たら二度とこの家の敷居は跨がせない。俺はありとあらゆる宗教が死ぬほど嫌いだからな」
宗教が嫌いということ。
ケンジが父親について初めて知った内面である。
「それでもゲームが欲しいか?」
首を横に振るケンジ。
いつの間にか目に溜まっていた涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「わかればいい」
そう言い残し、父親は家の中へと戻って行った。
取り残されたケンジは放心状態のまま動けず、玄関の前で静かに泣き続けた。
陽が沈む頃、買い物で外出していた母親が帰宅すると、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになったケンジを見つける。
このことがきっかけとなり、ケンジの両親は離婚した。
◆◆◆◆◆
メロメ地区の乱闘騒ぎから時が経ち、暦は十二月。
公安の用意したセーフハウスの一室でクリスマスツリーを見ながら、ケンジは子どもの頃の思い出に耽っていた。
宗教が嫌い、という父親の言葉を反芻しながら。
今のケンジは、嫌という程に父親の思考を理解していた。
宗教は争いの元である。
宗教は悪人の隠れ蓑である。
宗教は世界を破壊する。
宗教は人々を腐敗させる。
宗教は大事な人を奪う。
宗教は家族を殺す。
両親の離婚から数年後、ケンジと母親のもとに父親の訃報が舞い込んだ。
死因は海外での交通事故であるとのこと。
しかし実は、テロリストの隠れ蓑となっていたとある宗教での内偵調査がバレて殺されたのだった。
ケンジがその事実を知ったのは、自分もまた公安警察になってからのことである。
※週に一度の更新を予定しております




