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ラ・ベーガ  作者: 蘭鍾馗
4/21

4.組曲「スペインの歌」

「発表会、早速聴きに行きましたよ。いや、素晴らしいと思いました。今までになく完成度の高い作品ですね。特に第4番の『コルドバ』が素晴らしかった。」


 ◇


 出版社の担当者が、もう思いつく限りの言葉で手放しの賛辞を繰り返す。新しいピアノ組曲「スペインの歌」のことだ。

 まあ、半分以上はお世辞だろうが、褒められて悪い気はしない。自分でも、組曲としては今までに無い出来だと思ってはいる。ちょっと地味だが。


「これは絶対売れます。」

 本音はこの辺だよな。ま、僕も楽譜が売れて貰わないと困るが。


「それで、次の作品なんですが。」

「『アルハンブラ組曲』ね。まだ構想中だよ。」


 ◇


 楽譜の出版社の担当は、とにかく「組曲で」と言ってくる。売る立場にしてみれば、それはそうだ。単品のピースばかりでは商売にならない。単独の作品を集めた「ピアノ作品集」なんていう出版の仕方もあるけれども、これは何度も使える手ではない。結局、「組曲」として冊子にするのが売りやすいし、実際よく売れる。


 僕の作品も幾つか組曲になっているが、多くは単独の作品を寄せ集めて作ったものだ。そうやって作った組曲は、やっぱりなんだかバランスが悪く、統一感に欠ける。


 今回の「スペインの歌」は、最初から組曲として作曲したものだ。だから、完成度が高いのは、ある意味当たり前だ。



 第一番「前奏曲」は、ギターを模したトッカータ。


 第二番「オリエンタル」は、ヒターノの娘が朗々と歌い上げる東方風のコプラだ。


 第三番は「椰子の木陰」。ゆったりしたハバネラのリズムに乗せた海辺の情景。


 第四番は「コルドバ」。古都の一日を物語のように描いたものだ。


 そして最後。第五番は軽快なカスティーリャの舞曲「セギディーリャ」で締める。



 自分でも割と良くできていると思う。

 でも、ちょっと綺麗にまとまりすぎたかな。


 ◇


 今にして思えば、僕はこの時すでに、何かしら手詰まり感の様なものを感じていたのだろう。


 

…………………………



「スペインの歌」が完成してから、どういう訳かさっぱり曲が書けなくなった。


「お茶にしましょう。」

 ロシーナが紅茶を淹れてくれる。

「書けないものは仕方ないじゃありませんか。」


 ピアノは、ここひと月程弾いていない。

 弾く気が失せてしまった。


 ◇


 そんなある日、書斎で気分転換に本を読んでいたら、ピアノの音が聞こえる。


「カタルーニャ奇想曲」だ。ロシーナが弾いているのか。他に誰もいないのだからそうに決まっている。ああ、彼女のピアノは久しぶりに聴くな。元は僕のピアノの生徒だったのだから、あれくらいは難なく弾ける。


 曲が終わる。すると、今度は別の曲を弾き始めた。「カタルーニャ」だ。


 ん?気になる選曲だな。


 ◇


「ロシーナ。」

「あら、あなた。」

「ピアノの音がするから気になって来てしまったよ。選曲もちょっと気になってね。」

「ふふふ、ひと月も誰も弾かないのではピアノが可愛そうですからね。」

 ロシーナが笑う。


「カタルーニャの曲ばかり続けて二曲弾いたのは?」

「それよ。あなたに聞きたいことがあるの。」


 お茶を淹れる、といってロシーナはキッチンへ入って行く。

 暫くすると、カップとティーポットを持って戻って来た。


「『カタルーニャ奇想曲』はとても明るいわ。だから私、この曲が好きなの。でも、『カタルーニャ』はなんだか暗い、思い詰めたみたいな曲。同じカタルーニャの曲なのにどうしてかな、って思ったの。」


 む。改めてそう聞かれると、どうしてかな。

 あまりそんな風に考えたことはなかった。


「カタルーニャは貴方の故郷じゃないですか。」


 そうだが?


「故郷に対して、なにか相反する思いがあるのかしら、って思ったの。」


 そうか。うーん。そうかも知れんが。

 ただね、「カタルーニャ」の方だが、あのテーマの裏で小刻みに揺れる旋律は、ある楽器を真似たものなんだ。ハーディーガーディって知ってるかね?


「知らない。」


 簡単に言うと「手回しヴァイオリン」だよ。右手で木の円盤を回して弦を擦る。で、左手で簡単な鍵盤を押して音を変える。バグパイプに似た物悲しい音がするんだ。


「そうなんだ。」


 でも、旋律が暗い理由は君の云うとおりかも知れないな。だが僕の故郷はいい処だよ。ピレネーの麓で、夏に雨が多くて霧も出る。僕の曲によく出てくる渇いた赤茶色のスペインじゃない。緑のスペインだ。


「へえ。」


 ◇


 ロシーナとそんな話をしているうちに、僕はなんだか急に曲が書きたくなってきた。



…………………………



 この時に書かれた二つの曲は、「前奏曲」、「アストゥリアス」の二曲。どちらも気候風土の穏やかな「緑のスペイン」を題材にした曲で、「スペイン(思い出草)」と名付けられて、小さな組曲となった。

 中でも「アストゥリアス」は、アルベニスがこの地を題材にした唯一の曲となった。


 ところが、アルベニスの死後、出版社が未完成だった「スペイン組曲」に、第五番「アストゥリアス」として勝手に組み入れて出版したのは、なんと「組曲スペインの歌」の第一番「前奏曲」だった。

 激しいリズムを持つこの曲は、「緑のスペイン」であるアストゥリアス地方にふさわしいものではない。

 しかし、不幸なことに、この曲は「アストゥリアス」という名前のほうが有名になってしまう。

 余談である。


 ◇


 後世の研究家によれば、この組曲には、後の「ラ・ベーガ」や「組曲イベリア」にみられる和声や構成の萌芽がみられると云う。


 この小さな萌芽は、まもなく大きく花開くことになる。

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