21.エピローグ
イサーク。
僕は言った筈だ。君の葬儀には参列したくないと。
この老いぼれよりも先に天国へ行くとは、何と言うことだ。
◇
君には謝らねばならないな。
僕は、君の病気の進行を、止めることが出来なかった。
今はもう二十世紀になったが、医学の歩みはまだまだ遅い。
僕が君に処方できた薬は、体の痛みを和らげるのが精一杯の代物だった。
腎臓のような繊細な臓器は、今の医学ではまだ扱いかねる代物だ。
君がよく引き合いに出していた蒸気機関車のように、医学が力強く進歩し始めるには、まだもう少し時間が必要なのだろう。
僕はなにも出来なかった。
この無能な医者をどうか許してくれ。
ロシーナは元気でやっているよ。
子供たちも皆元気だ。
そうそう、ラウラは画家になったよ。
◇
イサーク。
君にひとつ、悲しい報告をしなければならん。
グラナドス夫妻が亡くなった。
そうだ。二人ともだ。
アメリカに招かれて、歌劇「ゴイェスカス」の初演を行い、その帰りの船が、英仏海峡を航行中にドイツのUボートに沈められてしまったのだ。
彼は一度は救命ボートに助けられたが、妻のアンパロがまだ海の中に居るのを見つけてしまった。
彼はアンパロを助けようと再び海へ飛び込んだ。
アンパロの元へはたどり着いたが、そのまま二人とも沈んでしまったそうだ。
気違いどもめ。何故客船に向けて魚雷を撃った。
二十世紀の歴史の最初のページに、「戦争」の二文字が書き加えられることを、
僕らは止められなかったんだ。
◇
イサーク。
「ラ・ベーガ」を聴いた時、僕は最初、人生に対する後悔のような、言いようのない苦味を感じた。
だが、美しい曲だった。
グラナダの沃野の上を、気の遠くなるような長い時間が通り過ぎて行くのを、
そこに立ってただ眺めているような、不思議な曲だった。
ところが、「組曲イベリア」を聴いた時、その苦味は感じられなかった。
とても美しいが、そこに、君の人生に対する後悔の念は、もはや見当たらなかった。
「組曲イベリア」を書いている時、君の魂は、もう地上を離れようとしていたのかも知れない。
君の絶筆となった「ナバーラ」を、セヴラックの演奏で聴いた時、ロシーナが言っていたんだよ。
「青空を見ているような曲。でも、空を見上げているんじゃないの。まるで空の上から見下ろしているみたい。」とね。
イサーク。
君は今、何処にいるのかね。
◇
僕も程なく、そちらへ行くだろう。
君に話したいことが、沢山あるよ。
また会おう。
この少しばかり風変わりな物語を
最後まで読んで下さった貴方に感謝致します。
ありがとうございました。
蘭 鍾馗




