19.終焉の地にて(二)
一九〇七年六月。
アルベニスはスペインのピアニスト・作曲家のホアキン・マラッツからの書簡を受け取った。もうすぐ完成する予定の組曲「イベリア」について、マドリードで全曲通しでの初演を行わせてもらえないか、という内容だった。当時、マラッツは優れたピアニストとして有名な存在であり、アルベニスも、都合が合わず実現していなかったが、本当はマラッツに初演を依頼したかったのだとも言われている。
アルベニスは、この誘いに応じた。
マラッツは、十一月にマドリードで全曲初演のための会場を押さえたとアルベニスに伝えた。
◇
その後、九月には「イベリア」第四集の第二番「エリターニャ」の楽譜がマラッツに届けられ、残すはあと一曲のみとなった。
十月初めには、アルベニスはマラッツ宛の書簡で、「君はもうすぐ『ナバーラ』を受け取るだろう。もし間に合わなければ、予備の曲であり、君がすでにマスターしている『セギディーリャ』を最後に弾いても良い、この曲はイベリアの最後として合わなくもない。」と書き送っている。
だが、結局アルベニスは「ナバーラ」を諦め、予備の曲を採用することもなかった。十一月末のマラッツ宛の書簡で、アルベニスは「『ナバーラ』は通俗的でありイベリアにはふさわしくないため、代わりに『ヘレス』を作曲した」と書いている。
マラッツがイベリア全曲初演のために押さえた会場の期限は過ぎてしまい、結局、マラッツによるイベリア全曲通しの初演は実現しなかったのである。
「ヘレス」は、静謐な趣の三拍子の曲で、心に深い憂いを抱えたままヘレスの街中を彷徨うような、何処か哲学的なものを感じさせる曲である。曲全体に漂う凛とした高貴な雰囲気は、フラメンコの「ソレア」のそれであり、リズムや構成は違うが、ソレアと同じく曲から見える風景には赤い影が差す。
この曲は、「エリターニャ」と入れ替わりに第四集の二番目に据えられ、最後は軽快な舞曲の「エリターニャ」で締める形となった。
結局、組曲「イベリア」最後の第四集は、一九〇九年二月九日に、パリの国民音楽協会において、ブランシュ・セルヴァの手で初演された。
◇
アルベニスと並ぶスペイン民族楽派の雄、エンリケ・グラナドスは、その日、カンボ・レ・バンへと向かう汽車の車中にあった。「イベリア」初演の後、フランス政府からアルベニスに「レジオン・ドヌール」勲章が授与され、代理で受け取ったグラナドスは、それをアルベニスに届けるため、カンボ・レ・バンにある療養所へと向かっていた。
◇
「イサーク!」
グラナドスが声を掛ける。
アルベニスは、療養所のベッドの上で、上体を起こしていた。傍らにロシーナがいた。
「……エンリケかい?」
「貴方に届け物があって来ました。貴方がこれまで音楽界に残した業績に鑑みて、フランス政府は貴方を英雄と認め、レジオン・ドヌール勲章を授けました。これがその勲章です!」
アルベニスは、手渡された勲章を暫く眺めた後、問い返した。
「勲章……本当かい?」
「本当ですとも。おめでとうございます!」
「ああ、そうか…………ありがとう。ありがとうエンリケ。」
◇
ロシーナが、グラナドスに容態を説明する。
「イベリアを書き終わってから、容態が悪化したの。まだ話は出来るけど、医師の先生からは、いつ昏睡状態になるかわからないって言われてます。」
「そんなに悪いなんて…………」
◇
グラナドスは、勲章を渡してすぐに帰路についた。
帰りの汽車の中で、グラナドスは泣いた。
涙が止まらなかった。
自分には何も出来ないことが悔しかった。
◇
アルベニスは、そのまま眠りに落ちた。
……………………………………
イサーク。
(誰かの声が聴こえる)
頑張ったわね。お疲れ様。
君はもう、何処へでも飛んで行ける。
翼なんか要らない。
(マリアだ)
そのうち、いつかの時代に生まれ変わったら、
またおいで。
ヘネラリーフェへ。
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翌朝、アルベニスは目を覚まさなかった。
一九〇九年五月十八日、イサーク・アルベニスは療養先のカンボ・レ・バンで、四十八歳の生涯を閉じた。彼の四十九歳の誕生日まで、あとわずか十一日であった。
参考資料:
「アルベニス未完の《ナバラ》研究 書簡と自筆譜、ホタ・アラゴネーサを巡って」日本スペインピアノ音楽学会誌(6)41-69、2022.7.7




