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ラ・ベーガ  作者: 蘭鍾馗


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13/21

13.契約

「舞台音楽の分野で名を成すこと。」



 これは、イサークが以前から口にして来た目標。他のジャンルではこんなこと言わないのに、何故か舞台音楽にだけは特別な思い入れがあるみたい。

 イサークは、今までにも、オペラやサルスエラ(セリフの多いスペイン式オペラ)などの作曲を幾つか手掛けている。この間も、オペラを一本作曲し終えたばかりだ。


 このオペラ、イギリスの銀行家で、詩人で脚本家でもあるマニー=カウツさんとの契約で書いたもの。内容は、イギリスの伝説上の王「アーサー王」のお話。「マーリン」、「ランスロット」、「グェネヴィア」の三部作の予定で、この間書き上げたのは第一部の「マーリン」。今、彼は初演を実現すべく奔走している。


 やめとけばいいのに、と思う。

 はっきり言います。マニー=カウツさんの脚本がいまいちなの。だから、「マーリン」はつまらない。


 ◇


 アーサー王の古い伝説に敬意を表して、古めかしい英語で書かれた歌詞は、正直私には難解。ましてやこれが歌になったら、多分聞き取れる人はほとんどいないんじゃないかしら。

 ストーリーも、第一幕は明快でわかりやすいけど、第二幕以降は色んな登場人物のたくらみが錯綜していて、正直途中から筋がわからなくなってくる。


 イサークの方も、ピアノ曲は得意だけどオーケストレーションは苦手だから、時間がかかるし、彼のピアノ曲に感じるような才気も感じられない。オーケストラに編曲する前のピアノで作曲したものを幾つか聞かせてもらった時は、大袈裟で迫力満点だけど、「ラ・ベーガ」を聴いたときに感じた、あの心が震えるような気持ちは、少しも味わえなかった。


 でも、これはマニー=カウツさんとの契約だから。やるしかないのよね。

 それに、イサークにとっても、これは自分の野心を実現するための、またとないチャンス。

 私も、それはわかっているんだけど。


 マニー=カウツさんは良い人です。この人のおかげで子供たちもいい学校に通わせられる。冗談が好きで良く笑う人。ざっくりした性格でイサークとはとても仲が良い。でも、残念だけど脚本家としての才能は別。もう一度はっきり言うわ。「マーリン」はつまらないの。


 ◇


 でも、良い作品もひとつだけあった。それは、「ペピータ・ヒメネス」。


 これは、フアン・バレーラという小説家が書いた、同名の小説をもとに脚本が書かれたもの。

 舞台はアンダルシア。幼いころから司祭である叔父の元に預けられて育ったルイス。神父になる前に休暇をもらって、大地主の父親の所へ帰省する。父親は若い未亡人のペピータに言い寄っているとの噂。父親と一緒にペピータと過ごすうち、彼は彼女に恋心を抱いてしまう。ペピータもルイスを愛し始める。婚姻が許されない神父になるつもりのルイスは、自分の気持ちと果たすべき役目、父親への罪悪感などとの間で葛藤するんだけど、とうとうペピータとの愛を貫く決意をして父親に告白すると、意外にも父親は「最初から全部わかっていたよ」って言って、ルイスをペピータと結婚させる。それは、彼にとっては神父になるという使命を諦めることでもあったけど、でも、これで良かったんだと思う、というお話。喜劇仕立てです。


 セリフは軽妙で、登場人物の心の動きが読めるようで、なんだか面白かった。音楽も、彼の得意な所が生かされていたように思いました。なにしろ舞台はアンダルシアだしね。

 実際、このオペラはそこそこ評判になったわ。



 ◇



 舞台音楽を手掛けている時のイサークは、あまり良い顔をしていない。

「舞台音楽で名を成す」という目標実現のためにやっているから、表情から高揚感は感じられるんだけど、なんだか、どこか辛そうな顔をしてピアノを弾いている。


 もう、いいんじゃない?


 オペラも良いけど、私はやっぱり「ラ・ベーガ」を初めて聴いた時の、あの衝撃が忘れられない。

 イサークもきっと、この曲の先に考えていることが、何かあるはず。


 ◇


 歌劇「マーリン」は、結局、初演を迎えることはなかった。


 そうこうするうちに、彼の腎臓病は、また少しずつ悪化しはじめていた。

 結局、イサークも、マニー=カウツさんも、第一部の「マーリン」の初演と、第二部以降の「ランスロット」、「グェネヴィア」の完成は、諦めざるをえなくなった。そういうわけで、イサークが望んだ舞台音楽家としての名声は、結局手に入ることはなかったの。


 でも、イサークは舞台音楽の仕事の合間に、新しいピアノ曲を書き始めていた。


 家で時折聞こえるピアノの音に、明らかにオペラの曲じゃないと思われるものが混じるようになった。

 複雑なリズムと和声。煌めくような短二度で彩られたそれは、明らかにアンダルシアの甘い香りを漂わせるものだった。


 あの、心が震えた「ラ・ベーガ」の続きは、一体どんな世界になっているのか。

「ラ・ベーガ」を含む組曲なのか、それとも全く新しいものなのか。

 私は、それを見てみたい。それが、今の私の一番の望み。


 だからイサーク、私は楽しみに待っています。


 でも、無理だけはしないで。体だけは大事にして。

 イエス様、マリア様。どうかイサークをお助け下さい。

 

参考資料:「アルベニスの歌劇『マーリン』:序論」(高宮 利行、慶応義塾大学藝文学会、藝文研究Vol.88、2005.6)

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