第七話 朝食
「くあー。よく寝た。今何時?」
「おはようございます。朝で御座います、唯様」
「おあよー。あ、そっか。この世界に、時計はないのね」
「村にある時計は、広場に一つで御座います」
唯はぐっと背伸びをすると、窓に干していた自分の制服を確認する。
窓には、グリゾリの踏んだ跡がくっきり残るブラウスがかかっていた。
スカートは無事だ。
「はい、殺ーす」
「唯様!? 申し訳御座いません! すぐに村一番の上等な服を持って来ますので、なにとぞご慈悲を!」
「冗談よ。もともと汚れてたし、このくらいいいわよ」
唯は、血と泥の跡が染み着いたブラウスに袖を通し、制服姿となった。
「お腹空いたわね。ご飯ある?」
唯がマイエラに質問すると同時に、玄関の扉が叩かれた。
「どうぞ?」
「失礼致します。お食事で御座います」
開かれた扉から、ベルヴェが木の板を持って入って来た。
木の板はお盆代わりに使われており、その上には豆の入ったスープとチーズの塊が置かれていた。
本来、食事を運ぶなど村長の仕事ではないが、マイエラの様子を一目見ようと考えたベルヴェが自ら志願した。
お盆の上を覗き込んだ唯は、露骨に顔をしかめた。
「しょぼ」
「申し訳御座いません。何分、小さな村ですので」
「肉ないの? 肉? あんたたち、武器持ってたじゃん。森に入って、獣を狩ったりしないの?」
「狩猟はします。ただ、狩猟によって得た肉は大半を領主様へ納めておりまして、残りは冬を越すための保存食として干し肉にします。普段の食事には使いません」
「あっそ」
「もしもお肉をご所望でしたら、すぐにご用意しますが」
「そこまでしなくてもいいわ。保存食でしょ? 郷に入っては郷に従うわよ」
「郷?」
唯はベルヴェからお盆をひったくると、その場にあぐらをかいて飯を食らい始めた。
スープをズズズと飲み干して、チーズにかぶりついた。
「……味薄。チーズも、なんか硬いし」
「申し訳ありません」
「いいわよ別に。って言うか、いちいち謝らなくていいから」
唯はお盆代わりの板を床に置き、家の外へと出る。
そして、目を閉じ、人の気配を探る。
唯は、自身の身体能力が元の世界よりも大幅に高まっていることに気づいていた。
それも、元の世界で鍛えた部分ほど大きく。
筋力が高まっているのならば、人の気配を探る力も大きくなっているのではないかという唯の読みは、的中した。
唯の感覚が村全体を捉え、村にいる人間の気配を正確に取り込んだ。
「村人の数は、昨日と変わってないわね。脱走者はなし、と。偉いじゃない」
「そ、そんなことまで分かるのですか!?」
「わかるわよ。じゃなきゃ、脱走するななんて指示を出さないわよ」
村人全員で脱出した並行世界を考え、ベルヴェはごくりと息をのむ。
索敵の魔法は、この世界にも存在する。
しかし、それが使えるのは王宮に使えるような、一部の高度な使い手だけだ。
魔力の気配を一切感じさせずに高度な魔法と同等の所業をやってのけた唯を前に、ベルヴェは恐怖で全身を震わせた。
汗が、ぽたりと落ちる。
唯は、マイエラの腕を掴んで家から引っ張り出した後、ベルヴェに指示を下す。
「この世界の地理と言語を勉強したいわ。資料を、あるだけ用意して頂戴?」
「か、畏まりました」
「じゃあ、よろしく、あたしは、食料調達してくるから」
そして、マイエラを掴んだまま、唯は飛んだ。
「きゃああああっ!?」
突如空中に放り刺されたマイエラは、咄嗟に唯の体に抱き着く。
唯とマイエラの体は村の家の屋根が小さくなるほど高くまで飛びあがり、森へと落下した。
着地の衝撃は唯の足にて無理やり押さえつけ、マイエラの体が一瞬揺れる。
「着いたわよ」
平然と言ってのける唯に対し、マイエラの心臓はドクンバクンと叫んでいる。
「と、跳ぶなら跳ぶって言ってください!」
「言ったら恐くなくなるの?」
「恐いですよ!!」
唯がマイエラを地面に置く。
マイエラはしりもちをついたような態勢で目を開け、周囲を見渡す。
太陽の光が遮られた、うっそうとした森の中。
木々は風で揺れ、ざわざわと騒ぐ。
そして、巨大なクマの形をした魔物が、涎を垂らしながら突如降って来た餌二人を見つめていた。
魔物から垂れた涎がかかった植物は、煙を上げて溶けていく。
「いやああああ!?」
「グオオオオ!!」
「肉、あったわ」
魔物は、唯とマイエラを威嚇するため、両手を上げて吠える。
唯は、無防備となった魔物の腹に拳を一発お見舞いした。
「ゲ……ガボォ!?」
魔物は血を吹き出して吹っ飛び、大木に背中を打ち付けて絶命した。
大木が音を立てて倒れ、転倒音が響く。
木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ下で、唯は倒した魔物の腕を掴み、引きずってマイエラの元へ戻ってくる。
「跳ぶわよ」
「へ?」
そして再びマイエラの腕を掴み、村目掛けて跳んだ。
「きゃああああ!?」
村に戻った唯と、その手に持つ巨大な魔物を見て、村人たちが悲鳴を上げたのはまた別の話。
「さ、肉を獲って来たわ! これで何か作りなさい! 一人じゃ食べきれないから、あんた達も食べていいからね!」