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第69話 あなたを信じて待つ

 それでも、せめてこの想いだけでも彼女に伝えたいと思った。


 パーティーがひと段落ついた頃合いを見計らって、比呂は一人ベランダへ出る。


 そして手紙執筆アプリを立ち上げると、《電脳物質(サイバーマテリアル)》で再現された便せんを広げ、同じく《電脳物質(サイバーマテリアル)》で構成された羽ペンで、アネモネへの手紙を書き始めた。


『親愛なるアネモネへ 


 君に書く手紙もこれで何通目だろうか。もう、数えきれないほど僕の想いをしたためてきたけれど、何度でも君に伝えるよ。


 元気にしていますか? 今どこにいますか? 


 識海は広大で深い。滞りなく旅は進んでいますか? 


 こちらは新緑の綺麗な季節になりました。学校の中庭では藤の花がいくつも大きな房を垂らしています。本当にきれいです。君にもぜひ見て欲しくて、画像を撮りました。それを手紙に添付しておきます。


 その風景を見て、君がこちらのことを懐かしく思ってくれたらいいのだけど。』


 比呂は少し考え込み、再び羽ペンを走らせる。


『今日はネオ研のみんなで、妹の詩織の退院祝いと芽衣のネオ研の入部祝いを兼ねたパーティーをしました。新世界市はすっかり元の平穏を取り戻してします。


 学校の授業も始まったし、インフラも元通り。各種商業施設も営業を再開しています。あの時のMEIS災害など最初から無かったかのようです。


 そう……僕たちは元の日常を取り戻した。


 本当はもっと心から喜ぶべきなのだろうし、それを誇るべきなのでしょう。


 けれど、僕の心にはぽっかりと大きな穴が開いています。何をしても完全には満たされない、空虚な空洞が。


 何もかもが元に戻ったはずなのに、ただ君だけがここにいない。


 いつも僕の隣にいてくれた君の姿だけがそばにいない。


 それが寂しくてたまりません。


 君の声が聞こえない、君の手に『触れる』ことができない。それが悲しくて苦しくてたまらない。


 君が僕の元を去ったのは僕の……僕たちのためだと分かっているけれど、それでも願わずにはいられません。


 君が僕のそばにいてくれたら、どんなに幸せだろうか、と。


 いつか……またそんな日々が戻ってきて欲しい。そして今度こそ、いろんな場所へ行こう。


 共にたくさんのことを見て、経験して、『情報を共有』しよう。


 君は僕に約束をしてくれたね。いつかまた戻ることができたら、きっと僕に会いに来てくれる、と。


 僕は必ずその日が来ると信じて、君を待ち続けます。


 また手紙を書くよ。


 君が最後まで順調な旅路をゆく事ができるよう祈って――……。 


 比呂より』


 比呂は手紙を書き終えると、便せんを四つに折りたたみ封筒の中へ入れる。そして、封蝋(シーリングワックス)を模したシールを張る。それも手紙執筆アプリの提供するサービスの一つだ。


「これで、よし……と」


 すると、出番を察したのか、白羽と黒羽がやって来た。二羽は幾度が羽ばたくと、ベランダの柵に着地する。


「白羽、黒羽。いつもの手紙、配達してもらえるかな?」


「いいゾ、姐さんへの手紙だナ?」


「これは、あれカ。恋文とかいうやつカ!」


 白羽と黒羽の言う事は間違いではないが、そうまではっきり言われると、何だかとても照れくさい。比呂は少し頬を赤らめて答えた。


「それは、まあ……否定はしないよ。……アネモネは電脳識海のかなり深いところにいる。そこまで行くのはきっと大変だろうから、十分に気を付けて」


 白羽と黒羽は、「カアア!」と大きく鳴くと、合体して一羽の大きなカラスの姿になった。


 二羽とも電脳ペットという事もあり、普段は通常のカラスより一回りほど小ぶりな体格をしている。それが二倍になったので、今は鷹にも負けないほどの大きさだ。


 そして白羽と黒羽は、比呂の差し出した手紙を嘴で咥えると、どこへともなく飛んでいく。


 比呂はベランダでそれを見送った。


 MEIS災害があったあの日から、比呂は毎日アネモネに手紙を書き続けている。そして白羽と黒羽も約束通り、毎回こうして配達係をしてくれている。


 だが、アネモネからの返信はまだない。


 比呂の手紙がアネモネに届いているかどうか、それさえも分からない。


 白羽と黒羽はちゃんと戻ってくるが、二羽でさえアネモネに届けられているか自信が無いという。


 それでも、手紙が……比呂の想いが彼女に届いていると信じたい。


 頭上を見上げると、晴れ晴れとした青空が広がっており、温かな陽光が差し込んでくる。


 束の間、その温もりに身を任せていると、そばに芽衣がやって来る。


 芽衣は比呂のそばに立ち、ベランダから街中へ視線を向けた。新しい建物と古い建物が入り混じった第二区域・再開発地区の街並みの向こうには広々とした海が広がっている。


「わあ、海がはっきり見える! この部屋、眺めがいいんだね」


 芽衣は感嘆の声を上げた。彼女のマンションは新世界市の中心部に近いところにあるため、あまり海は見えないのだろう。


「うん。朝焼けや夕焼けは特にきれいだよ」


 潮の香りのする風に吹かれ、しばらく互いに無言で海を眺めた。


「パーティーの方はいいの?」


 比呂が尋ねると、芽衣は髪をかき上げながら笑う。


「うん、柚先輩が人生ゲームを持ってきてて、一緒にやってみたんだけど、なぜか私だけあっさりゴールしちゃって」


 部屋の中の方へ目を転じると、まだ詩織と柚、大介、湊の三人がアナログのボードゲームに興じていた。


 ボードゲーム、しかもアナログとなると、今ではほとんどお目にかかることがない。これなら詩織も一緒に遊ぶことができるだろうと、フリマアプリでわざわざ入手してくれたらしい。


「きゃーっ!『月面着陸旅行に行く』で三回休み、おまけに五千万の大赤字だよ~!!」


「お前はまだいい方だよ、柚。俺なんか、『豪華客船で世界一周の旅に出たはずが、遭難して全財産を失いスタート地点に戻る』だぜ!?」


「僕は割と順調だけど……子どもがアイドルデビューしたがっていて、五百万必要らしいよ。それが本人の夢なら全然いいと思うけど、これ……悪質な詐欺とかじゃないよね?」


「いや……人生ゲームにそんな複雑な設定は無いと思うぞ」


「そうそう。みーくんってば、考えすぎ、考えすぎ!」


「あ、やったあ! 宝くじで一億円当選しちゃった!!」


「うわ、マジかよ……」


「しおるん、めちゃくちゃ強運じゃん~! さっきも宝くじで二億円、当選してたよね!?」


 みな和気藹々として楽しそうだ。比呂も含めて全員、ボードゲームで遊ぶのは初めてだけど、実際にプレイしてみると思った以上に夢中になってしまうらしい。


 比呂と芽衣はそれを見て、互いに顔を見合わせ、くすりと笑った。それから二人は揃って再び新世界市の風景を見つめる。


「静かだね」


「うん、そうだね」


 芽衣が呟き、比呂もそれに頷いた。


「こうしていると、あんな深刻なMEIS災害があったなんて、嘘みたいに思えてくる。私たちも新世界市も、これだけの被害で済んで本当に運が良かったね」


「ああ。でもあれは、確かにあったことだよ。被害が少なかったのも、すぐに元の生活に戻れたのも、運が良かったわけじゃない。全て僕たちが守られていたからだ。僕たちはみな、助けられ、生かしてもらっているんだ」


「比呂……」


 芽衣はきっぱりと断言する比呂の横顔を見つめる。そして少しだけ逡巡したあと、ためらいがちに口を開いた。


「……あのね、ずっと疑問だったことがあるの。聞いてもいい?」


「何?」


「あの日、学校の屋上で蛾型の《アンノウン》と戦った時のこと。私は途中で気を失ってしまったけど、比呂は最後まであの大きな《アンノウン》に立ち向かっていた。あの《アンノウン》は決して自ら消滅したんじゃない。本当は比呂が消滅させたんでしょう?」


「……。それは……」


 比呂は芽衣から視線を逸らし、言葉を濁した。


 芽衣はあの場にいたから、何があったかを見ていたとしても不思議ではない。たとえ全てを目撃していなくとも、記憶の断片から推測することはできる。


 けれど、だからと言って全てを包み隠さず彼女に説明すべきだろうか。悩んでいると、芽衣は慌てて両手を振った。


「あ、ううん……いいよ、嫌なら本当のこと言わなくても。先輩たちにも内緒にしているということは、何か言えない事情があるんだろうし。でもあの時、何ていうか……誰かに手を引かれる感じがしたの。意識がどんどん深いところに沈んでいく中、優しく手を握り締め、そっちは駄目だよ、こっちだよって導かれる感覚。変だよね、ほとんど何も覚えていないのに、それだけははっきり記憶にあるんだ。私ね、それが比呂じゃないかと思ったの」


 それを聞き、比呂は息を呑んで目を見開いた。


(いや……それは多分、アネモネだ。アネモネは芽衣を……そしてきっと、他にも僕が思っているより遥かにたくさんの人たちを守ってくれたんだ……!!)


 二週間前、大量の蛾型の人工・《アンノウン》によって深刻な大規模通信障害が発生した結果、電気や水道、ガスは軒並み止まり、自動化された車両やロボットもみな動かなくなってしまった。


 新世界市は大混乱に陥り、インフラ設備もことごとくその機能を傷つけられてしまったのだ。史上、稀に見る規模のMEIS災害だった。


 ところが、それほどの規模の『災害』が起きたにもかかわらず、死者は出なかった。


 MEISに多大な負荷をかけられた結果、意識不明の重体に陥る者が続出してもおかしくない状況だったのに。そんな症状を示す者は皆無だったのみならず、事前に蛾型の《アンノウン》によって意識を焼失し、眠り込んでいた生徒たちでさえ無事だった。


 どう考えても、ただの偶然でそんな奇跡が都合よく起こるはずがない。


 みな、アネモネが守ってくれたのだ。


 ヴォイドが《深海層(アビサル・レイヤー)》から《表層(クリア・レイヤー)》に働きかけ、電脳識海にMEIS災害を撒き散らしたのとは反対に、アネモネは電脳識海の『深淵』に堕ちようとしている人々の意識を丁寧に救い上げてくれたのだ。


 そのことに気づかされ、改めてアネモネへの愛しさで胸がいっぱいになった。


 どうして、ここに彼女がいないんだろう。どうして、みなのために尽くしてくれたアネモネが《深海層(アビサル・レイヤー)》へと去らなければならなかったのだろう。


 考えれば考えるほど、切なくて息が詰まりそうになる。目頭も熱い。


 けれど比呂は、歯を食いしばって涙を呑み込んだ。アネモネが戻ってくるまで、二度と涙は流さないと決めているからだ。


 比呂は比呂の日常をしっかりと生きていく。それが彼女の選択が正しかったと証明する一番の方法だと知っているから。


 さらに芽衣は、ふと顎に手を添え、首を傾げた。


「そういえば……あの時、私と比呂の他に誰かもう一人、屋上にいた気がする。姿は全く見えなかったし、声も聞こえなかった。でも、強くそう感じたの。……変だよね」


「ううん、変じゃないよ。僕は……待っているんだ。あの人が戻ってくるのを」


「あの人……? ……そう、比呂はやっぱり何かを知っているんだね」


 そう呟く芽衣の表情はひどく寂しげだった。何かを察し、傷ついたような瞳。それを目の当たりにすると、比呂も途轍もなく申し訳ない感情に駆られる。


 けれど、それでも彼女に本当のことを打ち明けることはできなかった。他のことは良くても、アネモネのことだけは譲れない。


 比呂にとっては、永遠にアネモネが『一番』だからだ。


 芽衣もそれ以上、その話題を深堀りすることは無かった。すぐに元の表情に戻ると、窓際に設置してある棚の方を振り返った。そこに一輪の花がガラスの花瓶に差して飾ってあるのが、ベランダからもよく見える。


「そういえば、あの紫の花……確かアネモネでしょ? 《電脳物質(サイバーマテリアル)》?」


「いや、本物だよ」


「そうなんだ。今どき、珍しいね。お花が好きなの?」


「そういうわけじゃないけど……アネモネの花は特別なんだ。花言葉が好きだから」


「花言葉……?」


 尋ねる芽衣に、比呂は頷く。


「アネモネの花は、色によって花言葉が違うんだ。白いアネモネの花言葉は、『真実』・『期待』。赤いアネモネの花言葉は、『君を愛す』。そして、紫のアネモネの花言葉は……『あなたを信じて待つ』」


 その言葉は風に流れ、そして青空の下、穏やかな時の流れる新世界市の街中へと溶けて消えていった。



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