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第66話 戻ってきた日常

 キーン、コーン。カーン、コーン。


 学校のチャイムが鳴り響く。授業の終わりを知らせる鐘の音だ。


 それと同時に、比呂と芽衣は教室を飛び出し、連れ立って部活棟に向かった。


 校内はクラブ活動に向かう生徒や帰宅する生徒などでごった返し、活気に溢れている。どの顔もみな溌剌として明るい。ようやく戻って来た日常を、心から謳歌している。


 部活棟の三階南廊下にあるネットオカルト研究部の前まで来ると、比呂たちはMEISで暗証番号を入力し部屋の扉を開けた。


「こんにちはー!」


「お久しぶりです」


 元気よく挨拶をする二人の一年生を出迎えるのは、ネオ研の二年生たちだ。


「うーっす!」


「ホント久しぶりだねえ、比呂くん! めーち! 元気だった!?」


 豪快に笑う大介。柚も嬉しそうに飛び跳ねながら比呂や芽衣の元へ駆け寄って来た。


「柚は大袈裟だな。学校が休校の間も、バーチャル通信で連絡は取り合っていたでしょ」


 湊は比呂や芽衣に向かって手を上げつつも、子どものようにはしゃぐ柚の姿に苦笑する。


「それはそうだけど……やっぱり実際に会えるのと会えないのじゃ全然違うよ!」


「だよな。何だかんだで部室の居心地に勝るものは他にはねえし」


「それはまあ……僕も否定はしないけど」


 柚や大介がしみじみと口にすると、湊も感慨深そうに頷いた。その湊は椅子に座ってMEISを起動させ、何やら書類を作成しており、一方の大介は愛用の筋トレマシーンに腰かけている。


「これでネオ研も再始動だね!!」


 柚は勢いよく右手を振り上げ、ガッツポーズをした。すると、部室でお留守番をしていた白羽と黒羽がやってきて、揃って柚の頭にぎゅむっと着地する。


「者ども、頭が高いゾ! ネオ研のお通りダ!!」


「グワハハハハハ!」


 白と黒の二羽は、ペンギンからいつものカラスの姿に戻っていた。やたら偉そうな態度も相変わらずだ。比呂は慌てて頭を下げる。


「……すみません。ようやく先輩たちと会えたから、白羽と黒羽もテンションが上がりまくってるみたいで」


「はは、白羽と黒羽もすっかりネオ研に馴染んじゃったね」


 湊は笑って言った。柚も白羽と黒羽の振る舞いにはすっかり慣れてしまったらしく、頭上にとまった二羽をもふもふと撫でている。芽衣は微笑ましそうにその光景を眺めていたが、ふと溜息をついた。


「……でも、こうも登校期間が空くと、学校の対面授業も少し疲れますね。この二週間、ずっと家でのリモート授業だったから」


「確かにその気持ち、よ~く分かるぜ!」


「分かる、分かる! 何かこう……どっと疲れが来るよね!」


 大介と柚も、芽衣の意見に大いに同意する。比呂もそれには同感だった。高校生にとっての二週間は長い。それまで当たり前に過ごしていた学校生活を忘れかけてしまうほどに。


「でも、こうして授業が始まると、改めて実感します。ようやく僕たちの日常が戻ってきたんだなって」


 新世界市を襲った未曽有の大規模通信障害、もはやMEIS災害と言っても過言ではないあの大事件から既に二週間が経っていた。


 あの通信災害は新世界市のありとあらゆる区画に甚大な影響を及ぼしたが、奇跡的にというべきか死者はゼロだった。負傷者や怪我人はあれど、命を落とした者は皆無だったのだ。


 もっとも、民間・公共の両施設や交通機関、インフラなどは大規模通信障害によって大きく破壊され、復旧には多くの時間や人手が必要だった。叡凛高校が二週間も閉鎖されたのもそれが原因だ。


 けれど、そういった『モノ』への被害に比べれば、人的被害は奇妙的なほど少なかった。


 叡凛大学附属病院に入院した意識不明の生徒たちも無事に目を覚まし、今ではみな退院しているという。もちろん、女子テニス部の先輩である三雲るりや、比呂のクラスメイトたちも。


 叡凛高校の生徒も新世界市の市民も、みなようやく《アンノウン》の脅威から解放され、日常生活を取り戻しつつある。


「……にしても、あの大規模通信災害はマジでヤバかったな。大学病院で超大型・《アンノウン》に囲まれた時はさすがに死ぬかと思ったぜ。あの時はいちいち数を数えている余裕なんて無かったが、全部で軽く七十体以上はいただろ」


「七十体以上まではいかないけど、五十体は確実にいたね」


 大介と湊は当時のことを思い出したのか、神妙な面持ちになった。


 大規模通信障害が発生した際、柚やと大介、湊の三人は叡凛大学附属病院へ向かった。大学病院の《アンノウン》汚染が最も深刻だったからだ。


 比呂はその場に居合わせなかったが、出現した《アンノウン》があまりにも巨大で且つ数も多く、ネオ研のメンバーをもってしても対処しきれずに危機的状況に陥ったという。けれどそれにもかかわらず、大規模通信障害で命を落とした者はいなかった。


 柚は眉根を寄せながら、首を捻る。


「でも……いま冷静に思い返しても不思議なんだよね。何せ五十体以上、出現した《アンノウン》のうち、半分は何故か自然消滅っていうか……勝手に消えてしまったの! その後、わたしと大ちゃんとみーくんで協力して、どうにか九体の《アンノウン》を倒したけど、それでもとても全滅させることはできなかった。少なくとも十体近く、残っていたはずなの。それなのに、その残りの十体近くも、気づいたらいつの間にかいなくなっていた。一体、何が起こっていたのか……わたし達もとにかく《アンノウン》を除去するのに必死だったから、何も分からないんだよね」


 比呂はそれを聞いてすぐにピンとくる。ニ十五体もの巨大型・《アンノウン》が一斉に消滅した――そんな都合のいいことが自然発生的に起こるはずもない。かと言って、それほどの量の《アンノウン》を一気に除去するなど、普通の人間にはどう足掻いても不可能だ。


(……そんなことができるのは、アネモネしかいない! きっと、アネモネが先輩たちを援護して《アンノウン》を消去してくれたんだ……!!)


 比呂はソピアー・ジャパン本社でアネモネに頼んだ。どうか先輩たちを助けて欲しいと。彼女はその願いを聞き入れてくれたのだ。そして比呂のために動いてくれた。もしアネモネの助力が無ければ、数えきれないほど多くの人命が失われていたかもしれない。


 しかし比呂は、その事実を己の胸に秘めておくことにする。アネモネは比呂以外の人間に自分の存在を認知されることをあまり好ましく思っていないようだった。彼女がそう望んでいたことを知っているからこそ、黙っているべきだと思ったのだ。


 比呂としては、彼女の偉業をみなに知って欲しい気持ちも強いのだが。


「確かにあの時のことは謎が多いね。学校の方も大変だったでしょ?」


 湊が声をかけると、芽衣はそれに頷いた。


「はい、学校中の《アンノウン》が合体して信じられないくらい巨大な《アンノウン》が出現して……でもそれも、いつの間にかいなくなっていました。私は途中で意識を失ってしまったんですけど、比呂は巨大化しすぎて自ら崩壊してしまったんじゃないかって」


「それ、本当!? どうして分かったの!?」


 柚は目を丸くし、比呂に詰め寄る。


「あ、いえ……あくまでただの推測です。何が起こったのか、僕も全然分からないから、何となくそうなんじゃないかなって。特に証拠はないんです」


 比呂は慌ててそう誤魔化した。


 自分が《メタ・ホール》を発動させ、《アンノウン》を『深淵(アビサル・レイヤー)』へ送ったことは誰にも話していない。あまりにも常識を逸脱した現象であったため、話すにしてもどう説明すればいいのか分からないからだ。


 正直なところ、比呂自身、自分の身に何が起こったのか未だによく分かっていないのもある。だから、学校に出現した《アンノウン》はいつの間にか消滅したという事にしておいたのだ。


 もっとも、その説明でみなが納得したとは限らない。特に柚は利発であるぶん、疑問を抱いているだろう。


「MEISヒーリング店は閉店しちゃったし、高田社長の行方も分からないし。そもそも黒幕を名乗るハッカー、ビトラが何者なのかも分からない……スッキリしなさすぎだよ~!!」 


 案の定、柚はいろいろと腑に落ちないらしく、ガシガシと両手で頭を掻きまわす。それに驚いた白羽と黒羽が、柚の頭から急いで飛び立っていった。


「何だか……少し怖いです。これからどんどん社会にMEISが普及していったら、こういう得体の知れない事件が増えるんでしょうか……?」


 芽衣は声を落としてそういった。


 何だかよく分からないことに、人は不安を感じやすい。今回の事件に限って言えば、ビトラの正体やこれまでにない人工の《アンノウン》がどうやって生み出されたかなど、完全に解明できていないことも多く残されている。そのため、余計に不安や恐怖を感じてしまうだろう。


「……。芽衣の気持ちはよく分かるよ。僕も不安を感じないと言ったらそれは嘘だ。でも過剰に恐れるのは、それこそビトラの思う壺なんじゃないかな? あいつはMEIS社会を破壊したがっている。僕たちが僕たちの生活を大切にして、日々を楽しむことが一番の抵抗になるんじゃないかと思うんだ」


 正しい危機感を抱くことは大切だ。だが、闇雲に恐れびくびくと怯えていては、まともな生活は送れないし、的確な判断を下すこともできなくなってしまう。


 明確な悪意を向けられるのは確かに怖いし落ち着かない。けれど逆に、比呂たちの世界を守ってくれる存在もある。その存在を――彼女の想いを、比呂は信じたい。


 比呂の言葉に、柚や大介も大いに賛同した。


「比呂くん、いいこと言うね! わたしもそう思うよ。相手は混乱させることを目的としているんだから、こういう時こそ落ち着いていたいよね」


「まあ、何が何だか分かんねえけどよ、取り敢えずこうして終わったんだからいいんじゃねえか?」


 大介の口調は、不安など吹き飛ばしてしまいそうなほど豪快だった。湊は呆れて笑う。


「相変わらず、大介は大雑把だな」


「だって、何一つ分かんねえ、ヒントすらねえ問題をいつまでも考えたって仕方ねえだろ。あの通信災害のおかげか、ここ最近は《アンノウン》のヤツもなりを潜めてやがる。平和なのが何よりだ」


「それは確かにそうだねー。でも、あんまり暇すぎるのも考えものだよ。戦闘の勘が鈍っちゃうし、何よりネオ研の存在意義が無くなっちゃう!」


 柚が、ムムム、と眉根を寄せると、湊は悪戯っぽい仕草でウインクする。


「そこは心配ないんじゃないかな。そのうちきっと、蓮水さんあたりから依頼が舞い込んでくるよ」


「はは、確かにな!」


 MEIS災害が起こっていた間、ソピアー・ジャパンの社員である蓮水や冬城と全く連絡が取れず、比呂たちもずいぶんと心配したが、結果的には二人とも無事だった。


 蓮水はビトラと対峙したあの後、国際ホテルに閉じ込められてしまい、なかなか脱出できずに立ち往生したらしい。一方、冬城はソピアー・ジャパンの本部に駆り出され、昼夜を問わずMEISの通信環境の復旧に当たったという。


 だが最も大変だったのは《アンノウン》が消滅した後の事後処理だ。寝る暇さえ無いほどてんてこ舞いだったらしく、しばらくはネオ研と連絡を取ることもできなかった。


 蓮水や冬城たちのような多くの人々が頑張ってくれたからこそ、MEISは今まで通りに使えているし、街や学校も元通りになったのだ。それを思うと、感謝してもしきれない。


 ただ、気になるのはMEISヒーリング店経営者の高田求道がいつの間にか姿を消し、行方不明になってしまったことだ。


 第二区域・再開発地区にあったMEISヒーリング店も、大規模通信災害が収まり、街が平穏を取り戻すころには閉店してしまっていた。


 結局、黒幕を名乗ったビトラについても、何者であるかは分からずじまいだ。もっとも、彼の正体が《ヴォイド》であり、極めてアネモネに近しい存在であることを考えると、比呂たちの方から追跡するのはほぼ不可能だろう。悔しいが、今は放っておくしかない。


 また、反BBMI解放戦線・ADAMASは新世界市で発生した大規模MEIS災害について犯行声明を出したが、彼らの主張した手法は現代のMEIS技術では不可能なものであったため、単なる便乗であるとの見方が多数のようだ。


 また、新世界市は国家戦略未来特区であるとはいえ、地方の小さな一都市に過ぎないので、あまり注目されなかったのもある。ネットメディアのいくつかがさらっと取り上げただけで終わった。


 ただし、比呂はそれで良かったのではないかと思っている。メディアの注目を浴びるのはいい事ばかりではないし、むしろ弊害の方が大きいことを知っているからだ。


 ともかく、こうして日常が戻って来た。失ったものは大きかったが、こうしてネオ研の活動も無事、再開させることができた。比呂はその幸せをしみじみと噛みしめる。


「そういえば……比呂くん。詩織ちゃん、もう病院を退院したんでしょ?」


 柚は比呂を見上げて尋ねた。


「あ、はい。一週間前に退院しました。詩織も今日、中学校に無事、登校したみたいです」


 MEISのチャットアプリでやり取りをしたから間違いない。詩織のMEIS疾患は完治することは無いが、日常生活を送れるほどには回復したようだ。


「あれ、二人は一緒に住んでいないの?」


 不思議そうな顔をする湊に、比呂は事情を説明する。


「詩織は僕と違って、中学入学の時に新世界市に来たので、寮生活をしているんです。僕と同居はしようと思えばできるんですけど、引っ越しをしなければならないし、詩織もよく入院するし……話し合った結果、今のまま寮生活を続けることになったんです」


 叡凛には中等部と高等部がある。高校生は下宿で一人暮らしすることができるが、中学生はまだ年齢が低いため、寮で集団生活をする決まりなのだ。


 比呂と詩織は家族なので、今の下宿先で一緒に暮らすことはできるが、さまざまなリスクを鑑みた結果、詩織は今のまま寮生活を続けることになった。


 それを聞き、大介も納得する。


「あー、なるほどな。せっかく近くにいるってのに、そいつは残念だ」


「でも……どうして詩織のことを?」 


 比呂はネオ研のみなに妹がいることは話したが、名前が詩織であることまでは打ち明けていなかった。何故それを知っているのか。


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