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第61話 崩壊

 学校に到着してから衝撃的な光景の連続だったが、ようやく気持ちが落ち着いて来たらしい。芽衣の瞳には少しだけ強い輝きが戻っている。


 それから、比呂は芽衣と手を繋ぎ、屋上へと続く階段を上っていった。


 階段もまた、具合の悪そうな生徒で埋め尽くされていた。倒れている者、腰かけてうずくまる者、痙攣する者や苦しそうな声を発する者。


 また、小型や中型の《アンノウン》もあちこちで乱れ飛んでいた。


 学校のみなが青ざめ地に伏す深刻な状況の中、真っ黒い蝶のみがひらひらと妙に優雅に空中を舞っている。そのギャップが逆に気味の悪さを増幅させ、いかに異常な事態が起こっているかを思い知らされる。


 踊り場を経由し、上の階に上っても状況は変わらなかった。出会う生徒はみな、もれなく身動きが取れないほど衰弱している。そのうち、比呂はふとあることに気づいた。


(そういえば、こうしてあの超巨大型・《アンノウン》に近づいているのに、どうして僕と芽衣は他の人達みたいなダメージを受けていないんだろう……?)


 不思議に思った比呂の視界に、白と黒の二羽のカラスが入り込む。二羽は比呂と芽衣にぴったりと寄り添うようにして常に行動を共にしている。


(もしかして……白羽と黒羽かな。二人が僕たちを《アンノウン》の影響から守ってくれているんだ)


 白羽と黒羽は《アンノウン》の大群から比呂たちを守ってくれているだけではない。MEISにこれ以上ダメージが加わらないよう、負荷を軽減してくれていたのだ。


 ――そうだったのか。


 笑みを漏らした比呂に、白羽と黒羽も気づく。


「比呂、どうしたんダ?」


「何をニヤついていル?」


「いや……白羽も黒羽もやっぱり僕の家族なんだなと思って」


 すると、二羽の電脳カラスは比呂の元にやって来て、頭や肩に着地した。そして雛鳥に毛づくろいするように、嘴で比呂の髪の毛をツンツンと突く。


「何ダ、今さら? そんなの、当たり前だろウ!」


「まったく、いつもの事とは言え、手のかかる奴ダ! 無茶ばかりすル!!」


「そうかもしれないね。でも、あの《アンノウン》は必ず倒さなきゃいけないんだ。僕たちは絶対に学校を取り戻す。だから二人とも、力を貸してくれ!」


 あの巨大すぎる《アンノウン》に勝てるかどうかは分からない。正直なところ、倒せる自信があるわけではなく、何か具体的で有効な手立てがあるわけでも無い。


 でも、白羽や黒羽も共にいるのだと思うと、少し勇気が湧いてくる。


 実際、比呂のMEISも《アンノウン》から甚大な影響を受けているはずなのに、白羽と黒羽の身体にノイズが走ることは無い。やはり、この二羽は『特別』なのだ。


 アネモネの力を受け継いでいる、比呂の特別な家族。


 無限に続くようにも思える階段を上り続け、ようやく屋上に到着した。屋上へ出る扉は普段、電子錠で管理されているようだが、新世界市を襲う大規模MEIS通信障害の影響を受け、現在は完全に制御不能に陥っているらしい。比呂と芽衣の二人で思い切り体当たりをしたら、意外と簡単に開いた。


 そしていよいよ、あの桁違いに巨大な蛾型の《アンノウン》を目の前にする。


 比呂と芽衣は息を呑んだ。これまで見てきた中でも最大規模の《アンノウン》だ。いかにも振り出しそうな曇天の中で浮かび上がるその凶悪な姿は、この世の終わりのような絶望感を感じさせた。


 翅の隅々まで張り巡らされた翅脈(しみゃく)に、紅色の光が満たされ、まるで血管の中を流れる血液のように脈打っているさまもはっきりと見て取れる。おまけに校舎や校庭から今も小型・中型の《アンノウン》が彼の元に集まってきていた。


 芽衣は擦った声で声を張り上げる。 


「お……大きい……! 何て大きさをした《アンノウン》なの!? 空が全て真っ黒に染まってしまったみたい……!!」


「本当だ。しかも今なお、巨大化し続けている! 一刻も早く倒さなければ……芽衣、援護射撃を頼むよ!」


「う、うん。任せて!」


 それから比呂と芽衣は指輪型端末の《プレロマ》を使い、ほぼ同時にサイバーウエポンを出現させた。さらに比呂は白羽と黒羽に視線を向ける。


「白羽、芽衣のことをしっかり守るんだぞ」


「こっちのことは心配するナ。比呂、お前の方こそ、気をつけロ!」


「僕には黒羽がついてくれているから大丈夫。行こう、黒羽!」


「オー!!」 


 比呂は片手剣を構え、《アンノウン》へ向かって駆け出した。


 叡凛高等学校は校舎の一つ一つが大きく、従って屋上も広々としている。普段は立ち入りが制限されているが、周囲はフェンスと柵で覆われており、何かの弾みで落下することはなさそうだ。


 その屋上の、ちょうど真ん中ほどの位置で、《アンノウン》は漂っていた。


 だがあまりにも巨体であるせいか、距離感が狂ってすぐ目の前に存在しているかのように感じてしまう。遠くからでもそのような有り様だから、近づけば近づくほど、《アンノウン》の巨大さを痛感せずにはいられない。まるで闇にすっぽりと包まれ、呑み込まれるかのようだった。


 時おりネットなどで巨大なモンスターと戦うアクションゲームの映像を目にするが、まさにそれが現実になったようなものだ。


 唯一の救いは、この《アンノウン》はそれほど動きが俊敏ではなく、激しい攻撃もしてこないことだった。あまりにも巨体であるためか、羽ばたきの動作も緩慢としている。


「行ケ! 比呂、ぶちかまセ!!」


 黒羽の声に従い、比呂は片手剣のスキルを発動させた。


「《波動一閃》!!」


 強力な斬撃と共に、片手剣の刀身から白く輝く衝撃波が放たれた。《波動一閃》は剣の刀身から衝撃波を放つスキルであるため、片手剣が届かない相手にも攻撃をヒットさせることができる。


 ところが《波動一閃》が相手に届く刹那、光の防壁がその行く手を遮った。大型の《アンノウン》のみが展開させることのできる光子フィールドだ。


 屋上の《アンノウン》はとりわけ巨大なだけあり、光子フィールドもまた面積が広く強固だった。比呂の放った斬撃は、本体には掠りもしない。


「比呂、援護するよ! 《ヘヴィー・グレネード》!!」


 芽衣のハンドガンから《電脳物質(サイバーマテリアル)》の銃弾が放たれ、目も眩むばかりの巨大な《アンノウン》へ襲い掛かる。他の攻撃よりも威力が高い、溜め攻撃だ。その分、銃口の跳ね上がりも大きい。


 しかし、その銃弾もまた、《アンノウン》の展開する光子フィールドが全て徹底的に防いでしまう。


「う……硬い! 全然ダメージを与えられない……!!」


 芽衣は肩を竦めた。まだ実戦経験の少ない彼女にとって、これほどまでに大きい《アンノウン》と、対峙するだけで精一杯のはずだ。比呂はすかさず声をかける。


「攻撃を続けていれば、光子フィールドは不可に耐えられなくなって、いつか消滅する! 諦めずにスキルを発動し続けよう!!」


「う……うん、分かった!!」


 比呂たちは巨大な相手に対し、怯まず果敢に攻め続けた。可能な限りの攻撃を全て繰り出し、それにスキルを掛け合わせる。


 サイバーウエポン初心者である比呂や芽衣にできる事はそう多くはない。だが、どれだけ光子フィールドで防がれても、一心に立ち向かい続けた。


 友だちを守り、学校を守り、そして自分たちの日常を取り戻す。ただそれだけを胸に誓って。


 しかし光子フィールドの防御力はあまりにも高い。《アンノウン》の大きさと光子フィールドの強さは相関関係にあるため、比呂たち二人の攻撃程度ではびくともしない。分厚い鉄の扉を爪楊枝(つまようじ)で撃破しようとするようなものだ。


 おまけに比呂と芽衣は学校に辿り着く以前にも、街中でさんざん《アンノウン》を除去してきた。そのため、既にかなり体力が落ちている。疲労が濃くのしかかってきて、息も徐々に上がり始めた。あらゆる不可能を可能にするMEISも、肉体疲労までは無かったことにはできない。


(く……全く歯が立たない! 本体が無傷(ノーダメージ)なのはおろか、光子フィールドすら破れる気配がない……!! 本当にこんな怪物を倒す事ができるのか!?)


 やれるかどうかではない。やるしかないのだ。


 いくら自分にそう言い聞かせても、迷いと不安が頭をもたげる。この戦いは本当に実を結ぶのか。ひょっとしたら、自分たちの抵抗は無意味ではないのか。もっと他にみなを助ける手段がないか、考え直した方がいいのでは。


 そういう風に弱気になれば成るほど攻撃の手も鈍っていく。


 比呂たちの攻勢が弱まったのを悟ったのだろうか、それまで大人しかった最大規模の《アンノウン》がゆっくりと羽ばたきをし始めた。


 現実には存在しない、MEISのみが感知できる生命体の、力強い翅の動き。比呂はそれに煽られ、後方に吹き飛ばされた。それは白羽や黒羽、芽衣もみな同じだ。


「きゃあああ!!」


「ぬおおオオ!」


「吹き飛ばされルゥゥゥ!!」


「ぐうっ……うわああ!」


 比呂は咄嗟に、屋上の床に膝をつき、身を屈めた。屋上の床はペンキで塗り固められつるつるとしており、掴むことのできそうな凹みも無い。だが、そうしていれば、《アンノウン》の攻撃を幾分か和らげられる気がした。


(何てすさまじい風圧だ……! 本来であれば、電脳識海にしか存在しない《アンノウン》が、僕たちの物理的性質にまで干渉できるわけがないのに……!! それすらも凌駕してしまうほど、強い影響力を持っているということか!!)


 初めてカマキリ型の《アンノウン》に出会った時も、弾き飛ばされそうなほどの衝撃を感じたが、今はそれの比ではない。


 全ての《アンノウン》は本来、電脳識海上のみの存在であり、物理的に干渉する手段を何ひとつ持たないはずだ。だが、そうであるにもにも関わらず、この《アンノウン》は明らかに比呂たちの肉体に干渉し、薙ぎ払おうとしていた。


 ただの情報体に過ぎなかったはずの《アンノウン》がMEISを介し、素粒子や量子、あるいは原子や分子といったレベルで物理空間に干渉を及ぼしている。中でも最も影響を及ぼしていると考えられるのは光子(フォトン)だ。


 たとえば、光子は集まって電磁波となり、波長の長さによって電波や赤外線、可視光線、紫外線、X線やガンマ線などに細分化される。それらは各特性によって、通信や放送、過熱、センサ、或いは検査や治療などに用いられる。質量を持たぬ光の粒子でしかない光子(フォトン)が、その波長の長さや運動量、エネルギー量の大きさなどによって物理空間に影響を及ぼし、人々の生活に役立てられているのだ。


 この屋上に広がる巨大な《アンノウン》も原理はそれと同じなのかもしれない。《アンノウン》がMEIS(バイオデバイス)に干渉した結果、人工神経細胞(電脳ニューロン)内で情報伝達を担っていた生体(バイオ)光子(フォトン)が通常の基準ではあり得ないほどの高エネルギーを発するようになり、それが逆に人間(ヒト)の体外へと放射され、物理的に強い作用を及ぼすようになったのかもしれない。


 それが本当なら、何て怖ろしいことが起きてしまったのだろうと、比呂は思う。


 これまで人々はMEISで繋がり、便利で快適な生活を謳歌してきた。ところがいま、そのMEISを介し、《アンノウン》という正体不明の不気味な怪物がどこからともなくやって来て、現実世界を侵食しようとしている。


 いずれあの《アンノウン》は電脳識海のみならず、現実の物理空間をも己の支配下に置いてしまうだろう。そうなれば、MEISは自由で快適な生体素子(バイオデバイス)ではなく、人間を直接コントロールするための恐ろしい装置の一種になり下がってしまうのだ。 


(僕たちはこれまで、MEISで電脳識海に繋がり、その恩恵を受けてきた。でもそれは、一歩間違えると逆に識海へ呑み込まれ、さらに『深淵』へと引きずり込まれる可能性もあるということなんだ! どちらかだけは選べない、メリットとデメリットは常にあって、コインの裏表みたいに切っても切れない関係なんだ……!!)


 それに気づくと、自分のすぐ足元に深い底なし沼が広がっているように感じられ、俄かに背筋がぞくりとする。この『海』はどれほど深いのか。そして一体どこへ繋がっているのか。まるで太平洋のど真ん中で遭難したかのような、途方の無さと心許なさに襲われる。


 しかも《アンノウン》の攻撃はそれだけにとどまらなかった。


 屋上に居座る最大規模の超巨大型もまた、他の蛾型・《アンノウン》と同じく、黒々とした鱗粉まで撒き散らし攻撃を仕掛けてくる。


 粉上になった黒煤(ラルバ)が霧雨のごとく大量に比呂たちへと降り注いだ。比呂と芽衣は地面にたたきつけられる。まるで、爆風に晒されたかのように。


 さらに、同時に二人のMEISに凄まじい負荷がかかった。頭の中を捩じ切られそうな激烈な痛みに襲われ、二人は悲鳴を上げた。


「あ……うう……! 苦しい……吐きそう……!!」 


 芽衣は床に膝をつくと、そのままうずくまって動かなくなってしまった。


「くっ……め、芽衣……!!」


 それは比呂も同じだった。体が思うように動かせないし、視界がぼやけ呼吸すらもままならない。ガンガンと頭痛がし、猛烈な吐き気まで込み上げてきた。


 上から押さえつけられ、顔を上げる事すらできず、周囲の状況確認もできない。真っ暗な箱の中に閉じ込められたかのような息苦しさ。認知機能だけでなく、身体機能や生命維持機能そのものに制限がかけられてしまっている感覚だ。


「比呂、芽衣! しっかりしロ!!」


「もう限界だゾ! 俺達の力だけじゃ、守れなイ!」


「弱音を吐くナ! 姐さんの想いに……その意志に応えるんダ!!」


 しかし、今までは比呂たちを守ってくれていた白羽と黒羽の加護も、もはや効果は無かった。それほど、屋上に広がる巨大な《アンノウン》の力は圧倒的だった。


 気づけば、叡凛高校の学校内で動いている人間は一人もいなくなっていた。


 生徒や教師、みな等しく意識を失って倒れており、辛うじて気を失わずにいる者も全く身動きが取れない。校内のあちこちで、そこかしこに人が倒れていたり、うずくまっていたりする異様な光景が広がっている。


 みな、MEISに異常な負荷がかかって辛いのだろう、呻き声や悲鳴も聞こえてくる。


 しかしその一方で、超巨大・《アンノウン》は今も他の蛾型の《アンノウン》を吸収し、巨大化し続けている。あまりにも大きすぎて、もはやその翅で学校全体をすっぽりと覆い尽くすかのようだ。


 その翅に走る禍々しい赤い翅脈が、だんだん世界に亀裂が入り、崩壊寸前であることを表しているようにも見えてくる。


(このままでは学校が……僕たちの世界が崩壊してしまう……! 何とか……何とかしないと……! 何とか……!!)


 この《アンノウン》は他の《アンノウン》とは明らかに違う。そこに存在するだけでMEISに多大な負荷をかけるというのに、さらに物理空間にも強い作用を及ぼすほどの干渉力を持っているのだ。


 このまま放置しておくと文字通りに建て物や設備を破壊したり、人に物理的な危害を加えかねない。


 比呂は焦るが、己の体すらも動かせない中で、この困難な状況を突破する術はもはや何ひとつ思いつかなかった。相変わらず頭痛がひどく、徐々に手足も痺れ、意識を失わないようにするのが精一杯だ。どうやら視神経の一部にも不具合が生じているらしく、視界までもが霞んでくる。


 けれど、それでも比呂は必死で超巨大型・《アンノウン》の姿を確認しようと頭を上げた。相手の姿を確認できなければ、戦うこともできない。体は動かなくても、心は未だなお激しく抗っていた。


 ところが、そうして周囲を見渡すと、世界そのものが一変していることに気づいた。あまりに《アンノウン》が巨大化しすぎたせいだろうか。とうとう電脳識海そのものが歪み始めたのだ。


 目に入る全てがグニャグニャと歪み、ありとあらゆる言語の文字や数字、記号、企業やサービスのアイコン、何らかの動画や画像など、インターネット空間内の情報が無造作に羅列されている。他にもネット上にアップされた娯楽目的の音声や立体映像がごちゃごちゃになり、趣味の悪い前衛芸術みたいな様相を呈している。


 異常をきたしているのは視覚だけではない。不気味な耳鳴りもする。ガラスが割れて砕け散るような音、鋭い爪で金属を引っ掻くような音。誰かがけたたましく笑う声、そして脳を揺さぶるような凄まじい絶叫。どこからか、亡霊の怨嗟のような禍々しい呟きさえも聞こえてくる。


 とうとうMEISがおかしくなってしまったのだろうか。いや、ただMEISに不具合が生じただけでは、ここまでの異常事態は発生しない。異次元の大きさをしたこの《アンノウン》が原因で、MEISの通信障害とは一線を画した、深刻な災厄が起ころうとしている。比呂もこんな異様な体験は初めてだった。


(このままじゃ、識海そのものが《アンノウン》に汚染されてしまう……そして、最終的にはMEIS災害が現実のものとなってしまう……!?)


 比呂はこれまで、実際にMEIS災害を経験したことは無い。ただ過去にそういった出来事があると聞いたことはあった。学校の授業でも習う事だ。


 それによると、MEIS災害は一般の通信障害などとは比べ物にならないほど深刻であるという。


 都市機能そのものが完全に麻痺し、多数の人々の生活に影響を及ぼし、人命が失われる事すらある。


 その被害の大きさ故、一度、MEIS災害が起きたら、簡単にMEIS環境を復旧することはできない。


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