第59話 絶体絶命
とにかく状況確認をしなければと、柚は周囲を見渡した。
すると、整えられた植木のそばで、一人の少女がうずくまっているのに気づく。
年齢はだいたい中学生くらいだろうか。ルームウエアを着ているところを見ると、叡凛大学附属病院に入院している患者だろう。
柚は少女に駆け寄って声をかけた。
「ねえ、あなた。大丈夫?」
「は……はい。その制服……あなた達は叡凛高校の人ですか?」
少女は顔を上げると、柚たちの制服に目を留めてそう尋ねた。
「うん、わたし達は叡凛高校ネットオカルト研究部だよ!」
柚が答えると、少女は大きく目を見開く。
「ネットオカルト……ひょっとして、ネオ研の方ですか? お兄ちゃんが入部したって言ってた……!」
柚と湊、大介は互いに顔を見合わせた。お兄ちゃんがネオ研に入部した――この少女はひょっとして。大介がその疑問を本人にぶつける。
「お兄ちゃん……? もしかして比呂のことか!?」
「はい、そうです。あたしの名前は香月詩織で、香月比呂はあたしの兄です!」
詩織はこくこくと頷く。それを受けて、湊もやはり、という顔をした。
「そう言えば、比呂、大学病院に入院している妹がいるって言ってたね」
「詩織ちゃん、確かMEIS疾患で治療中なんだよね?」
柚は改めて詩織に尋ねた。
「はい、そうです。あたし、この隔離病棟で治療を受けています。この病棟はMEISや電脳ニューロン移植に対する拒絶反応を患っている人が多くて、最近、頻発している意識不明で入院した叡凛高校の学生もほとんどがこの病棟に入っています」
それから詩織は隔離病棟の方を見上げる。
「……その人たちがどうして意識を失ったのか、その理由は未だ解明できていないそうです。ただ、MEIS通信が可能な領域にいると、どんどん症状が悪化してしまう。だから、ここに入れられていたんです。ここは外界から隔離され電波や電磁波も完全に遮断されていて、そのおかげで意識不明に陥った人たちも、ただ眠り続けるだけの比較的安静な状態を維持することができるから。良くなることは無いけれど、悪化することもない現状維持……でも、このMEISの大規模通信障害が起こってから、その人たちに異変が起こったみたいで……!!」
詩織には隔離病棟の上空を舞う《アンノウン》の巨体は見えていない。けれど、何かが起こっていることは察しているようだ。柚たち三人は小声で話し合った。本来なら非公開のボイスチャットを使いたいところだが、生憎と通信障害で使用不可になってしまっている。
「間違いない、意識不明の人たちに感染していた《アンノウン》の蛹が羽化したんだ! しかもめーちの時と同じかそれ以上の超巨大・《アンノウン》が……!?」
最悪の事態が発生してしまった。しかも、想定していた中でも最もあって欲しくなかった、最低最悪の地獄が。柚はそう指摘するが、湊はその事実を受け入れることができないらしい。ひどく動揺しながら反論した。
「でも、理由は何だ? ここの病棟は外界から完全に隔離されているはずだろう? 本来であればこの大規模通信障害も何の影響も無いはずだ!」
「理論上はそうだよな。でもこのタイミングで、あのでけえ《アンノウン》が活動を再開し羽化したってことは、やっぱビトラって奴となにがしかの関連があるってことじゃねーのか?」
そう言う大介も、額に冷や汗を浮かべている。あまり難しい理屈などはこだわらず現実に重きを置く大介だが、その現実があまりにも過酷なので、さすがに危機感を隠せないようだ。
「詩織ちゃんに聞いてみよう」
柚は詩織へ向き直ると、再び尋ねる。
「ねえ、詩織ちゃん。隔離病棟に異変が起きた原因に心当たりはない?」
ところが、詩織は困惑を露わにし、小さく首を振るのだった。
「わ……分かりません。この大規模通信障害が起きた時、あたしは病棟内にいたんですけど、急に看護師さんたちの動きが慌ただしくなって、あっという間に……! 中にいるのは何だか怖くて……あたしは外出許可をもらっているくらいには回復していたので、外に出ました。看護師さんたちは、意識を失って眠っている患者のMEISが勝手に起動したみたいなことを言っていたと思います。通信は完全に不可能な状態なのに……停止しているはずのものが何故か自動的に動き出したって。でも、その原因はよく分からないみたいです」
「そう……」
一体、ビトラは何をしたのか。
それを突き止めず、この状況に対処することは可能なのか。
しかし、考え込んでいる暇は与えられなかった。新たに第二、第三の超巨大・《アンノウン》が、隔離病棟の周囲に出現したからだ。
その数は続々と増え続け、あっという間に十を超えた。しかもそれだけにとどまらず、さらに増え続けている。
どの《アンノウン》も最初のものと負けず劣らず、あり得ないほどの大きさだった。さすがの柚たちも、一度にこれだけの数の巨大・《アンノウン》を相手にしたことは無い。
ネオ研のメンバーは一気に蒼白になった。各々の全身を緊迫感が電流のように激しく貫いていく。
「おいおいおい! 冗談だろ!?」
そう叫ぶ大介の声は、完全に裏返っていた。
「残念ながら、相手はすこぶる本気みたいだよ」
応じる湊も、若干、声が震えている。
「ざっと数えただけでも、ニ十体以上はいるぞ!!」
芽衣のマンションで巨大型・《アンノウン》を相手にした時でさえ、あれほど四苦八苦したのに。それがニ十体以上、しかも現在進行形で増殖し続けている。冷静に考えても完全にキャパオーバーだ。ネオ研の三人だけで対応しきれるわけがない。
「それでもやるしかない……わたし達がやらなきゃ、病院が滅茶苦茶になっちゃう!!」
柚は再び《プレロマ》で《魔導書》のサイバーウエポンを出現させた。それと同時に周囲を囲むようにして球状の立体型魔法陣が浮かび上がる。
「まずは手前にいる《アンノウン》から、一体一体、確実に仕留めよう! その他の《アンノウン》はわたしが《ネビュラ》弾と《エクリプス》弾で足止めするよ!!」
大介と湊は既に疲労が濃く、はっきり言ってとても動けるような状態ではない。湊はMEISにかかる高負荷が最大値に達しており、大介のXRヘッドマウントディスプレイもほとんど使い物になっていない。
それでも二人は、柚を見捨てて逃げたりはしなかった。
「そうだな。ごちゃごちゃ言ってても始まらねえ!!」
大介はサイバーウエポンの大剣を浮かび上がらせ、肩に担ぐ。湊も弓を手にしつつ、詩織に告げた。
「詩織ちゃん、ここは危ないから離れていて!」
「は……はい!」
詩織がその場を離れるのと同時に、柚はその他大勢の《アンノウン》に向かって状態異常を発生させる魔法弾を大量に放った。
広範囲にわたって靄状に広がるのが《ネビュラ》弾。《アンノウン》の動きを制限したり足止めをしたりする効果を持つ魔法弾だ。
さらにその中で《アンノウン》に白い粒子が付着し、キラキラと光っている。そちらは《エクリプス》弾で、《アンノウン》の体力をじわじわと削ぎ、弱らせる効果を持つ。
柚の放った二種類の魔法弾によって、《アンノウン》たちの動きは一時的に弱まった。その隙に、大介と湊は同時に動き出し、一番手前に浮かんでいる《アンノウン》に向かってサイバーウエポンで攻撃を叩き込む。
「行け、《千輪》!!」
「だらあああ! くらえ、《ストーム・スラッシュ》 !!」
《千輪》はターゲットに着弾すると同時に爆発し、大きなダメージを与える弓スキルだ。一方、《ストーム・スラッシュ》は大剣スキルで、敵に向かってダッシュで踏み込み、二連続の横回転切りを叩き込む。どちらも、威力の高いスキルだ。
しかしこの蛾型の《アンノウン》は、巨大であればあるほど強力な光子フィールドを展開する。湊や大介の放った渾身の攻撃は、光の障壁によって全て防がれてしまう。
「くっ……駄目か……!」
「か、硬ぇぇ!!」
《アンノウン》も大人しく黙ってはいない。巨大な翅を羽ばたかせ、反撃をしてくる。ネオ研の面々は慌てて距離を取った。ただでさえMEISには大きく負荷がかかっている。これ以上、ダメージを負うわけにはいかない。
「二人とも、今度はわたしがやってみる! 《コメット》!!」
柚は《魔導書》で中型魔法を発動させ、《アンノウン》に向かって放った。直径80センチほどにも及ぶ白い光球が三発、標的めがけて襲い掛かる。
しかし、結果はやはり同じだった。《アンノウン》の周囲を覆う分厚い光子フィールドによってことごとく阻まれてしまう。湊は愕然として呟いた。
「柚の魔法でさえも効かないか……!」
「くっそ、一体ごときにこの有り様じゃ、とてもここにいる《アンノウン》を全て除去するなんてできねえぞ!!」
そんなことは最初から分かっていた。三人がかりで一体の巨大・《アンノウン》を倒すのがやっとなのに、どう頑張っても数十体を相手にできるわけがないのだ。
かと言って、柚たち以外に《アンノウン》へ対処できる者はほとんどいないし、視認できる者すらいない。どれだけ困難だと分かっていても、ネオ研が戦うしかない。
(はっきり言って、状況はかなり厳しい。正直、三体倒せるかどうか……ううん、弱気になっちゃ駄目だ! わたし達はこれまで何度も危機を乗り越えてきた! 今回も必ず解決してみせる!! しっかりしなきゃ。わたし達は叡凛高校MEIS災害対策チームなんだから!!)
柚と湊、大介は互いに連携しながら、ありったけの攻撃を《アンノウン》へと叩き込んだ。
攻撃に次ぐ攻撃。しかし光子フィールドは強固で全く突破できない。
その間も《アンノウン》の活動は続く。柚たちが攻撃を仕掛けている一体が反撃に出て、黒い鱗粉を振りまき、辺り一帯をごっそりと薙ぎ払ったのだ。
MEISにさらなる負荷を与え、サイバーウエポンの作動を遅延させる鱗粉攻撃。その鱗粉はさらに津波のようになって、柚たちの方へ押し寄せる。
「うわっ!?」
「湊、伏せろ!!」
大介が叫んだのと同時に、柚は魔法弾をぶっ放す。
「《シューティング・スター》! 《メテオライト》!!」
柚の放つ矢継ぎ早の魔法攻撃が《アンノウン》を狙った。しかし、またしても強固な光子フィールドがそれを遮ってしまう。
おまけに他の《アンノウン》も次々と攻撃を繰り出した。みな一斉にバサッバサッと大きく羽ばたき、柚たちへ向かって黒い鱗粉を撒き散らす。
辺り一帯は黒い粒子が立ち込め、墨を垂らしたかのように真っ黒に染まった。あちこちで施設の機器が異常をきたし、中には過剰な電流電圧によって火を噴き爆発を起こすものまで見られる。まさにテロ攻撃を受けたかのようだ。
その影響はMEISにも容赦なく現れた。電脳識海が歪み、視界も容赦なく悪化していく。目に入るものの全てがぐにゃぐにゃと混ざり合い、マーブル模様を描いている。
既に平衡感覚も異常をきたし、おかしな耳鳴りもしているのだ。その上、この大量に押し寄せる黒い鱗粉に巻き込まれたらどうなってしまうのか。MEISに対するダメージが計り知れないのはもちろんのこと、下手をすると生命維持にさえ異常をきたしかねない。
「うっ……すごい量の黒煤だ!」
MEISの処理能力が限界に達しているのか、湊は顔をしかめた。彼の顔色はただでさえ悪く、これ以上の高負荷にはもう耐えられないだろう。
「みんな、後退しよう!!」
柚が提案すると、大介もそれに賛同する。
「だな! 《アンノウン》とうまく距離を取ってダメージを最小限に抑えねえと、こっちの体力がもたねえぞ!」
取り敢えず、体勢を立て直す時間と余裕が欲しい。柚たちは超巨大・《アンノウン》の大群から距離を取ることにした。
ところが、柚たちが後退すればするほど、《アンノウン》たちは行動範囲を広げ前進してくる。そして、例の黒い鱗粉を一切の躊躇なく振り撒くのだった。
辛うじて動ける柚たちとは違い、既に倒れている人々や《アンノウン》の存在に気づいていない医療従事者などは、大量にぶちまけられたその黒い鱗粉から逃げる術が無い。ダメージの直撃を受けてしまう。
「な……何だこれ……!? う、動けない……!!」
「頭が痛い……気分が……! うぐっ……うおええぇぇぇぇっ!!」
中にはあまりの負荷に口元を抑えて嘔吐する者や、全身を痙攣させる者まで現れた。無理もない。あまりにも重すぎるデータ量はMEISに多大な負荷をかけ、さらには脳へのダメージにも直結しかねない。この過酷な環境の中で平然としていられるとすれば、それはMEISを搭載していない者だけだ。
だが、国家戦略未来特区であり実験特区との異名を持つ新世界市の中で、そのような条件に該当する者などほとんどいない。この街は最新鋭のMEISサービスを受けていることを前提で成り立っているようなものなのだから。
「ああっ……!!」
「駄目だ、僕たちが後退すればするほど、犠牲者が増えてしまう!」
柚と湊の叫び声は、ほとんど悲鳴に近かった。
「クソッたれ、どうしろってんだ!? 光子フィールドのせいで攻撃は掠りもしねえ、おまけに後退も許されねえだと!? こんなん、完全に手詰まりじゃねえか!!」
大介が怒鳴った瞬間、彼が装着したXRヘッドマウントディスプレイが、とうとう派手な爆発を起こす。そして半透明のディスプレイに亀裂が走り、一部が砕け散った。大介はそれでもXRヘッドマウントディスプレイをつけているが、もはやいつまで役に立つかは分からない。
湊も血の気を失い蒼白になっている。激しく肩を上下させ、苦しそうに呼吸を繰り返すと、とうとうがくりと膝をついた。本当は起き上がっているのもやっとのはずだ。
柚は仲間の弱った姿を目の当たりにし、唇を噛みしめる。
(大ちゃん、みーくん……! みんな、とっくに限界は越えているんだ! ただ街を守りたい一心で、どうにか立っているだけ……! ……いくらアクセス権が5でも、わたし一人じゃ何もできない! どうしたらいい? 一体どうすれば……!!)
《深海の魔女》と呼ばれた柚すらも、この状況には完全にお手上げだった。
押し寄せる、圧倒的な無力感。どんな時も常に前向きでポジティブな姿勢を貫いてきた柚だったが、さすがに絶望的な感覚に囚われる。
ただでさえ《アンノウン》はデータ量が重く、MEISや通信環境に大きな負担をかける。ましてやこれだけの超弩級・《アンノウン》が数十体とひしめき、おまけに黒い鱗粉の姿をした黒煤まで大量に拡散しているのだ。
危険フェーズは最高に達し、あらゆる面において、処理能力が大幅に限界を突破している。
まさに絶体絶命、万事休すだ。
当然、ネオ研にとっても最大のピンチだったが、同時に新世界市そのものもまた崖っぷちに立たされていた。
この危機を乗り越えなければ、待ち受けているのはMEIS災害だ。それも未だかつて人類が経験したことの無い、未曾有のMEIS激甚災害へと発展する恐れすらある。
そうなれば、どれほどの人が傷つきダメージを負うことになるのか。この街はそこから立ち上がることができるのか。
希望などひとかけらも抱けそうにない、真っ暗闇だ。
なお悪いことに、最後の希望である最大攻撃魔法・《ギャラクシー》も、既にこれだけ通信環境に負荷がかかっている状態では、おいそれとは使えない。
まさに万策が尽きてしまっている。全身から血の気が引き、冷や汗が頬を滴り落ちた。隔離病棟の周囲にずらりと並んだ巨大蛾たちが、死神の群れに見えてくる。
とにかく何でもいい。
魔法をぶっ放そうと柚が《魔導書》を発動しかけた、その瞬間。
突如として、それは起こった。
超巨大型・《アンノウン》の一体が真っ二つに引き裂かれたのだ。
頑強な光子フィールドの存在など完全に無視し、まるで、薄っぺらい紙を引き裂くように、軽々と。
「え……?」
何が起こったのか。目の前の現象が信じられず、柚の頭は一瞬、真っ白になる。
「な、何だあ!?」
「柚、その魔法は一体……!?」
大介と湊は瞠目するが、柚は激しく頭を振る。
「ううん、違う! 今のはわたしじゃない!!」
しかも、《アンノウン》を襲った異変はそれだけでは終わらなかった。他の超弩級・《アンノウン》も次から次へと、一瞬のうちに紙屑みたいに引き裂かれていったのだった。
《アンノウン》の黒い翅は徹底的なまでに千々に裂かれ、粉々になって宙を舞う。その様はもはや人知を超えた、超常的な力によるものとしか思えなかった。柚たちのこれまでの経験を鑑みても、人為的に起こすことのできる現象の範疇を優に超えている。
それほど圧倒的であり神懸かり的であり、同時に無慈悲であった。
そうしてものの数秒の間に四十体近くの超巨大型・《アンノウン》が消滅していった。その信じ難い現象を目の当たりにし、柚たちはただただ驚いて立ち尽くすばかりだった。
「何だよ……一体、何が起こってやがるんだよ!? 誰か説明してくれ!!」
大介がそう叫ぶと、湊も声を荒げた。
「あれほどの大型・《アンノウン》がこんな一瞬で十体以上も消滅するなんて……! 光子フィールドでさえも引き裂いて……信じられない!!」




