第53話 ビトラ
部屋に入るや否や、高田は崩れ落ちるようにして椅子の一つに腰かけた。蓮水はその前に立つ。高田に逃げられないようにするためだ。
「……勘弁してくれ。私は本当に何も知らない! 『うまい儲け話がある』と持ち掛けられ、その誘いに乗っただけなんだ!」
頭を抱える高田に対し、蓮水は静かに問う。
「誘われた……一体誰から?」
「知りませんよ! 相手の名前はおろか、顔さえ知らないんだ!!
……私は昔から学歴には自信があったがアクセス権が2と低く、希望した会社にはことごとく入社できなかった。アクセス権の低さを理由に、書類審査の時点で落とされるんだ。まさに門前払い、取り付く島もないというやつさ。
それなら自力で起業しようと、これまで飲食店やネット喫茶などいろいろやって来たが、どれも長くは続けられなかった。
……あなたもソピアー社の人間なら知ってるでしょう? 最近は銀行融資を受けられるかどうかの審査基準となるさまざまな要素の中でも、特にアクセス権が重要視されるようになっていることを! アクセス権が低ければ、それだけで人として低くみられる!
何をするにしても、アクセス権、アクセス権、アクセス権だ!!」
高田は悲痛な声音で叫び、両手で顔を覆った。
アクセス権のレベルによって、できる事には雲泥の差が生じる。同じ人間でもアクセス権1とアクセス権5では、電卓と高性能パソコンくらいの性能の差がある。
その差を埋めるための電子機器も発達しているのだから、それを使えば十分ではないかと比呂は思うが、実際に社会に出るとそうは言っていられないのかもしれない。
「……資金繰りに行き詰まり、借金を抱えて途方に暮れていた時だった。とあるオンラインサロンで宣伝されていた情報商材を目にしたんだ。それがMEISヒーリング事業の事業計画書だった。
興味を持ち、いろいろと調べていると、あるアカウントが頻繁に接触するようになった。B‐IT分野での商売は初めてだったが、『彼』にあれこれ熱心にアドバイスしてもらい、何とか事業を軌道に乗せることができたんだ。
例のクーポンチケットのプログラムも『彼』から送信してもらった。私はB‐IT技術に関しては完全にド素人だ。アロマにしろ音楽にしろ……全て『彼』の指示に従っただけなんだ!」
「その『彼』とは何者です?」
「……分からない。さっきも言ったが、『彼』とはネット上での付き合いのみで、名前も顔も全く知らない」
うな垂れて答える高田を、蓮水は呆れ返った声音で問い詰めた。
「そんな素性も分からない相手の売り付ける怪しげな情報商材に、どうして手を出したんですか!」
「こっちは多額の借金を抱え、藁にもすがる思いだったんだ! 『彼』は私の能力を高く評価してくれ、出資までしてくれた! それを信じて何が悪いんだ!? 私はもう、負けるわけにはいかなかった……絶対にもう、二度と失敗するわけにはいかなかった!! あんたには分からないよ、大企業に勤め人生を約束された勝ち組のあんたにはな!!」
高田は目を血走らせ、鬼気迫る形相でそう叫んだ。彼がこれまでいかに苦労してきたか、そして現在進行形でいかに追い詰められているか。それが手に取るように伝わってくるようだった。
もし高田求道がこれほどまで困窮していなかったら、なりふり構わずMEISヒーリング店を経営することも無かったのかもしれない。
「この人はこの人で、きっと大変な思いをしてきたんですね……」
そう思うと、比呂の中で少しだけ高田に同情する気持ちが沸き上がった。
社会全般でアクセス権が重視され始めていることは、比呂もニュースなどを通して知っている。アクセス権は電脳ニューロンを移植した時点でほぼ決まっており、努力でそれを変えることはまず不可能だ。だから高田のように、アクセス権が低い者にとっては、この世界は生き地獄だろう。
そして苦悩する高田は、比呂たちの未来の姿でもあるのだ。
しかし、大介は厳しい表情をしてそれに反論した。
「でもだからって、やったことの全てが許されるわけがねえ。MEISヒーリング店のせいで、今も大勢が意識不明に陥ってるんだ。言いなりだったとはいえ、こいつにだって責任はあるに決まってる!」
アクセス権が1である大介にしてみれば、高田の主張は身勝手な言い訳にしか映らないだろう。湊もそれに頷いた。
「とにかく、重要なのは意識消失や巨大・《アンノウン》に対する解決手段だ。それをどうにかして聞き出さないと」
「はすみん、頑張って!!」
柚は小さい両手を握りしめて蓮水を応援する。比呂たちも固唾を呑んで蓮水と高田のやり取りを見守った。その蓮水は、再び高田に質問をぶつけた。
「その『彼』という人物とこれから接触できますか?」
「いや……無理だろう。この四月に入ってから、『彼』と急に連絡が取れなくなってしまった。もともと、ネット上のみの付き合いだったから、そうなってしまってはこちらから接触を図る手段は無い」
「そうですか……では仕方がありませんね。こちらもそれ相応の対応をさせていただくことにします」
高田は怪訝そうな顔をして蓮水を見上げる。
「……? 一体、何をするつもりだ……!?」
「決まっています。この件を世間に向かって公表するのですよ」
「な……何だって!?」
蓮水の言葉を聞いた高田は、ぎょっとして青ざめた。そして勢い良く立ち上がり、顔を歪めつつ蓮水に詰め寄る。
「そんなことをしたら、私のMEISヒーリング店はどうなる!?」
「もちろん今まで通りとはいかないでしょうね。しかし、あなたがMEISヒーリングによる意識不明への対処方法を知らないのであれば、なおさら速やかに事実を公表しなければ」
「ま、待ってくれ! 私は関係ない!! ただ全て、『彼』の指示通りに動いただけなんだ! MEISヒーリング店だって正直なところ、ここまでうまくいくとは思ってないかった!! 全て偶然なんだ! たまたま情報商材を購入し、たまたま『彼』に出会い、たまたま店が成功した……それだけなんだ!! 借金もすべて返済し終わっていないのに、これ以上、負債を抱えるわけにはいかない!! 頼むから見逃してくれ!!」
高田は両手を広げ、必死に蓮水へ訴えた。まるで掴みかからんばかりの勢いだ。けれど蓮水は、冷ややかにそれを一蹴する。
「そういうわけにもいきません。既に犠牲者が大勢出ているのです。彼らは意識を失ったまま何日も眠り続けており、速やかな原因の究明と治療法の確立が求められている。彼らを救うためにも、また、新たな被害者を増やさないためにも、事実を公表しなければならないのです」
蓮水のその言葉は脅しではなく、彼の本心だろうと比呂は思う。
始めてソピアー・ジャパンの本社で蓮水に会った時、彼はMEISのもたらす未来について明るい展望を語っていた。ソピアー・ジャパンの社員としても、MEISを悪用する存在は許せないだろうし、MEISヒーリング店の被害者たちを何としてでも救いたいと思っているはずだ。
だからこそ彼もまた、本来の業務外である叡凛高校MEIS災害対策チームの活動を支援してくれているのだ。
蓮水からMEISヒーリング店の悪事を世間に暴露すると突きつけられた高田は、いよいよ錯乱状態になり、髪を振り乱して絶叫する。
「や、やめてくれ! 世の中に公表するのだけはやめてくれ!! そんなことをされたら、私は破滅してしまう!! お願いだ、頼むからやめてくれえええぇぇぇぇぇぇぇ!!」
まさに断末魔の叫びのようだった。しかし、どれだけ叫んだところでもう遅い。高田がやってしまったことはあまりにも重大で、もはや取り返しはつかない。彼の罪は然るべき場所で裁かれるべきだ。比呂だけでなく、ネオ研のみながそう思った。
――ところが。
高田は叫ぶと同時に突然、がくりと意識を失う。そして倒れ込むようにして椅子に座り込むと、その背に全身を預けた。
一体、高田の身に何が起こったのか。ネオ研のメンバーは息を呑んでそれを見つめた。
高田は白目を剥いたまま完全に意識を失っており、ピクリとも動かない。
「な、何だ……!? どうしたんだ!?」
大介は上擦った声で呟く。
「蓮水さん、これは……!?」
「この人に何が起きたんでしょうか!?」
湊と比呂も動揺し、疑問を口にする。蓮水は高田に近寄って様子を確かめたが、首を振った。
「それは僕にも分からない。どうやら完全に意識を失っているようだが……」
「救急車を呼んだ方がいいかな?」
柚が提案した、その時。突如、高田が口を開いた。
「その必要は無い」
「え……!?」
みなが意表を突かれる中、高田は不意に目を開いて起き上がる。
しかし彼の雰囲気は先ほどまでとは一変していた。冷徹で無機質な表情をしていて、まるで人形みたいだ。
蓮水に追い詰められた時のヒステリックな言動は無くなったが、パーティー会場で振りまくっていた愛想も全く無い。
それどころか、今やその瞳には何の感情も宿っていない。
「高田社長、大丈夫……ですか?」
蓮水が尋ねると、高田は冷ややかな一瞥と共に吐き捨てた。
「俺の名は高田ではない」
「何言ってんだ、こいつ……!?」
大介は眉根を寄せ、困惑の表情を浮かべた。しかし湊は高田から離れるよう手で合図する。
「いや、何だか様子がおかしいよ。さっきまでの高田社長とは雰囲気が違う。それに……この人には多分、僕たちの姿が見えている!」
すると、高田は湊の方へ視線を向けた。今まで彼がネオ研の方を見たことは一度も無かったのに、はっきり比呂たちと目が合ったのだ。
「さすが、二階堂家の御曹司だな。大した洞察力をしている」
「……!!」
湊はぎょっとして言葉を詰まらせる。しかし、高田は大してその反応に興味も示さず、改めて椅子に座り直すと両手を組んだ。
「高田求道には少々、荷が重い相手のようだな。よって以降はこの俺がお前たちの相手をしてやる」
高田は――いや、高田の姿をした『何か』はそう告げると、改めて比呂たちネオ研のメンバーへ順繰りに視線を向ける。
「一、二、三、四、五……全員、『深淵』の祝福を受けた子ども達か。なるほど、お前たちだな。俺たちの計画の邪魔をしているのは」
「やっぱりあなたには、わたし達の姿が見えてるんだね。……あなたは誰!?」
柚は警戒も露わにそう問い詰めた。ネオ研の会話はボイスチャットを介しているので、本来ならメンバーでない高田には聞こえていないはず――しかし彼は事も無げにその質問に答えた。
「俺の名は……そうだな。とりあえずは『ビトラ』としておこうか。俺は、この男……高田求道に『深淵』の叡智を授けた。これより高田求道のMEISは完全にこの俺、ビトラの支配下へ置くこととする」
「……!? えっと……どういう……?」
どういう意味か分からず比呂が戸惑っていると、湊が説明してくれた。
「要は、このビトラと名乗る男が、高田社長のMEISに侵入して乗っ取ったということだよ」
「MEISを乗っ取る……? って、あれか? パソコンのハッキングみたいにか!?」
大介が瞠目すると、蓮水もあり得ないとばかりに声を張り上げた。
「それはつまり、君が高田のMEISへ干渉し直接操っているということか……!? 馬鹿な! MEISのヒト‐ヒト間の直接干渉および完全支配は禁じられているし、そもそもまだ技術的に確立すらされていない! それを一体どうやって……!?」
蓮水はソピアー社の社員だから、余計に目の前の現象が信じられないのだろう。MEISはソピアー社の製品だ。自社の製品であり得ない事態が起こっているのを目にしたら、蓮水でなくとも驚き動揺するに決まっている。
ビトラの言っていることが本当なら――彼が本当に高田求道のMEISを乗っ取ったのだとしたら。
彼はただのハッカーではない。常人では成し得ないことを現実にしてしまうほどの、とてつもない力を持った存在だという事になる。
「そもそも、『ビトラ』ってどういう意味なんでしょうか?」
芽衣が小声で尋ねると、湊が顎に手を当て呟いた。
「ひょっとして……数の単位のことかな」
それを聞いた柚がすかさずネット検索する。
「あ、確かにあったよ! 10の7516192768乗のことを指すみたいだね」
「何だそりゃ!? それじゃ、さっぱり分かんねーよ!」
声を荒げる大介に、ビトラは無機質な声で告げたのだった。
「では、反BBMI解放戦線・ADAMASと言えば分かるか?」
その名を聞き、ネオ研のメンバーはさらに仰天する。
「ADAMAS……!? 最近、情報通信改革省のホームページにサイバー攻撃を仕掛けたっていう、あの!?」
「聞いたことはあります。確か特定の思想の元に集ったハッカー集団……みたいなかんじですよね?」
芽衣の問いに、蓮水も非難のこもった眼差しを高田に向けながら頷いた。
「そうだね。彼らはMEIS技術を始めとしたBBMI全般に否定的な見解を抱いていて、中でも特にアクセス権の存在を憎悪している。自由を侵害し、新たな階級制度を生み出す諸悪の根源だと言ってね。
僕にしてみればそんなものは陰謀論の類に属する愚説だよ。アクセス権はあくまでユーザーにより良いサービスを提供するためのただの区分、いわばアパレル業界におけるサイズ表記のようなものさ。体型は人によって違う。S、M、L、LL……そうやって分けられたサイズの中から自分の体格に合った服を探すだろう? アクセス権だってそれと同じさ」
もっとも、現実は必ずしもサービス提供側の設計した通りにはなっていない。社会はMEISを搭載していることが前提で回り始めており、故にアクセス権が学力やコミュニケーション力といった他のどの能力よりも重視されるようになってきている。だからこそ、高田求道もこれほど辛酸を舐めさせられたのだ。ビトラもそれを知ってか、蓮水の言葉を一刀両断に斬り捨てる。
「蓮水春薫、今ここでお前と我々の思想の正当性について議論を繰り広げるつもりは無い」
すると、蓮水もそれには同意を示した。
「確かに……僕もMEISの是非や功罪について君とここで意見を交わす気にはなれないな。……単刀直入に聞こう。MEISヒーリング店のクーポンチケットに《アンノウン》の卵を仕込んだのはビトラ、君だね?」
「ああ、そうだ」
ビトラはあっさりと肯定した。それを聞き、柚は唇を噛みしめる。
「つまりあなたが、この事件の黒幕……!!」
ビトラが何者であるかは分からない。ただ、高田のMEISに干渉し直接操っていることを考えても、人並外れた実力を持っていることは確かだった。
彼はMEISや電脳識海について知り尽くしている。そうでなければ、このような事件を起こすことなど到底不可能だ。
ビトラはどうやって卵を生み出したのか。何より彼は何のためにそんなことをしたのか。それを突き止めるため、蓮水はさらにビトラへと詰め寄った。
「目的は何だ? わざわざ素性を隠し、手の込んだ手法で高田求道に近づいてMEISヒーリング事業へ引き摺り込んだのは、君の目的がビジネスをすることではなかったからだろう? この男をカモフラージュにして何か企んでいたはずだ。君たちの歪んだ思想から察するに、MEISの不具合による意識消失を起こして、MEISの社会的信頼を失墜させたかったのか? それとも巨大・《アンノウン》を大量発生させてMEIS災害を起こそうとでもしたのかな?」
ビトラは抑揚に欠けた、淡々とした口調で答える。
「そのどちらでもあり、どちらでもない。発生する事象の種類については、特にこだわりはない」
「何……?」
「MEIS社会の象徴とも言えるこの新世界市を混乱させることができれば、何でも良かった。新世界市で大きな事件や事故が起きれば、MEIS社会そのものへ大きな動揺を与えることができる。何より問題提起になるだろう。本当にBBMIは人類の文明にとって有益なのかと」
「……どうして、そこまでMEISを憎む?」
「別に憎んでいるわけじゃない。ただ警告をしているだけだ。MEISは人類には早すぎる。ヒトは電脳識海に順応できない。現に今の段階でできていないのだからな。……過度の情報化と技術革新は社会を分断し破滅へと追いやる。陰謀論や誹謗中傷、詐欺などの犯罪行為の蔓延。これまでもさんざん繰り返されてきた。MEISはそれをさらに悪化させ拗らせこそすれ、改善させることはないだろう」
「随分と悲観的なんだな」
「事実を指摘しているだけだ。しかしヒトは決してそれを直視しない。彼らは自分の見たいものしか見ようとしないからな。だからこうして現実の問題として、目の前に突きつけてやる必要がある」
「全く賛同できない主張だね。そもそも……ビトラ、君もこうして僕たちと通信しているからには、電脳ニューロンを移植しMEISを搭載しているんだろう? MEISの恩恵にあずかりながらMEISを否定するなんて、矛盾しているとは思わないかい?」
「それは浅慮が過ぎるというものだ。MEIS研究に携わっている技術者であるなら、MEIS搭載者の全てが恩恵のみを享受しているわけではないということを理解しているだろう。また、本人が望まなくとも、強制的に電脳ニューロンを移植されることもある」
それを聞いて、比呂は妹の詩織のことを思い出した。




