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第5話 詩織

「はあーい!」 

 

 間違いない、詩織の声だ。ほっとしつつ病室の扉を開くと、詩織がベッドの上で本を読んでいた。やはりアナログな紙の本だ。


「詩織、久しぶり。見舞いに来たよ。どう、具合は? 実際に会うのは半年ぶりだね」


 前回、詩織と会ったのは、祖母の家だった。詩織が去年の夏休みに帰郷した時のことだ。


 本当は正月も一緒に過ごす予定だったけれど、その時も詩織の体調が急に悪くなってしまい、それは叶わなかった。受験を控えた比呂は家で留守番をすることになり、祖母だけが詩織の見舞いに新世界市を訪れたのだ。


 比呂の姿を見ると、詩織は嬉しそうに笑い、声を弾ませた。


「お兄ちゃん! もう新世界市に来てたんだ? 叡凛高校に入学、おめでとう!」


「ありがと。はいこれ、おみやげ」


 比呂は小説の入った紙袋を手渡す。


「わあ、これ『名探偵・夏目(なつめ)多聞(たもん)シリーズ』の最新刊じゃん! まだ読んでないやつだ、ありがとう~!!」


「あと、ばあちゃんからの手紙も一緒に入れておいたよ。入院中はタブレットで連絡を取れないからって」


「本当? おばあちゃん、元気?」


「元気だよ。でも僕が家を出たら一人暮らしになっちゃうから……すごく寂しがってた」


「そうか……そうだよね。おじいちゃんはもういないから……おばあちゃん、あの家に一人だもんね」


 祖父が他界したのは三年前の事だ。そしてちょうど同時期に、詩織は叡凛中等学園に入学することになった。それ以来、比呂は祖母と二人暮らしをして来た。祖父と詩織が同時にいなくなって家が急に静かになったことを今でもよく覚えている。


 あの頃は、自分も新世界市に来ることになるのだとは夢にも思わなかった。


 比呂は椅子に腰かけ、詩織に尋ねる。


「退院はいつ頃になりそうなんだ?」


「先生はもう少し入院してなさいって。新学期には間に合わせたかったんだけど……それは無理っぽい」


「そうか……それは残念だったな。でも詩織は《アクセス権4》なんだから、少なくとも授業の遅れはすぐに取り戻せるよ。友達と会えないのは寂しいだろうけど……」


「うん。でもこういうのは慣れてるから、もうへーき! それより、叡凛高等学校には行ってみた?」


「いや、まだ行ってないよ。このあと寄って帰ろうかと思ってる」


「そうなんだ、素敵な校舎だよ! あたしは中等部だから高等部の事はよく分からないけど、噂ではちょっと変わった部活動があるみたい」


「へえ、どんな部なんだ?」 


「その名も、ネットオカルト研究部!! ……オカルトだよ、オカルト! 信じられる? このXXR(Trans-cross Reality)時代にあり得なさすぎるよ!!」


 XXR(トランス・クロスリアリティ)とは電子空間と現実空間をより深く融合させる取り組みの事だ。電脳現実化とも呼ばれている。社会のXXR化をより進めていくために、生体素子(バイオデバイス)を移植しMEISを搭載することが推奨されているのだ。


「……。オカルトか。何だか面白そうだな」


 比呂が呟くと、詩織は大袈裟な仕草で仰け反った。


「ちょっと、やだ! やめてよお兄ちゃん! 変なお札とか押し付けられるかもよ? あと、謎の儀式に参加させられるとか! お兄ちゃん、見かけはいい人そうだから勧誘されそうだもん。気を付けてよね」


「何言ってるんだ、見かけだけじゃなくて実際、いい兄貴だろ?」


「はいはい、いつも手紙を送ってくれて、こうして小説の新刊も買ってくれて、すごく感謝してまーす」


 そして比呂と詩織はどっと笑うのだった。たとえどんなに離れて暮らしていても、会えばすぐにこうして昔の関係に戻れる。詩織は比呂にとって、数少ない大事な家族の一人だ。


 それから二人は様々なことを話した。比呂は祖母との実家での生活のあれこれを、詩織は叡凛中等部での学校生活の事を。


 三十分ほど互いの近況報告に花を咲かせたあと、詩織は比呂の方を窺うようにして口を開いた。


「そういえば……お父さんにはもう会った?」


「いや……まだ会ってないよ」


 比呂は自然と己の表情が強張るのを感じた。


「お父さんも、よくあたしのお見舞いに来てくれるんだよ! 医学研究部でのお仕事が大変みたいで、最近はかなり疲れてて……ちょっと心配。でも、二日に一度は必ず顔を見せてくれるよ」


「……そう」


「いつかまた、昔みたいにみんなで暮らせたらいいね。お母さんはもういないけど……お父さんとお兄ちゃんと、あたしの三人で。だってあたしたち、家族なんだから!」


「……。詩織……ごめんな」


 謝罪という形をした拒絶。詩織もあらかじめその返事を想定していたのか、それほどショックは見せなかった。ただ、少し悲しそうな表情になる。


「お兄ちゃん……まだお父さんのことを許してないの?」


「僕があの人を許してないんじゃない。あの人が僕のことを許してないんだよ」


「そんなことない! だってお父さん、時どきあたしにお兄ちゃんの様子を聞いてくるもん。比呂は元気にしてるのかって……!」


 それは詩織の前だからだろう。親子が離れ離れで生活するようになって、もう何年も経つ。父と詩織の共通の話題は、比呂くらいのものだ。だから取り敢えず話題にしただけで、心から比呂のことを気にかけているわけではない。


 そうでなければ――本当に大切に想っているなら、そもそも比呂や母のことを捨てたりなどするものか。


 だが、比呂はその考えを胸にしまい、口には出さなかった。父に会いたくないのは事実だが、それで詩織を傷つけたいわけじゃない。比呂は椅子から立ち上がる。


「……そろそろ帰るよ。また来るから」


「う……うん。今日はいろいろありがと」


「余計なことを考えず、ゆっくり休んで。きっとまた良くなるからさ」


「うん。お兄ちゃんも新生活だからって無理しないでね」


「ああ、気を付けるよ」


 詩織が思ったよりずっと元気そうで、安心した。体調も悪くなさそうだし、あの様子なら予定通り退院できるだろう。叡凛高等学校の始業式までまだ時間があるし、それまでにまたお見舞いに来ようと心に決める。


 それから比呂は詩織の病室を出て、一階のナースセンターに声をかけ、外に出た。するとさっそく、それに気づいた白羽と黒羽がやって来て、比呂の頭と肩にちょこんと着地した。


「比呂、帰ったカ!」


「オーイ、お茶!」


「はいはい……まったく、どこでそんな言葉覚えてくるんだか」


「比呂、家に帰るのカ?」


「帰ったら、飯ダー!」


「いや、その前にちょっと叡凛高等学校へ行っておきたいんだ。一週間後に通うことになる学校だから……学生課で入学手続きもしないといけないしね」


 叡凛高等学校があるのは、第三区域・文教地区だ。第三区域・文教地区は比呂の住むマンションのある第二区域・再開発地区と、叡凛大学付属病院のある第四区域・学術研究地区に、ちょうど挟まれた位置にある。


 比呂は再びバスに乗り、叡凛高等学校へと向かう。


 第三区域・文教地区には幼稚園や保育園、或いは小学校・中学校・高校といった学校施設が集まっている。その中に比呂が通う叡凛高等学校もあった。


 校門にはセンサーが取り付けてあり、部外者が許可なく侵入しようとすると警告を受けるが、生徒や学校関係者であれば自由に出入りができるという。


 入学合格者も既に登録してあるらしく、比呂も難なく学校内に入ることができた。


 叡凛高等学校の校舎は他の新世界市に立っている高層ビルと同様、真っ白な建物だった。窓ガラスの面積がかなり広く、外から見ても校舎内が明るく開放感があることが伝わってくる。


 高さは一般的な学校の校舎と同じだが、屋根やスロープに曲線を多用した独特のデザインになっており、もはや校舎というより、企業のオフィスみたいだ。いかにも未来的な感じのする、斬新なデザインの外観だった。


 それぞれの校舎や施設の間は並木道で仕切られているため、校内も広々としている。中庭には豊かな芝生が敷き詰められ、水場やお洒落な東屋まであった。そこかしこで桜の花が咲き誇り、花びらが舞い散っているせいか、それほど無機質な感じもしない。


 グラウンドはクレイ舗装と芝舗装の二種類あり、早くも部活動に励む生徒の姿が見られた。


「ここが叡凛高等学園か……! これから僕が新しく通う高校……」


「何ダ、期待したのに、あまり美味そうじゃないナ!」


「つまらん、ツマラン!」


「ははは、残念だったね、二人とも。それにしても、何か緊張するな……校内にいるのは先輩たちか。何だか、みんな大人っぽく見えるな」


「そうカ? 我らにはみな普通のガキんちょに見えるがナ」


「ガキんちょ、ガキんちょ! 比呂、臆するナ! ガッと行ケ、ガッと!」


「ありがとう、二人とも。……そうだよな。入学式もまだなのに、今から緊張してちゃ駄目だよな。堂々と自分らしく……大丈夫、この街では誰も僕の事を知らない。これからは今までとは違う、新しい人生が始まるんだ……!」


 叡凛高等学園に通う生徒は、もれなく全員、新世界市で実施される新しい技術の被験者でもある。企業や研究所は、実験特区で実際に新技術を運用することで、その技術を試し、データを収集することが出来るのだ。


 とはいえ、命に関わるような危険なものはない。むしろ、実験特区で試された技術は、後に社会で運用されるものも多く、最先端技術にいち早く接することが出来る。他にも様々な優遇措置が設けられているため、叡凛高等学校への入学を希望する生徒は多く、毎年入学希望者が殺到する。倍率が二十倍を下回ったことはこれまで一度も無いのだそうだ。


 適切な実験データを採取するためにも、叡凛高等学園はさまざまなアクセス権を持つ生徒が集められている。学校があまりにも社会の実態とずれてしまったら、叡凛高等学校で実験をする意味がなくなってしまうからだ。


 そのため、在校生徒のアクセス権が特定のレベルに偏ることがないように調整し、常に『社会の縮図』である状態を保っているという。


 そういった特殊な事情を抱えているためか、叡凛高等学校の入学試験も他の一般高校とは一線を画している。学力テストや内申書の提出は求められるものの、それらが必ずしも合否の結果を決めるわけではない。勉強ができさえすれば入れるというわけではなく、学力が高いにもかかわらず不合格になる生徒は毎年かなりの数に上るという。


 その一方で、入学試験の選考基準は明らかにされていない。何故、叡凛高等学校に入学することができるのか、その理由を合格者本人に知らされることはなく、また世間一般に公表されることもない。


 比呂も、自分がどうして叡凛に入ることができるのか、さっぱり分からないくらいだ。


 努力すれば入れるわけではない叡凛高等学園は、それ故に入学するのが最も難しい高校だとも言われている。まさに、宝くじで一億円を当てるようなものだろう。たとえどれだけ優秀で学力があろうとも、入れない者はたくさんいるのだから。


 そんなすごい学校にこれから自分が通うのだと思うと、改めて緊張と興奮が沸き上がってくるのだった。


「比呂はこの高校に通うのが、それほど楽しみカ?」


「うん、そりゃせっかく入学したんだから。もし入学したのが叡凛高校でなかったとしても……新しい生活は楽しみだよ」


 それに比呂には目的がある。叡凛高等学校に入学し、この新世界市に来なければならなかった、特別な目的が。


「ほほウ、良かったナ、比呂」


「お前が嬉しいなら、我らも嬉しいゾ!」


 白羽と黒羽はそう言うと、嬉しそうに羽ばたいた。比呂が右手を差し出すと、その指に飛び移ってきて着地し、こちらを見上げて首を傾げる。まるで比呂を気遣うように。


 こういうところがあるから、どれだけ口が悪くても、白羽も黒羽も憎めないのだ。二羽の頭をそっと撫でると、手の平に柔らかい羽毛の感触と暖かい温もりが返ってくる。


 もっとも、この触感や温もりは電脳ニューロンが感じさせている錯覚だ。何故なら、現実空間に白羽や黒羽は存在せず、質量どころか実体も持たない存在だからだ。


 だから比呂の感じている二羽の感触、そして彼らに対して感じる温かい愛情は、全てMEIS(BBMI(バイオ‐ブレイン・マシン・インターフェース))の見せている幻覚のようなものなのかもしれない。


 それでも――たとえ幻でも、白羽と黒羽は比呂の大事な友達だ。幼いころからずっと一緒にいて、辛い時や悲しい時は励ましてくれる、かけがえのない家族だ。


 それがいい事なのか悪い事なのかは分からないけれど。


 それから比呂はグラウンドの方へ足を向け、スポーツに励む生徒たちの姿を眺めながらあたりを散策することにした。グラウンドのそばにも遊歩道が伸びていて、隣接する花壇には色とりどりのチューリップが植わっている。日差しも温かい。


 のんびり歩いていると、そこへ不意にボールが飛んでくる。黄色いテニスボールだ。


「これ……テニスボール?」


 足元に転がってきたボールを拾い上げると、グラウンドの方から叡凛高等学園の生徒と思しき女子生徒が両手を振り、こちらへ走り寄ってきた。


 真っ白いスコートを履いていて、健康的な足が覗いている。片手にはテニスラケット。女子生徒は真夏の太陽のような眩しい笑顔を比呂に向け、大きく右手を振った。


「あ、すみませーん! ボールこっちに転がって来ませんでしたか?」


「これですか?」


「あ、ありがとうございます! ……って、あれ? ええと……君、もしかして今年入学する予定の新一年生?」


「はい、そうです。よく分かりましたね」


「在校生だったら、MEISの顔認証システムで検索したらすぐに情報が出て来るもの。でも、君に該当するデータは何も出てこなかったから。とはいえ、叡凛(うち)のセキュリティは関係者以外、立ち入れないようになっているし、君の年齢はどこからどう見ても学生だし。だとするとこれから入学予定で学校の下見に来たのかなって。……どう、名推理でしょ?」


「大正解です」


「あはは、やっぱりねー。あたしはテニス部女子二年の三雲るり!」


「僕は香月比呂です」


 白羽と黒羽は比呂の肩に止まり、三雲るりに向かって「カア!」と鳴く。威嚇するようなだみ声ではなく、親愛の情を示す甲高い鳴き声だ。三雲るりは二羽に気づき、目を輝かせた。


「それ、ひょっとして電脳ペット? かわいいね!」


「はは……すみません、騒がしいやつらで」


「でも、カラスタイプの電脳ペットって珍しいよね。しかも白と黒の色違い! もしかしてオーダーペット? すごく高いんでしょ?」


「いえ……こいつらは友人からのプレゼントなんです」


「そうなんだ。良い友達だね! ……ただ、校舎内は電脳ペットの持ち込み禁止だから、気を付けた方がいいよ。見つかったら最悪、アプリを消去させられちゃうんだって」


「そうなんですか……ご忠告、ありがとうございます」


 そう会話しながら、比呂は三雲るりにテニスボールを手渡す。


「春休みから部活動なんて、ずいぶんと熱心なんですね」


「ウチは全国にも出場経験のある強豪校だからねー。香月くんはもう、入部するクラブは決めたの?」


「いえ、まだ……入学式の後にあるクラブ紹介を見てから決めようと思ってます」


「そっか。もし良かったら、テニス部よろしくね! うち、男子テニス部もあるから。練習は厳しいけど、絶対やりがいはあると思う! それに……スポーツができる男子はモテるよ~?」


「あはは」


 その時、別のテニス部の女子生徒が声をかけてくる。


「るりーっ! 何してんのー? 早く練習しよー!」


「ごめん、今行くー! ……それじゃあね、香月くん。ボール、ありがと!」


 そう言ってウインクすると、三雲は走り去っていく。翻るスコート。後頭部のポニーテールが元気いっぱいに跳ねる。溌剌とした背中が眩しい。比呂はすっかりその後ろ姿に見とれてしまった。


「明るい人だな。テニス部……か」


 それを察したのか、白羽と黒羽はさっそく比呂を揶揄い始めた。


「比呂、デレデレだナ!」


「デレッデレ! 青春、青春!!」


「べ、別にデレてなんかないって!」


「テニス部、入るのカ?」


「いや……どうかな。別にモテたくて叡凛高等学校に来たわけじゃないし。三雲先輩が誘ってくれたのは純粋に嬉しかったけど。でも……他に興味のあるクラブもあるから」


 もっとも、完全にそのクラブの入部を決めたわけでも無い。もし目当てのクラブが期待通りではなかったら、テニス部に入るのもありかもしれない比呂は思う。


 そう考えてしまうほど、三雲るりの弾けるような明るさには魅力があった。


「……それにしても、黒い煤みたいなのをくっつけた生徒が多いな。みんな気にならないのか……?」


 比呂は再び多くの生徒がクラブ活動に励むグラウンドへ視線を向けて呟いた。


 グラウンドの近くに来た時から気になっていたが、部活動に励む生徒たちの中には例の黒い煤を体に付着させた生徒が何人もいる。


 その数は、第七区域・中心市街地(セントラルシティ)で見たよりずっと多い。中には煤まみれで全身が真っ黒になるほどの者もいるほどだ。


 もはや顔の表情すら見えず、着ている服すらも判別がつかない。真っ黒い影法師が意志を持って動いているようなものだ。


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