第49話 MEISヒーリングの謎②
比呂も芽衣と同じで、何か深い理由があって生体ストレージにクーポンチケットを保存していたわけではない。
アネモネの手紙など重要なものを除けば、取り敢えず生体ストレージに保存するのが習慣化しているから、要はたまたまだ。
その会話を聞いていた柚は、はっとして目を見開く。
「つまり、《アンノウン》に感染した生徒は、みなクーポンチケットを生体ストレージに保存していたってこと、はすみん!?」
「それをこれから、実験用アンドロイドで確認してみよう」
それから蓮水はアンドロイドへ視線を向け、《電脳物質》でできたMEISヒーリング店のクーポンチケットを指で摘まむ。
「まずはこのクーポンチケットを、あのアンドロイド用に設けたオンラインストレージに保存し、先ほどと同様の刺激情報を人工脳に与えてみよう」
蓮水が手を離すや否や、クーポンチケットの姿は掻き消えた。アンドロイド専用に開設されたオンラインストレージに保存されたのだ。
しかし、しばらく待っても何の変化も見られない。
「何も起こらないね」
柚は食い入るようにし、ガラス壁の向こうで横たわるアンドロイドを見つめている。
「僕たちは事前に同様の実験を行っているが、この状態を七十二時間、続けて保っても、何ら変化は見られなかった。次はこのクーポンチケットをアンドロイドの生体ストレージに保存した上でMEISヒーリングと同様の刺激を与えてみよう。冬城くん、やってくれ」
「はい、分かりました。ではまず、クーポンチケットをアンドロイドの人工脳内にある生体ストレージに保存します」
冬城はディスプレイになっているガラス面に向かうと、その表面に浮かんでいる半透明のウインドウを操作する。すぐさま、データ保存完了の文字が浮かんだ。
ただし、この時点ではまだ、アンドロイドに変化はない。冬城は続けて口を開く。
「次にMEISヒーリングと同様の刺激をアンドロイドの人工脳に入力します」
冬城は再びウインドウを操作した。アンドロイドの頭部には大小さまざまのケーブルが繋いであり、そこから刺激情報を入力するのだろう。それと同時に、蓮水がアンドロイドの胸元を指さす。
「見てごらん」
しばらくすると、アンドロイドの体の上に明確な変化が現れた。黒い虫のような点がぽつりと浮かんだかと思うと、それが一気に拳大の大きさへと増殖したのだ。
光を受けているにもかかわらず全く反射しない、暗闇色をした煤状の黒い粒。間違いない、《アンノウン》の幼生だ。
「あっ……!!」
ネオ研のみなが息を呑む中、冬城もひときわ大きく声を上げる。
「電脳識海に反応がありました。解析不明のアンノウン情報が発生し、徐々に増殖しています!」
「僕や冬城くんは計測機器を介した数値でしか認識することができないけれど、君たちには直接、『彼ら』をその目で見ることができるはずだ」
「はい、間違いありません」
「《アンノウン》の幼生 ……はっきり出てやがるぜ!」
蓮水は、やはり、という顔をする。蓮水と冬城は《アンノウン》の姿を直接その目で捉えることができない。だから、ネオ研のメンバーの反応を見て確信を新たにしたようだ。
「僕たちは新世界市のあちこちから収集したMEISヒーリング店のクーポンチケットを使って同様の実験を46回試してみた。つまり、クーポンチケットをアンドロイドの人工脳の生体ストレージに保存し、MEISヒーリングを同じ刺激情報を与えるという実験をね。すると驚いたことに、その46回全てで同じ結果が得られたんだ」
「まとめると、MEISヒーリングやクーポンチケットはそれ単体では何の影響も無いけれど、特定の条件下では《アンノウン》を発生させてしまうということですね? でも逆に言うと、特定の条件下でしか《アンノウン》は発動しない。同じようにクーポンチケットを使いMEISヒーリングを体験しても、何ともない人も出てくる」
湊は表面上こそ冷静だが興奮は隠せないのか、いつもより若干、早口だ。彼の言葉に蓮水も大きく頷いた。
「その通りだよ」
「そして、この《アンノウン》が意識消失の犯人でもあるんだね?」
柚もようやく事件の全貌が明らかになることに高揚している。
「うん、そうだね。それについては後で説明するよ」
「でも、一体どういう仕組みなんだろう? クーポンチケットが周囲の《アンノウン》を引き寄せているんでしょうか?」
比呂は眉根を寄せた。
これまで《アンノウン》と遭遇したことは幾度かあるが、どちらかと言うとそれまで街中にいた幼生が一か所に集中し、蛹や成虫に成長するという経過を辿るパターンが多かった。最初に遭遇したカマキリ型の《アンノウン》がまさにそのタイプだ。
すると柚は首を横に振る。
「ううん、どちらかと言うと、『集まってきた』というより『そこに湧き出してきた』ように見えたよ」
蓮水もそれに同意しつつ、指先でガラス面のディスプレイをタップすると、新たなデータを浮かび上がらせた。
「柚くんの言うことの方が正しいと僕も思うよ。何故なら……ほら、実験前の電脳識海の状態を見てごらん。アンノウン情報の計測値は限りなくゼロだろう? 『集まってきた』なら、既にこの時点で何らかの反応はあるはずだと考えられる。それにこの実験を行った際に増えるアンノウン・データ量はいついかなる時も一定だ。《アンノウン》が『集まってきた』なら、その都度、環境の状態によって数値も変化するはずだろう?」
「……なるほど、確かにそうですね」
これだけ具体的なデータを見せられたのだ、比呂にはそれを認めない理由が無い。
殆どの《アンノウン》は《電脳物質》化することなく、自然に消滅していく。といっても、表層から完全に消えてしまうわけではない。人や物に付着して移動したり、別の《アンノウン》の塊に吸収されたりするのだ。
それは、《アンノウン》が一か所に留まることなく、常に位置や形態を流動的に変化させているという事でもある。
片やこの実験室内は《アンノウン》を計測する機器が揃えられており、《アンノウン》が流動すればすぐさまそれを事前に補足することができただろう。だが、計測機器は何も異変を察知していない。
つまり現在、アンドロイドに付着しているこぶし大ほどの《アンノウン》はどこかから流れてきて集まったのではなく、何らかの原因でそこに突如、発生したという事だ。
しかし一体、どういう仕組みで。
疑問を抱くネオ研の面々に、蓮水は鋭い眼差しをして告げる。
「ここで僕と冬城くんは一つの仮説を立てた。このクーポンチケットには《アンノウン》の素 ……いわば卵が埋め込まれているんじゃないかってね」
「卵 ……!?」
比呂は目を見開いた。
確かに《アンノウン》は基本的に昆虫の姿をしており、その成長段階ごとに幼生や蛹、成虫と姿を変えていく。そう考えると、卵が存在していても不思議ではないのかもしれない。
だが理屈では納得できても、これまで実際に卵を感知したことは一度たりともなかった。それは数々の《アンノウン》と戦ってきた柚や大介、湊も同様であるらしく、みな驚愕の表情を浮かべ蓮水を見つめている。
「……もっとも、これらはあくまで仮定の話で、まだ決定的に証明することができているわけじゃない。ただ、卵の存在を前提条件とすると、今回の事件の全てが説明できるんだ。
まず、ユーザーがクーポンチケットを生体ストレージに保存すると、クーポンに仕込まれていた《アンノウン》の卵がユーザーのMEISに産み付けられる。この段階では、MEISには何ら悪影響はない。卵そのものはMEISにほとんど作用しないんだ。
しかしMEISヒーリング店でサービスを受け、独自のアロマと音楽という特殊な刺激情報を受け取ることで、MEISが特定の反応をし、卵を刺激して『孵化』させてしまう。そうして《アンノウン》の幼生を発生させてしまうんだ」
蓮水はそう言いながら、彼のチームが行った実験映像をガラス壁のディスプレイに浮かび上がらせ、比呂たちにも見せてくれる。
それらの映像では先ほどと同様に、アンドロイドの人工脳に設けられた生体ストレージにクーポンチケットのデータを保存し、同時にMEISヒーリングと同様の刺激を入力する実験が行われていた。
《アンノウン》を見ることができない者が撮影したからか、それとも通常の機材では《アンノウン》の姿を捉えることはできないのか。ともかく、映像の中に《アンノウン》は映っていないが、同時に映し出された機材のディスプレイには、アンノウン情報に関する数値の上昇がはっきりと見て取れる。
「……ただ、この時の幼生は質と量ともに、一般の電脳識海上で見られる《アンノウン》の幼生と比べ、それほど数値上の変化があるわけでは無い。突然、湧き上がってきた点を除けば、特に多いとか悪質であるとは言えないんだ」
蓮水の指摘を受け、卵の存在に衝撃を受けた様子の大介も我に返った。
「確かにそうだよな。これくらいの密度の黒煤だったら、街中でもしょっちゅう見るし、ぶっちゃけ成虫化するには程遠いぞ」
「でも、めーちや入院した生徒たちは大量の《アンノウン》に汚染されていたよ。それこそ、全身が真っ黒になって体の大きさも二倍になっちゃったんじゃないかっていうくらいに」
柚の言葉に、蓮水はパチンと指を慣らす。
「そう! つまりこの幼生が通信障害を引き起こすほどの膨大なアンノウン・データへと増殖する……君たちの言う巨大・《アンノウン》へと成長するためには、更にもう一つの条件が必要となるんだ!」
比呂はすかさず口を開く。
「その条件とは、ひょっとして不安やストレスじゃないですか?」
「正解だよ、比呂くん! よく分かったね?」
「意識不明に陥った生徒は、不安や孤独、ストレスを抱えている人が多いとずっと感じていました」
「確かに私、中学時代の友人トラブルを引きずって孤独になってた。だからMEISヒーリングにはまってしまって……」
芽衣だけではない。比呂と同じクラスの萩谷や長野は高校の部活動のレベルの高さに四苦八苦していたようだと聞いていたし、柔道部の前田は今年から副部長に抜擢されたことに重圧を感じていた。合唱部の船本もまた然り。クラスに馴染めないことに不安を感じていると口にしていた。
そして女子テニス部の先輩、三雲るり。彼女も比呂の前では明るく気丈に振舞っていたが、テニスの大会で結果を出さなければと必要以上に気負っているように見えた。
それを裏付けるかのように蓮水の説明が続く。
「僕たちはアンノウン・データに感染したアンドロイドの人工脳に、さまざまな刺激を入力して実験を行った。そしてこのアンノウン・データが宿主の不安や孤独といった強いストレスに大きく反応することを突き止めた。最初は微量な『幼生』に過ぎないそれは、強いストレスを餌に急激に成長し増殖する。……冬城くん、その様子を再現してくれ」
「分かりました。人工脳にストレス反応を入力します」
冬城がウインドウを操作すると、アンドロイドにすぐさま異変が現れた。
胸元の当たりに浮かんだ拳大ほどの大きさの黒煤がぶわっと膨れ上がり、さらなる増殖を始めたのだ。
《アンノウン》の塊は凄まじい速度で二倍、三倍と爆発的に膨張していく。そして瞬く間にアンドロイドの上半身を覆うまでになり、そこから溢れ出した黒煤がぼとぼとと床に零れ落ちた。
幼生だった《アンノウン》が蛹へと成長するのに要した時間はたった数秒、まさに瞬きするほどの間の出来事だった。
「こいつは……!!」
「《アンノウン》が急激に増殖していく……すごいな。こんな現象、初めて見た……!」
大介と湊は、実験室で繰り広げられる光景に釘付けだった。
通常、《アンノウン》の幼生が蛹や成虫に成長するのにはそれなりに時間がかかる。個体差はあるが早くて数週間、一か月や二か月かけてじっくり大きくなるものも少なくない。これほどまでの短時間で爆発的に増殖することなど、まずあり得ないことだった。
もしそんなことになれば、この新世界市はあっという間に《アンノウン》で溢れてしまうことだろう。
実験室の中で人為的に増殖しやすい環境が作られているとはいえ、そういった面においても、この《アンノウン》はあまりに異質な存在だった。
「ちなみに、意識消失の原因も、このアンノウン・データの急速増殖によるものだ。ただでさえ、非表層のデータは重い。それがいきなりMEISに大きな負荷をかけるんだ。あまりの高負荷にMEISの処理速度も重くなり、通常の脳機能にまで支障をきたしてしまう。そしてとうとう、脳のフリーズ……意識消失を起こしてしまうというわけさ」
蓮水の言う事は優に想像できた。ただでさえ《アンノウン》の存在はMEISに負担をかける。それがこれほどまでに急激に成長するとなると、なおさら耐えられるわけがない。大量アクセスによってサーバーやネットワークがダウンするようなものだ。
「確かにこれは……意識を失っても仕方ないですね」
「通常の《アンノウン》ですら、こんな異常な増え方はしねえからな」
湊や大介がそう納得する隣で、柚はいつになく厳しい眼差しをしていた。彼女の瞳は、じっとアンドロイドを見つめている。
「そうだね。卵といい、この《アンノウン》は何から何まで異例づくめ……とても自然発生的に生まれとは思えない」
「柚、それってどういう……?」
湊は怪訝な表情をする。比呂はもちろん、芽衣、大介も、不安の入り混じった訝しげな視線を柚に注いだ。
「自然発生的に生まれとは思えない」とはどういうことか。ひょっとして、柚はこの奇妙な《アンノウン》の正体が何なのか、見当がついているのではないか。
柚はみなの視線に気づいたものの、その点には言及しなかった。まだ確信が持てないのかもしれないし、或いはみなを不安にさせたくなかったのかもしれない。
「……。ともかく、宿主のストレスが大きいほどこの《アンノウン》も大きくなっていくんだね。ひょっとして……そのためのMEISヒーリング?」
柚が尋ねると、蓮水はそれを肯定する。
「ご明察だよ、柚くん。MEISヒーリングの役割は、《アンノウン》の卵を孵化させることだけじゃない。幼生を増殖させるのにも大きく関わっている。
すでに君たちも何度か耳にしたことがあると思うけれど、MEISヒーリングには依存性がある。もちろん違法性のあるものじゃない。ただ、あの店が独自に使っているアロマや音楽には、一時的にだがストレスを大きく緩和させる効果があるんだ。
だから、不安や孤独、ストレスを抱えた人間ほどのめり込みやすい。一瞬、気持ちが楽になるわけだからね。
だが、抱えている問題を解決したわけではないので、店の外に出て現実に戻れば再びストレスに晒されてしまう。おまけに一度、浮上してしまった分、その落差で余計にストレス加重が大きくなってしまうんだ。結果として、よりストレスを増幅させてしまうというわけさ」
「そして、それと同時に《アンノウン》も急激に増殖してしまう……」
比呂もまた、実験室のアンドロイドを見つめて呟いた。
アンドロイドの人工脳には既にストレスが与えられていないのか、蛹は一定の大きさを保ったまま変化がない。また、実験室には特殊な加工が施されているらしく、比呂たちのMEISがアンドロイドの《アンノウン》によって負担を感じることもない。
蓮水は説明を続ける。
「MEISヒーリングそのものに《アンノウン》を巨大化させる機能は無いが、店に通い続けることで結果として巨大化させてしまうんだ。不安や孤独を抱えた生徒ほど、MEISヒーリングにはまり込んでしまう。けれど、負の感情が消えるのはほんの一瞬。それどころか、そのことがかえってストレスを増大させてしまう。結果として《アンノウン》も巨大化・強大化するという寸法さ」
先ほどの《アンノウン》の増殖の仕方を考えると、ネオ研がこの蛾型の《アンノウン》に対応しきれず、後手に回ってしまった理由がよく分かる。柚の言う通り、この《アンノウン》は何から何まで異例尽くしなのだ。
中でも最大の理由は、この蛾型の《アンノウン》を生み出す幼生が、他のものとは全く違う速度で成長する点だ。
これくらいの《アンノウン》であれば、まだ経過観察で大丈夫だろう。そう思っていたら、宿主は急激に体調を悪化させ、一気に意識消失にまで至ってしまう。
思えば、芽衣の時もそうだった。彼女も、もともと大量に《アンノウン》の幼生を付着させていたが、それでもどうにか学校には通っていた。それなのに、欠席したその日のうちに、幼生は蛹へと急成長したのだ。
「このサービスを設計した者も、もちろんその事は織り込み済みだろう。人の弱さをうまく利用した仕組みだよ」
「……」
蓮水は、彼にしては珍しく、吐き捨てるような強い口調で言った。
芽衣は不安そうに瞳を揺らし、柚も悔しげに唇を噛む。
比呂も胸のあたりがムカムカするようだった。まさか、MEISヒーリング店がここまで悪質だったなんて。
その気持ちは湊や大介も同じなのだろう。二人ともかなり険しい表情をしている。




