第48話 MEISヒーリングの謎①
それに対し、柚は微笑んで説明した。
「その点は心配ないよ。救急車で叡凛大学付属病院に運ばれた生徒は入院後、電磁波や電波の一切通らない隔離病棟へ入れられているんだって。だから外部から通信などを介した干渉は全くできない状態なの。
さらに通常の脳機能は動かしてMEIS機能のみをほぼ停止させ、電脳識海から完全に切り離された環境に置かれてる。《アンノウン》の蛹は、まだ辛うじて漸深層に属していて、表層には侵食していない段階のことを言うでしょ? だからこそ、こちらから干渉して取り除くこともできない。
裏を返すと、生徒たちと電脳識海の接続を切り離し《アンノウン》を漸深層にとどまらせていれば、それ以上、表層への汚染は進行しないみたい」
「……つまり、入院生徒の《アンノウン》は一体も羽化していないよ。今のところは……だけどね」
湊がそう付け加える。
(隔離病棟……妹の詩織が治療を受けているところか)
おそらく、医療従事者の人たちにも、意識不明になった生徒たちに何が起こっているのか全てを把握しているわけではないのだろう。彼らの多くは《見えない人》だ。《アンノウン》の存在を把握していないと、本当に何が起こっているのかを理解することはできない。
ただ、さまざまな検査の結果、MEISに何かしらの問題が発生していることは突き止めた。だから、昏睡状態の生徒たちを隔離病棟に移し、MEISの活動を極限まで制限する――つまりMEISを『スリープモード』にすることにしたのだ。
そうすれば、《アンノウン》の蛹を成長させることなく、そのままの状態を維持することができる。
一種の仮死状態だ。
「ただ、それはあくまで現状維持を目的とした対処療法的な処置に過ぎないから、みんな昏睡したままで意識は戻っていない。病院も《アンノウン》の存在は知らないから、意識不明の原因がMEISの不具合であった時のことを想定して、取り敢えず念のためっていう感じみたい」
「そう……ですか」
「とはいえ、隔離病棟も入院患者が増えすぎて、対応しきれなくなってきているそうだよ。このまま《アンノウン》が増え続ければ、間違いなく僕たちもこの街も全てがパンクしてしまう」
比呂は湊が指摘するそのさまを想像してぞっとした。
今日でさえ《アンノウン》の対処に追われ続け、正直なところギリギリだった。柚や湊の言う通り、これ以上は確実にキャパオーバーだ。
その上、さらに芽衣のケースのような超巨大型の《アンノウン》が複数以上、同時に発生したら。そしてネオ研が総力を挙げても対応しきれなかったら。
最悪の場合、深刻なMEIS災害をも招きかねない。
いや、このままでは間違いなく、そう遠くない未来にそれが現実のものとなってしまうだろう。
ところが、比呂たちにはその事を懸念している暇さえ与えられなかった。すぐに部室の扉を乱暴に叩く音が聞こえてきたからだ。
「おーい、ネオ研! ちょっといいか!? 助けてくれ!!」
「何だあ!?」
大介が立ち上がって扉を開くと、そこに見慣れぬ男子生徒が立っていた。男子生徒は血相を変え、一気に捲し立てる。
「学校の中庭で生徒が倒れた! 119番しようとしたが、通信障害が発生していて繋がらないんだ!」
「あ、ホントだ! ネットも通信も繋がらなくなってる!」
柚がそう言うので、比呂も網膜ディスプレイに表示されるMEISのステータスアイコンを確認する。すると、確かにデータ通信ができなくなっていた。《アンノウン》の出現による通信障害だ。
男子生徒は困惑顔でなおも畳みかける。
「何かよく分からんが、ネオ研なら解決してくれるっていう噂を聞いて……どうにかならないか? 倒れているのは同じサッカー部のやつなんだ!!」
「やれやれ、全く……気が抜けないね」
「どう考えてもこの状況は異常だろ……!」
今日だけでも、これで《アンノウン》退治をするのは何度めか。湊と大介はうんざりした様子で溜息をつくが、柚は真剣な表情で他の面々に語り掛ける。
「でも、放ってはおけない……《アンノウン》を除去することができるのはわたし達、ネオ研だけなんだから! みんな、もうひと踏ん張りだよ、頑張ろう!!」
「は……はい!」
「あっ……!」
比呂と芽衣も慌てて立ち上がったが、その拍子に芽衣は体をふらつかせる。
「芽衣、大丈夫? 疲れた?」
比呂は芽衣に駆け寄って助け起こした。芽衣はどことなく顔色が悪い。表情にも覇気がなく、疲れているのがはっきりと伝わって来る。
柚もそれに気づいたのだろう、比呂と芽衣を気遣って声をかけてきた。
「比呂くんもめーちも、しんどいなら先に帰ってもいいよ。二人とも、まだネオ研に入ったばかりだし、何より退院したばかりなんだから」
「いえ、僕も行きます」
「私も……行きます!」
元気よくそう答えたものの、疲労が溜まっているのは否めなかった。芽衣も同様であるようだ。
とにかく中庭へ急行すると、やはり例の蛾型の《アンノウン》が空中を舞っていた。大きさはちょうど1メートルほど。気力を振り絞って、ネオ研のみなで《アンノウン》を倒し、サッカー部の部員を助け出す。
幸い、サッカー部員は深刻な意識消失に至ることも無く、《アンノウン》を倒すと共に目を覚ました。若干、青ざめているものの、身体には特に異常もないらしく、他のサッカー部員に連れられ帰宅していく。
それ以降も《アンノウン》が出現した時に備え、ネオ研のメンバーは十九時近くまで部室で待機した。学校の門限が近づいて来て、ようやくその日は解散することになった。
家に帰宅すると勉強する気力も残っておらず、比呂はそのまま倒れるようにして眠りについた。あまりにも疲れすぎていて、アネモネに手紙を書く余裕すら残っていなかった。
翌日もその翌日も、ネオ研は《アンノウン》の対処に追われた。
予想通り、日に日に意識不明者は増え、それに伴って《アンノウン》の出現数も増加していく。
ネオ研は根本的原因を解決する術を見いだせないまま、ただ現状に対応するので精一杯という綱渡りの日々を送った。授業の合間に設けられた休憩時間など無いに等しく、昼休憩や放課後も常に《アンノウン》の出現に備えていなければならない。
体力的な負担もさることながら、いつ《アンノウン》が現れるのかという緊張感を常に強いられ、それが余計に負担を倍増させる。
これ以上はもう限界――ネオ研の誰もが、そんな手詰まり感と激しい徒労感を感じ始めたその時。
ついにソピアー・ジャパンの蓮水から連絡がきた。
MEISヒーリング店と意識不明、そして蛾型の《アンノウン》の関係性を突き止めたという、待ちに待った朗報だ。
ネオ研のメンバーはさっそくソピアー・ジャパンの本社へ向かった。受付にいるアンドロイド・ナビゲーターのクリスに声をかけると、ソピアー・ジャパンの別館にある研究所に案内された。蓮水はそこにいるという。
ソピアー・ジャパン総合技術研究所はソピアー・ジャパン本社の敷地内にある。
本社と同様に近未来的デザインをした建築物だが、曲線を多用した本社に比べると箱型に近い。デザイン性重視の本社と、実用性重視の研究棟といった具合だろうか。
また、本社と比べると窓が極端に少ないのも特徴的だ。おそらく、セキュリティーの強化や情報漏洩の防止を重視した結果だろう。
いくつか立ち並んでいる研究所のうち、一番端にある第三研究棟の入口へ向かうと、いつものぼさぼさ頭をした蓮水が比呂たちを出迎えた。スーツの代わりにパーカーを羽織っており、相変わらず大学生のような格好だ。
「やあ、叡凛高校MEIS災害対策チームのみんな! 待っていたよ!!」
柚は蓮水の姿を目にすると、急いで駆け寄っていく。
「はすみん、意識消失と《アンノウン》発生のメカニズムが分かったって本当!?」
「やっぱり原因はMEISヒーリング店ですか!?」
比呂も蓮水に駆け寄って尋ねた。それが何よりも気になっていた。蓮水はニッと笑う。
「結論から言うとその通りだね。もっと詳しく説明するから、こっちの部屋に集まってくれ」
蓮水が案内したのは第三研究棟の中の一室だ。小さな部屋だが外部を対象とした見学会などにも対応しているらしく、複雑な機器の他にも椅子やスクリーンパネルなどが設置してある。
部屋の中には既に冬城もおり、比呂たちが来るのを待ち受けていた。
ここで何が始まるのだろう。比呂たちは興味津々で室内を見回す。
それは奇妙な部屋だった。天井や床、壁はコンクリートだが、壁の片面だけが全面ガラス張りになっている。
そのガラス面の向こうには広い実験室らしき空間が広がっていた。中央にちょうど手術室のベッドに似た台があり、その上に真っ白な色をしたマネキンのようなものが横たわっている。
広い実験室はうす暗いが、唯一灯っている照明は全てそのマネキンに集中しており、まるで暗闇の中で浮かび上がるかのようだった。
人形の大きさは一般の成人男性ほどだが、性別は不明だ。顔もまさにマネキンみたいで目や鼻、耳など、どれもとても作り物くさい。
両手はなく、体は胸のあたりまで。そこから下はケーブルやチューブが接続されていて、ベッドの周辺をぐるりと囲む大型機器に繋げられている。
また、マネキンのつるりとしている頭部も、たくさんの細いケーブルと繋がっていた。夥しい計器の数々を見るに、どうやら何かを計測する装置であるらしい。
ただ、何とも異様で不気味な光景であるのは否めなかった。
「何だ、ありゃ?」
大介もガラス窓越しに寝かされた人形に気づき、眉を顰めた。
「あれは実験用アンドロイドだよ。彼の脳は電子機器でできているが、極限までMEISを移植したヒトの脳の仕組みを再現している。いわゆるニューロ技術と呼ばれるものの一種だ。因みにアクセス権の設定は3だよ。3が一番、一般的だからね。これからこのアンドロイドを使ってMEISヒーリング店を経験したのと同じ状況を再現するのさ」
蓮水の説明に、比呂は首を傾げる。
「でもMEISヒーリング店って、独自のアロマや音楽を用いていますよね? それをここでどうやって再現するんですか?」
「いい着眼点だね、比呂くん。実は事前に柚くんにMEISヒーリングを体験してもらい、その時の脳波をMEISで記録してデータを送ってもらったんだ。おかげで僕たちはそれを計測し、柚くんの脳が受けた香り情報や音情報を細かく分析・解析することができた。柚くんの高性能なMEISであれば、より正確で精密なデータ採取が可能だからね。
これからあのアンドロイドに搭載された人工脳に、全く同じ刺激情報を与え、MEISヒーリングなるサービスを体験しているのと同じ環境を作り上げていく。全く同じというわけにはいかないだろうが、限りなく近い疑似状態を再現することができるんだよ」
比呂は、ソピアー・ジャパンの受付嬢であるクリスのことを思い出した。彼女もまたアンドロイドであり、人工脳を搭載している。つまり、目の前で横たわっている人形にもクリスと同じ技術が使われているという事だ。
芽衣もそれに気づいたのか、恐るおそる呟いた。
「でも……何ていうか、ちょっと怖いですね。あのアンドロイド、少しかわいそう……」
すると、冬城は冷静に芽衣へ説明をする。
「できれば被験者に直にMEISヒーリングを複数回、体験してもらい、そのデータを得ることができたらそれが一番良かったのですが、香月さんや桜庭さんが倒れたことを考えても『人体実験』は危険を伴うと予想されます。ですからこれは、安全を期した結果の代替実験であると理解してください」
「分かりました。すみません、私が変なことを言ったせいで……」
「いえ、構いませんよ。桜庭さんの反応は、それだけロボティクスが発展したということの裏返しでもあるのですから」
そう言って冬城は微笑んだ。大人の対応だなと比呂は感服する。
「それでは始めよう」
蓮水が促すと、比呂たちのいる小部屋の照明が暗くなり、アンドロイドの寝かされた実験室がくっきりと見えるようになった。
「それではまず、あの人工脳をMEISヒーリングを受けている状態にしてみよう。……冬城くん、やってくれ」
「分かりました」
冬城は部屋に設置された計器を操作する。
微かな機械音が響いて来たかと思うと、比呂たちの目の前、小部屋と実験室を仕切るガラスの壁面に半透明のウインドウが浮かび、二つのデータが表示される。
どうやらこのガラス壁は、ディスプレイの役割も兼ねているらしい。
表示されるデータや映像は半透明なので、実験室の様子も同時によく見える。蓮水はパワーポインターを使って表示されたデータの説明を始めた。
「これを見てくれ。右側のデータは柚くんがMEISヒーリングを利用した際の脳波の動きを記録したものだ。そのうち、上が聴覚野。内耳神経に伝わった音刺激が最終的に脳の後横側頭領域へ伝わった際の、一次聴覚野、二次聴覚野、そして三次聴覚野の反応の変化をデータ化したものだ。
それに対して、下は嗅覚野の反応をデータ化したものだね。嗅覚受容神経でキャッチされた匂い情報が、嗅神経を通して嗅覚野に伝達された様子を表している。……それを元に今、あのアンドロイドに同様の刺激を与えているんだ。
左のデータはその刺激に反応した彼の人工脳が示している脳波の動きだよ。ごらん、二つともよく似た動きを示しているだろう? つまり柚くんの脳波をモデルにして、あのアンドロイドの人工脳の環境を、MEISヒーリングを受けている状態にしているということなんだ」
「ええと……要するにあのアンドロイドは、いまMEISヒーリングを受けているも同然ってことだよな?」
大介は腕組みをし、難しい顔をしつつ頷いた。大介はややこしい話が苦手だが、今回ばかりは何としてでも蓮水の話に置いて行かれまいとしているのだろう。
「でも、特に変化は見られませんね」
湊の指摘する通り、実験室のアンドロイドには特に変わったところが見受けられない。
「MEIS環境を中心とした電脳識海の状態も同時に観測していますが、そちらも特に変化は見られません」
冬城もデータを見ながらそう告げた。MEISヒーリングを受けているアンドロイドには変化がなく、また、彼が繋がっている電脳識海――つまりサイバー空間にも何ら異常はない。
「つまり……MEISヒーリングを受けただけでは意識消失を起こしたり《アンノウン》に汚染されたりはしない……ということですか?」
比呂が口にすると、芽衣は激しく頭を振って反論した。
「それはおかしいです! MEISヒーリング店には絶対に何かあります!!」
「そうだね、芽衣くんの指摘は正しい。そこでクーポンチケットの出番だ」
蓮水はそう言うと、右手を宙に差し出し、そこに《電脳物質》でできたクーポンチケットを浮かべた。見た目の材質は紙チケットそのものだ。
「クーポン……確かに私も使っていました」
「僕も初めてMEISヒーリング店へ行った時、その場で使いました。クーポンチケットを使わなかった大介先輩や湊先輩は何ともなかったのに、クーポンを使った僕だけ倒れたんです」
他にも、蛾型の《アンノウン》の犠牲になった生徒はみなもれなくクーポンチケットの愛用者だった。やはりこのクーポンチケットは怪しかったのだ。芽衣と比呂は確信を深める。
一方、腑に落ちない表情をしているのは湊だ。
「確かにクーポンチケットは怪しいと僕も思うけど、MEISヒーリング店へ行ってクーポンチケットを使ったにもかかわらず何の影響も無かったという生徒も結構いるんだ。その差は何を意味しているんだろう……?」
顎に手を添え考え込む湊に、蓮水はウインクをする。
「もちろん、その点についても解析済みさ。ポイントとなるのはストレージなんだ」
それを聞き、大介は意外そうな顔をした。
「ストレージって……あれだろ? データとかを保存する領域のことッスよね?」
「そうだね。MEIS搭載者の利用するストレージは大きく分けて二種類ある。一つは識海(サイバー空間)のサーバー上に存在するオンラインストレージ。もう一つは、MEISの大脳辺縁系、海馬に存在する生体ストレージだね。
それぞれ特徴があって良し悪しは一長一短だけど、昔は生体ストレージの方がデータが破損しやすく、オンラインストレージの方が圧倒的に安全で安心だという風潮があった。ただし生体ストレージはデータを出し入れするのが簡単で早く、オンラインストレージは少し時間がかかって手間だといった具合にね。
でも今はBBMI技術の向上で、どちらもほとんど差が無くなってきているんだ。つまり、どちらを主に使うかは完全にユーザーの好みになっている。さて、そこで質問なんだけど、二人はクーポンチケットをどっちのストレージに保存していた?」
蓮水に尋ねられ、比呂と芽衣は困惑しつつ顔を見合わせた。
「僕は生体ストレージです。データを取り出すのが簡単なので」
「私も……生体ストレージに入れました。特に深い意味はないんですけど、それが癖になっているから……」




