第47話 異変の拡大
「前々からそんな感じはあった。続発する意識不明、決まって現れる蛾型の《アンノウン》……これらは決してたまたまこの時期に現れたんじゃなくて、ひょっとしたら人の移動が多く人間関係が希薄になりがちなこの時期が故意に狙われたんじゃないかって……」
比呂は眉根を寄せて呟いた。
比呂にはどうしても、この蛾型の《アンノウン》が自然発生したものだとは思えない。柚たちは《アンノウン》について、未解明である点も多く、人間が完全に制御することはできない存在だと言っていた。けれど事件の起こったタイミングにしろ、被害の広がり方にしろ、どうしても故意的なものを感じてしまう。
悪意といっても過言ではないほどの、何者かによる強い意思の存在を。
芽衣も同じことを感じているのか、表情が硬い。押し寄せる不安を隠せないのだろう。それを言葉にすることは無いが、憂いを浮かべ、欠席している生徒の席を見つめている。
しかし異変はそれだけにとどまらなかった。
それが起こったのは二時限目、古典の授業が終了する間際のことだった。突然、教室の照明がちかちかと激しく点滅し、全て消えてしまったのだ。
「……ん? これは停電ですか?」
古典の男性担当教諭は天井を見上げ、眼鏡を指で押し上げた。MEISには視力を調整する機能が搭載されているが、さまざまな理由で古くからの眼鏡を愛用している人もいる。
「先生、通信も全く繋がりません!」
「資料の閲覧もできないみたいです」
生徒も次々と通信環境の不具合を訴えた。
確かに、比呂の《電脳物質》で浮かび上がらせた教科書も、ノイズが走り勝手に消えてしまった。他のクラスメートも似た状況に置かれているらしく、みな困惑し騒めいている。
古典の先生は溜息をついた。
「また通信障害ですか。最近、妙に多いですね。これでは授業になりませんし……まだ少し早いですが、今日の授業はここまでとします」
授業が終わり、先生が教室を後にするや否や、隣の席に座る芽衣が声をかけてきた。
「比呂! ひょっとして……」
「うん、先輩たちに連絡を取ってみよう!」
比呂と芽衣はMEIS通信でさっそく柚たちとボイスチャットで通信を試みる。
「柚先輩、大介先輩、湊先輩! 聞こえますか!?」
すると、大介から返事があった。
『比呂……芽衣……の、生徒……倒れ……体育か、ん……』
だが、ノイズがひどくて、よく聞き取れない。ただ、『生徒が倒れた』という趣旨と『体育館』という言葉だけは、はっきりと分かった。
「体育館……? 誰か体育館で倒れたんだ!」
「やっぱり、《アンノウン》……? この通信障害もそのせいで?」
芽衣は初めての事態に緊張している。比呂は彼女を落ち着かせようと、とりわけ大きく頷いた。
大介の言葉から察するに、おそらく体育館で蛾型の《アンノウン》が発生したのだろう。そのせいで、MEISの通信環境に不具合が生じているのだ。
「大介先輩、僕たちもそっちに行きます!」
比呂はボイスチャットでそう伝えるが、大介の途切れ途切れの言葉がそれを制す。
『いや……こっち……俺、湊……で……れより、柚……生物室前……渡……廊下……!』
「生物室前の渡り廊下……? そこに柚先輩がいるんですか!?」
しかしどれだけ呼び掛けても、もう大介の声は聞こえない。砂が流れるようなノイズ音が返ってくるばかりだ。その通信さえ、最後には完全に途絶えてしまった。
先ほどの通信内容から察するに、大介と湊は行動を共にしているのだろう。とすれば、柚はたった一人で《アンノウン》と対峙していることになる。芽衣は比呂に言った。
「比呂、渡り廊下へ行ってみよう!」
「ああ!」
急いで一般校舎の一号館と二号館を結ぶ渡り廊下へと向かうと、真っ先に倒れた女子生徒の姿が目に入った。意識の有無は分からないが、ぐったりとして横たわっている。
近くにはその友人と思しき生徒たちが、青ざめた顔をしてうずくまっていた。倒れ込むほどではないものの、彼女たちもまた立ち上がることができないほど気分が悪いのだろう。
その元凶である蛾型の《アンノウン》は、渡り廊下の中央付近を悠然と舞っている。大きさはちょうど、バスタオルを広げたくらいだろうか。
そんな中、柚はたった一人で魔導書のサイバーウエポンを用い、球状の魔法陣を発動させて戦っていた。
「《シューティング・スター》!!」
柚が《アンノウン》に向かって放ったのは、中級の威力を持つ複数の魔法弾だ。けれど蛾型の《アンノウン》は、自らの周囲に光の防御癖――光子フィールドを発動させ、柚の放った魔法攻撃を徹底的に防御してしまう。
「むむ……光子フィールド、厄介だなあ。学校の中だから、あまり大きな魔法を使うわけにもいかないし……!」
柚は苦戦している。いくらアクセス権5であるとはいえ、環境に制限をかけられていたら実力を十分に発揮することができない。比呂と芽衣は柚に加勢するため駆け寄った。
「柚先輩!!」
「あ、比呂くん! めーち!! 来てくれたの!?」
「はい、私達も手伝います!」
比呂は常に持ち歩いているグローブ型インターフェースと指輪型端末・《プレロマ》を装着した。隣を見ると、芽衣も全く同じものを身に着けている。芽衣もサイバーウエポンで戦うのは初めてであるため、端末の補助を利用することにしたのだろう。
比呂が《プレロマ》を起動させ、片手剣を手にしたのに対し、芽衣が装備したのは拳銃だった。接近戦に適した比呂の片手剣と、遠距離からの攻撃を得意とする芽衣のハンドガンは、とても相性が良さそうだ。
ぶっつけ本番だから、実際に連携がうまくとれるかどうかは分からないが、やるしかない。
まず、比呂は片手剣を構え、正面から《アンノウン》に斬りかかる。その隙に芽衣が後方に回り込み、ハンドガンで攻撃を加えた。しかしいずれも光子フィールドによって阻まれてしまう。
「全然、効かない……!」
芽衣の声は焦りで上擦っていた。初めての実戦で、その上、攻撃が全く相手に効いていないのだから、動揺してしまうのも無理はない。
「めーち、怯まないで!」
「光子フィールドは連続ダメージで破ることができる! 攻撃し続けるんだ!!」
柚と比呂が声をかけ、芽衣を励ます。
「わ……分かった!」
比呂と芽衣、そして柚の三人は三方に別れ、《アンノウン》へ攻撃をし続けた。《アンノウン》からの鱗粉攻撃を避けつつ、時にはスキルによる連続攻撃を叩き込みながら、どれだけ光子フィールドで阻まれても間断なく攻撃を加える。
ほどなくして、《アンノウン》の光子フィールドはとうとう粉々に砕け散った。
「今だ、これならいける! 《メテオライト》!!」
柚はすかさず魔法陣を発動させた。《アンノウン》の頭上にひときわ大きな魔法弾が浮かび、それが真っ直ぐに降下して《アンノウン》へと直撃する。まさに隕石が落下するかのように。
大ダメージを受け、《アンノウン》はふらふらしながら高度を下げる。そこへ比呂が片手剣のスキルを放ち、とどめを刺す。
「《波動一閃》!!」
強烈な斬撃と共に放たれた衝撃波が、《アンノウン》の身体を縦に引き裂き、真っ二つにした。その鋭い一太刀を浴び、さすがに《アンノウン》も形を留めてはいられない。二つに分かれた体はさらに細かく分散していき、黒い霧となって散り散りになると、ようやく消滅したのだった。
「や……やった……!」
芽衣は安堵の溜息を吐いた。よほど張り詰めていたらしく、ハンドガンを手にする腕や足が少し震えている。比呂は芽衣に近づいて行って声をかけた。
「芽衣、大丈夫だった?」
「うん。すごく緊張したし、攻撃を弾かれた時にはどうなる事かと思ったけど、《アンノウン》を倒せて良かった」
そう言うと、芽衣はようやく表情を緩ませた。
比呂は初めて自分が実戦を経験した時のことを思い出す。ダンゴムシ型の《アンノウン》は、蛾のタイプに比べるとずいぶん小さかったけれど、それでも必死だった。芽衣も似たような心境だったのだろう。
そこへ柚も駆け寄ってくる。
「ふぃーっ、二人ともお疲れ!」
「柚先輩もお疲れさまです」
柚は大型魔法こそ使用しなかったものの、さまざまな魔法を連発していた。けれど疲弊した様子は全くない。さすが、ネオ研の部長の名は伊達ではない。
《アンノウン》が消滅し、MEIS環境への負荷が軽くなったからか、渡り廊下の床に倒れ込んでいた女子生徒や、真っ青になってうずくまっていた生徒たちも、よろよろと動き出した。
「う……うう……」
「美香、大丈夫……!?」
生徒たちは互いに声を掛け合い、無事を確かめている。中でも倒れていた女子生徒の安否は気になった。彼女が《アンノウン》に汚染されていた張本人であり、一歩間違えば意識消失に陥っていたであろうことは明らかだったからだ。
その女子生徒はひどく衰弱しているものの、自力で起き上がることはできるらしい。柚は彼女たちに声をかける。
「もう問題はないと思うけど、念のため保健室に連れていってあげてね」
「う、うん。ありがとう」
生徒たちは柚や比呂、芽衣に礼を述べると、共に支え合いながら校舎の中へ入っていった。それを見送ってから、柚は大介や湊とボイスチャットで通信する。その内容は、チャットメンバーである比呂や芽衣にも共有されている。
「大ちゃん、みーくん、そっちはどう?」
柚が話しかけると、さっそく応答があった。
『おう、こっちも今、終わったところだ』
『意識不明者も無事だよ。通信環境も元に戻ったみたいだね』
二人の言葉通り、音声通信も鮮明に聞こえてくる。取り敢えず、いま出現している《アンノウン》はみな除去することができたようだ。
ところが、そこで休憩時間の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。
『おいおい嘘だろ!? もう休憩時間、終わりかよ!』
大介は悲鳴を上げた。
「次の授業が始まるから、すぐに戻らないと」
「そうだね」
比呂と芽衣も頷きを交わす。
「あー! わたし、次、音楽だった! 早く音楽室に移動しないと遅刻しちゃうぅぅ!!」
頭を抱える柚を見て、比呂は気の毒に思わずにはいられなかった。芸術系の授業は基本的に芸術棟で行われるが、一般校舎からは離れているため、かなりの距離を歩かなければならないのだ。
『やれやれ、忙しないけど仕方がない。またあとで連絡を取り合おう』
湊が告げると同時に、ネオ研のボイスチャットは終了した。そして、それぞれ急いで次の授業へ向かう。
比呂と芽衣が教室に辿り着くと同時に、三時限目の授業が始まった。正直なところ、あまり休憩できたとは言えないが仕方ない。
しかし、《アンノウン》の出現はそれだけにとどまらなかった。
昼の休憩時間に一体、放課後に三体。《アンノウン》が出現すると、学校の設備を含めMEIS環境に異変が起こるのですぐにそうだと分かる。そのたびにネオ研は出動し、《アンノウン》の排除に追われたのだった。
《アンノウン》の除去にようやく一区切りつき、比呂たちは一度、ネオ研の部室に戻ることにする。休憩のたびに《アンノウン》退治をしていたので、ネオ研は今日一日、実質的に休んでいないも同然だった。
「あー、つーかーれーたー!!」
柚が畳の上で大の字になってひっくり返ると、大介も筋トレマシーンの座席に腰かけた。
「いい加減、うんざりするぜ。《アンノウン》のやつ、何体出現すりゃ気が済むんだ!?」
「さすがにこれじゃ、体力がもちませんよね」
比呂も思わず溜め息を漏らす。
「比呂くん、めーち、大丈夫? 二人とも疲れてない? オレンジジュースあるよ、飲む?」
「柚先輩は座っててください。私が取ってきますから」
「ううっ……ありがと、めーち!」
芽衣が冷蔵庫に向かったので、比呂もその後に続く。水分補給もろくにできず、のどがカラカラだ。一方、部室で留守番をしていた白羽と黒羽は、柚の元に降り立った。
「柚、お疲れカ? マッサージをしてやろうカ?」
「我らは、マッサージのスペシャリストだゾ。いつも比呂の疲れを取ってやっているからナ!」
「ありがと~、白羽、黒羽! その気持ちだけで十分に癒されるよ~!」
二羽の電脳カラスと戯れる柚。その隣で、湊は比呂から受け取ったペットボトルのミネラルウオーターを開封し、半分ほど飲み干してから口を開く。
「それにしても……《アンノウン》の出現数は増える一方だね」
大介も苦虫を噛み潰した表情をして頷いた。
「しかも、例の蛾型のやつばっかな」
「このまま増え続けたら、授業中にも出現するようになるかもしれませんね」
比呂も不安を隠せない。ネオ研は比呂を含め五人しかいないのに、どこまで対応できるのだろうか。大介も同じ懸念を抱いているらしい。
「それでも学校内ならまだいいが、校外はさすがにカバーしきれねえぞ」
「みんなにもMEISヒーリング店には行かないようにって注意喚起しているんだけど、依存性があるからか、抜け出せない人が多いみたい」
柚は芽衣から受け取ったオレンジジュースを飲みながら、表情を曇らせた。
確かにMEISヒーリング店が怪しいのは間違いないのだから、そもそも近づかなければ《アンノウン》の被害を出さずに済む。だから柚たちはそれとなく注意喚起をしているのだろう。けれど、あまり効果は上げられていないようだ。
「……。気持ちは分かる気がします。MEISヒーリングに通う人は、悩みやストレスを抱えた人が多いと思うから……生半可な理由ではなかなかやめられないと思う」
実際に経験をしているだけのことはあり、芽衣の言葉には重みがあった。
そういえば、MEISヒーリングはおかしいと感じていた他の生徒も、その危険性を認識しつつ、なかなか止められなかったと証言していた。ましてや、危険だという事実を知らない生徒がMEISヒーリングをやめられるはずもない。
「ただ、まだよく分からない点があるのも事実だね。不思議とMEISヒーリング店に通っている生徒のみながみな、《アンノウン》に汚染されたり意識を失っているわけじゃない。それはクーポンチケットも同じだ。店でクーポンチケットを使っている生徒はたくさんいて、中には何ともない生徒もいるんだよね」
言われてみると、湊の言う通りだ。あまり考えたくはないが、MEISヒーリング店の人気に比べると、被害者の数が少なすぎる。MEISヒーリング店に通っている生徒全員が《アンノウン》に汚染されていとしたら、今ごろ学校は蛾型の《アンノウン》で溢れ返っていることだろう。
大介も首を傾げた。
「《アンノウン》に汚染されて意識を失う奴と、何もなくけろりとしている奴……一体、何が違うんだ?」
「強いて言うなら、芽衣が言っていたように、前者には問題を抱えている人が多いような気がします」
比呂も、被害者全員の事情を正確に把握しているわけではないが、そういうケースが多いという印象を受けている。けれど、湊はそれに異議を唱えるのだった。
「でも、決定打としては弱い気がするな。誰だって大なり小なり悩みやストレスを抱えているものだし、僕もそこは関係していると思うけど、絶対にそれだけじゃない」
蛾型の《アンノウン》事件の全体像は、ほぼ把握できていると言っていい。だが、細かい点については詰め切れていないのが実情だ。
現状では、MEISヒーリング店に行き、クーポンチケットを使用したにもかかわらず、《アンノウン》に汚染される生徒とされない生徒に別れることが判明している。だが、それは何故なのか、肝心な部分が分かっていないのだ。
柚も唇を噛み、それを認めた。
「確かに……データも出揃ってきてるし、ある程度の傾向は分かってきているけど、もっと根本的な原因を究明しないとこの事件を解決することはできないね。悔しいけど……そこはわたし達だけじゃどうしようもないよ」
「残る頼みの綱は、ソピアー社の蓮水さんだな」
大介はガシガシと頭を掻いた。湊もそれに同意する。
「そうだね。MEISヒーリング店やクーポンチケットのことなど、いろいろ調べてもらっているから、今は蓮水さんからの連絡を待つしかない」
すると、それまで黙っていた芽衣がふと手を上げた。みなの視線が彼女に集中する中、芽衣は心配そうに疑問を口にする。
「あの……入院した生徒は大丈夫なんですか? 彼らも以前の私と同じで、《アンノウン》の蛹に汚染されていてかなり症状が重いんですよね? もう何日も目を覚まさず眠り続けているみたいな……。このままではいずれ、彼らに感染した超巨大型の《アンノウン》が次々に羽化してMEIS環境に甚大な被害を及ぼすでしょうし、そうなったら入院した生徒たち自身の脳やMEISにも高負荷がかかって深刻なダメージを負ってしまうのでは……?」
芽衣は自分も意識消失に陥った手前、同じような状況で眠り続けている生徒たちのことが気になって仕方ないのだろう。




