第46話 厄災
でも今は何も怖くない。
ネオ研に入って、柚や大介、湊と仲良くなり、新たに芽衣まで加わった。クラスにはまだ友達はいないけれど、うまくやっていけそうな予感がある。
蛾型の《アンノウン》の件など、心配な要素はあるとはいえ、それでも比呂の前にはまだ見ぬ新しい世界が広がっているのだ。
目を輝かせる比呂だったが、その右肩と左肩に、白羽と黒羽がそれぞれ舞い降りる。そして二羽は、左右から意味ありげに比呂の顔を覗き込んだ。
「芽衣はかわいいナ。比呂にもついに、ガールフレンドガ……!!」
「いいのカ? この事を知ったラ、姐さんはどう思うかナ~?」
比呂はムッとして、二羽のことを睨みつける。
「もう、芽衣はそういうんじゃないって! お前たち、彼女の前で余計なことを言って、困らせるなよ?」
「カカカカカカ!」
「ケケケケケケ!」
白羽と黒羽は楽しそうだ。完全に比呂をからかっている。
「まったく……先が思いやられるな」
比呂は小さく溜息をつく。
そして歩き出した、その時。
何故だか突然、比呂の脳裏にアネモネの顔が浮かんだ。
一瞬浮かんだその表情は、いつもの全てを包み込むような優しげな微笑でもなければ、いたずらっ子のような快活な笑顔でもない。雪の降る中、静かに打ち寄せる波のような、深い悲しみを湛えた重い藍色だった。
彼女のその寂しげな瞳にじっと見つめられているような気がして、比呂は不意に心臓の当たりが圧し潰されるような感覚に襲われる。
どうして……自分は、アネモネを傷つけるようなことは何一つしていないはず。それなのに、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。どうしてこんなに後ろめたいのだろう。
(きっと、白羽と黒羽の影響を受けたんだ。二人が、僕がアネモネを裏切っているみたいな言い方をするから。僕の『一番』はアネモネだって決まっているのに……!)
そうだ、この蛾型の《アンノウン》の事件が終わったら、アネモネとたくさん話をしよう。
会話の内容に意味なんて無くたっていい、他人から見ればどうでもいい些細なことで十分だ。とにかく、アネモネと会って話したい。
二人で新世界市のさまざまな場所を巡るのもいいかもしれない。アネモネは水族館に興味を示していたから、一緒に行ったらきっと喜んでくれるだろう。
新世界市の水族館に鯨はいるだろうか。それとも、さすがにそれほど大型の動物は無理だろうか。
たくさんの水槽の中で魚たちが悠々と泳ぐさまを想像する。タツノオトシゴ、チョウチョウウオ、キンチャクダイ、それにクラゲ、エイ、マンボウ、イルカやシャチ、ジンベエザメ。
比呂とアネモネは二人並び、手を繋いでそれを眺める。
アネモネがキラキラと瞳を輝かせ、水槽の向こうを見つめる様子が瞼の裏に浮かぶようだった。苦しいことも悲しいことも楽しいことも、そして心温まる体験も震えるような感動も。比呂たちはいつだって二人でそれを共有してきた。
だから今度もそうすればきっと大丈夫だ。
――僕たちは、まだ。
翌日、芽衣が先に退院した。比呂はまだ叡凛大学附属病院で経過観察だ。
とはいえ、いくつかの検査をした他は特にすることも無く、暇で暇でしょうがない。それを気にかけてか、芽衣はメッセンジャーアプリでたびたび連絡を入れてくれた。
それによると、芽衣は退院して一度、家に戻ったという。その後、比呂の時と同じように柚たちに連れられソピアー・ジャパンへ赴き、蓮水と冬城に会ったらしい。そしてやはり比呂と同様にサイバーウエポンの選択を迫られ、銃を扱うガンスリンガーを選んだという。
『ガンスリンガーか。……なんだかすごく強そうだね』
テキストアプリでそうメッセージを送ると、芽衣からすぐに返信が返って来た。
『子どもの頃、友達に誘われてゲームのFPSをやったことがあって、割と得意だったから』
『ゲームか。実は僕、ほとんどやったことが無いんだ』
『けっこう楽しいよ。今度、ネオ研の先輩たちも誘ってやってみよ』
『うん、分かった。楽しみだな』
他にもいくつかやり取りをした。芽衣もソピアー・ジャパンの立派な建物に圧倒され、また、蓮水の風変わりな性格に驚いたようだ。けれど冬城には丁寧に相談にのってもらったと喜んでいた。そういったメッセージを受け取るたび、比呂も早くネオ研の皆と合流したくて、うずうずしてくる。
さらにその翌日、比呂も無事に退院することができた。
明日からは学校に通う事ができそうだ。
いよいよ三日ぶりの登校日。
比呂は身支度を終えると、テーブルで朝ご飯を食べながら網膜ディスプレイ上で配信ニュースに目を通す。
今日の天気を確認しておきたかったのだが、ふとあるニュースが目に留まった。指先に埋め込まれたニューラルマウスでクリックすると、すぐに映像が流れ始める。
『昨日、情報通信改革省のホームページが何者かによって改竄されていることが発覚しました。
サイバー攻撃を受けたものとみられ、反BBMI解放戦線・ADAMASを名乗る組織から『我々は超高度情報化社会への適応度によって自由と価値観を著しく損なわれ、我々人類を分断させようと企む新たな階級制度に断固対抗する』などとする犯行声明が出されています。
反BBMI解放戦線・ADAMASはこの数年、活動を激化させており日本の官公庁が標的になるのは今回で三度目です』
女性アナウンサーがニュースを読み上げると、隣に座った男性アナウンサーが専門家らしき人物に質問をする。
『堀内さん、これはどういう事なんでしょう?』
『まあ……BBMIや人工神経細胞には批判の声も多いですからね。特に最近、企業の採用基準も変化していて、労働者のアクセス権をより重視するようになっており、その傾向はこれからも加速すると見られています。ですからそれに反発し、こういった勢力も出てくるんでしょう。海外では既に企業や公共施設が攻撃を受けているそうなので、日本でも早急な対策が必要ですね』
食パンをかじりながらそれを視聴していた比呂は、眉を顰める。
(反BBMI解放戦線・ADAMAS……か。MEISに反対する思想を持った人たちが集まって組織化しているっていう話は聞いたことがあったけど、誰彼構わず攻撃するならテロ組織と変わらないな。新世界市は大丈夫なんだろうか?)
もちろん新世界市は、街中にも最先端のセキュリティシステムが張り巡らされており、万が一の場合にも万全の備えをしている。それでも不安を感じずにはいられない。新世界市は国家戦略未来特区に制定されていることもあってMEIS搭載者がとりわけ多く、反BBMI解放戦線・ADAMASのような勢力にとって格好の標的であるに違いないからだ。
その辺りのことをもっと知りたいと思っていると、男性アナウンサーは嬉々として身を乗り出した。
『なるほど! しかし、それにしても狙われたのは情報通信改革省ですか。この省は総務省と厚生労働省、双方の一部、そして旧デジタル庁を合体する形で新しく設立された省庁ですが、情報通信を司る組織であるにもかかわらずサイバー攻撃を受けるとは! セキュリティ対策はどうなっているんですかね!? まったく、たるんでいるにも程がありますよ! そもそも日本の省庁は縦割り構造となっているため柔軟性が乏しく……』
男性アナウンサーは何やらよく分からない自説をくどくどと喋り倒した後、視聴者の方に向かってびしりとキメ顔をする。
『つまりね、僕が言いたいのはそんな問題構造にメスを入れられない日本の政治がダメってことです!!』
比呂は動画をブツッと停止し、空になった食器を片付けると、白羽と黒羽へ声をかける。
「白羽、黒羽! そろそろ出るよ!」
すると、仲良く餌を啄んでいた白羽と黒羽は、大喜びで比呂の元へやって来た。
「ひゃっほぅゥ! 学校ダ、学校ダ!」
「楽しみだナ!」
「そうだな。でも、意識消失事件や《アンノウン》の大量発生は何も解決していない。きっと今も蛾型の《アンノウン》のせいで苦しんでいる人がたくさんいる。すごく心配だし、何よりこれから忙しくなるんじゃないかな」
残念ながら、比呂の懸念は見事に的中することになる。
三日ぶりに歩く通学路は、病院から退院したばかりだからか、とても開放的で清々しく感じた。桜はすでに散り終わり、今はハナミズキが白や薄紅色をした花を咲かせている。
他の叡凛の生徒たちに交じって歩いていると、女子テニス部の部員、三雲るりのことが思い出された。彼女は登校時、よく比呂に声をかけてくれたからだ。
彼女は四日前、《アンノウン》の蛹によって意識を失い、今もまだ叡凛大学附属病院に入院している。できるなら見舞いに行きたいと思い、病院の受付で相談してみたが、よほど病状が重いのかそれはできないと言われてしまった。
早く彼女の回復した姿が見たい。るりは地区大会を目指してテニスに打ち込んでいたから、せめてそれまでには、目を覚ますことができたらいいのだが。そのためにも、まずは蛾型の《アンノウン》が続発するこの奇妙な事件を解決しなければ。
叡凛高校の建物が見えてきた辺りで、桜庭芽衣に声をかけられた。
「ひ……比呂! おはよう……」
「おはよう、芽衣」
どうやら芽衣は比呂の後ろを歩いていたらしい。駆け足で追い付いて来ると、隣に並ぶ。
「あ、えと……無事、退院できたんだ。良かったね」
「うん、ありがとう。これでまた学校に通えるよ。芽衣も元気そうで良かった」
比呂が答えると、芽衣は嬉しそうに頷いた。走って来たからか、頬が朱に染まっている。
「芽衣、メイ!」
「いい天気だナ!」
白羽と黒羽もやって来て芽衣の頭や肩にとまった。けれど彼女の顔が妙に赤らんでいるのに気づき、二羽は首を傾げる。
「ぬ……何ダ、芽衣? 熱でもあるのカ? 顔が真っ赤だゾ!」
「えっ……そんなに赤い!?」
「うむ、真っ赤だナ、真っ赤っカ!」
「林檎みたいだナ~!!」
「うそ、恥ずかしい……!」
芽衣は両手で頬を覆った。ほんのり赤かった顔はますます赤くなり、今にも湯気が出そうだ。彼女をからかって遊ぶ性悪カラスたちに、比呂はお説教の雷を落とす。
「こら、二人ともいい加減にしろ! ……気にしなくてもいいよ。こいつら、いつも余計なことばかり言うんだ。それより……」
例の《アンノウン》事件はどうなっているのだろう。それを芽衣に尋ねようと思ったちょうどその時、近くを歩く女子生徒の集団がひそひそと話をしているのが聞こえてきた。
「ねえ、知ってる? 二年C組の女子が意識不明になったんだって」
「また? 最近多いよね。絶対、何かおかしいよ。MEISの通信障害じゃない?」
「そう思ってソピアー・ジャパンの公式アカウントをフォローしてみたんだよね。MEISといえばソピアー社でしょ? でも、特に何の告知も無かった」
「え、何か不親切じゃない? それともソピアー社の人たちは意識不明のこと知らないのかな?」
「そんなことないでしょ。世界的大企業なんだから」
「ひょっとしたら……ソピアー社の人も原因が分からないのかもね」
「えー、何それ」
「嘘でしょ!?」
「怖すぎなんだけど」
「ほんとそれ。先生たちに聞いても、何が原因で意識不明になるのか分かってないらしいし、怖いよねー。あたし達も、いつ同じようになるか……」
別に聞き耳を立てていたわけではないが、《アンノウン》事件の話題だったのでついつい聞き入ってしまった。比呂と芽衣は顔を見合わせる。
「意識不明、拡大する一方だね……。そのせいか、みんな表情が暗いし、どことなく脅えているようにも見える」
それは比呂の気のせいではないと思う。みな表面的には平静を装っているが、三日前と比べどことなくざわざわとした雰囲気を感じる。
「うん、そうだね。でも、不安になる気持ちはよく分かるよ。《アンノウン》が見えないと、余計に何が起こっているか分からなくて怖いと思う」
芽衣は最近まで《アンノウン》が見えなかったから、噂をする女子生徒たちの気持ちが痛いほど理解できるのだろう。
比呂も芽衣も、言葉少なに俯いた。不安なのは彼女たちだけではない。《アンノウン》の存在を知っているからこそ、比呂たちもこの状況が不気味で仕方ない。
これまで小さな箱に閉じ込めていた厄災が、コントロールを失って外に溢れ出してくる感覚を覚える。その『厄災』の拡大は、もう誰にも止められないのではないか。そんな不吉な考えさえ頭をよぎる。
すると、先ほどの女子生徒は、新たな噂話を口にした。
「そう言えば……知ってる、こんな噂?」
「え、何なに?」
「謎の意識不明に陥る人にはある兆候があるんだって!」
「何よそれ?」
「もったいぶらずに教えてよ」
他の女子生徒が急かすと、話を切り出した生徒は声を潜めた。
「原因不明の意識消失になる人は、倒れる前に黒い蝶が見えるんだって。その蝶はMEISでしか見えない特殊な蝶で、模様とか何も入っていない真っ黒な姿をしているの。その姿を見てしまった者は、意識を電脳識海の奥深くに連れて行かれてしまって、戻ってこれなくなるんだって……!」
「あ、その話なら聞いたことある」
「けっこう広まってるよね」
「黒い蝶かあ……見えたらどうしよう?」
「あはは、本気にしちゃって。誰かの広めた作り話でしょ。……だよね?」
噂話をしている当の女子生徒たちは、話半分でそれを聞いている。彼女たちはそれを、あくまで創作された怪談噺の一種だと捉えているのだろう。けれど比呂は動揺を隠しきれなかった。それが作り話ではないことを知っているからだ。
「……!? 《アンノウン》の噂が広まっている……!?」
実際は蝶ではなく蛾なのだが、それにしても今回の件に大きく関わっている《アンノウン》と特徴が酷似している。
そして、その蛾型の《アンノウン》に感染すると、意識を電脳識海の奥深くに連れて行かれてしまって《表層》に戻ってこれなくなるという点も。
どうして《アンノウン》を見ることができない生徒の間で、そんな詳細な情報が出回っているのか。すると、芽衣がその理由を教えてくれた。
「今の話ね、最近、オカルトネタとして流行っているみたい。ネオ研の先輩たちによると、そうとは知らずに《アンノウン》が見えている人が他にもいるのかもって」
「そうか……確かに、もし仮に黒煤や蛾の姿が見えていても、それが何だか分からなければ怪奇現象と変わらないか……」
しかし、それは裏を返せば、そんな噂が広まるほど《アンノウン》の被害が広まっているという事でもある。実際、意識不明者も増える一方で、そこから回復した者の話はほとんど聞かない。今のところ比呂と芽衣くらいなのではないか。
(みんな、見えなくても異常だということは感じ取っているし、不安になる。だからこそ、オカルトネタが流行るのかもしれないな。オカルト(フィクション)にすることで少しでも恐怖を紛らわせ、安心感を得たいのかもしれない。それがいい事か悪い事かは分からないけれど……)
ネオ研の部室に白羽と黒羽を送り届けてから、比呂は芽衣と共に自分の教室へ向かう。けれど実際に教室へ足を踏み入れると、さらに驚愕の事態が待ち受けていた。
「僕が欠席している間に、新しく入院したクラスメートが三人も……!?」
「うん。しかもみな、MEISヒーリング店で見た覚えがある。多分、私と同じで、クーポンチケットを使って何度か通っていたんだと思う」
「……!!」
芽衣の言葉を聞き、比呂は絶句した。
やはりあのMEISヒーリング店は危険なのだ。店そのものは特に不審な点は無かったが、必ず何らかの形で《アンノウン》との繋がっているに違いない。
その被害が同級生にまで及んでいるのだと思うと、ますます戦慄と怒りが沸き上がってくる。芽衣は教室の中を見回して言葉を続けた。
「……それに、黒煤(《アンノウン》)に汚染された生徒も、ずっと増え続けてる」
「うん、そうだね……あまりにも黒ずんでいて、顔の表情や服装まで分からなくなっている人までいるくらいだし」
実際に入学式の頃、黒煤を付着させた生徒は芽衣を含めて片手で数えるほどだった。けれど今は、それが十人以上に拡大している。身にまとう黒煤が多い生徒ほど、体調が悪そうに見えるのは気のせいではあるまい。あまりにも大量の《アンノウン》の幼生に汚染されているため、早くもMEISに負担をかけつつあるのだ。
「私も、ああいう風に見えていたんだ……」
芽衣は青ざめている。かつての自分を客観視し、どれだけ異常で危険な状態だったか再確認したのだろう。
黒煤まみれになったクラスメイト達をこのまま放置しておいたら、《アンノウン》の幼生はいずれ蛹へと成長し、みな意識を失ってしまう。芽衣や三雲るりの二の舞になってしまうのだ。
「僕が新世界市に来たばかりの頃は、こんなじゃなかった。入学式のあたりから黒煤に感染した人がポツポツ増え始めて、あれからまだ一週間くらいしか経っていないのに、今や欠席者や入院者が何人もいる状態だ。これは偶然なのかな……?」
「比呂……?」




