第43話 目覚め、そして再会
「ネオ研の先輩たちにも心配かけちゃったな……」
比呂が呟くと、比呂の頭の上でバーチャル・デスクトップを覗き込んでいた白羽と黒羽がさっそく尋ねる。
「みんなで見舞いに来てくれるのカ?」
「うん、これからね」
「柚! 柚も来るのカ!?」
「来てくれるよ。二人とも、何だかんだで柚先輩のこと好きなんだな」
大喜びする白羽と黒羽の姿に、比呂はくすりと笑う。かくいう比呂も、先輩たちが見舞いに来たいと言ってくれてとても嬉しかった。
それはともかく、先輩たちが来てくれるなら病室を少し片付けておかなければ。比呂はそう思い立ち、自分の病室へ戻ることにした。
その途中でふと立ち止まる。
(そういえば、喉が渇いたな。詩織が買ってきてくれた烏龍茶はもう飲んでしまったし、途中の自販機で何か買って帰ろう)
比呂は売店や食堂の横に設置してある自販機のところへ向かう。しかし、そこには先客がいた。比呂と同じくらいの年齢と見られる若い女性だ。
四月でまだ肌寒く感じるのか、ルームウェアにニットのカーディガンを羽織っている。若い入院患者は珍しい。ついしげしげと見つめてしまう。
相手も比呂に気づいてこちらを振り返った。
見覚えのある顔。比呂は驚いて声を上げる。
「さ……桜庭さん!?」
「……! えっと……あなたは確か、同じクラスの……」
「香月比呂。覚えていてくれたんだ?」
すると桜庭芽衣は、自販機で買ったミルクティーのペットボトルを手の中で転がしながら、少し気恥ずかしそうに俯いた。
「……以前、私に話しかけて来てくれたから」
比呂は思わず笑顔になった。芽衣の比呂に対する態度は一貫して素っ気なかったから、嫌われているのだと思っていたし、そもそも名前も覚えられていないのではないかと思っていた。けれど、芽衣はちゃんと比呂のことを記憶に留めていてくれたのだ。
「そっか。僕たち……ネットオカルト研究部の先輩たちと桜庭さんのマンションまで行ったんだけど、覚えているかな?」
「……何となく。救急車を呼んでくれた声、少しだけど聞こえてた」
「あの時、桜庭さんが倒れてて本当にびっくりしたよ。体調の方はどう?」
「特に問題は無いって言われた。明日には退院できるって」
「そう……良かった」
ところが、それから会話がふつりと途切れ、二人とも無言になってしまった。
こういう時、何を話したらいいんだろう。女子と二人きりで話す機会なんて滅多になかったから、よく分からない。
相手がアネモネならこんな悩みを抱くこともないのに。妙な居心地の悪さを覚え、視線を巡らせたその時、比呂は初めて気づいた。芽衣の全身を覆っていた黒煤が全く無くなっていることに。そのおかげか、彼女の顔色もだいぶ良くなっているように見える。
(良かった……桜庭さん、《アンノウン》から完全に解放されたんだ)
比呂は胸を撫で下ろした。あれほど黒煤まみれになり、意識不明にまで陥った芽衣がすっかり回復しているさまを見ると、純粋に嬉しい。
それに、今も意識が戻らず眠り続けている他の《アンノウン》被害者も、きっと救えるだろうという希望も湧いて来る。
比呂が感慨にふけっていると、今度は芽衣が口を開いた。
「香月くんも入院していたんだね」
「うん。僕も桜庭さんが通っていたMEISヒーリング店へ行ったんだ。そのあと、急に倒れて」
そう口にすると、芽衣は少し警戒したような表情になった。
「……。どうして私がMEISヒーリング店に行っていたこと、知ってるの?」
「ごめん、ネオ研でとある事件を調査していて、その過程で知ったんだ」
「……」
「いま、叡凛高校ではたくさんの生徒が桜庭さんと同じように意識を失って病院に運ばれているんだ。ひょっとしたら、例のMEISヒーリング店が何か関係しているかもしれない。だから、もし良かったら桜庭さんの話を聞きたいんだ。それに……できれば桜庭さん個人の事情も」
「……私の?」
「うん。桜庭さん、いつも教室で一人でしょ? 何か理由があるのかなって、気になっていたんだ」
芽衣は何やら考え込んだ後、探るようにして比呂を見つめる。
「どうして……そんなに私の事を気づかってくれるの?」
「えっと……」
何故だろう。比呂は一目見た時から芽衣の事が気になっていた。だから柄にもなく、つい声もかけたのだ。本当に大丈夫か、と。
自分がそんな行動を取ってしまった原因をあまり深く考えてこなかったから、理由を問われてつい口ごもってしまった。だが、すぐある理由に思い当たった。
「一人ぼっちでいるのが辛そう……だったから、かな」
「え……?」
「僕もいろいろ事情があって、新世界市に来るまでは一人だったんだ。祖母と二人暮らしで、他の家族とも離れ離れで。友だちは……ほとんどいなかった。それじゃ駄目だって分かっていたけど……どうしようもなかったんだ」
「……」
「だから桜庭さんを見た時、僕と似てるなって……そう思った。どうしても放っておけなかったんだ」
言ってしまえば、比呂はただ、芽衣に自分の境遇を重ね合わせただけ。孤独で一人ぼっちだった頃のことを思い出し、芽衣も本当は辛いのではないかと勝手に想像しただけだ。
芽衣にとっては余計なお節介だったかもしれない。けれど、もしそうでなかったら。万一、悩みがあるにもかかわらず、誰にも相談できずに芽衣が一人で苦しんでいるのなら。
そう考えると、どうしても行動を起こさずにはいられなかった。
それを聞き、芽衣は瞳を揺らす。まるで図星を指され、動揺したかのように。
「今日の午後、ネオ研の先輩たちが病院へ来てくれる。その時、桜庭さんも一緒に同席していろいろ教えてくれないかな? どうしてMEISヒーリング店に通うようになったのか、どういうコースを選んだか、全部で何回通ったか、とか。……そういう詳しい事情を」
比呂は熱心に頼み込むが、芽衣は黙りこくったままだ。
「無理……かな?」
すると、暫くして芽衣はポツリと呟いた。
「ネオ研って……ネットオカルト研究部の事だよね?」
「あ、うん」
「オカルトの中には、見えないはずのものが見えたりするっていうお話もあったりする?」
「もちろんあるよ。何か心当たりがあるの?」
尋ねてみるものの、芽衣の反応はどうにもはっきりしない。何か悩んでいるように見える。けれどようやく決心を固めたらしく、顔を上げて比呂を見つめた。
「……分かった。いいよ、話しても」
「本当!?」
「代わりに私も聞きたいことがあるんだけど……」
「それなら、いろいろ情報交換しよう! 先輩たちが来たら桜庭さんにも知らせるよ! えっと……」
比呂が言い淀むと、芽衣は初めて微笑んだ。
「あ、そっか。連絡先の交換、していなかったよね」
「今度は交換してくれる?」
「別に……絶対に嫌ってわけじゃないから」
――私、新しい高校で友達つくるとか、慣れ合うとかそういうつもりないから。
以前、アドレス交換を申し出た時、芽衣はそう言って比呂の提案を突っぱねた。その時の自らの塩対応を思い出し、気恥ずかしくなったのだろう。芽衣は顔を赤らめる。
彼女の思わぬ反応に、比呂の頬も少し緩んだ。間違いなく、芽衣の比呂に対する態度は軟化している。比呂のことを信用してくれたのだろうか。
ともかく、比呂と芽衣はアドレス交換し、ひとまず別れることにした。
「それじゃ、あとで」
「うん」
立ち去る芽衣の背中を見つめ、比呂はふと思った。
(桜庭さん……もしかしたら、元はそんなに人嫌いとかいうわけじゃないのかもしれないな。何かあったんだろうか……?)
誰ともアドレス交換をしたくなくなるほどの、何か辛い出来事が彼女の身に降りかかったのかもしれない。《アンノウン》に感染したのも、元はといえばそのショックが原因なのではないか。
だとしたら、やはり芽衣のことを気にかけて良かったと比呂は思う。大きすぎる心の傷は、自分一人の力だけでは癒せないことを比呂は知っているからだ。
何はともあれ、そろそろ用事を済ませて自分の病室に戻ろう。そう考え、比呂は自販機の方へ向き直った。
だがその直前に、芽衣の前方から五十歳ほどの女性が近づいて来るのに気づく。
女性は黒煤をいくらか身にまとっていた。まだ幼生の段階で成虫になりそうな気配もない。危険はないが、はっきりとそう分かる程度には煤が付着している。
芽衣はそれに目を留め、女性を避けるように大きく迂回した。
(あれ……!?)
比呂は目を見開いた。
(ひょっとして桜庭さん、《アンノウン》が見えてるんじゃ……!? だからあの女性を避けたんじゃないかな? 見えないはずのものが見える現象に興味を示していたし、可能性はある気がするけど……気のせいだろうか?)
芽衣が倒れる前、《アンノウン》に汚染されていた時は、それに気づいた様子はなかった。教室で隣の席に座る彼女は全身を真っ黒な煤で覆われていたが、本人は全くそれを気にしていなかった。でも今は、《アンノウン》を付着させた人を、おそらく認識している。
元は見えなかったが、何らかのきっかけで《アンノウン》が見えるようになった――彼女はそういうケースかもしれない。もっとも、そんなことがあるのかどうか、比呂には分からないが。
やがて芽衣は廊下の向こうに姿を消した。比呂は白羽と黒羽に声をかける。
「……とにかく一度、病室へ戻ろうか」
そして、自販機でミネラルウォーターを買うと、病室へ戻ったのだった。
学校の授業が終わる時間がやって来ると、再び柚からの連絡が入った。
比呂は自分の病室ではなく、病院の中庭にいる旨を告げる。桜庭芽衣を交えて五人で話をするなら、病室は少し手狭だろうと考えたからだ。
先に中庭へ行きベンチに座って待っていると、すぐに柚と大介、湊の三人がやって来た。
「あ、比呂くん! いたいた~!」
「柚先輩!」
「柚、ユズ!」
「柚が来たゾ!」
白羽と黒羽は柚の姿を目にし、さっそく彼女の元へ飛んでいくと激しく羽ばたきをした。
「あはは、白羽と黒羽も元気そうだねぇ!」
柚は白羽と黒羽の熱烈な歓迎を受け、くすぐったそうに笑う。一方、大介と湊も比呂の元にやって来て声をかけてきた。
「よう、比呂! もう起きて大丈夫なのか?」
「はい。食事もしっかりとれてますし、明後日には退院できそうです」
「そうか……本当に良かったよ。比呂にもしもの事があったらって、気が気じゃなかった」
そう言って湊が安堵すると、大介も申し訳なさそうに頭を掻く。
「悪かったな、比呂。MEISヒーリング店に乗り込もうと言い出したのは俺だ。もっと慎重になるべきだった」
「そんな……気にしないで下さい。僕が自分で一緒に行くと言ったんだし、後悔はしてません」
むしろ、湊や大介にこれほどまで心配をかけてしまったことを、心苦しく思うくらいだ。
比呂が意識を失う寸前まで、二人とも呼びかけ続けてくれていた。救急車を呼んでくれたのも大介や湊だろう。比呂が気を失って目覚めるまでの二日間、二人とも生きた心地がしなかったに違いない。
彼らの心境を思うと、比呂の方こそ申し訳なくなってくる。
「……それと、柚先輩の謹慎が無事に解けて本当に良かったです」
比呂が柚に告げると、柚はピースサインをして笑った。
「うん、もうバッチリ! 完全に自由の身だもんねー!! ……でも、わたしがいない間に比呂くんが入院だなんて……本当にびっくりしたし、心配したよ~! しかも学校に行ったら行ったで、毎日、《アンノウン》退治に追われる始末だし……」
「毎日……?」
「そう! 例の蛾型の《アンノウン》、日に日に出現回数が多くなってるよ。倒れる生徒も増えて、保健室や病院に運び込まれる人もいっぱい! そのせいで、学校はパニック寸前になっていて、かなり異様な雰囲気だよ」
柚が表情を曇らせているところを見ると、状況はかなり深刻なのだろう。思わず絶句すると、大介も眉間にしわを寄せる。
「まあ、いくら《アンノウン》が見えなくても、みんな何かやべえってのはさすがに分かるよな。ここまで来ると」
「僕がいないわずか数日の間に、そんなことになっていたなんて……」
《アンノウン》の蛹に感染した女子テニス部の三雲るりはどうなったのだろう。比呂はずっとその事が気になっていた。
柔道部の前田や合唱部の船本は《アンノウン》の脅威から救う事ができたのに、三雲るりのケースは手も足も出なかったから余計に責任を感じていた。
だが、あの日の出来事はただの序章にすぎなかったのだ。
この事件の被害は一体どこまで広がるのだろう。比呂は神妙な顔になって、ネオ研のみなに尋ねる。
「僕、倒れた時の記憶が曖昧なんですけど、やっぱり原因はMEISヒーリング店なんでしょうか?」
「そこなんだけどよ、MEISヒーリング店へ行ったのは俺と湊、そして比呂の三人だろ? 同じ時間でコースも同じ、初利用だったって点も三人とも同じだ。違うのはベッドの番号くらいか? なのに倒れたのは比呂だけだった。つまり、だ。比呂の行動に何かヒントがあるんじゃねえかと思ってな」
大介が指摘すると、柚も両手を広げて説明した。
「アクセス権の違いによる症状の差も考えてみたんだけど、この線は薄いと思う。意識不明になった生徒たちのアクセス権は1から4までバラバラで、法則性が特に見られなかったから。ベッドの番号も同じ。症状の重さとベッドの番号には、調べた限りこれといった関係はないみたい」
「そこで思い出したんだけど、比呂は確かクーポンチケットを利用していたよね? 《電脳物質》で構成された」
湊に指摘され、比呂はハッとし、大きく頷く。
「あ、はい。今も持ってます!」
そしてMEIS内にある生体ストレージから、MEISヒーリング店のクーポンチケットを取り出した。それと同時に、クーポンチケットは自動で《電脳物質》で再構成される。一見したところ、ミシン目の入った紙チケットそのまんまだ。
「これが意識消失の原因……?」
確か《アンノウン》によって意識を失った柔道部の前田や合唱部の船本もクーポンチケットを使っていた。それを知った時からクーポンチケットが怪しいという話はみなでしていた。
「それはまだ分からない。クーポンチケットを使っている利用者は多いみたいだけど、彼らの全てが意識不明に陥っているわけじゃないみたいなんだ」
湊は首を横に振った。大介も腕組みをする。
「それに比呂は、他のぶっ倒れた奴らと違って、《アンノウン》の幼生はほとんど付着させていなかったのにな。だから倒れることはねえだろうと思ったんだが……」
「確かに……そうですね」
比呂はアネモネの言葉を思い出す。
彼女は言っていた。「君は『深淵』に影響を受けやすい」と。
そこから察するに、比呂は《深海層》、もしくは《漸深層》に引き摺り込まれやすい体質をしているのだろう。
だがその特殊体質を差し引いても、何らかのきっかけはあったはずだ。その証拠に、いくら「『深淵』の影響を受けやすい」比呂でも、常に《漸深層》や《深海層》といった非表示層に引き込まれているわけではない。
トリガーになったのはどう考えても、MEISヒーリング店へ行ったこと、そしてクーポンチケットを使ったことだ。
(……でも、その事をどこまでみんなに話すべきなのかな)
アネモネの言葉を説明するとなると、まず彼女の存在を明かさねばならない。どこまでみなに説明すべきか。比呂が悩んでいると、不意に柚が口を開いた。
「わたし思うんだけど、意識消失を起こすまでに至るのには、いくつか条件があるんじゃないかな? 一つだけってわけじゃなくて、要因がいくつかあって、それが重なった時に初めて意識を失い、昏睡状態となってしまうのかも」
柚の指摘は鋭い。確かにその可能性はありそうだと比呂も思った。今のところ、意識消失に繋がると考えられる要因はいくつかあるものの、どれも決定的ではない。それも、いくつかの要素が重なって起こるのだと考えれば説明がつく。
湊も顎に手を当て、思案顔で付け加える。
「あと、個人差もかなりありそうだよね。《アンノウン》の幼生が成長する期間や育つ大きさ、意識不明になるまでの経緯。でも、その差異がどこから来るのかはまだ分かっていない。あと、他の意識を失った生徒はずっと昏睡状態なままなのに、何故か比呂だけは意識を取り戻しているしね」
(それは……きっとアネモネが僕を見つけてくれたからだ)
そうでなければ、今ごろ比呂は未だに眠りの中だったかもしれない。それどころか、二度と目を覚ますことなく、《漸深層》、もしくは《深海層》の中を漂っていたのかも。そう考えると、我知らず背中が寒くなる。
(でも、アネモネのことは、先輩たちには黙っておこう……)
アネモネは自らの存在を比呂以外の人間に知られることに対し、躊躇しているように見えた。柚たちに隠し事をするのは心苦しいが、アネモネが嫌がっていることなら強行するのは避けたい。
比呂の事例は、連続して起こっている《アンノウン》事件の中でもかなりのレアケースだが、当面はその事を自分一人の胸にしまっておこうと決意する。




