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第39話 新たな犠牲者

 湊は、冷静でありつつも緊張感を孕んだ声音で、自らの考えを口にした。


「一つ確かなのは、桜庭さんの件は始まりに過ぎなかったということだね。黒煤(ラルバ)に汚染されている生徒とMEISヒーリング店に通う生徒、双方とも体感ではかなり増えているみたいだし、誰かが意識を消失したりあの蛾型の《アンノウン》が出現するケースはこれから増えるんじゃないかな」


「しかも、その人たちが柔道部の前田先輩や合唱部の船本さんみたいな『軽症』で済むとは限らないし、桜庭さんのように入院しなければならないほどの『重症』に陥る可能性も十分にあるんですよね?」


 比呂が指摘すると、湊や柚はますます表情を強張らせ、大介に至っては焦りからか、バンと平手でテーブルを殴りつけた。


「くそっ……こいつはとんでもない事になりかねねーぞ……!」


 大介がもどかしく思う気持ちは比呂にもよく分かった。


 《アンノウン》の大きさは感染者の重症度に比例する。柔道部の前田や合唱部の船本のような『軽症』なら、出現する《アンノウン》も小型で比呂たちにも十分対処できる。


 だが、もし桜庭芽衣に感染していたような大型の《アンノウン》が出現したら。


 百戦錬磨の柚や大介、湊ですらあれだけ手こずった恐ろしい強敵と再び戦わねばならないのだ。


「とりあえず、MEISヒーリング店の実態を知りたいね。どういう店で具体的にどういうサービスを提供しているのか」


 湊の言葉を受け、比呂は生体(バイオ)ストレージに保存しておいたクーポンチケットを取り出した。チケットはほぼ自動で、《電脳物質(サイバーマテリアル)》で再構成される。大介は目を見開いた。


「お、例のクーポンチケットか」


「確かにクーポンの中身もお得だし、サービスは充実してそうなんですよね……」


 クーポンは全十回分。一回は初回無料、三回は半額で、残りの六回分もドリンク無料や時間延長など様々なサービスがついて来る。はっきり言って、かなりお得だ。


 新世界市ではさまざまなサービスが無料で受けられるとはいえ、学生に質素倹約が必須なのは他の街と変わらない。サービスが良いのはとても助かる。


 MEISヒーリングに興味が無くても、これなら行ってみようかと行動に移す者もいるだろう。


 このMEISヒーリング店は《エル・ドラード》という名らしい。どんな店なのだろうか。


 するとその時、大きなサイレンの音が聞こえてきた。すぐ近く、校庭(グラウンド)の方からだ。


「こいつは救急車か?」


「誰か倒れたのかな? でも、熱中症の時期にはちょっと早いよね?」


 大介と湊は揃って窓際へ行き、校庭の様子を窺う。比呂も窓に近寄って外を見つめた。いくつかの施設や植木の向こうに救急車が止まっていて、警光灯が赤い光を発している。何かあったのは確かなようだ。


 柚も比呂の隣で窓の外を見ていたが、不意に、はっとして叫んだ。


『ひょっとして……例の意識不明で誰か倒れたんじゃないかな!?』


 比呂はぎくりとした。大介と湊も眉根を寄せ、こちらを振り返る。


「意識消失……!? つまり、また新しい《アンノウン》が出やがったってことか!? あの蛾型の奴が!!」


「いやでも、MEIS環境には何も影響が出ていない。どういう事なんだろう?」


 湊が指摘する通り、先ほどのような通信障害は発生していない。《アンノウン》が出現したなら、MEIS環境に必ず影響があるはずなのに。


「ひょっとしたら……桜庭さんの時と同じなのかもしれません。桜庭さんに感染していた《アンノウン》の(ピューパ)は巨大だったにもかかわらず、周囲にはそれほど影響を及ぼしていませんでした。実際にMEIS環境に異変が現れたのは、(ピューパ)成虫(イマーゴ)になってからです」


 そもそも、まだ《アンノウン》絡みだと確定したわけでも無い。ひょっとしたら、何らかの事故が起こっただけかもしれない。


 だが、もしそうでなかったら。


 《アンノウン》感染による症状の度合いは、出現する《アンノウン》の大きさに比例する。救急車に搬送されるほどの『重傷』なら、出現する《アンノウン》の規模も桜庭芽衣の時と同じかそれ以上という事になる。


 それに気づいたのだろう、湊と大介の表情も俄かに険しくなった。大介は窓を離れ、部室の扉へと向かう。


「俺、ちょっと見て来るわ!」


「僕も行くよ」


「僕も行きます!」


 湊と比呂も大介の後に続く。けれど、柚は一人残念そうに、その場にとどまった。


『うう……わたしもみんなと一緒に行きたいけど、行けない……こうしてこっそり通信しているのがばれたら、反省していないって今度こそ怒られちゃう』


「大丈夫だって。俺たちがしっかり確認してくるからよ」


「謹慎が解けたら、また一緒にネオ研の活動をしましょう!」


 大介と比呂が声をかけると、柚は名残惜しそうにしつつも頷いた。


『みんな、ありがと……! 残念だけど、わたしは通信を切るね。みんな、くれぐれも気を付けて』


 そう言って、柚のアバターは姿を消した。


「行こうぜ!」


「ああ、急ごう」


「はい!」


 比呂たちは部活棟の廊下に飛び出すと、校庭に向かって走り出す。


 救急車は校門から入ってすぐのところ、グラウンドのそばに停まっていた。比呂たちが駆けつけると、まだ学校に残っていた生徒たちが、遠巻きにして救急車を囲んでいる。人垣に阻まれ、誰が倒れたのかよく見えない。ただ、周りの生徒たちが心配そうに囁き合う声が聞こえてくる。


「え、何があったの?」


「誰か倒れたらしいよ」


「クラブ中に突然、意識を失ったんだって」


「それは危ないな。何が原因なんだ?」


「それが……よく分からないんだって。何か具体的な症状があるわけじゃないけど、突然倒れて眠り込んじゃって、どれだけ呼び掛けても目を覚まさないから、救急車を呼んだみたい」


「なんか最近、多いよね。不意に意識を失って入院しちゃう人」


「そうそう。特に二年生に多い感じ」


「変な病気が流行ってるのかな? もしくはMEISの不具合とか?」


「どっちにしても、怖すぎるよ……」


「倒れたの、どこの部の人?」


「テニス部の女子らしいよ」


 それを聞き、比呂はぎょっとした。


(テニス部の女子って……もしかして!?)


 嫌な予感が沸き上がり、いてもたってもいられなかった。人だかりの中を猛然と掻き分けるようにして進み、救急車の近くへ移動する。


「比呂!?」


「どうしたんだ、あいつ……?」


 湊と大介も戸惑いつつ、それを追いかけた。


 比呂が人だかりの最前列へ辿り着いた時、ちょうど救急車に運び込まれる生徒の姿が目に入る。ストレッチャーの上に横たわっているのは、間違いなく三雲るりだった。


「三雲先輩……!!」


 三雲るりは瞼を閉じており、手もだらんと力なくストレッチャ―から垂れ下がっている。明らかに意識が無い。顔色も、以前よりずっと悪くなっているように見える。


 毎朝、あんなに元気よく話しかけてくれたのに。比呂は衝撃のあまり言葉を発することもできなかった。


 校庭の騒ぎが気になったのか、それともお留守番は飽き飽きだったのか。白羽と黒羽も部室から抜け出し、駆けつけた。そして倒れた三雲を見つけ、驚いて騒ぎ立てる。


「るり! るりが倒れタ!」


「大変ダ! 大変ダ!! るり、ルリ!!」


 それに気づいた湊が、慌てて二羽に忠告をした。


「白羽、黒羽、落ち着いて。ここは部活棟じゃなくて校内だから、学校に見つかったら怒られちゃうよ」


「むっ……ムググ」


「ひどいゾ、電脳ペット差別ダ!」


 白羽と黒羽は納得がいかないようだったが、周りの生徒たちの注目を浴び、仕方なくその場を飛び去った。そして近くの植木の枝にとまり、心配そうに身を寄せ合って三雲るりの様子を窺う。


 大介と湊は比呂のそばにやって来ると、運ばれていく三雲るりを見つめつつ尋ねる。


「比呂たちの知り合いか?」


「はい、登校時によく声をかけてもらってました。三雲先輩もMEISヒーリングにはまっていたみたいで、さっきのクーポンチケットも先輩からもらったんです」


「……! そうだったんだね」


「三雲先輩は疲労を回復する目的で、MEISヒーリング店に通っていると言っていました。でも、思うように疲れが取れていないみたいで、昨日の朝には《アンノウン》の黒煤(ラルバ)もたくさん付着させていました。最初に会った時は、ほとんど汚染されていなかったのに……!」


 三雲の体には巨大な《アンノウン》の(ピューパ)がへばりついている。柔道部の前田や合唱部の船本に付着していたものとは比べ物にならないくらい大きい。あまりにも大きすぎて、彼女の上に人がひとり覆い被さっているかのようだ。ちょうど、桜庭芽衣に張り付いていた《アンノウン》と同じくらいだろうか。


 もっとも周囲の人々はそれに気づいていない。芽衣を運んでいる救急隊員ですら異変を感知していない。


 しかも厄介なことに、それだけ巨大化しているにもかかわらず、《アンノウン》の(ピューパ)は全く羽化する気配がなかった。大介と湊もそれを察して、顔を曇らせる。


「なるほどな。MEISヒーリング店と意識消失、そして《アンノウン》のトリプルコンボってワケか」


「彼女についている(ピューパ)、かなり大きいね。あれほどの大きさだと、羽化する《アンノウン》も相当な大きさになるだろう。彼女と彼女のMEISも、激しいダメージを受けるはずだ」


「そんな……! 今ここで三雲先輩を助けることはできないんでしょうか!? こうしてすぐ目の前にいるのに……!!」


 できることなら、今すぐにも三雲るりのそばに駆け寄っていって彼女を助けたかった。比呂たちは《アンノウン》の姿を見ることができるし、戦う術も持っているのだから。


 だが、湊は比呂の肩に手を添えて、静かに首を振る。


「難しいね。僕たちが干渉できる《アンノウン》は成虫(イマーゴ)だけだ。幼生(ラルバ)はもちろん、(ピューパ)も電脳識海のより深いところにあるインビジブル・レイヤーのデータだから、それを直接除去する手段は無いに等しいんだ」 


 確かに桜庭芽衣の《アンノウン》にしろ、柔道部の前田や合唱部の船本に取り付いていた《アンノウン》にしろ、除去することができたのは成虫(イマーゴ)に羽化したからだ。


 (ピューパ)の段階にある《アンノウン》には、《表層(クリア・レイヤー)》から手出しをすることはできない。むしろ三雲にとって、医療施設などに入院して誰かに付き添ってもらっていた方が、今は安全かもしれない。


 《アンノウン》はバイタルデータさえ狂わせることがあるからだ。


「三雲先輩……!!」


 比呂は両手を握り締める。思えば、初めて叡凛高等学校へ足を運んだ時に声をかけてくれたのも三雲るりだった。彼女がテニス部に誘ってくれた時は本当に嬉しかった。結果的に比呂はネットオカルト研究部に入部することに決めたが、もし《電脳幽鬼(サイバーファントム)》となった母を探すという目的が無ければ、きっと誘われるままテニス部に入部していただろう。


「為す術もねえ……これじゃ犠牲者が増えるばかりじゃねえかよ!」


 もどかしい思いを抱いているのは同じなのか、大介も声を荒げた。そうこうしている間にも、三雲るりを乗せた救急車は叡凛(えいりん)高校を後にする。湊は激しい焦りに駆られる比呂と大介に向かって、冷静に(さと)すのだった。


「比呂、大介、落ち着いて。今はとにかく情報を集めよう。まだMEISヒーリングが何なのかも分からないんだ。いいかい? 僕たちが()()()()ら、《アンノウン》を除去することができる人間はいなくなってしまうんだよ」


「湊先輩……」


 ただでさえ、部長の柚が謹慎中なのだ。慎重になるべきだという湊の意見は、これ以上もなく真っ当だった。肩を落とす比呂の隣で、大介も後頭部を掻きながらため息を吐く。


「そうだな。まずはMEISヒーリング店の実態を暴かねーとな。……よし! 今からいっちょ、行ってみるか!!」


 大介はそう言うと、右手の拳を左手の手の平に叩きつけた。パシッと大きな音が響き渡る。


「え!?」


「ちょっと待ってよ、大介! 僕の話を聞いてなかったのか!? もし意識消失の原因がMEISヒーリングにあるなら、迂闊に足を踏み入れるのは危険だ!!」


 あまりにも突然のことに、比呂と湊は瞠目した。けれど大介は、豪快にニカッと笑う。


「大丈夫だって、桜庭芽衣や三雲るり、それから柔道部の前田にしろ合唱部の船本にしろ、みんな何度もMEISヒーリング店に通ってたんだろ? それは裏を返せば、一度だけならそれほど影響がないってことじゃねえか」


「それだけで判断するのは危険だよ! この件は分かっていないことがまだまだ多い。もっと慎重に動くべきだよ! せめて、柚が戻ってから……」


「んなこと言って、ちんたらしてたら被害が広まるばかりだろ! とりあえず、俺とお前で様子を見てみて……」


「いえ、僕も行きます!!」


 気づけば、比呂は声を上げていた。意識を失った三雲るりの姿を目の当たりにした今、とてもじっとはしていられなかった。


「比呂……!?」


「いやでも、それはさすがに……」


 難色を示す湊と大介だったが、比呂はさらに畳みかける。


「MEISヒーリングは謎だらけで不確定要素が多く、現段階では何が起こるか予想もし辛いんですよね? だったら参加者は多い方がいいです。人数が多いということは、何かあった時に対処できる人数も多くなるということじゃないですか」


「けどよ……」


「それに、情報収集という面でも、僕が一緒に行った方がいいと思います。……たとえばですけど、意識不明の発症の有無に、アクセス権や年齢などが全く関わっていないとも限りませんし」


 比呂を突き動かしていたのは、一刻も早く三雲るりを救いたいという気持ちだった。


 もちろん、彼女のように意識を消失し眠り込んでいる生徒が他にもたくさんいることは、頭ではちゃんと理解している。けれど、親しい人や身近な人が被害に遭うと、何とかしなければという使命感がよりいっそう強く湧いてくる。


 身を乗り出し、比呂は必死に訴えた。湊もその主張には一理あると考えたらしい。


「ああ……なるほど。そういう可能性もあるね。特にMEISが絡んでいるならアクセス権は関係がありそうだ。ちょうど、僕たち三人ともみなアクセス権がバラバラだしね。意識不明にそれらが関わっているのだとしたら、1から4のうちどのアクセス権が被害を受けやすいのか『実験』する意味でもちょうどいいというわけか」


「比呂、お前けっこう頭いいな!」


 大介は破顔して、比呂の背中を叩いた。


「い、いえ……ただちょっと思いついたので」


「んな謙遜すんなって! 思いついたってだけでも十分すげぇんだからよ。それに、そんな必死になってんのは一刻も早くこの事件を解決したいって思ってるからだろ? いい事じゃねえか、胸を張れって」


「……はい!」


 大介のリアクションは比呂にはない力強さで、圧倒されることもあるが、不思議と不快ではなかった。言動に裏表がないので、褒められると余計に嬉しい。自信も湧いてくる。


「ま、そんなわけで、だ。……みんなで行こうぜ、湊。大勢で行きゃ、気づくことも増えんだろ!」


 すると、とうとう湊も根負けしたらしく、降参のポーズをした。


「……分かったよ。ただし、今日はあくまで偵察だ。柚がいないから、なおさらいつものような危険を侵したり、大胆な行動に出るわけにはいかない。くれぐれも無茶なことはしないよう、様子を見るだけで済ませよう」


「おう!」


「分かりました、任せてください!」


 校庭のそばに集まっていた生徒たちは、救急車がいなくなったのに合わせてみな立ち去っていた。それを見計らって、白羽と黒羽も比呂たちの元へやって来る。


「行くゼ、行くゼ!」


「者ども、出陣の時ジャー!!」


「そうだね、こうなったらみんなで行こうか」


 それから比呂たちネオ研のメンバーは、実際にMEISヒーリング店へ直行した。いわば、潜入作戦だ。


 クーポンチケットに記載されていた住所は第二区域・再開発地区。表通りである渚通りから少し入ったところに十階建ての雑居ビルが建っており、MEISヒーリング店はその四階に入っているらしい。


 周りにはカフェやファーストフード店がちらほらあるが、他に目立った商業施設はなく、どちらかというと地味なエリアだ。にもかかわらず、路上には叡凛高校の生徒の姿が多く見られた。


 他の高校や中学生、大学生と思しき若者の姿もちらほら見受けられる。


 比呂たちは雑居ビルの四階を見上げた。そこには電脳看板(バーチャルサイネージ)が掲げられておりており、お洒落な字体で《EL Dorado》と表示してある。 


「MEISヒーリング店・《エル・ドラード》……ここ、ですね」


「こんな店、前まであったか? 全く気付かなかったぜ」


 大介が首を捻ると、湊はMEISで《エル・ドラード》のホームページを開いて言った。


「柚が言っていた通り、最近できた店のようだね。開店したのは今年の一月らしい」


「俺らがまだ一年だった頃か」


「うちの高校の生徒、多いですね。かなり目立ってます」


 比呂が口にする間も、ビルの中から叡凛高校の生徒が三人ほど出てきて、喋りながら立ち去っていった。


 雑居ビルには他に高校生が利用するような店は入っていないことから、彼らもMEISヒーリング店を利用したのだろうと推測される。


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