第3話 新世界
新世界市の第一区域・港湾地区の入り口にある公園に降り立った比呂は、あんぐりと口を開けた。
「ふおお……!!」
「すごいナ、比呂!」
「壮観ダ!!」
白羽と黒羽も驚いてパタパタと比呂の周囲を飛び回っている。
実際に目の前にしてみると、実験特区・新世界市は思っていた以上にすごい街だった。聳え立つ高層建築物はどれもみな迫力があり、てっぺんは雲の中に隠れてしまうのではないかと見紛うほどだ。
どうやって立っているのか首を傾げるほど奇抜なデザインのものも多いが、壁面が白系統の色で統一されているためか雑然とした印象はない。
また、広々とした港湾地区はカラフルなタイルが敷き詰められ幾何学模様を描いており、さらに美しく剪定された樹木がそれに彩を添え、洗練された空間を演出している。
一方、比呂たちが乗ってきたモノレールの駅も立派だ。駅前はそのままバスターミナルへと続いており、たくさんのバスや車が行き交っていた。そのほとんどは無人で、自動運転によって動いている。
そのさらに向こうには美しく整備された海岸も見えた。科学技術と自然が巧みに融合され調和した、まさに理想の近未来都市だ。
白羽と黒羽はひとしきり飛び回ると、比呂の頭と右肩にそれぞれちょんと停まった。
「ここが新世界市とかいうやつカ。これから比呂の、輝かしい新生活が始まるというわけだナ!」
「うん、そうだといいな。そのためにも、まずは住民登録をしなきゃね」
比呂はそう言うと、左肩に下げた鞄を抱え直した。必要な生活用品の大半は既に引っ越し業者に運び込んでもらっているので、比呂が持っている荷物は最小限だ。
「……それにしても、きれいな街だナ。ゴミ一つ落ちてないゾ!」
「実験特区の紹介サイトによると、自立稼働しているロボットが定期的に街を巡り、ゴミを拾っているんだって」
「あそこでウロウロしている奴のことカ?」
「ホントだ。まるで、移動するゴミ箱みたいだね」
自動で動くドラム型のお掃除ロボットが比呂たちの目の前を通り過ぎていく。足元にある吸い込み口からゴミを吸い取って回っているらしい。顔に当たる場所にはデジタルパネルが取り付けられており、鼻と口のイラストが表示されていた。何だか憎めない、お茶目な顔だ。
白羽と黒羽は興味をそそられたらしく、そのロボットの頭上に飛び移っていく。
「こいつめ、コイツメ!」
「生意気だゾ!」
『お客様、ご用件は何でしょうか?』
白羽と黒羽はこぞってツンツンとロボットをつつく。比呂は慌ててそれを止めに入った。
「こ、こら! 二人ともやめなさい!」
嘴でつつかれたお掃除ロボットは目をくるくるさせていたが、白羽と黒羽が比呂の元に戻ると、何事も無かったかのように立ち去っていった。せっかくなので、比呂たちもぐるりと公園を見て回ることにする。
「はあ……それにしても、何だか街中に若者が多いなあ。お年寄りばかりだった僕の地元とは、えらい違いだ」
「比呂、田舎者丸出しだゾ!」
「いいんだよ、田舎出身なのはホントのことだから」
実際、新世界市には多くの人々が生活しており、訪れる観光客も多いようだ。公園には老若男女、大勢の人々の姿があり、ベンチで寛いだりお喋りをしたり、写真を撮ったりしている。また、キッチンカーが集まっている場所もあり、椅子やテーブルも設置されていた。どこを見ても、人の姿で溢れている。比呂の地元を考えると、信じられないほどの賑わいだ。
それだけではない。公園にはあちこちに電脳看板が表示してあり、お洒落な映像を流していた。どうやらアパレル店や飲食店などの宣伝をしているらしい。中には、比呂の知らないアーティストや化粧品などのCMも混ざっている。派手で目を引く演出、スタイリッシュなBGM。まさに情報の洪水だ。目が回りそうになる。
もっとも、そこに表示されている情報はどれもみな、MEISを通して初めて共有されるものだ。先ほど比呂が検索した地図アプリと同じで、現実空間には存在しない看板。いちいち看板をかけ替える必要が無いし、古い電子看板と違って電子機器や電力も必要ないので、環境にとても優しいのだという。
つい、きょろきょろと周囲を見回していると、かわいいクマの姿をした電脳マスコットが比呂のところへやって来て、カラフルな風船を差し出してきた。
このマスコットや風船もまた、公園の電脳看板と同じで、現実空間には存在しない。電脳空間上のみに存在し、MEISしか感知することのできない《電脳物質》だ。
よく見ると、風船から垂れた糸の先に何か紙切れのようなものがついている。
『どうぞ、《エル・ドラード》でーす! お客様にこちらのクーポンチケットをプレゼントします! クーポンをお店にご持参いただいたら、今ならMEISヒーリングが無料でお試しいただけますよ。ぜひご来店くださーい!』
「あ、今は急いでいるので。ごめんなさい」
いくら電脳上の物質とはいえ、余計な手間を増やしたくなかった。両手は荷物で塞がっているし、これからあちこち行って手続きしなければならない。
宣伝マスコットは気を悪くした風もなく、「失礼しました、またのご利用をお待ちしております」と機械的に喋ると、比呂の後ろを歩いていた女性に話しかけていく。その柔軟な対応を見るに、AIを搭載した宣伝マスコットだろう。
「何ダ?」
「えるどらど?」
白羽と黒羽は首を傾げる。比呂も改めて、クマのマスコットの頭上に表示してある電脳看板の文字に目を通した。
「ええと、なになに……『MEISヒーリング店、《エル・ドラード》では、お客様に極上のリラクゼーションと癒しのひとときを提供します』……だって。でも、MEISヒーリングって何だろう? 初めて聞いたな。僕の地元じゃ、そんなの無かった」
「ウムム……特殊な装置による音と香り(アロマ)で、脳の疲れを癒してくれるらしいゾ」
「MEIS専用のセラピーみたいな感じカ?」
「確かに、こんなに街中に情報が溢れていたら、癒されたくなるのも分かる気がするな。今度、行ってみようか」
「ホホー、我らも体験できるのカ、そのMEISヒーリングとかいう奴ハ?」
「さあ、分からないけど……もし行くことがあったら、電脳ペット向けのサービスが無いか、お店の人に聞いてみよう」
比呂が祖母と住んでいたところは、地方都市のさらに隅っこにある小さな田舎街だった。同学年の人間は殆ど電脳ニューロンを移植していたけれど、それでも全人口に占める割合は低く、従ってMEIS関連サービスもほとんど普及していなかった。それに比べると、まるでこの街は別世界だ。さすが、実験都市の名は伊達ではない。
一通り公園を見て回った後、比呂は新世界市市役所へ向かうことにする。そこで個人番号を登録し市民IDを取得しなければ、本格的に新世界市でのMEISサービスを受けることができないからだ。この街の全てはMEISによって成り立っている。MEISサービスが受けられないと、生活するのがとてつもなく不便になってしまう。
「ええと……どのバスに乗ればいいんだっけ?」
バスターミナルも高層ビルと同様、広くて大きい。乗り場もたくさんある。うろうろしていると、今度はフクロウのデザインをした電脳マスコットが近づいてきて、声をかけてきた。
『お困りですかー? わたしは、新世界市のサポートAI、《ブーオくん》です』
「あ、えっと……僕は香月比呂です」
『比呂さん。良いお名前ですね!』
「あ……ありがとう」
比呂は目を瞬くと、肩にとまった白羽と黒羽に囁く。
「AIに褒められちゃった」
すると、白羽と黒羽はカチンときたらしく、フクロウの姿をした電脳ペットに向かって身を乗り出してガアガアと威嚇した。
「おうおう、わしらの比呂に色目を使うとハ……!」
「この梟め、ええ根性しとるやないケ!」
「あ、こら! 《ブーオくん》に眼つけないの!」
《ブーオくん》は動じた様子もなく、比呂と会話を続ける。
『新世界市は初めてですか?』
「あ、うん。これから叡凛高等学園に入学する予定なんだ。新世界市市役所で暫定住民登録と市民IDを取得したいんだけど、どのバスに乗ったらいいのか分からなくて……」
『了解しました。新世界市市役所へ行くには、第七区域・中心市街地行きのバスに乗る必要があります。五番乗り場から十二時四分に発車予定です』
「そうなんだ、ありがとう」
『どういたしまして。もしお困りの際は、いつでも《ブーオくん》をご利用ください。また、よろしければ、行政サポートAI・《ブーオくん》のサービス満足度に関するアンケートにもご協力ください。ご利用、ありがとうございました』
《ブーオくん》は淀みの無い口調でそう言い残すと、その場を去っていく。そして次に迷子と思しき少女に近づいて行った。おそらく、課題を抱えた人間を見つけ出し、支援しているのだろう。比呂はそれを見て感嘆の声を上げた。
「すごいな、行政サポートAIなのに、あそこまでスムーズに会話ができるなんて。婆ちゃんの家がある地域にも行政サポートAIはあったけど、融通が利かなくて、とても不便だったよ。行政の管理するAIは、予算がケチられがちだからこんなことになるんだって、婆ちゃんもよくぼやいていたっけ。……それを考えると、やっぱり実験特区はすごいんだな」
「まあ……確かにナ」
「そこは認めてやってもいいゾ!」
「何で上から目線なの……」
五番乗り場で待っていると、やがて《ブーオくん》が言っていた通り、第七区域・中心市街地行きのバスがやってきた。他の自動車やバス、タクシーと同様、無人の自動運転で運転手はいない。乗り込んで口頭で行先を告げれば、自動走行で目的地まで連れて行ってくれる。
比呂が入り口近くの窓際席に座ると、バスは緩やかに走り出した。そして湾曲したターミナルを抜け、新世界市の中心部へ向かう。
その無人バスにも驚くべき機能が搭載されていた。そのバスは確かに天井や壁で覆われているにもかかわらず、まるでそれらが存在し無いかのように外の景色が見えるのだ。おそらくMEISを利用し、バスの天井や壁に通りや建物、そして空の景色を投影して見せているのだろう。ちょうどプラネタリウムのように。
だが、MEISが見せる映像は本物と全く遜色ないほどリアルでクリアだ。まるで宙に浮いたまま街中を移動しているような感覚にさえなってくる。比呂はバスの中とは思えないほどの解放感と高層建築物の放つ凄まじい存在感に、終始、驚きっぱなしだった。両側に目の眩むような摩天楼が聳え立っているせいで、青い空がとても小さく見える。
そうして十分ほど走行し、第七区域・中心市街地にある新世界市役所前に到着した。比呂はMEISのキャッシュレス決済で乗車賃を払うと、バスを降りる。
新世界市の市役所は、周囲の建物に負けずとも劣らない立派な建物だった。市役所のエントランスに入ると、大きな花瓶に溢れんばかりのバラの花が活けてあり、訪問者を出迎える。赤、白、黄色、そしてオレンジがかったピンクや濃い紫。色や形、大きさもさまざまだが、不思議と雑然としておらず、むしろとても芸術的で美しい。
濃厚な芳香も漂ってくる。薔薇独特の品の良い香りだ。祖母が使っていた柔軟剤の匂いを思い出し、比呂は早くも少し感傷的になってしまった。ばあちゃんは今ごろ何をしているだろうか。比呂が家を出て寂しくないだろうか。ばあちゃんは社交的な性格だから、一人ぼっちになることはないだろうけれど、それでも孫としてはやはり心配だ。部屋に着いたら、必ずメッセージアプリでメッセージを送ろうと心に決める。
それから、市民課の受付に向かい、さっそく暫定住民登録の手続きをする。応対してくれたのは、女性の職員だった。
「なるほど……今年から叡凛高等学園に入学されるのですね。分かりました。それではまず、こちらに必要事項を記入ください」
「はい」
比呂は受付の女性が提示したタブレットに、タッチペンで名前や生年月日などを書き込んでいく。
こういったところでは、意外と古い手法が残っている。思うに、世の中にはまだ電脳ニューロンを移植していない人も多いからだろう。特に、お年寄りにその傾向が強いという。現に比呂の祖母もMEISは搭載していない。
とはいえ、彼女も決してITオンチというわけではない。旧型タブレットを操作するのはお手の物だからだ。それでも祖母の世代にとって最新技術であるMEISには苦手意識があるようだった。
ともかく、比呂は必要事項を記入してから、タブレットを女性に返却した。
「……はい、承りました。次に個人番号証の提示をお願いします」
比呂が個人番号症を差し出すと、役所の女性はそれを機械に通す。
「香月比呂さんのMEIS適応値は355ですね。許可されているアクセス権はレベル3。それで間違いありませんか?」
「はい」
「それでは待合室におかけになって、お待ちください」
比呂は言われた通りにした。白羽や黒羽を連れ、待合室のソファーに座る。こういった場所ではさすがに騒ぐとまずいと心得ているのか、白羽も黒羽も大人しい。母親に連れられた小さな女の子が白羽と黒羽を指さし、「カラスさんだー!」と口にした時も、首を傾げただけだった。
電脳ニューロンは一般的に、ヒトの脳が急速に生育すると言われる四歳から六歳の間に移植するのが最も効果的だと言われている。
もっとも、移植と言っても決して難しい手術などが必要なわけではない。生体素子――つまり、電脳ニューロンの元となる神経細胞を含んだ液体を、注射器で腕の血管から体内に注入する。するとその液体に含まれた生体ロボットが血液の流れに乗って脳血管関門をすり抜け、生体素子のみを脳まで運んでくれるのだ。
脳に運び込まれた生体ロボットは、脳神経に生体素子を植え付け、役目を終えると体外へと排出される。脳内に残されるのは生体素子のみだ。
そうして脳細胞や脳神経が発達すると共に、植え付けられた生体素子もまた増殖していくという仕組みだ。
ただ、電脳ニューロンの発達状況は人によって大きく異なる。人それぞれ、IQが違うのと同じで、電脳ニューロンがたくさん発達する人もいればそうでない人もいるのだ。
MEISを構成する電脳ニューロンが多ければ多いほど、大量の情報を迅速に処理することが出来る。どれだけMEISに適応しているかで、どのような環境でどのような作業をするのが向いているか、そしてどういった職業に適しているか――つまり、人生が違ってくる。
MEISに適応している度合いを数値化したものがMEIS適応値だ。
適応値はこれまでゼロから800まで確認されており、それぞれのレベルに相応のアクセス権が設けられている。
MEIS適応値やアクセス権がもっとも影響を及ぼすのは、情報処理能力だ。適応値が低い人間が、五秒かかる計算を、適応値が高い人間は0.1秒でできたりする。電脳ニューロンが多い脳は少ない脳に比べ、高性能な脳だという事になる。
適応値が百番台以下であれば、アクセス権はレベル1、二百番台であれば、アクセス権は2。
アクセス権は0から5まであり、一般的にはレベル2と3が最も多いと言われている。それ以降はアクセス権が上昇するほど人数も少なくなり、最高位のアクセス権5に振り分けられる人は千人に一人という逸材なのだそうだ。
比呂もまだ、アクセス権5を持つ人とは実際に会ったことがない。
そういった、MEIS適応値が500以上の人々は、アクセス権5に該当する情報を扱うことができる。しかし、アクセス権4以下の人間はアクセス権5に相当する情報を扱うことはできない。それ以下のレベルも同じだ。
アクセス権3の比呂は、アクセス権4やアクセス権5に振り分けられた情報を扱うことはできない。これは情報規制や差別ではなく、仕方がない、やむを得ない措置なのだ。というのも、アクセス権が上がれば上がるほど扱われる情報もまた莫大となっていくからだ。
適応値の低い人間は、そもそもアクセス権5に属する情報を、自身のMEIS(電脳インプラント)で処理しきれない。無理に処理しようとすると、MEISが高負荷に耐えきれなくて異常をきたしてしまう。
だから最初からアクセス権を設け、自身のMEISに見合った量の情報を取得できるようになっているのだ。