第29話 巨大蛾の《アンノウン》
「みんな弱ってる……待っててね、今助けるから! 《エクリプス》!!」
柚が新たに魔法陣で浮かび上がらせたのは、数珠ほどの大きさの丸い発光体だ。
それらの無数の発光体は《アンノウン》の一種。数々の《アンノウン》を解析して生み出された模造品、いわば人工の複製・《アンノウン》だ。
それらは発動すると、みな蛾の体や翅に吸着されていく。どうやら《エクリプス》に対しては、例の防壁は発動されないらしい。
やがて、瞬く間に《アンノウン》の活動が鈍くなった。羽ばたきの勢いが弱くなり、飛翔の高度も低くなる。じわじわと相手の体力を削る……ゲームでいうところの、毒魔法のようなものだ。
だが、蛾の《アンノウン》は弱体化しつつも、されるがままにはならなかった。余力を振り絞って羽を広げると、マンションの窓をすり抜け外へ出て行ってしまう。
「あっ……!」
「しまった! くそ、逃げられた!!」
ネオ研のメンバーは、比呂を含めみな慌てたが、あとの祭りだった。蛾型の《アンノウン》は悠々と宙を羽ばたき、比呂たちの手の届かない場所まで行ってしまう。
このままでは新世界市全体に《アンノウン》の悪影響が及んでしまうのではないか。
その懸念はすぐに現実のものとなった。《アンノウン》が去った次の瞬間、桜庭芽衣の部屋に取り付けられた照明、レンジや冷蔵庫といった家電――MEISに繋がった電子機器が続々と火を噴いたり爆発を起こしたりして完全に壊れてしまったからだ。
それは芽衣の部屋だけではない。芽衣の部屋が入っているマンション全体やその周囲に立ち並ぶ集合住宅、商業施設や公共施設、各種インフラも続々と停電を起こしたり爆発を起こしたりと、異常な不具合を起こしていく。
それに驚いたのか、誰かが悲鳴を上げるのも聞こえてきた。全てはあの蛾型の《アンノウン》が引き起こしている現象だ。このままでは、カマキリ型の《アンノウン》の時とは比べ物にならないほどの規模の大規模システム障害が起こってしまうだろう。
柚は、どんどんシステム障害が広がっていく窓の外の危機的な光景を目の当たりにし、激しい焦燥を浮かべた。
「たった一体でこれほどのシステム障害を引き起こすなんて……やっぱりあの《アンノウン》は普通じゃない!」
確かに《アンノウン》を外に逃がしたのは痛かった。
だがその一方、《アンノウン》が去ったおかげで、桜庭芽衣に近づけるようになった。比呂は芽衣のそばに駆け寄って呼びかける。
「桜庭さん! 桜庭さん!! ……駄目だ、意識がない……!!」
どれだけ声をかけても芽衣は目を覚まさない。肩を揺さぶってみるが、何の反応も無しだ。何かおかしい。いくら深く眠り込んでいるとしても、ここまで無反応だなんて。
それを見て大介は、すぐさま外部へ連絡を試みた。しかし、すぐに眉間にしわを寄せる。
「通信障害も更に悪化してやがる! 119に全く繋がらねえぞ!!」
――そんな。救急車も呼べないなんて、どうすれば良いというのか。比呂は愕然とする。
その一方、湊が駆け寄ってきて比呂のそばで膝をつき、芽衣の呼吸や脈など手で測り始めた。MEISの負荷がかかっていているため、バイタルデータを確認することができない。だから手作業で確認しているのだろう。
「脈、呼吸、共に正常……今は熱もそれほど高くない。でも顔色は悪いね。ひどくやつれ、衰弱しているみたいだ」
「どうして桜庭さんは目を覚まさないんでしょう?」
「断定はできないけど……さっきの《アンノウン》から今も影響を受けているのかもしれないね。《アンノウン》がMEISへ干渉をし続けているせいで、脳が覚醒状態へと至ることができないのかも……」
要するに、どのみちあの蛾の姿をした《アンノウン》を排除しなければならないという事だ。しかも、可及的速やかに。
比呂と湊のやり取りを聞いていた柚は両手を握りしめ、その瞳に強い決意を浮かべた。いつになく毅然とした表情だ。
「大ちゃん、みーくん、まずはあの《アンノウン》の排除を優先しよう! そうしないと、桜庭さんの昏睡はきっと解けないし、MEISにも深刻な不具合が生じてしまう。しかも問題は桜庭さんだけにとどまらない! あの《アンノウン》は通信を含めたインフラ環境に負荷を与えすぎる。このままじゃ最悪、MEIS災害に発展してしまうかもしれない!!」
柚が言わんとしていることは、比呂もよく分かった。このマンションの電気系統や上下水道、玄関の鍵を含めたセキュリティシステム、エレベーターまでもが、みなインターネットに繋がることで制御されている。
B‐IT社会では主にMEISが情報通信の要となるため、通信環境の不具合は個人のMEISにも大きな影響を及ぼす。逆もまたしかりだ。
そのため大規模システム障害に巻き込まれたら、ヒトもモノも全てが停止して動かなくなってしまう。
「へっ……MEIS災害対策チームとして、それは防がねーとな!」
「……そうだね。僕も柚の言うことに賛成だよ。そうと決まれば、さっさと片付けてしまおう。長引かせてプラスになることは何一つない」
大介と湊は立ち上がり、再びサイバーウエポンを構えた。二人の言葉に柚も大きく頷く。
「比呂くんはここにいて、桜庭さんのそばについていてあげてくれないかな?」
柚がそう判断するであろうことは予想できた。新入部員で経験も不足している比呂には、あの蛾型の《アンノウン》の相手をするのはあまりにも荷が重すぎる。それに、意識を失った芽衣の身に何か異変が起こらぬよう、誰かが見守っていなければならない。
「分かりました。先輩たちも気を付けてください!」
「うん、任せて!」
柚は比呂にピースサインを返して力強く笑うと、部屋を飛び出して行く。大介と湊もそれに続いた。
「待ってろ、すぐに終わらせてくるからな!」
「ここは任せるよ、比呂」
「はい!」
正直なところ、比呂も柚や大介、湊と一緒に戦いたい。でも今の自分の実力では、みなの足を引っ張ってしまうだけなのもよく理解している。だから自分にできる事をするしかない。
眠り続けている桜庭芽衣のそばに付き添うのが今回の比呂の役目だ。助けが来る、その時まで。
✽✽✽
一方、柚と大介、湊の三人は、靴を履いてマンションの共用外廊下に飛び出した。そして、蛾型の《アンノウン》がどこへ行ったのか、周囲を見回し黒い巨体の行方を探す。
蛾型の《アンノウン》は確かに巨大だったが、動きは緩慢で移動速度も遅かった。まだそう遠くへは行っていないはずだ。
「あの蛾タイプの《アンノウン》はどこへ行きやがった!?」
「あそこ! あそこにいるよ!」
柚が指さしたのはマンション前に広がる公園だった。その公園の上空に蛾の《アンノウン》が悠々と舞っている。
「これ以上、遠くに逃げられたら厄介だ。早く地上に降りて仕留めようぜ!」
「うん、そうだね大ちゃん!」
「あっちにエレベーターがあったはずだ!」
気付けば、空が茜色に染まりつつあった。夜になって暗くなれば、柚たち『見える者』であっても、漆黒の姿をした《アンノウン》を見つける事は難しくなるだろう。
そこへ大規模通信障害が起こってしまったら、さらに手が付けられなくなる。つまり、タイムリミットは刻々と近づきつつあるという事だ。
柚たち三人は走ってエレベーターへ向かったが、全く動いていない。MEIS環境の大規模システム障害が既に現実のものとなりつつあるのだろう。
「くそ、エレベーターが動かねえぞ!」
「きっとあの《アンノウン》のせいで、マンションのシステム全体が不具合を起こしてるんだよ!」
「ちっ……とにかく追いかけるぞ!」
柚と大介は、非常階段へ向かって駆け出した。しかし、湊がそれを冷静に呼び止める。
「待って、あの巨大な《アンノウン》は協力な防壁――光子フィールドを有している。生半可な攻撃は防御されてしまうよ! しっかり作戦を立ててこちらもうまく連携しないと!」
「あー、そうだった! ただでさえ俺の大剣は空中戦に不向きだし、どうすりゃいいんだぁ!?」
大介は我に返って立ち止まり、頭を抱え込んだ。その隣で、柚は顎に手を当て、眉根を寄せて考え込む。
「……このままじゃ大規模システム障害が広がって、MEIS災害が現実のことになってしまう。もう時間的余裕は無いし、絶対にあの《アンノウン》を逃すわけにはいかない。わたしの《ギャラクシー》を使おう!」
大介と湊は息を呑み、柚を見つめた。
「現段階で最強の攻撃魔法か!」
「それがいいかもしれないね。これまで《ギャラクシー》で倒せなかった《アンノウン》はいない。もちろん《ギャラクシー》があの《アンノウン》に効かない可能性はあるけど……どのみち結果を確かめないと、次の策を練るわけにもいかないからね」
「うん。ただ、大ちゃんもみーくんも知ってると思うけど、《ギャラクシー》には欠点もある。大型魔法なだけあって、発動までに時間がかかること。そして最大出力を誇るが故にデータ量も重く、周囲の環境に影響を与えやすい……つまり使える場所が限られるということ」
それに対し、湊は《アンノウン》の舞う公園を見下ろしてうっすらと笑った。
「その点、ここは条件がいいね。マンションの北側が公園に面している。《ギャラクシー》を発動させるのには十分な広さだ。被害が出たとしても最小限に抑えられる!」
いくら《アンノウン》相手とはいえ、これまで《ギャラクシー》を発動させたことは数えるほどしかない。あまりにも威力が高い魔法であるため、使いどころが限られるのだ。
しかし、今はMEIS環境も著しく制限されており、他に有効な術もない。何よりも桜庭芽衣という被害者が既に出ており、一刻も早く対応しなければならない。だからこそ柚は躊躇しなかった。
「《ギャラクシー》が発動するまで、大ちゃんとみーくんは《アンノウン》の足止めをして、この公園から外に出さないようにして欲しいの! 《ギャラクシー》は広範囲魔法だから、発動させることさえできれば、ある程度のダメージを与えらえるはずだよ!」
「よっしゃ、そういう事なら時間稼ぎは任せとけ! ……なあ、湊?」
「ああそうだね、行こう、大介! 柚、あとは頼んだよ!」
大介はガッツポーズをし、湊も髪をかき上げた。二人には全く迷いがない。それだけ部長の柚を信頼しているからだ。
「うん、分かった!!」
柚もまた、大介と湊を信頼していた。すぐさま魔導書を使って足元に魔法陣を浮かび上がらせると、《ギャラクシー》を発動させる準備を始める。
《ギャラクシー》は最大威力を誇るが、そのぶん高度な処理能力を求められる難易度の高い魔法だ。さらに今は、既に《アンノウン》のせいでMEIS環境に凄まじい負荷がかかっている。
けれど、アクセス権5である柚なら、これだけの悪条件でも必ず《ギャラクシー》を発動させることができる。あとは、その《ギャラクシー》を確実に《アンノウン》へぶち当てるだけだ。
真剣な表情で魔法陣を操作する柚を残し、大介と湊は階段を駆け下りた。
ところが自動扉が全く動かないので、外に出られない。そこで改めて二階の外階段から一階玄関の庇に飛び降り、地上に降り立った。
普段ならセキュリティシステムが即座に反応して大騒ぎになるところだが、通信障害のおかげで二人の行動を咎める者は皆無だった。美しく剪定された植木を挟み、目の前はすぐ公園だ。
すると、公園では先ほどの小学生たちがまだ遊具で遊んでいた。彼らはまだ異変に気付いていないのか、笑顔でブランコに乗ったり滑り台に上ったりしている。
「あれー? 電話がかかんないや。ママに連絡を取りたいのに」
その中の一人がようやくMEISの不具合に気づいた。すると、他の少年少女たちも各々のMEISを確認する。
「こっちもネットが使えなくなってる。どうしたのかな?」
「MEISの故障じゃね?」
「えー、怖い!」
大介は息を切らせて子どもたちに駆け寄ると、大声で捲し立てた。
「おい、お前ら! すぐにここから離れろ!!」
公園の上空では巨大な蛾の《アンノウン》が怪獣のように悠々と飛んでいる。しかしそれを他の子どもたちの目は捉えることができない。みな、不思議そうな顔をし、大介の言うことに首を傾げるばかりだ。中にはあからさまに不満を口にする子どもも出た。
「ええ、何でぇ!?」
「もうちょっと遊びたいよー!」
「いいから行けって! ここは今、危ねーんだよ!!」
「そう言って、あたし達を公園から追い出して独り占めするつもりでしょ!? 年上だからって、独占はんたーい!!」
「いや、だからそんなんじゃ……」
その時、いよいよ日没が迫り、それと共に公園の照明に明かりが灯る。しかし大規模システム障害のため、街灯は規定より大幅に高出力になり、それに耐えられなかった電球がパンと派手な音を立てて吹き飛んだ。しかもそれは一つだけではない。公園に設置されていた他の電灯も一斉に割れ、砕け散る。
さらに、入口に設置された自動販売機や全自動ゴミ箱にも次々と異常が起こった。電撃が走って小さな爆発を起こし、ついには煙を噴き上げる。それにはさすがに子どもたちも怖じ気づいたようだった。何しろ、彼らには一連の異変の原因が全く分からないのだ。
「な……何か変じゃない?」
「うん、しかも……気のせいかな? 何か頭が痛くなってきた……!」
「わ、私も……気分が悪い……!」
「うう……気味が悪っ! 早く行こうぜ!」
子どもたちは怪奇現象にでも遭遇したかのように顔を青ざめさせ、そそくさと立ち去っていく。大介は溜息をついた。
「やれやれ……ようやく退散してくれたか」
「ふふ、お疲れ」
あとから飄々とやって来た湊を、大介はじろりと睨む。
「お前も少しは手伝えよ。お前の方が圧倒的に子どもウケいいんだからよ!」
「そう? こういう時は大介が適任だと思うけどな。何せ、顔面の圧が違うから」
「うるせえ!」
湊は悪戯っぽく笑ったが、すぐに真顔に戻ると頭上の漆黒色をした巨大蛾を見上げる。
「……でもとにかく、これであの《アンノウン》に集中できる。僕は公園の西側から攻撃するよ。だから大介は、東側に向かってくれ」
「おう。何としてでも、あのデカい蛾をこの公園に引き止めねえとな! そうすりゃ、必ず柚のやつが仕留めてくれる……!!」
大介はマンションの方を見上げた。そこには、《ギャラクシー》を発動させる準備を進めている柚の姿がある。彼女もまた、《アンノウン》を排除しようと戦っている。その事実を噛みしめながら、大介は再び《アンノウン》を睨みつけた。
「来やがれ、巨大蛾! 俺らが相手だ!!」
叫ぶと同時に、大介と湊の二人は走り出す。大介は公園の東側へ、湊はその反対の西側へ。
そしてまず大介が蛾の《アンノウン》に向かって大剣を振るった。大介の身長の二倍はあろうかという大剣を、突き上げるようにして下から上に斬り上げる。
すると、その先端が辛うじて蛾の下腹部を掠めた。
やったか……大介がそう思ったのも束の間、光の粒子でできた防壁――光子フィールドを展開され、大剣は金属音のような音とともに弾かれてしまった。
「くそ、やっぱ効かねーか!」
「それでいいんだ、大介。僕たちの目的は《アンノウン》にダメージを与えることじゃないんだから!」
湊もサイバーウエポンの弓を引き絞り、《アンノウン》に向かって矢を放つ。しかし湊が放った矢も大介の大剣と同様に、光子フィールドで完全に防がれてしまった。
だが、湊は構わず矢を放ち続ける。絶え間なく叩き込まれる大剣による斬撃と、弓による射撃。《アンノウン》はその執拗な攻撃に怯んだのか、警戒して二人と距離を取り、後退する。
そこはちょうどマンションの西棟と東棟の交差する真ん中だ。他に逃げ場はない。しかもそこには柚が待ち構えている。
「こっちに来たって駄目だよ! 逃がさないんだから!」
柚は《ギャラクシー》を発動させつつ、それとは別に《スターダスト》を放った。複数の魔法弾が蛾の《アンノウン》に襲い掛かる。それらのほとんどもまた光子フィールドによって阻まれてしまったが、《アンノウン》は先ほどよりも余裕を失っているように見えた。何せ右手には大介、左手には湊、そして背後には柚。《アンノウン》は三方から囲まれてしまったのだ。
「この追い込んだ状態を維持しよう。柚が《ギャラクシー》を発動させる準備を整えるまで!」
「よっしゃ!!」
「行け! 《飛燕》!!」
湊は《アンノウン》の動きに合わせてスキルを放つ。《飛燕》は弓固有のスキルで、威力の高い攻撃を最大三発まで連射することができる。追尾機能が付与されているため、敵がどこへ行こうとも逃すことはない。
もっとも、ほとんどが光子フィールドによって阻まれてしまうが、《アンノウン》の動きは牽制することはできる。
「どらああああっ! 《エア・ストライク》!!」
大介も《アンノウン》に対してスキルを発動する。
《エア・ストライク》は文字通り敵を斬り上げ、空中に浮かせることができる技だ。相手が小型である場合、さらに空中で他の技へとコンボを繋げることもできる。
もっとも、蛾の《アンノウン》は巨大である上に元もと空中に飛翔しているため、効果は限定的だ。それでも攻撃を与えることはできる。
弓矢に比べると効率性は落ちるものの、剣裁きが巧みであるせいか、《アンノウン》はやはり後退を余儀なくされる。




