第20話 電脳識海
そんなことを考えていると、湊が口を開く。
「話を《アンノウン》に戻そうか」
「《アンノウン》……あのカマキリのことですね?」
「そうだよ! でも、《アンノウン》が全てカマキリになるわけじゃないんだけどね」
柚がそう言うと、画面が切り替わった。比呂の見たことがない映像だ。
「これは今まで俺たちが遭遇してきた他の《アンノウン》だ」
大介の言う通り、目の前にさまざまなタイプの《アンノウン》が浮かび上がる。
蟻や蜂、蜻蛉、カブト虫、蜈蚣などなど。形や大きさは様々だが、黒くて、もぞもぞと蠢く小さい粒子で構成されている点はみな同じだ。そのため、どの《アンノウン》も独特の黒い色をしている。光を全く反射しない、木炭で塗りつぶしたような暗闇色。
柚や大介、湊が協力して、それらと戦っている。
「本当だ……こんなにたくさんの種類がいるんですね、《アンノウン》って」
そう呟くと、柚がうんうんと大きく頷いた。
「《アンノウン》はざっくり言うと、MEIS上に発生する不具合の一種なの。MEISは電子回路を中心とした旧来の通信とわたし達の脳を、電脳ニューロンを介し、ダイレクトに接続する技術でしょ? だから旧い通信システム上で発生した不具合……バグも、ダイレクトにわたし達に影響してしまう。とはいえ、ほとんどの通常バグはデバックシステムが修復してくれるんだけどね。新世界市で時どき、市民生活サポートAIが街中を巡回してるんだけど……見たことない?」
「あ……《ブーオくん》ですね? フクロウのマスコットキャラの」
比呂は新世界市にやって来た時、フクロウの姿をした電脳マスコットに声をかけられたことを思い出す。問題を抱えた市民や観光客を手助けしてくれる、行政サポートAIだ。
「そう! 《ブーオくん》は、すっごく働き者なの! 小さなバグは全部、《ブーオくん》が修正してくれるんだよ!」
「な、なるほど……知りませんでした。《ブーオくん》、なかなか侮れませんね……!」
丸いフォルムに、クリっとした目、デフォルメされた嘴。かなりユルい姿をしていた《ブーオくん》だが、見かけによらずかなり有能であるらしい。湊は「そうだね」と言って説明を続ける。
「ただし、稀に《ブーオくん》では修正できない、特殊なバグが発生することがあるんだ。それがあの煤みたいな黒い粒子……《アンノウン》だよ。《アンノウン》は他のバグと違って除去が難しいし、こちら側から簡単に干渉することもできない。とても厄介な存在なんだ。《アンノウン》には成長段階があって、発生初期は煤状のとても小さな粒子をしている。僕たちはそれを、《アンノウン》の幼生と呼んでいる」
「幼生 ……」
比呂が繰り返すと、柚はまたもや大きく頷く。
「そう! 幼生はほとんどが分散していて、その状態ではそれほど脅威じゃないよ。敏感な人は時たま幼生の影響を受けて体調不良になったりすることもあるけど、それもほとんど稀だし、見えない人や感知できない人の方が圧倒的に多いしね。
でも、幼生が集まって、この間のカマキリみたいに成体になると、格段に厄介になっちゃう! 何たって成体は電子物理化……つまり《電脳物質》化するんだもん! バグは存在するだけで不具合を起こすのに、それが『実体』を伴って攻撃してくるんだよ!! めちゃめちゃ大変だよ!!」
「確かに……《アンノウン》が黒い粒子だった時は触れてもピリピリするくらいだったのに、カマキリ――成体になった途端、痛みや衝撃を感じるようになりました」
その衝撃や痛みは物理的なものによるものではなく、《電脳物質》と同じ、あくまで電脳ニューロンがそう感じさせている錯覚に過ぎない。
物理空間上は存在しない、電脳空間上のみに存在する感覚。たとえるなら、幻肢痛のようなものなのだろう。
ただしそうは言っても、痛いものは痛い。比呂が眉根を寄せると、湊も真剣な表情になった。
「成体は幼生と違って電子物理化しているぶん、データもやたらめったら重い。より高度化・複雑化したバグプログラムは、周囲の環境やインフラそのものに干渉し、さらに深刻な不具合を及ぼすようになる。
その影響は僕たち人間も免れない。何せ僕たちはMEISによって、あらゆる通信環境、あらゆるインフラと同時に多数接続しているからね。
成体となった《アンノウン》のせいで都市機能が麻痺し、それと併行して大勢の人たちが体調不良を起こしたり意識不明になったり……計り知れない被害が出ることもあるんだ。そうなってしまったら、もはや災害だよ。だから成体は発見し次第、すぐに対処する必要がある」
「みーくんの言う通りだよ! 《アンノウン》の厄介なとこは、幼生はほとんど実害が少ないのに成体になったら急に脅威度が上がることと、成体は重大な被害を及ぼすのに見えない人が多いこと。危険なのに見えないって大変だよ。認識さえできれば、自発的に回避しようとすることができるけれど、それができないんだから。なのに、悪影響だけはばっちり受けちゃう」
柚は困った顔をしてそう続けた。しかし不意にニヤリと笑うと、ピッと人差し指を立てる。
「ただし、ひとつだけいい事もあるよ!」
「いい事……ですか?」
「うん! 幼生と違って成体は電脳物質化する……つまりこちらも《電脳物質》を使って『物理作用』を及ぼす事ができるの! 『物理的』に相殺したり、特別なプログラムで破壊したり!!
わたし達が幼生に干渉するのは難しいしすごく手間もかかる。幼生の数や密集度を考えても、デバック作業にはとんでもない人手とコストがかかっちゃう。でも成体なら一発ぶん殴ってやればいいってわけ!」
確かにカマキリと対峙した際、柚と大介、湊の三人は、《電脳物質》で構成されていると思しき武器をそれぞれ手にしていた。幼生には手が出せないが、成体には《電脳物質》を使って攻撃を与えることができるのだ。
「ええと……つまり幼生を見つけたら経過を観察して、成体になったら即、除去するってことですね?」
「そう、そうだよ! 比呂くんは呑み込みが早いね!」
「ありがとうございます。それにしても、幼生に成体 ……ですか。まるで本当に昆虫みたいですね」
「バグだけにな」
大介は、にしし、と笑う。湊も苦笑を浮かべつつ、言葉を続ける。
「まあ、あくまで僕たちがそう呼んでいるだけであって、《アンノウン》が何なのかは分かっていない部分が多いんだけどね。でも、《アンノウン》がどこから来るのかは分かってる」
「え……そうなんですか!?」
比呂は驚いてネオ研の面々を振り返る。あの黒い煤は、てっきりその場で自然に湧いて出たものだと思っていた。そうではなかったのか。あれらは一体、どこからやって来ているというのだろう。強い興味を示す比呂に向かって、湊が口を開く。
「MEISによって構築される現代のサイバー空間を電脳識海、または識海と呼ぶのは知っているよね?」
「はい。ちょうど今日、《情報基礎Ⅰ》の授業で教わりました」
「《アンノウン》はね、電脳識海のずっとずっと、ずーっと奥深くからやって来るんだよ!」
柚は両手を大きく広げてながらそう言った。比呂は首を傾げる。
「え……ええと……。どういうことですか?」
困惑しているのは比呂だけではないらしい。大介も腕組みをしつつ顎を掻いた。
「俺もあんまよく分かんねえんだけどよ、電脳識海ってあれだろ。人間の意識の構造と同じ作りになっているだろ?」
「確か……顕在意識とか無意識とか、集合的無意識とか……ですよね?」
顕在意識とは表層意識とも言い、個人がはっきりと自覚し、認識している意識の事だ。その人が脳で考えていることそのもの、つまり知性や思考、価値観、人格そのものだと言っていい。
それに対して無意識は潜在意識、つまり自覚はないけれど、個人の言葉や行動に影響を与える意識の事だ。より本能的で直感的な欲求や感覚、感情などのことを指し、一方で生命維持を支え、自己の表面では忘れて去った記憶を保存するといった役割なども負っている。
それらはどれも個人の意識が気付くことなく自然と行われており、確実に顕在意識へ影響を及ぼしている。
最後の集合的無意識は無意識の更に深層に位置している人類共通の無意識、全人類が持つ普遍的な無意識集合体の事だ。顕在意識や無意識とは違って生まれながらに備わっており、その存在を感知することはできないが、全ての人類は集合的無意識で繋がっているのだという。
たとえば人はみな、誰かに教えられなくとも他者を愛したり、自然に触れて感動したりする。それは人々が集合的無意識に繋がっていることで、先天的にその術を身につけているからだと言われている。
「そうだね」
と、頷いてから湊は続ける。
「人間の脳がサイバー空間と直結することによって、相互に影響を及ぼすようになり、ヒトの脳が瞬時により多くの電子情報を感覚的に処理することができるようになった代わりに、サイバー空間にもまたヒトのあらゆる情報や性質そのもの、思考そのものまでもが、これまで以上に蓄積し溢れることになった。
結果として、ヒトの意識構造がサイバー空間に落とし込まれるという形になったんだ。そうして誕生したのが電脳識海だね。それはすなわち、サイバー空間が旧来のものよりさらに多層性を帯びるとことになったいうことでもある。
識海の層は大きく分けて四つ。上から表層であるクリア・レイヤー、漸深層であるバシャール・レイヤー、深海層であるアビサル・レイヤー、そしてその更に奥底の最深部に存在すると言われている超深海層、シンギュラリティ・レイヤーだね」
湊の後に柚の説明が続く。
一般的にネット空間と呼ばれているのは、識海のごく表層部分に過ぎない。それはクリア・レイヤーと呼ばれていて、サーフェイスウェブ、ディープウェブ、ダークウェブなどに分かれている。
サイバー空間における社会活動の九割以上がそれらのクリア・レイヤーで行われている。人の意識構造でいうところの顕在意識に当たる部分だ。
しかしクリア・レイヤーはサイバー空間のごく一部に過ぎない。
その下にあるのが漸深層、バシャール・レイヤー。人の意識構造でいうところの個人の無意識である。
そしてそのさらに下層に位置するのが深海層、アビサル・レイヤー。人の意識構造でいうところの集合的無意識だ。
クリア・レイヤーとそれ以外――バシャール・レイヤー、アビサル・レイヤーの間には、境界と呼ばれる層が横たわっており、それによって明確に区切られている。
境界より下層は最近、少しずつ観測が進み、存在が認知されるようになってきたが、その多くは未だに解明されていない。
そのため、漸深層と深海層は合わせてインビジブル・レイヤーと呼ばれることもある。
「……つまり、バシャール・レイヤーやアビサル・レイヤーはわたし達人類にとって未知の領域……まさに宇宙そのものなの!」
柚の説明が終わると同時に、比呂は大きく息を吐き出した。
「はああ……僕たちの使っているネット空間がそんな世界に繋がっているなんて……何だか壮大ですね」
湊と大介もそれに同意を示す。
「そうだね。しかもいわゆる、ネット空間……クリア・レイヤーは広大な電脳識海のごく一部でしかない。これからももっと多くの人がMEISでサイバー空間に繋がるだろうから、識海もまたさらに広がっていくだろうと言われている」
「だがまあ、それは新たな危険と隣り合わせってわけだ」
大介がしかめっ面をしてそう言うと、比呂の周囲の景色が元の部室に戻った。比呂たちは最初と同じで、四人でこたつを囲んでいる。柚がMEISによる記録映像の再生を終了させたのだ。
さらに柚はこたつの上に、表層や漸深層、深海層の構図を簡単にイラストにしたものを浮かび上がらせ、説明を続けた。
「境界より下層の漸深層や深海層の情報が表層に『侵食』してくることはほとんどないよ。オゾン層が地球を守っているみたいに、境界がわたし達を守ってくれているから! ただ時おり、深海層の情報の残滓のようなものが、ネット空間に出現することがあるんだ。それが《アンノウン》だよ!」
「現在、観測されている範囲で分かっているのは、《アンノウン》が深海層のかなり深いところからやって来ているらしいということだけだ。或いはさらにその下にもう一つ別の層がある可能性もあって、でもはっきりとは分かっていない。だから、今は暫定的に超深海層と呼ばれている。いずれにしろ、現在の科学技術では完全に把握することのできない世界だ。
《アンノウン》が黒い煤の姿をしているのは、僕たちの感覚器官では感知できないからだと言われている。僕たちの脳が《アンノウン》を捉えきれなくて、結果として『何だか小さくて黒っぽい粒子』としてしか認識できないんだ。もしMEISの性能が今よりずっと向上すれば、ひょっとしたらその時初めて僕たちにも《アンノウン》の真の姿が分かるのかもね」
湊の説明が本当なら、あの黒い粒子は《アンノウン》の本当の姿ではないかもしれない。本当はもっと別の姿をしている可能性もあるが、比呂たち人類がそれを観測できる方法を備えていないため、「黒く蠢く何か」としか捉えられないのだろう。
「な……なるほど……僕たちの見えてる世界が全てではないということですね。……あ! もしかして柚先輩の二つ名、《深海の魔女》って、深海層のことですか?」
「おおっ、いい勘してるじゃねーか、比呂!」
大介はニヤリと笑う。
「その通りだよ。柚は深海層に潜ったことがある数少ない人物の一人なんだ。そんなことが可能なのは、いくらアクセス権5とはいえ、世界にほんの数人だけだ」
湊の賛辞に、柚は何故だか気まずげな顔をした。
「もう……それはたまたまだよ。偶然、わたしのアクセス権が普通より高かったというだけ。《アンノウン》が何かを解明したとかいうわけじゃないし、そもそもわたしが自分の努力で何かしたわけじゃない。せめてもう少し、みんなの負担を軽くできる力だったらいいのに……」
「柚先輩……」
唇を噛む柚の姿を見て比呂は思った。柚はとても責任感のある性格なのだな、と。
見た目こそ幼い小学生の女の子だが、本人はその事に甘えることなく、ネオ研の部長としての務めを果たそうとしている。アクセス権が5であることも、全く鼻にかけた様子はない。だからこそ、年の離れた大介や湊も柚を部長と認めて慕っているのだろう。
「まあ、そこまで深刻になるなよ、柚。《アンノウン》の正体は分かんねーけど、ぶっ飛ばすことはできる! 今はそれで十分だろ?」
大介はガッツポーズをしながら豪快に笑った。
「そ、そう……ですかね……?」
「まったく、大介のそういう、脳筋で全てを解決しちゃうとこ、ほんと羨ましいよ」
疑問符を浮かべる比呂と呆れる湊だったが、大介はそういった二人の反応を全く意に介した様子はない。
「ま、俺は難しいことをごちゃごちゃ話すのにゃ、向いてねーし。肉体労働が専門ってだけだ」
「大ちゃんは突撃兵タイプで、めっちゃ頼りになるんだよ!」
柚もそんな大介を信頼しているらしく、にこにこしている。
「確かに、とても強そうですよね、大介先輩。実際、カマキリにも大剣で戦ってかなりダメージを与えていましたし」
先ほど柚が見せてくれたMEISによるXXR記録映像の中でも、大介は率先して前衛に立ち、大きな剣を振るって《アンノウン》と戦っていた。大介は体格も大きく、非常にパワフルだ。柚や湊も彼がいればさぞや心強いだろう。
「でも……結局、《見える人》というのは何なんですか?」
柚は昨日、比呂のことをそう表現していた。「比呂くんは『見える』人だ、適性ばっちりだよ」と。それが「《アンノウン》が見える人」を指していることは何となく分かるが、改めてきちんと聞いておきたいと思った。柚は快くそれに応じてくれる。
「《アンノウン》は、普通の人には基本的に『見えない』……つまり感知できないんだけど、時おり《アンノウン》を感知することができる人がいるの。わたしや大ちゃんやみーくん、そして比呂くんみたいにね。
いかんせん、《アンノウン》のこと自体がよく分かっていないから、どうしてわたし達に《アンノウン》が感知することができるのかそのメカニズムにも謎が多いんだけど、一説には脳の視覚野に電脳ニューロンが密集して発達していると、《アンノウン》が見えるようになるんじゃないかって言われているみたい」
「要はそういう体質ってことだな。霊感みてえなもんだ」
大介の言葉はざっくりしているが、とても分かりやすい。《アンノウン》を『見る』力は、努力や願望で身につけることができるわけではない。電脳ニューロン――つまり生体素子の発達の仕方次第で、偶然そういう能力を持った者が生まれるのだ。
「霊感……まるでオカルトみたいですね。……って、あ!」
比呂が目を見開くと、柚も興奮して身を乗り出した。
「そう、そうなんだよ! 気づいた、比呂くん!? わたし達、叡凛高校MEIS災害対策チームがネットオカルト研究部を名乗っている、その理由!!」




