第17話 授業
「おい、比呂! 起きロ!」
「遅刻、チコク!!」
「や、やめろって。起きたよ、起きたってば!」
白羽と黒羽にくちばしでつつかれ、比呂は目を覚ました。
いつもと変わらぬ朝。叡凛高等学校に登校するため制服に着替え、他の身支度も整えると、テーブルで朝食をとりつつ、網膜ディスプレイにネットのニュース番組を映す。
さまざまなニュースが流れるが、特に目に付くのはBBMI(バイオ・ブレイン・マシン・インターフェース)、MEIS関連の情報だった。新しいサービスが始まるという明るい話題の一方で、日本は他の先進国と比べるとMEISの普及率が低く遅れている、特に中高年世代の拒否反応が激しいというニュースがアナウンサーによって紹介さる。
それから話題は注目の人物を取り上げるコーナーに移った。
『今、最も勢いのある企業と言えば、そう! 言わずと知れたアメリカ企業のソピアー社! B‐IT分野でトップのシェアを誇り、業績も過去最高益を更新し続けています。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いです。
そのソピアー社の日本法人、ソピアージャパンの代表にこの度、奥野匡宗氏が就任することが発表されました。奥野氏は現在、56才。電脳ニューロンの生みの親として知られる故・手塚壱成氏の主導する研究チームでMEIS技術の確立に貢献しました。手塚氏の死去後、渡米。研究者としてだけではなく、経営面においても卓越した手腕を発揮しています』
アナウンサーの解説と共に奥野匡宗の映像が大きく映し出される。中肉中背で、56才とは思えないほど若々しく、パワフルな印象を与える人物だ。
比呂はそれと同時にニュース動画を閉じて、空になった皿とマグカップを手に立ち上がった。
「……そろそろ学校に行こうか」
比呂が白羽と黒羽に声をかけると、二羽は電脳ペット用のエサを啄みながら首を傾げた。
「今日は、いつもより早いんだナ」
「まだ新学期が始まったばかりだからね。余裕を持って行動したいんだよ」
「出陣ー! 出陣ジャーッ!!」
「こらこら、そんな慌てて飛び出したら危ないぞ」
外に出て玄関の扉を閉めると、直後に自動で鍵がかかる。顔認証で鍵が勝手に開閉するため、鍵を持ち歩く必要が無く、とても便利だ。鍵を紛失する心配も無い。
学校へ向かう通学路を歩いていると、他にもちらほら叡凛高校の制服を着た生徒の姿が見られた。みな第二区域・再開発地区に下宿先があり、徒歩で高校へ通っているのだろう。
早めに家を出たので、まだ時間に余裕がある。叡凛高校へ向かう道をゆっくり歩いていると、背後から声をかけられた。
「香月くん!」
比呂は後ろを振り返る。声の主は女子テニス部の二年生、三雲るりだった。
「あ、三雲先輩。おはようございます」
「おっはよー! 鳥くんたちも元気そうだね」
白羽と黒羽は、カアカアと鳴いて三雲に答える。三雲は今日も元気溌剌だ。彼女の快活な動きに合わせて、後頭部のポニーテールも勢いよく跳ねる。三雲は比呂の隣まで来ると、並んで歩き始めた。
「そういえば昨日の部活紹介、見ましたよ」
「え、ホント? ひょっとして香月くん、テニス部に入る気になってくれた?」
「いえ……実は僕、ネオ研に入部しようかと思っているんです」
「ネオ研って……まさか、ネットオカルト研究部!?」
「すみません、せっかく誘ってもらったのに」
比呂が詫びると、三雲は右手を左右にぶんぶん振って笑った。
「いいよ、いいよ。気にしなくて。それに……入部先があのネオ研なら、仕方ないかって感じだしね」
それは一体、どういうことなのだろう。ネットオカルト研究部はそれほど特別な存在なのか。不思議に思っていると、比呂の疑問が伝わったらしく、三雲は説明をしてくれる。
「ネオ研って、見かけはちょっと変わってるっていうか…… 個性的? だけど、他の生徒からは信頼されてるの。困ったことがあったら話を聞いてくれるし、特に先生や大人には『気のせい』で片づけられちゃう、いわゆるオカルト系の悩みを解決してくれるから」
「オカルト……ですか」
「結構あるよー。叡凛高校だけじゃなくて、新世界市全体に多いってかんじ。誰もいないはずの音楽室からピアノの音が……とか、体育館の中をひとりでに跳ねるバスケットボールとか。あと、行き止まりになっているはずの場所がいくつかあるんだけど、特定の時間帯にそこへ行くと、地図上にはない謎の区域が出現する噂……とかね。そんなの、しょっちゅうだよ」
やはり事前の調査通り、新世界市にはオカルト話が溢れているらしい。実際、三雲の口振りだと、その手の話には慣れているようだ。
「ううーん……でも、どれもMEISの不具合で説明できそうじゃないですか?」
敢えてそう指摘すると、三雲はあっさりと頷いた。
「まあ、種明かしをすればそうなんだと思うよ。MEISの不具合で、聞こえないはずの音が聞こえたり、見えないはずのものが見えたり。でもそれって、MEISを搭載しているあたし達にとっては線引きが曖昧っていうか……不具合も怪奇現象もぶっちゃけ似たようなものでしょ? もちろん深刻な不具合は病院に行かなきゃだけど、それほどでもない、現代技術や現代医療でも原因の分からない軽微な不具合もけっこうあるしね。だからって、それを放置しておくのも不気味っていうか……気持ち悪いし。そういった時、ネオ研に相談するってワケ」
「そうですか。なかなか興味深いですね」
神妙な顔をする比呂に、三雲は悪戯っぽい視線を向ける。
「本物のオカルトじゃなくて、がっかりした?」
「いえ、そんなことないですよ。ところで、そのMEISの不具合……オカルト話の中に、死んだ人が甦ったという類のものはありませんか?」
「死んだ人が? 幽霊みたいに?」
「はい。《電脳幽鬼》と呼ばれる怪談みたいなんですけど」
三雲は目を瞬き、腕組みをして「うーん」と考え込んだ。
「幽霊の噂は今のとこ聞いたことが無いかなあ。でも、あたしも新世界市へ来てまだ二年目だから、そこまで詳しいわけじゃないんだよね。叡凛の初等部や中等部から進級してきた子たちなら、新世界市での生活も長いだろうし、何か知っているかも。それこそ、ネオ研の部員ならいろいろ情報を集めているんじゃない? 気になるなら聞いてみたら?」
「……はい、そうします。すみません、何か変なこと聞いちゃって」
「いいよ、いいよ。ネオ研の活動をするなら、この手の話には詳しくなきゃだもんね。頑張ってね、我らがヒーロー!」
「は、はい……」
三雲は比呂の背中を励ますように軽く叩いた。三雲の言動には、オカルトやネオ研に対するネガティブな要素は全く無く、むしろ前向きに歓迎しているようですらあった。あまりのポジティブさに、比呂は却って怯んでしまう。
(オカルト研究部が市民権を得ていて応援されているって、何か不思議な感じだな。普通はもっと胡散臭がられるものだと思っていたけど……叡凛高校の人たちは大らかな人が多いのかな)
しかし、比呂はすぐにその考えを改めた。
(……いや、ネオ研のイメージがいいのは、きっと三人の先輩たちが努力したからだ。みんなの悩みを聞いて解決し、信頼を得るよう努めてきたからなんだ。先輩たちの活動は決して怪しいものでなければ後ろ暗いものでもないし、みんなからもこうして感謝されている。僕も入部するからには、それに貢献できるように気合いを入れないと……!!)
もちろん、《電脳幽鬼》の情報は欲しい。ネットオカルト研究部に近づいたのはそのためでもある。
でも、事前に調査した際も《電脳幽鬼》の情報はほとんど出てこなかった。長期戦になることを覚悟して焦らず、まずはネットオカルト研究部に馴染めるよう努力しよう。比呂はそう心に決める。
学校が近づいてきたからか、周囲には叡凛高校の生徒の姿が増えてきた。一方、比呂の隣を歩く三雲は、不意に顔をしかめ肩を回す。
「あー、それにしても疲れ溜まってるなー」
「え、大丈夫ですか、三雲先輩?」
比呂が心配すると、三雲は肩を落として溜息をついた。
「んー、最近テニス部の練習、頑張りすぎかも。なかなかこう……すっきりしないんだよねー」
「部外者の僕が言うのもなんですけど、少し休んだ方がいいのでは……?」
「それはムリ。地区大会が近いから、絶対に休めない! 一緒にペアを組んでる子に迷惑かけちゃうし、コーチや部長をがっかりさせちゃうよ。あたし達、エースチームだから」
「でも……」
「平気、平気! 安心して! あたしにはMEISヒーリングがあるから!」
「MEISヒーリング……ですか」
「そう! 最近、第二区域・再開発地区にある雑居ビルで始まった、リラクゼーションサービスなの! 《エル・ドラード》っていうお店なんだけど」
(そういえば、どこかでそんな広告、目にしたな)
確か、比呂が初めて新世界市へ足を踏み入れた日、第一区域・港湾地区でクマの電脳マスコットがMEISヒーリング店の宣伝をしていた。聞いたことのない珍しいサービスだったから、記憶に残っていたのだ。
三雲はよほどMEISヒーリングが気に入ってるのか、声を弾ませて説明する。
「最初は友達に勧められたんだけど、これがけっこう効果あるんだよね~。しかもカプセルみたいな寝台に入って寝るだけ。簡単でしょ? 一回につき三十分くらいで終わるんだけど、かなりリフレッシュできるよ。まあ、完全に疲れをとるまではいかないけど、負担軽減にはなっていると思う。実際、ヒーリングが終わった後ってすごくすっきりするし、香月くんにもおすすめだよ! クーポンチケットあるからそれあげる。初回無料で三回までなら半額になるんだよ。超お得でしょ? 叡凛高校の生徒で通ってる人、他にもいっぱい知ってるし、とにかく騙されたと思って行ってみて!」
「は、はあ……」
戸惑う比呂の手に、三雲はクーポンチケットを握らせる。紙のような質感だが、アナログの紙ではなく、《電脳物質》でできたチケットだ。ちょうどその時、比呂たちの後ろから声が聞こえてくる。
「るりー、おはよー!」
「おっはよー! ……それじゃあね、香月くん!」
そして三雲は友人と思しき女子生徒の元へと走り去っていった。
比呂は三雲からもらった、《電脳物質》でできたクーポンチケットを手に立ち尽くす。クーポンは全十回分もあり、一回は初回無料、三回は半額で、残りの六回分もドリンク無料や十分延長など様々なサービスが受けられるらしい。
データのみでなくわざわざ《電脳物質》にしているところを見ると、思ったよりきちんとした店なのだろうか。《電脳物質》を実装するのは、データのみより金がかかる。それなりに資本のある企業でないと取り入れられないのだ。
(えっと……これ、どうしよう?)
今のところ、比呂はあまりリラクゼーションに興味がない。MEISヒーリングは面白そうだとは思うものの、足を運ぶほどではないと思っている。
しかし、先輩である三雲るりからもらったものをおいそれと削除してしまうのも気が引けた。思案した末に、取り敢えずチケットをMEISのバイオストレージに保存しておくことにした。
バイオストレージはMEISの海馬――つまり脳の中にある。電子空間上にあるオンラインストレージよりデータの取り出しが早くて簡単だが、オンラインストレージより小容量でデータも破損されやすいという欠点がある。
(MEISヒーリングは叡凛高校の生徒に人気があるみたいだし、誰か欲しいという人がいたらその人に譲ろう)
それから比呂は気を取り直すと、他の生徒と共に学校へ向かった。
B‐IT時代とはいえ、学校の授業は昔とそれほど変わらない。いくらMEISのおかげで何でも即座に調べられるとはいえ、一般常識は必要だし、協調性や他者を思いやる心も必要だ。何より古来より人間は社会を作り文明を築いてきた。だからアクセス権のレベルいかんにかかわらず、学校で集団生活を送り社会性を身につけなければならないのだ。
ただ、昔とは違うことが二つある。一つは、かつての学歴がほとんど通用しなくなっていることだ。その代わり今は、アクセス権が重視されている。
アクセス権とは言ってしまえば、各人のMEISにおける『CPU性能レベル』のようなものだ。MEISにおいては、人の脳がそのままCPU(演算装置)の役割を果たしており、他にもメモリのような記憶装置や制御装置としての役割も兼ねている。そのため、MEISの性能によってアクセスできる情報量や処理速度が違ってくるのだ。
MEISの性能は、各人の脳内で成長し、増殖する電脳ニューロンの数によって変わってくる。電脳ニューロンの数が多いと、MEISのCPU機能も上昇し、必然的にアクセス権も上がる。電脳ニューロンの数が少ないとアクセスできる情報量が少なくなり、アクセス権も下がってしまう。
どちらにしろ、わざわざ勉強し、無理に学力を伸ばさなくてもMEISがあれば知識は瞬時に得られる。アイディアでさえ、今やその大半を高度AIが生み出してくれる時代だ。
高速大容量、高信頼・低遅延通信、そして多数同時接続。それに今は現実世界と電脳世界の完全融合、つまりXXR(Trans-cross Reality)が加わっている。それらは全て、MEISがうまく機能してこそ実現することができる。
よって現代の教育は、学力よりは健全な脳神経細胞や電脳ニューロンを育成することを重視しているのだ。
その結果、学校のカリキュラムは以前と比べ、体育や芸術など、体や感覚を使う授業が増えた。何故なら、適度な運動をしたり良質な芸術に触れたりすると、脳に良い刺激を与えられると考えられているからだ。
逆に激しすぎるテスト勉強やストレスのかかりすぎる行き過ぎた受験勉強は悪とされる傾向になりつつある。過度の負担やストレスは、健全な脳神経の発育にとって多大な害を及ぼすため、忌避される傾向にあるのだ。
学校教育に関して昔と変わったことの二つ目は、情報に関する科目が以前と比べ、より重視されるようになったことだ。
最新の情報技術の仕組みはもちろんのこと、情報技術の歴史や現状、或いは社会における問題点と課題。そしてB‐IT社会における望ましい情報リテラシーなど、広範囲にわたって学んでいく。
その中心を占めるのは、やはりBBMI(バイオ・ブレイン・マシン・インターフェース)、MEISだ。
さらに特徴的なのは座学だけでなく実技も設けられていることだった。プログラミング技術や人工知能技術といった旧来の実技に加え、より高度なMEISの操作方法を学ぶ機会も設けられている。
今日の一限目の授業は『情報基礎Ⅰ』。
主に情報技術の歴史について学ぶ授業だ。
白羽と黒羽を校外に残して教室に入ると、やがて授業開始のチャイムが鳴る。入ってきたのは三十代ほどの男性教師で、名を東海林丞といった。東海林先生は自己紹介をした後、さっそく授業に入る。
「えー、今朝のオンラインニュース番組を見た人も多いと思う。ソピアー社の創業者メンバーの一人であった奥野匡宗氏が日本支社であるソピアージャパンの代表を務めることが発表されたね」
比呂が今朝、目にしたネットニュースを東海林先生も見ていたらしい。クラスの女子の一部も興奮した様子で口にする。
「奥野さんって、かっこいいよねー! スタイリッシュでめっちゃ優秀そうだし、英語ペラペラ!」
「そうそう、マスコミの怒涛の質問攻めにも全く動じないし!」
すると、今度は男子生徒の一人がそれに反論した。
「えー、とはいえ、おっさんだろ? 英語だって今はMEISの高速翻訳機能があるからそこまで必要じゃないし」
「おっさんでも、かっこいい人はかっこいいの!」
「まあ、星谷には縁のない話だよね」
「うっせえ、こちとら興味もねえっつの!」
入学したばかりだというのに、驚くくらいフランクな会話だ。彼らはおそらく幼稚園や初等部、或いは中等部などからずっと叡凛に通っている生徒だろう。既に互いに顔見知りなのだ。
「おーい、お喋りはそこまでな」
東海林先生は生徒の私語を軽く注意してから、授業を進める。
「実はこの奥野氏と共にMEISの基礎を築いたのが、故・手塚壱成氏だ。
手塚氏は再生医学の研究者で、脳神経や脳細胞の培養技術の向上に注力した。その研究過程で発見されたのが現在、僕や君たちの脳にも移植されている生体素子、電脳ニューロンだ。
電脳ニューロンは簡潔に表現すると、脳内で行われていた電気的信号による情報処理と情報伝達を光信号に変換する人工神経細胞だ。
詳しくは後日、改めて取り上げるが、元来の脳神経細胞に、人工神経細胞である電脳ニューロンを移植し、新たに組み込むことで、これまでヒトの脳機能にはなかった光通信伝送路を構築することができるようになった。
……つまり、電脳ニューロンを移植した人間は電子機器とダイレクトに光情報のやり取りをすることが可能となったんだ。
奥野氏と手塚氏の研究チームは、電脳ニューロンの研究をさらに進め、BBMI(バイオ‐ブレイン・マシン・インターフェース)へと発展させると、さらに網膜ディスプレイやニューラルマウスなどを組み合わせ、MEIS(Meta‐electronic infomation systems)の基礎を作り上げた」




