第13話 手紙
「そ、そうだよね……。比呂くんだってせっかくの高校生活、エンジョイしたいよね……」
「あ、いえ。僕は……」
もともと、ネットオカルト研究部の入部希望だったんですが。しょんぼりと肩を落とす柚に向かって比呂はそう口にしかける。
するとちょうどその時、二階堂湊が地上に降りてきた。
「あれ、君……確か部活動説明会の会場に来ていたよね。新入生?」
比呂の姿を見るなり、湊は微笑を浮かべてそう尋ねた。改めて相対すると、湊の言葉や仕草からはさり気ない上品さが感じられ、育ちの良さが窺える。中性的で涼やかな目元がとても印象的だ。それに前髪がさらりと揺れる。
柚は目を丸くした。
「みーくん、覚えてるの!?」
「うん。ただ一人、真剣そうな表情をして僕たちの発表を見てたから、けっこう記憶に残っていたんだ。僕、人の顔と名前を覚えるのが得意だからさ」
湊はあくまでにこやかだったが、ふと比呂を見つめる瞳に鋭い光を宿す。
「……ねえ、君。ひょっとして部室棟の三階南廊下にある消火器に触れてみた?」
「あ、はい。でも暗証番号が分からなかったので……直接、先輩たちを探した方が早いかと思って」
それを聞き、柚は腕組みをしながら、うんうんと頷く。
「そっか、《アンノウン》の成体があれだけはっきり見えたなら、あのメッセージも当然、見えてるよね。……あれ? でもあのメッセージを見てネオ研の部室に行ったってことは……つまり比呂くんはネオ研の入部希望者だってこと!?」
「はい。部活動説明会で先輩たちの姿を見た時から、ネットオカルト研究部に入りたいと思ってました」
柚がさらに顔を輝かせたのは言うまでもない。あまりの嬉しさからか、言葉にならない歓声を上げ万歳をしてピョンピョン飛び跳ねる。
だが、表情を一変させたのは柚だけではなかった。大介はくわっと目を見開き、ずんずんと比呂に近づいて来る。
そのあまりの迫力に、比呂は「ひいっ」という悲鳴が漏れそうになるのを慌てて呑み込んだ。ひょっとして、自分の入部は歓迎されていないのだろうか。
思わず不安になったが、それはただの杞憂だった。大介は一転して破顔すると、比呂の背中をバンバン叩いた。
「んっだよ、そうならそうと早く言えよ! 適性ありの上に意欲もあるとなりゃ、言うことなしだぜ!! 俺は御剣大介。よろしくな、比呂!」
「よ、よろしくお願いします!」
「ははは、そう緊張すんなよ。気楽にいこうぜ!」
大介は、その大きな体格と威圧感のある顔立ちからは想像ができないほどフレンドリーだった。その声にも表情にも、喜びが溢れている。
それまで素っ気ない風だったのは、あくまで比呂の意志を優先するためだろう。勢い任せにネットオカルト研究部へ入部したりすることがないようにと気を使ってくれたのだ。そう考えると、見た目に反して細やかな気配りのできる人物なのかもしれない。
湊もまた、比呂に向かってにっこりと笑った。先ほどまでの探るような気配は、もうどこにも無い。
「僕は二階堂湊。これからよろしくね、比呂。……ネオ研の活動はいろんな意味で独特だし、危険が全くないと言ったら嘘になるけど、慣れたらけっこう楽しいよ。やりがいもあるしね。無理せず、ゆっくりやろう」
「はい、頑張ります!」
ネットオカルト研究部にはいろいろ謎が多い。部活紹介で目にした比呂だけに読めるメッセージは何なのか、何故あの正体不明のカマキリと戦い倒すことができたのか。けれど、こうして入部を歓迎してもらえるとやはり純粋に嬉しかった。
比呂には比呂の目的があり、ある種の下心があってネットオカルト研究部に近づいた、それは事実だ。とはいえ、入部するからには当然、真面目に部活動に参加するつもりだった。
たとえ目的が達成できなくとも、途中で投げ出したりする気もない。そしてできる限り、ネットオカルト研究部の先輩たちと仲良くし、高校生活を楽しみたい。それは中学時代の比呂には手に入れられなかったものだから。
白羽と黒羽もカアカアと鳴いて比呂たちの周りを飛びまわる。
「比呂、頑張レ! 頑張レ!!」
「俺は寝るがナ!」
「あはは、すごいお喋りだねー! この子たち、比呂くんの電脳ペット? 何ていうお名前なの?」
「白い方が白羽で、黒い方が黒羽です」
「そっか。わたしは柚だよ。よろしくねー、白羽、黒羽!」
「よろしくナ、柚!」
「ゆず、ユズ!!」
そう言うと、白羽と黒羽は並んで柚の頭の上にとまった。二羽が初対面の人に対してここまで慣れるなんて、珍しい事だ。大介も指先で白羽と黒羽の頬をくすぐっていたが、ふと湊の方を振り返る。
「そういや湊、お前、何で比呂が部室棟の三階南廊下へ行ったって分かったんだ?」
「ふふ、そうだね。敢えて言うなら勘……かな?」
湊は含みのある笑みを浮かべ、ウインクをする。何だか全て見透かされているようで、比呂は落ち着かなかった。言動が分かりやすい柚や大介に比べ、湊は一筋縄ではいかない性格をしているようだ。
柚は頭の上に白羽と黒羽を乗せたまま、両手を広げて声を弾ませる。
「ねえねえ、大ちゃん、みーくん! さっそくみんなで比呂くんの入部祝いしよ!!」
「それはいいね。でも今日はもう遅いから、明日にしようか」
湊が指摘すると、大介も頷いた。
「言われてみりゃ、もうこんな時間か。ここに来るまでにも二体の《アンノウン》を倒したことだし、確かに今日はもう解散した方がいいかもな」
「じゃあ明日、授業が終わったら買い出しだね! おっと、そーだ! 比呂くん、アドレス交換しよ!」
「あ、そうですね」
「おー、俺にも頼むわ」
一通りアドレス交換が終わった後、湊は改めて真剣な表情になり、比呂に告げるのだった。
「比呂、《アンノウン》……さっきのカマキリみたいなやつのことなんだけど、《成体型アンノウン》といって、ちょっと手強い相手なんだ。そのぶん接触した時に受ける影響も大きい上、ダメージにタイムラグが発生することもある。だからもし、家に帰って何か異常を感じたら、すぐに連絡して欲しい。見たところバイタルデータは安定しているみたいだし、大丈夫だと思うけど、病院に行った方がいいケースもあるから」
「はい、分かりました」
頷くと、今度は柚が口を開く。
「ネオ研のこととか《アンノウン》のこととか、疑問なこといっぱいあると思うから、明日まとめて説明するね!」
「……はい!」
それから、比呂はネットオカルト研究部のメンバーと共に、無人バスの通る大通りまで移動することになった。ごみごみとした昔ながらの商店街を抜けると、きれいに区画整備された広い道路が広がっている。真新しい建物が立ち並んでおり、その中には下宿先のマンションもあった。
無人バスのバス停の近くまで来ると、比呂はネットオカルト研究部のメンバーと別れる。
「じゃあね、比呂くん! また明日ねー!」
「帰ってしっかり寝ろよー」
「明日の放課後、ネオ研の部室に集合ね。『鍵』は解除しておくから」
「ありがとうございます。先輩たちもゆっくり休んでください」
ぶんぶんと嬉しそうに両手を振る柚。大介と湊も手を振って比呂に別れを告げると、柚と共に叡凛高校に向かって歩き去っていく。比呂はそれを見送ってから、白羽と黒羽に声をかけた。
「さあ、僕たちも帰ろうか」
「帰るゾ、帰るゾ!」
「やれやれ、とんでもない目に遭ったナ」
白羽と黒羽は先導するように比呂の先を飛んでいく。二羽ともいたって元気で、特に異常は見受けられない。カマキリとの戦闘で何か深刻なダメージを負った様子もなく、比呂は心からほっとした。それもこれも、ネットオカルト研究部のメンバーが助けてくれたおかげだ。
(ネットオカルト研究部の人たち、とても親しみやすいし、何より優しかったな。何となくだけど……うまくやれそうな気がする。……良かった。僕はネットオカルト研究部に入るために叡凛高校に……この新世界市に来たんだから)
比呂が叡凛高校に入学した最大の目的は、死んだ母を取り戻すことだ。その目的を抱くようになったきっかけは、ネット上である噂を聞いたことだった。
いわく、他界した人間がMEIS空間上に甦ることがあるという。まるで、幽霊のように。
だがその特殊な幽霊はMEISを搭載している者にしか見えないのだ。現実世界では絶対にあり得ない、電脳空間上だからこそ成立する存在。一部ではその電脳空間上に甦った死者のことを、《電脳幽鬼》と呼んでいるらしい。
比呂は初めてその噂に触れた時、真っ先に母のことを思い出した。
幼い比呂の元へ生前そのままの姿で現れた母、香月杏奈。夢ではない。幻でもない。あの時、確かに死んだ杏奈は比呂の元へ戻ってきたのだ。
比呂はその体験を祖父母に訴えたが、二人とも比呂が夢を見ていたのだろうと言って本気にはしなかった。比呂もまた、いつしか、自らが幼かったゆえに記憶の混濁を起こしたのだろうと思うようになっていた。
だって、死んだ人は生き返らない。それはどうあっても動かせない、厳然としたこの世の理なのだから。
けれど、もし比呂の前に現れた杏奈が《電脳幽鬼》だったとしたら。そして今も、ネット空間上のどこかに存在しているのだとしたら。
どんな手を使っても母と再会したいと比呂は思った。電脳上にしか存在しない情報でもいい。実体なんて無くたって構わない。もう一度、もう一度だけ会いたい。
それから比呂は、《電脳幽鬼》なる現象のことについて徹底的に調べた。いつどこで、どういったシチュエーションで起こる怪奇現象なのか。独自に再現するのは可能なのか。
だが残念なことに、詳細を掴むことはできなかった。ネット上に溢れるオカルトや都市伝説の中で、《電脳幽鬼》はそれほどメジャーなジャンルではなく、情報があまりにも少なすぎたのだ。
しかし調査を続けていくうちに、あることに気づいた。
一つは、このB‐IT時代においても《電脳幽鬼》のような不可解なオカルト話がネット上には溢れていること。
もう一つは、そのB‐IT時代のオカルトには、新世界市を舞台にしたものが数多くあること。
そういった新世界市由来のオカルト話には、一つ大きな特徴がある。それはMEISが深く関わっていることだ。新世界市が、最もMEIS環境が整っている街であることを考えると、それも不思議な話ではない。
おそらく、単なるMEISの不具合が噂となり、それに背びれ尾びれがついて広大なネットの海に広がっていき、結果として怪奇譚やネットロアと化したのだろう。
論理的かつ現実的に考えるならその可能性が一番高い。
そう、全てはちょっとした行き違いや勘違い、或いはMEISの不具合が原因なのだ。幽霊なんて存在しない。だが頭ではそう理解していても、比呂は《電脳幽鬼》の調査をやめることができなかった。それどころか、怪奇譚やネットロアを調べれば調べるほど、実際に新世界市へ行って自分の目で確かめたいという気持ちが高まっていった。
比呂はずっと知りたいと思ってきた。あの日、死んだはずの母がどうして戻ってきたのか。母は、本当は何になってしまったのか。
もしあれが、比呂のMEISの不具合によって生じた現象だとしても、その発生原因を知りたかった。どうして母が《電脳幽鬼》となって自分の前に現れたのか。
ひょっとしたら……母は今もこの広い電脳の海のどこかにいて、探せば彼女を取り戻す方法があるのではないだろうか、と。
ネオ研に入ったとして、必ずしもその謎が解けるとは限らない。彼らの活動は《電脳幽鬼》とは何の関係もない可能性だってある。だが行動を起こすのを諦めるなんてできなかった。
(たとえ、《電脳幽鬼》でも構わない。ひょっとしたら、母さんは電脳の海のどこかにいるかもしれない。もう一度、母さんに会うことができるかもしれないんだ……!!)
父に裏切られ、社会に裏切られ、その果てにある日突然、命まで奪われた母。前日まであんなに元気だったのに……元気であるように見えたのに。
けれど本当は、母は傷つき疲れ果て、ボロボロだったのかもしれない。幼い子どもだった比呂は、その事に気づけなかった。どうすることもできなかった。
(僕は多分……まだ母さんの死を受け入れられていないんだ。母さんの死を理不尽だと感じていて、だからこそ取り戻したいと思ってる)
自覚はある。だからこそ、母を探す手がかりがあればどんな小さな情報でも欲しい。たとえどれほどの危険が待ち受けていたとしても、どんな犠牲を払わなければならなかったとしても。
比呂は唇を噛みしめた。するとその気持ちを汲み取ったのか、白羽と黒羽が戻ってきた。
「比呂、悩んでるのカ?」
「比呂、今ならまだ引き返せるゾ」
「……平気だよ。待ってるばかりじゃ、何も手に入らない。自分が動き出さなきゃ、真実なんてとても掴めない。でも……心配してくれてありがとな、二人とも」
比呂は両肩にとまる白羽と黒羽の背を交互に撫でた。
そう、行動を起こさなければ何も変えられはしない。もう待っているだけなんてうんざりだ。
もっとも、勇気を奮い立たせて行動した結果、あんな巨大なカマキリの姿をした怪物に遭遇するなんてさすがに思いもしなかったけれど。
(あの黒い粒子やカマキリのこと、ネオ研の人たちは《アンノウン》と呼んでいたな。《アンノウン》……『未知』という意味か)
これから比呂の行く先にどんな『未知』が待ち受けているのだろう。それを考えると少しだけ緊張し、そして同時に気分が高揚する。
家に帰ってドローンが運んできた食事を済ませ、入浴したりネットで動画を見たりして過ごした。まだ授業は始まっていないので、宿題は出ていない。
それらを一通り終えると、比呂は手紙アプリを立ち上げた。
ペンも紙も《電脳物質》で、それを使えば本物の手紙をそのまま電脳空間で再現できる。実質的には生体マウスでタイピングするメールやメッセージと変わらないのだが、手書き文字が演出できる点が気に入って愛用していた。
その方が自分の心情を相手へ伝えられる気がして、特にアネモネへメールを出す際はそのアプリを使うようにしている。
椅子に座って机に向かい、その手紙アプリで文書を新規作成し、現れた『紙』にペンツールで文字を書き込んでいく。
『親愛なるアネモネへ
昨日は僕に会いに来てくれてありがとう。久々に一緒に過ごせてとても楽しかった。
今日は叡凛高校の入学式がありました。叡凛高校は校舎も施設もあんまりきれいで豪華で、まるで異世界に迷い込んだみたいな感じがしてしまいます。でも、校長先生のあいさつは普通に長くて、そこは何故だかちょっと安心しました。
何となくだけど、新しいクラスにも上手く馴染めそうな気がします。
部活動紹介もあって、僕はネットオカルト研究部に入部することに決めました。妹の詩織はこのB‐IT時代にオカルトなんてあり得ない、胡散臭いと言うけれど、独特のロマンというかワクワク感があると僕は思います。
ネットオカルト研究部……ネオ研の先輩もとても親しみやすくて、いい人たちみたいです。
それから、今日はさっそく大事件に巻き込まれました。すごく怖かったし、痛かったけれど、少しだけ……ほんの少しだけワクワクしました。
とても刺激的な体験だった。
新世界市は小さな人工島だけど、いろいろと奥は深いようです。説明すると長くなってしまうので、詳しい話は次に会った時にするね。
この街のこと、しっかり勉強しようと思います。いつか君と一緒にいろいろなところへ行けるように。
比呂より』
比呂は手紙を書き終えると、紙を折りたたみ、同じ《電脳物質》でできた封筒に入れる。そしてそれを黒羽へ渡した。
「黒羽、頼むよ」
すると黒羽は、「よっシャ!」と答え封筒を咥えると、窓の外へ向かった。そしてそのまま、どこへともなく飛んでいく。
手紙を運ぶ仕事はいつも白羽と黒羽に、代わりばんこに頼んでいる。どちらか一方に絞ってしまうと、残る一方が拗ねてしまうのだ。二人ともアネモネが大好きだから、手紙を運ぶ仕事も取り合いだ。
しばらくすると、黒羽は比呂の元へ戻ってきた。くちばしには、比呂が書いたものとは別の手紙を咥えている。それに気づいた比呂は声を弾ませた。
「アネモネからの返事だ!」
我ながら喜びが声に出過ぎていると思ったが、現に嬉しいのだから仕方がない。
アネモネは気まぐれで、返信をくれることもあればくれないこともある。そうかと思えば、ある日、何の前触れもなく急にやって来ることもある。ちょうど、先日のように。
しかし比呂はそれに腹を立てたことはない。昔からなので慣れているのだ。
でも今日は手紙の返事をくれた。




