第12話 ネオ研の正体
「それほど、このカマキリが『普通』じゃないってことか……!」
MEISのみならず、通信網や送電網へ負荷を与え、あまつさえ比呂に物理的な衝撃まで与える。
この黒いカマキリは、明らかにただの『情報の塊』ではない。それとはもっと根本的に異なる『何か』だ。こんな未知の相手にどうすればいいのだろう。
執拗に襲い来る黒カマキリから逃げ回っているうちに、比呂はとうとう裏路地の奥へ追い詰められてしまった。
前方はがっちりと固められた工事現場フェンスで行き止まり。すぐ後ろで工事が行われているのか、灰色の仮設シートがビル全体を覆っている。
他に逃げ場はなく武器になりそうなものもない。いや、そもそもこのカマキリが本当に《電脳物質》の一種であるなら、武器など何の役にも立ちはしないだろう。石礫も鉄パイプも、きっとカマキリの身体をすり抜けてしまう。
逡巡していると、今度は白羽と黒羽がカマキリに飛びかかっていった。比呂を窮地から救おうとしてくれているのだ。
二羽は自分よりも何倍も大きな相手に向かって果敢に立ち向かい、ガアガアと威嚇するような鳴き声を発して威嚇する。
「比呂、早く逃げロ!」
「急ゲ、急ゲ!!」
カマキリも黙ってやられているばかりではない。今度は白羽と黒羽を狙い、左右の鎌を振り回し始めた。白羽と黒羽は一生懸命くちばしで突いたり、足で蹴りつけたり、羽ばたきしながら応戦する。
しかしとうとう、白羽がカマキリの鎌によって地面に叩き落とされてしまった。白羽もカマキリも共に《電脳物質》であるため、相互に干渉し合うのだ。
「し、白羽!!」
カマキリは、大きな鎌の形をした前足で白羽を地面に抑えつける。完全に捕食体勢だ。黒羽はそうさせまいと、カマキリの周りを飛び回り、
「コイツメ、離セ! 離セ!!」
と騒ぎ立てた。しかし、カマキリはそれに全く動じない。白羽は抑えつけられているカマキリの鎌の隙間から顔を覗かせ、比呂に言った。
「比呂、早く行ケ!!」
「だ、駄目だよ! 一人で逃げるなんて……そんな事できない!! 白羽も黒羽も、僕の大切な家族なんだから!!」
比呂は叫ぶと、ロードコーンと一緒に置いてあった黄色と黒の棒、コーンバーを手に取り、漆黒の巨大カマキリへ向かって力いっぱい振り回した。一刻も早くカマキリを追い払い、白羽を救出しなければならない。
ところがコーンバーはカマキリに直撃することなく、その体をスカスカとすり抜けてしまう。
やはり、このカマキリは《電脳物質》、つまり電子空間上の情報体なのだ。それなのに、反対にカマキリが鎌を振り下ろすと、何故か比呂はその巨体に呆気なく弾き飛ばされてしまう。
「う……うう……! やめろ、白羽に手を出すな!!」
比呂は路上にひっくり返ったが、それでも諦めずに立ち上がりカマキリに向かってコーンバーを突き出した。けれど、やはり全く歯が立たない。どれだけコーンバーを振り回しても全く手ごたえがなく、虚しくカマキリの身体をすり抜けるだけ。黒い巨体には掠りもしなかった。
カマキリの前足に抑えつけられ、白羽は必死でもがく。真っ白い羽毛が悲鳴のように宙を舞った。黒羽はカマキリの頭上で懸命に威嚇するも、為す術がない。
比呂は徐々に絶望的な気持ちに襲われる。白羽に何かあったらどうしよう。もし、カマキリに食べられてしまったら。
(一体、どうすればいいんだ……! そもそもこのカマキリの姿をした《電脳物質》が何なのかも分からないのに、どうやって対処すれば……!?)
白羽と黒羽は比呂が幼いころからずっと一緒だった。気が短く、生意気で口が悪いところもあるが、いつも比呂のそばにいて励ましてくれた。たとえ実体を持たない電脳ペットだとしても、大切な大切な家族だ。その家族を失うなんて、とても耐えられない。
(誰か……誰か……!!)
するとその時。
どこかから光の弾が数発、飛んできて、カマキリの頭部に着弾した。
「え……!?」
一体、何が起こったのか。目を瞬く比呂の頭の中に、今度は少女の声が響く。
『あーあー、テス、テス! 聞こえますかー? ってゆーか、聞こえてるよね? 遅くなってごめんね。助けに来たよ!』
(あ……頭の中に声が……!?)
この声には聞き覚えがある。叡凛高校の部活紹介で比呂は確かにその声を聞いた。ネットオカルト研究部の部長、冷泉柚の声だ。明らかに自分より年下の、けれど凛とした少女の声。
『きみ、叡凛高校の新一年生でしょ? ここは私たちに任せて、《アンノウン》……そこのでっかいカマキリから離れてくれるかな?』
「で、でも白羽が!」
声の主の姿は見えない。冷泉柚はおそらくMEIS通信を使って話しかけているのだろう。比呂が声を張り上げると、今度は威勢のいい男子生徒の声が頭の中に飛び込んできた。
『いいから言われた通りにしろ! 言っちゃアレだが、邪魔なんだよお前! このままじゃ巻き込んじまうだろーが!!』
『もう、大ちゃん言い方! 一年生くん、怖がってるでしょ!?』
冷泉柚は、慌てて男子をたしなめる。
(よ……よく分からないけど……)
「は、はい! 分かりました!!」
比呂は二人の声を信じ、カマキリから身を離すと、袋小路となっている裏路地の壁にできるだけ身を寄せた。
幸か不幸か、カマキリは白羽と黒羽に気を取られ、こちらの動きには気づいていない。先ほどの光弾も二羽が原因だと思っているようだ。すぐに冷泉柚から応答がある。
『おお、いいかんじでーす! ありがとう、わたし達を信じてくれて』
「い、いえ……あの、あなた達はネットオカルト研究部の人たちですよね?」
『そうだよー。でもそれは世を忍ぶ仮の姿! わたし達の本当の名は、叡凛高校MEIS災害対策チームだよ!!』
その声が聞こえてきたのと同時に、路地の向こう側から再び光る弾がいくつも飛んできてカマキリに命中した。さすがにカマキリは僅かによろめいたが、大したダメージにはならなかったらしく、平然としている。
『やっぱり成虫相手に、《スターダスト》弾じゃあまりダメージを与えられないか……!』
でもそのおかげでカマキリの鎌は力が緩んだらしい。白羽は拘束から解き放たれ、まっすぐに比呂の元へ飛んで来る。比呂は逃げてきた白羽を抱きしめた。
「白羽! 良かった……!!」
「比呂! 比呂!」
白羽も比呂の腕の中でコロコロと甘えた声で鳴く。黒羽も嬉しそうに比呂と白羽の周囲を飛び回る。
……ああ、良かった。白羽と黒羽が無事で、ちゃんと自分のところに戻ってきてくれて本当に良かった。比呂は安堵のあまり、涙が出そうだった。
一方、カマキリもようやく己の背後にいる何者かの存在に気づいた。くるりと向きを変え、路地の入口に向かって攻撃態勢を取る。
その先に、ネットオカルト研究部の部活紹介で見た男子生徒――御剣大介が立っていた。大介はアスリートのように鍛え上げた立派な体躯でカマキリの前に立ち塞がり、鋭い眼光をその黒い巨体へと注ぐ。
さらに彼の後ろには、冷泉柚の姿もあった。柚の周囲には何かの文字を象った光の帯が球体状になって張り巡らされている。まるで、ゲームなどでよく見る魔法陣のようだ。
カマキリは二人を前にしても全く臆することなく、つり上がった大きな瞳に赤い凶暴な光を閃かせる。大介はニヤリと笑った。
「へっ、やろうってか! 上等だ、叩き潰してやるぜ!」
「大ちゃん、援護するよ!!」
柚はスフィア状の魔法陣を発動させた。新たな光弾を浮かべ、それを黒いカマキリに向かって発射する。
その光弾はカマキリの足元で爆発した。その刹那、白い光の靄が煙幕のように立ち込め、たちまち黒煤でできたカマキリの体を包んでいく。
その靄はよく見ると、カマキリを構成している粒子よりもさらに細かい光の粒でできている。薄暗い路地の中でキラキラと光り、妙に幻想的だ。
その靄による作用だろうか。カマキリの動きは途端に鈍くなり、カクカクとぎこちなくなった。更にその姿に、亀裂のようなノイズが入る。ちょうど何らかの不具合でフリーズしてしまった動画のように。そしてとうとう、カマキリの体はがくがくと痙攣状態に陥った。
柚は叫ぶ。
「大ちゃん、《ネビュラ》弾の効果は一時的だから、急いで!」
「わあってるっつーの!」
よく見ると、御剣大介は半透明のXRヘッドマウントディスプレイを頭部に装着しており、両手もグローブ型のインターフェースで覆っている。そのインターフェースのインジケーターランプが明滅し、次の瞬間には大振りの剣が彼の手に出現した。かなりの大きさで、刃渡りだけでも二メートルはある。
(……! あれは、《電脳物質》でできた剣……!?)
その大剣は、全体から柚の魔法陣と同じ真っ白い光を発していた。明らかに通常空間に存在する物質とは違う。大剣の刃は複雑な曲線を描いており、スタイリッシュで格好いい。これもまた、ゲームに出てきそうなデザインだ。
「だらあああ!! くらえ、《グラヴィティ・ブレイク》!!」
大介は巨大な大剣を両手で構えた。そして、その並外れた身体能力を余すところなく駆使し、空高く跳躍すると、落下の勢いに任せカマキリに向かって一気に大剣を振り下ろす。
――ギイイイイッ!
大介の大剣はカマキリの鎌を切断し、吹き飛ばす。カマキリは金属が軋むような耳障りな悲鳴を上げながら、のたうち回った。
大きなダメージを与えたのは間違いない――そう思われたが、すぐに大量の黒い粒子がカマキリの腕に密集してきて、鎌を修復してしまった。カマキリはすっかり元通りだ。
「ふん……しぶとい野郎だ!!」
しかも、先ほど放った柚の《ネビュラ》弾の効果も、早くも切れてしまったらしい。カマキリの動きは徐々に元来の素早さを取り戻し始める。
「こいつは久々の大物だな! 腕が鳴るぜ!!」
大介は再び大剣を振り上げ、カマキリに斬り掛かる。カマキリも大介の攻撃意思を察したのだろう。四本の細長い足を使って、その巨体からは想像もつかないほど軽やかに動き、大介へ向かって両手の鎌を振り下ろす。
「へっ、やろうってか! 受けて立つぜ! 《メガバースト》!!」
そう叫ぶと、大介は縦横無尽に大剣を振るった。剣の大きさを全く感じさせない、力強く機敏な動きだ。
しかしカマキリも負けていない。二つの鎌を巧みに振るい、大剣の攻撃を弾く。
大介の大剣とカマキリの鎌の熾烈なぶつかり合い。路上に硬質な金属音に似た音が響き渡った。どちらも《電脳物質》であるはずなのに、本物の物質が激突し合っているかのような迫力だ。その後ろから柚が新たに魔方陣を発動させる。
「行け! 《シューティング・スター》!!」
柚の展開する魔法陣の周囲に複数の小さな光弾が無数に浮かび上がり、それが一斉にカマキリへと襲い掛かった。柚はその光弾の軌道を自在に操ることができるらしく、大介を巻き込むことなく器用にカマキリのみを狙っている。
しかしそれでもカマキリに致命傷を与えるまでは至らない。それどころか、大介の操る大剣の勢いが目に見えて落ちてくる。
「くそっ、こっちが限界かよ……! 柚!! 《コメット》は使えねーか!?」
「無理だよ、成体のデータ量が大きすぎて、既にMEIS環境に大きな負荷がかかってる……これ以上、データ量が増えたら、大規模のシステム障害を起こしちゃうよ!」
「マジかよ、それじゃ頼みの綱は湊ってわけか。……にしても湊のやつ、どこで何をしてやがんだ!?」
大介がそうぼやいた次の瞬間。突然、上空から強烈な閃光が降り注いだ。
一体、何が起こったのか。確認する間もなく、次いでドオンという爆音が轟いた。思わず身を縮めた比呂は、すぐにカマキリの身体に異変が起こっていることに気づく。
カマキリの身体は光の針によって地面に縫い付けられていた。まさに昆虫標本のように。
カマキリを貫くその針は、どれも頭に三枚の羽根らしきものをつけており、よく見ると矢の形をしていることが分かる。つまり、頭上から真っ白い光の矢が飛んできて、黒いカマキリの身体を刺し貫いたのだ。
――ギイイィィィィィィッ……!!
カマキリは己の身体に撃ち込まれた矢から逃れようと、激しくもがいた。だが、さらにとどめを刺すかのように二発目、三発目の矢が撃ち込まれる。比呂はただただ身を強張らせ、それを見つめるしかない。
「おわぁっ!?」
突然の奇襲に驚いたのは比呂だけではなかった。大介は上空から降り注ぐ矢の勢いに仰天し大きく仰け反ると、慌てて後退しカマキリから距離を取る。一方、柚は嬉しそうに頭上を仰ぎ見た。
「みーくん、ビンゴ!!」
柚が嬉しそうに見上げたその先へ、比呂も視線を向けた。すると、路地沿いに立っている五階建てビルの屋上から二階堂湊が顔を覗かせる。その手には、カマキリを刺し貫いている矢と同じ、光を放つ弓が携えられていた。先ほどの矢は彼が放ったのだろう。
「ああ、良かった。間に合ったようだね」
湊のその言葉通り、複数の光の矢に貫かれたカマキリは、どう、と地に伏せた。そして、黒い巨体を構成していた黒煤は散り散りになって分解し、とうとうそのまま霧散していく。まるで白く輝く矢に清められたかのように。
あれほど恐ろしい思いをしたのに、怪物の最期は不思議と神秘的で儚かった。
やがてカマキリを構成しているものの全てが黒い粒子に還り、消滅していった。後には何も残らなかった。
それを確認してから大きく息を吐くと、大介は湊に向かって拳を振り上げる。
「湊、てめえ! 危ねーだろ!!」
すると、湊はMEIS通信でそれに反論した。
「仕方ないでしょ。この路地はただでさえ狭くて、水平方向からの遠距離武器は攻撃をヒットさせ辛い。一番確実なのは高所から真下に射ることだ。だから、最適なポジションを探して移動してたのに、サボり魔みたいな扱いをされるなんて、そっちの方がよほど納得いかないんだけど?」
「ち、聞いてやがったのかよ。地獄耳め……!」
「何? 何か言った?」
「何でもねーよ! わーった、謝るから早く下りて来いよ!」
「みーくん、お疲れー!!」
「うん、柚と大介もね。すぐそっちに向かうよ」
その言葉を最後に、湊からのMEIS通信は途絶えた。それから大介は頭を掻きながら柚に近づく。彼の視線は、未だ真っ暗なまま照明の戻らない無人コンビニに注がれていた。
「コンビニの照明、戻らねえな。電気系統がやられちまったか?」
「大丈夫だよ。幸い、人通りは少ないし。復旧は、はすみんの会社に任せよ!」
柚はそう答えると、今度は駆け足で比呂の方へ近づいて来る。
部活紹介の時にその姿を目にした時も小さいと思ったが、こうして目の前にすると冷泉柚はさらに小さかった。大人びた表情をしているが、顔立ちは明らかに幼い。小学生の高学年くらいだろうか。ただでさえ小さいサイズの制服は、それでも今の彼女にとっては大きいらしく、少しぶかぶかしていた。
柚は屈託のない笑顔で比呂に話しかけてくる。
「ねえ君、大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい。その……助けてもらってありがとうございます」
「困ったときはお互い様だから気にしないで。それより、その制服、叡凛の一年生だよね? わたしは二年生の冷泉柚! ネオ研の部長をやってまーす!」
「あ、知ってます。部活紹介を見てたので」
比呂が答えると、柚は途端に嬉しそうな顔になった。両手を胸のあたりで握りしめ、身を乗り出してくる。
「え、ほんと? わたし達のこと、見てくれた!? ありがとー!! それで、どうだった?」
「えっと……とても面白かったです。ユニークで、楽しそうで……部活紹介の中で一番、印象に残りました」
「そう? えへへ……ネオ研って個性が溢れてるもんね~! 印象が際立っちゃうのもしょうがないか!」
でれでれと相好を崩す柚の後ろで、大介がボソッと呟く。
「……まあ、無駄に目立ってたのは確かだな」
柚とは反対に、御剣大介は近くで見ると思っていた以上に体が大きかった。背が高いのはもちろんのこと、胸板が厚く腕も逞しい。そのせいか声も大きく、よく通る。同じ高校生とは思えないほどだ。
どちらかというと痩せ型の体型をしている比呂は、ついその存在感に気圧されてしまいそうになる。でも、ここで怯んではいられない。
「それにしても、あの大きな……カマキリ? みたいな怪物をやっつけてしまうなんて……。ネットオカルト研究部って、一体……?」
思いきって尋ねると、大介は神妙な顔をして比呂を見つめた。
「カマキリ……か。おい一年、やっぱお前にも《アンノウン》が見えていたんだな? しかも、カマキリだって分かるほどはっきりと」
「え? はい……もちろん見えてました、けど……?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。比呂は内心で首を捻る。一方、その返事を聞いた柚は目を輝かせた。
「大ちゃん、大ちゃん! 比呂くんは『見える』人だ!! 適性ばっちりだよ! ネオ研に入部してもらおうよ!!」
しかし、大介の反応は意外と慎重だ。
「けどよ、本人の意思っつーのもあるだろ。俺らの都合で無理に入部させるってのも、どうかと思うぞ」
「ううっ、それはそうだけど……でも、《アンノウン》を感知することができる人なんて、滅多にいないんだよ!?」
「落ち着けって。ただでさえネオ研は、いろいろと規格外の活動をしてんだ。ウチに関わったら間違いなくフツーの青春は送れなくなる。それを考えりゃ、とても軽々しく入部を勧めるわけにゃいかねーだろ。少なくとも、まずはいろいろ説明してからじゃねえと」




