第11話 異変
白羽と黒羽はこう見えて、ただの電脳カラスではない。一般に市販されている電脳ペットにはできない事がいろいろとできるのだ。
お喋りが巧みなのは言うまでもなく、映像や音声を撮影して記録し、その情報を比呂のMEISと共有することができるし、こうして頼んだものを探してきてくれたりもする。
他にも、想像もつかない事を実行してしまうこともあり、比呂もこの二羽の能力を全て把握しきれていないほどだ。時おり訳の分からない事で喧嘩もするが、こういった時にはやはり白羽と黒羽の存在は心強い。
ともかく、今は一刻も早くネットオカルト研究部と接触したかった。比呂は先導する白羽と黒羽を追いかけ、新世界市の街中へと走り出す。
白羽と黒羽に導かれて向かった先は第二区域・再開発地区だった。
比呂の下宿先であるマンションに近いが、二羽が誘導したのはまだ足を踏み入れたことのない場所だった。
古い建物や通りが多く残っていて、道路も狭くごみごみとしている。まるで時代に取り残されたかのような廃れた空間だ。一度、足を踏み入れると迷い込んでしまいそうで、これまでは敢えて避けていた。白羽と黒羽はその中を滑るようにまっすぐ飛んでいく。
「この先だゾ!」
「こっちが近道だゾ!!」
心無しか、どんどん路地は寂れていく。人通りも皆無だ。高校生になったとはいえ、さすがに比呂もちょっと怖いと感じてしまう。
けれど、白羽と黒羽に「一刻も早くネットオカルト研究部の部員と接触したい」と頼んだのは他でもない比呂自身だ。今は白羽と黒羽を信じてその後をついて行くしかない。
やがて三階建て雑居ビルの一階に入っているコンビニの前を通りすがった。といっても店員は配置されておらず無人であるため、コンビニというより自販機の店舗化と言った方が近いかもしれない。
無人コンビニの入口は、古い商店街からさらに奥まった狭い路地に面している。中に客の姿はない。店内から冷たいLED蛍光灯の光が漏れ、薄暗い周囲を不気味に照らし出す。
周辺のコンクリートやアスファルトは長年、風雨に晒されてすっかり傷んでいた。そのせいか、全体的に煤けていて何となく陰鬱な感じを受ける。とはいえ、比呂の地元にもこういった風景はまだたくさん残っていた。そういった意味では、よくある裏通りではあるのだが。
(何だろう……何だか気味が悪い場所だな……)
気のせいか。肌をやすりで撫でられるような、得体の知れない違和感に襲われる。けれどここを通り抜けないと、ネットオカルト研究部と接触できない。比呂は足早に無人コンビニの前を足早に通り抜けようとした。
大丈夫、一気に通り過ぎてしまえば、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせていたはずなのに、比呂は思わず立ち止まってしまう。
……ここは、何かがおかしい。薄汚れた路地や壁、外付け型の空調機などが微かに波打っている。ぞわり、ぞわりと確かに揺れている。
そうして、あっ、と気づいてしまった。
この路地には何かがいる。
比呂や白羽、黒羽以外の、『何か』。ただの『現象』と呼ぶにはあまりにも濃密すぎる気配。
その『何か』は、比呂の足元を掠め、ざわざわと群れを成して路地の奥へと移動していく。これまで新世界市のあちこちで目にして来た黒煤――比呂にしか見えない、正体不明の気味の悪い虫たちだ。
無人コンビニの入口あたりが特に黒ずんでいるが、路地全体が黒く、そして暗い。ぞわぞわと蠢くように、無数の小さな黒い煤が道路や建物の壁を這いまわっている。妙にうす暗く物寂しい印象を受けたのは、その黒煤が路地を埋め尽くしているせいだったのだ。
比呂はうっかり、その無数の虫の群れ――彼らの『棲み処』に足を踏み入れてしまっていた。
その虫たちに目があるのかどうかは分からない。だが、何となく敵意をもって見つめられているような気がした。まるで、自分たちの縄張りを荒らした侵入者を、排除してやろうと言わんばかりの凶暴な殺気。一斉に向けられた無数の『悪意』に、ぞわ、と全身が粟立つ。
「囲まれている……何かすごく嫌な感じがする……!」
比呂はごくりと喉を鳴らし、僅かに後ずさりした。
「こいつら! あっち行ケ!!」
「滅すべシ、滅すべシ!!」
白羽と黒羽は、初めて黒煤を見た時と同じように、もぞもぞと蠢く粒子を片端から嘴でつついていった。比呂を黒煤から守ろうとしてくれているのだ。
だが、いかんせんあの時とは違って黒煤の量が多すぎる、何せ、彼らは一区画を埋め尽くすほど溢れて返っているのだ。そのせいか、ここの黒煤は他の場所で見たものとは少し性質が違う気がした。――うまく言えないけれど、ただ漫然とそこに存在しているのではなく、生き残るための熾烈な『生存競争』をしている。
「やめるんだ、二人とも! この黒煤は危ない……関わらない方がいい!」
比呂の懸念は的中した。白羽と黒羽が嘴でつついたその瞬間、黒い粒子が突然、爆発的に増殖したのだ。
大きく広がった黒虫の群れは、白羽と黒羽をまとめて覆い尽くそうとする。間違いない、彼らは明確な意志をもって反撃している。
「何ダ、こいつラ!?」
「逃げロ、逃げロ!」
白羽と黒羽は慌てて上空に避難した。二人に翼がなければ、あっという間に黒い塊に呑み込まれてしまっていただろう。
二羽が助かって良かった。緊張が緩んだのも束の間、比呂はじっとりとした嫌な感覚に捕らわれる。白羽と黒羽を呑み込もうとする黒煤たちの動きが、昆虫の大群が獲物に襲い掛かっていく様を思い起こさせたのだ。
たとえ一つ一つは小さくても、その圧倒的な数量によって象ほどもある相手に群がり、肉はおろか骨の一片に至るまで簡単に喰らい尽くしてしまう。
その光景を想像し、比呂は戦慄した。象ですらも喰い尽くされるなら、比呂なんて間違いなく瞬時にペロリだ。
心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。理屈ではない、生理的嫌悪感。これまで感じたことの無い重苦しい危機感が、胸の中で加速度的に膨らんでいく。
呼吸をするのが苦しい。冷や汗が頬を滴り落ちていく。
「……今すぐここを離れよう。ここは……何か良くない感じがする」
何が起こっているのか分からない。それでも比呂は、努めて冷静に行動しようとした。まずは相手を刺激しないよう、この場を立ち去らなければ。
ところがその黒い粒子は、ぶわりと大きく広がって比呂の行く手を遮った。まるで自らの領域を侵した外敵に罰を与えようとするかのように。その弾みで、黒煤の破片が粉となって比呂へと降りかかる。
「……っ!!」
途端に、皮膚に焼けつくような痛みが走った。気のせいか、以前、黒煤に触れた時より痛みがひどい。比呂は歯を食いしばって悲鳴を呑み込み、慌ててその煤を払いのける。
(だ……大丈夫、落ち着け! この黒煤は《電脳物質》だ。第七区域・中心市街地で確認した時は確かにそうだった……!)
実際、あれほどの痛みを感じたにもかかわらず比呂の体には傷一つついていない。それを確認して、少しだけほっとする。
もっとも、わずかに触れただけでこれほどの激痛を感じたのだから、さらなるダメージを受けたら何が起こるか分からない。白羽と黒羽は比呂を守るため、一心不乱に黒煤をついばんでいるが、いかんせん量があまりにも多すぎる。黒煤は既に広範囲に広がっていて、見渡す限りどこもかしこも真っ黒に埋め尽くされている。
しかも、黒煤の放つ暗闇色に目が慣れるに従って、比呂はあることに気づいた。
(あれ……? この粒子、流れがある……?)
最初はただ広範囲にわたって漫然と蠢いているように見えた。だが、よく見ると黒い粒子は規則性を伴って移動している。下から上へ。流れるように動いていく。
「上……?」
比呂はふと頭上を見上げ、そして大きく息を呑む。
無人コンビニの脇に立っている電柱の上、バケツみたいな形をした柱上変圧器のところに、真っ黒い色をした巨大な塊がへばりついているではないか。
大きさは既に変圧器の三倍近くまで達していた。しかも、現在進行形でどんどん膨らんでいる。
目を凝らすと、その塊はやはり他の黒煤と同じ、黒い粒子でできていた。時おり、その塊がぞわりと大きく身動ぎをする。ブブブ、ブブブという振動音のような音を響かせ、ずぶずぶと変形し、それでもなお一つの塊を形成している。
まさに小型の昆虫が集まって群れを成しているのと同じ。周囲一帯を覆っている黒い粒子は、その巨大な塊に向かって流れ、集まっているのだ。
「何だ、あの大きな塊は!? 他の『黒煤』とは明らかに違う……!!」
あまりの異様さに、比呂はすっかり蒼白になった。その黒い塊は時おり、どくん、どくんと波打っている。MEISの不具合でもなければ、幻でもない。確かにそこに存在して、『生きて』いるのだ。
そして今まさに顕現しようとしている。比呂たちの、この世界に。
白羽と黒羽もその巨大な塊に気づき、激しく騒ぎ立てた。
「比呂、逃げロ!」
「危険ダ! 逃げロ! 逃げロ!!」
「そ、そう言われても……!!」
既に比呂は大量の黒煤によって四方八方を囲まれてしまっていた。路地や電柱、ビルの壁もほとんどが黒煤に埋もれ、まるで闇の中に一人ぽつんと立っているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。下手に動くと黒い粒子が肌に触れ、皮膚が焼かれそうなほどの鋭い痛みが走る。この中を突破するなんて、熱された針山の上を素足で走り抜けるようなものだろう。
(ど……どうしよう? どうしたらいいんだろう……!!)
さらにその時、頭上の電圧気にへばりついた巨大な黒い粒子の塊に異変が起こった。どくん、どくんと、規則的に脈動するのに合わせて、徐々に形を変化させ始めたのだ。
最初に縦に細長く、湾曲したシルエットが現れた。
それが、頭、胸、胴体の三つに分かれ、さらに真ん中の胸部から針金みたいに細長い手足が三本ずつ対になって生えていく。
中でも前足は特に巨大化し、二本の鎌のような形状となった。その鎌には鋭い棘がびっしりと生えている。獲物を抑えつけ、逃がさないようにするための。
逆三角形をした小さな頭部。そこから長い触覚が伸び、ぎょろりとした赤い瞳が光る。口元にはがっちりとした、逞しい顎。その特徴的な姿は、幾度か祖父母の家の庭先で目にしたことがあった。
子どもの頃、怖くて仕方なかった肉食性の大型昆虫。
「あれは、カマキリ……!?」
呟いたその瞬間。黒いカマキリはずるりと電柱から落下し、比呂の目の前に降り立った。その衝撃で、残った他の黒煤は吹き飛んでいく。
「う……うわああああ!」
何という大きさなのだろう。全長は比呂の五倍ほどもある。狭い通りをすっぽりと塞いでしまうほどの巨体。ビルの二階の当たりにカマキリの頭部があり、真っ赤な瞳がギラリと獰猛に光って比呂を見下ろしている。
その冷たさと鋭さに、比呂の心臓はびくりと跳ねた。薄暗い路地に輝く赤い瞳は何とも言えず威圧的で恐ろしい。睨まれていると感じてしまうのは、決して気のせいではない。
カマキリの体もまた例の黒煤で構成されているらしく、時おり小さい粒子が蠢動しているのが窺える。
(な……何だこれ? 大きなカマキリ!? カマキリの怪物……!? こんなの、今まで見たことが無いぞ! 本当に現実空間に存在しているものなのか? それとも、これもMEISの見せている電脳上の幻に過ぎないのだろうか……?)
一体何が起こっているのか。比呂はわけが分からずパニックになりそうだった。こんなこと、今まで一度も経験したことがないし、学校でも習っていない。
MEISがおかしくなってしまったのだろうか、それともおかしくなってしまったのは比呂自身なのか。
だが、異変はそれだけにとどまらなかった。巨大なカマキリが出現した直後、無人コンビニの灯りがチカチカと不自然に明滅し、完全に消えてしまったのだ。
おまけに、周囲の電線や一番近くにある基地局もバチッと音を立てて火花を散らし、他の電子機器もまた煙を上げ壊れてしまった。どうやら、周辺一帯の通信網や送電網に障害が発生したらしい。
(え……!?)
驚いて周りを見回した次の瞬間、今度は比呂の頭がずしりと重くなった。耳元で細かい砂が擦れあうようなノイズ音がし、視界も二重に重なってぼやけ、カマキリの姿に亀裂が入っているように見える。
これらはMEISに負荷がかかりすぎると現れる症状だ。何らかの理由でMEISのデータ処理に不具合が発生しているのだろう。
コンビニの明かりが消え、電子機器に異常が発生したところを見ると、その影響は比呂のみならず周囲の環境全体に現れている。
(う……頭が重い……! 気分も悪いし、吐きそうだ……! MEISに通常の環境ではあり得ないほどの過剰な負荷がかかっている。おそらく原因はあのカマキリの怪物だ。タイミングを考えても、それ以外に考えられない……!! あれは一体、何なんだ!? い……いや、そんなことはどうでもいい。これはさすがに、逃げないとまずい……!!)
漆黒のカマキリは勝ち誇ったかのように両手の鎌を振り上げ、比呂を威嚇した。比呂は咄嗟に逃げようと踵を返すが、カマキリの動きの方が早い。比呂に向かって二つの大きな鎌を勢いよく振り下ろしてくる。
比呂がカマキリに対して攻撃的な雰囲気を感じたのは、やはり気のせいではなかった。何故だか分からないが、このカマキリは比呂に対して激しい敵意を抱いているのだ。
「うわあっ!!」
比呂は思わず両腕で頭を庇い、カマキリの鎌を避ける。咄嗟に飛びのいたので直撃は免れるものの、鎌の先が腕を掠めた。
「いっ……!!」
まるで刃物で切り付けられたかのような鋭い痛みが走る。カマキリと距離を取ってから慌てて傷口を確認するが、全く出血はしていないし、制服にも傷はついていない。
(あ、あれ……? あんなに痛かったんだから、さすがに怪我をしたと思ったのに……)
比呂は戸惑った。あれほどの激烈な痛みが、幻覚だというのか。信じられない。
考える間もなく、カマキリはさらに攻撃を仕掛けてきた。その細長い巨体を大きく仰け反らせ、二つの禍々しい鎌を上空に振り上げると、それを比呂に向かって俊敏に振り下ろす。
比呂はよろめきつつも何とかそれをかわし、カマキリに背を向け一目散に走り出した。いくら肉体的損傷が無かったとしても、痛いのは嫌だ。
だが、カマキリは比呂を逃がすつもりは無いらしく、背中の羽を広げ、飛翔しつつ襲い掛かって来る。
「う……くそ!!」
比呂は道端に積んであった赤いロードコーンの山を掴み、カマキリに向かって一気に押し倒した。工事でもあったのか、あちこちにロードコーンが置いてある。それであの巨体を倒せるわけがないのは百も承知だったが、少しでも足止めになればと思ったのだ。
しかしコーンはどれも、カマキリの体を完全にすり抜けてしまう。まるでそこには何も存在していないかのように。
(物体が干渉しない……! 触れた感触は確かにあるけど、現実空間における実体はないってことか。やっぱりあのカマキリは、MEISのみが感知することのできる電子情報上の物体……《電脳物質》と同じなんだ!)
だが、あんな真っ黒で不気味な《電脳物質》なんて見たことも聞いたこともない。しかもそれが巨大な昆虫の姿をしていて人を襲うなんて。《電脳ペット》には昆虫も含まれるが、彼らはあくまでペットなので、人間に対して攻撃行動を取ったりしないのだ。
そもそも、実体のない『電子情報』相手にどう対抗すればいいのだろう。何故、あのカマキリの姿をした《電脳物質》は、比呂に危害を加えようとするのだろう。
恐怖も相まって、もう何が何だか、頭がこんがらがってパンクしそうだった。
そんな比呂の無力を嘲笑うかのように、カマキリの赤い瞳が比呂を捕らえる。大きく振り下ろされる二つの鎌。比呂はそれをもろに喰らって後方に吹き飛ばされた。
「ぐ……いって……!!」
斬り付けられたような激痛と、棍棒で殴られたかのような衝撃。だがやはり、比呂の肉体に切り傷や打撲痕といったダメージはない。ただ、痛みや衝撃という感覚を与えられただけだ。
けれど比呂は、自分が無傷である事に対する安堵より、カマキリの鎌によって物理的に吹き飛ばされたことの方に強い衝撃を受ける。
(何だ、今の……? あのカマキリの鎌がぶつかってきた……? あれは《電脳物質》で、だったら僕たちには干渉しないはずなのに……!?)
自分の身に起こった事が俄かには信じられなかった。《電脳物質》はあくまで、電脳空間上においてMEISによって認識可能である情報の集合体というだけにすぎない。現実空間で物理的な質量を伴っているわけではないため、《電脳物質》の方から物理空間に作用を及ぼすことはないはずなのだ。
実際、さきほどカラーコーンを押し倒した時、それらはカマキリの体をすり抜けた。現実空間に存在する物質と、《電脳物質》は互いに干渉し合うことは無いという法則を考えると、それは当然の現象だ。
にもかかわらず、このカマキリの姿をした《電脳物質》は、比呂の体を弾き飛ばしてしまったのだ。
つまり、このカマキリは比呂に対して、現実空間に存在する物体と殆ど変わらない、強力な干渉力を持っている。
《電脳物質》やMEISの特性を考えると、理論上はあり得ない現象だった。




