06/39 【盆地の街】
「えっと、閃司ごめん」
ショッピングモールをあとにして、駐車場に駐めたバイクに跨がったとき。
「ん? っと、どうしたんだ。突然謝ったりなんかして」
「もしやまさかひょっとしてなんだけど、閃司的には、そのぉ~……」
露希は手渡したヘルメットを着けようとしない。彼女はどこか申し訳なさげで、放っておいたら頭のひとつでも下げてきそうだった。
「映画、あんま楽しくなかったのかなぁ~……などと、あたしちょっぴり心配になったり、ね?」
「ああ、そんなこと気にしてたのか」
露希がヘルメットを抱えたまま、心細そうな上目遣いをよこす。
「露希は悪くないだろ。というか、俺は別に不機嫌でも怒ってもいないぞ」
正直なところ、露希が同じ映画を何百とリピートして平気で楽しんでいるのを目の当たりにすると、胸に複雑な思いが広がるのは否めない。
しかし、それを露希自身が負い目に感じる必要はない。
なにせ、悪いのは露希じゃなくて永遠なのだから。
俺が露希との映画を素直に楽しめなくなったのも。
そんな俺に彼女がらしくもなく気を遣うのも。
すべては永遠のせいだ。
無遠慮にも、永遠というやつは俺たちの間に流れる時間を引っ掻きまわし、関係に蟠りを作って居座る。
なんにせよ、俺たちの間にすれ違いが生じるのは永遠ゆえだ――――振り回されるのは、もうたくさんだ。
「露希がそんなふうに気を揉む必要は、もうすぐなくなる。俺だって、清々しい気持ちで明日を迎えられるようになるぞ、きっと」
そうだ、明日だ。
露希のクイズじゃないけど、今日が11月29日ってことは、明日は11月30日だろ? ――――それが、もうすぐ当たり前になる。
「カレンダー通りに明日が来る。あくまで直感だけど。そこはまぁ、信じるかどうかだ」
「! 出た出たでたそれ。閃司がお仕事で使うフレーズ、ひっさびさに聞いた気がする~!」
「実際久々に口にしたからね。未来って概念が無くなった今、俺の自営業は利益どころか意義すら失くした」
「ああ~、あちゃあ~たしかに。永遠じゃ商売あがったりだもんね。閃司のお仕事の場合、とくにそう」
色々と腑に落ちたのか、露希はようやくとヘルメットを被ってくれた。
キーを回して発進。
目的地はもちろん予知夢に現れた湖、……と言いたいところだが。
俺は一旦、露希を自宅まで送り届けなければならなかった。
戻る理由は旭賀さんの体調だ。
途中までは真っ直ぐ湖に向かっていたのだが、露希のスマホに旭賀さんから連絡が入った。具合が悪化したとのことだ。
病状を深くは訊かなかったが、露希がすぐに戻りたいというので、俺はその通りにする。
露希に頼まれたら、俺はそうするほかないのだ。
露希と旭賀さんの事情を、なにより優先したかった。湖のことはその次でいい。
露希と俺の住まいは隣、いわゆるお隣さんだ。
朝に通ったガソリンスタンドや大通りを遡れば、露希宅に到着する。
「閃司っ、送りありがとっ」
露希を門前で下ろした。置き場もないので、露希が使ったヘルメットもそのまま家へ持って帰ってもらう。
「露希。旭賀さんとのこと……ひとりで平気か?」
「んっ、大丈夫だいじょーぶダイジョーブ」
振り向く露希の笑顔が、そこはかとなく心細そうで――――しかし、祖父の病状が深刻だというわりには、沈痛の色が薄かった。
「なんたって、永遠だからね。病状を考えたらそばにいてあげたい、っていうのはゼッタイその通りなんだけど……んーま、今回もへーきだよ」
「…………ん。そうか」
大丈夫だよ、というワードをつい「死んでも大丈夫」と受け取ってしまうのは、俺が永遠を偏屈に捉えすぎるからだろうか。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
11月ともなると日暮れが早い。夢で視た湖は夜だったので、俺はその光景通りの時間までには湖に到着しなければならない。
気を取り直してヘルメットのバイザーを下ろしたときだ。
「閃司っ」
「? なんだ」
「永遠社会バンザイっ、じゃない?」
「それは…………、どうだろうな」
「職業柄さ、閃司的には複雑かもしれないけど……でもっ。そのうち慣れてくるって!」
露希の表情はどこを切り取っても、純粋な励ましで構成されていた。
俺が永遠の何に苦しんでいるかを知る由もない、屈託のない笑顔だった。
「おう、かもな。ありがとう」
永遠のせいで、自営業と露希との関係性がままならない俺と。
逆に、余命宣告を受けた祖父を永遠によって救われた露希。
そんな俺たちだから永遠に対する考え方が平行線になるのは、無理もない。
「永遠の日々だからって、繰り返しの毎日だからって、閃司につまんない思いとかあたしゼッタイさせないからあたしっ!」
「……ははっ、わかったから」
俺の思想や希望とは異なる宣言だとしても、前のめりに励ます露希の想いに悪気はない。ここでへそを曲げるのは筋違いだ。
なにせ、すべての非は永遠が被るべきなのだから。
「ありがとう。早く旭賀さんのとこへ行ってあげるんだ」
こういった、露希の他意のない言葉が俺はたまらなく好きだった。
永遠以前、露希のストレートな性格に何度も背中を押された。
露希の価値観に胸がざわつくようになったのは、永遠が世間を覆ってからだ。
玄関へと吸い込まれていく露希の背中を見送りながら、永遠に翻弄され続けた日々や、押し殺してきたざわめきも全部、胸の奥にしまい込んだ。
「露希。行ってくるよ」
これから起こるであろう出来事を、露希には敢えて告げない。
すべてを自分だけのモノにして、露希にはなにも知らせないまま決着を済ませて来ると決めた。
サイドスタンドを蹴りあげ、バイクを発進。大通りに出る。
目的地は言うまでもない。
すべてが済んだら、何食わぬ顔でデートに誘うのだ。「お前が変なクイズで誘ったんだろ、忘れちゃったのか」って。
予知夢に視た湖は、俺たちが住む“盆地の街”の代表的な観光地だ。
盆地の街は利便性と自然性がほどよく共存した地方都市である。
街全体をざっくり説明するなら、都会的に栄えた中心部と、その周囲を豊富に紅葉した山々がぐるっと囲む郊外部の二つ。
とくに盆地の北端には、街のシンボル的な存在でもある休火山が鎮座する。
そして目指している湖も、休火山のふもとに位置していた。
地図上で確認すると分かりやすいが、湖も休火山も観光資源足りうる雄大なスケールを誇っていた。
「休火山か……北を向けば、この街のどこからでも目に付くんだよな」
休火山に真っ直ぐ続く大通りを、バイクで駆け抜ける。
都市部を抜けて山間の道路を走る頃には、周囲の景色はガラリと変わる。
周囲からビルは消え、谷川と山林に挟まれた景観の良い道をひた走ること一時間が過ぎた。
湖の近辺にあるツーリング客向けの休憩所――サービスエリアみたいなところだな――で、俺は一息つく。
「自然が多いここら辺は、普通に暮らしていれば非日常だからな。人が来たがるのもわかる」
ショッピングモールと違って、売店や食事処にはちらほら人の姿があった。
ここに人が来る理由が、なんとなくわかる。
この人たちもまた、多かれ少なかれ永遠社会を憂いているんだ。
観光する目的を一つ挙げろと言われたら、心の充足を得る以外にないのではないか。
実生活で満たされないから、旅行や自分探しをしたがるのではないか。
永遠が訪れて以来、非日常を求める人種が増えるのは自然なことだと思う。
「今日は11月29日、つまり永遠の最終日だ。あの人たちは、ここで今週の最後を迎えるつもりかもしれないけど……」
俺は握っていたスマホで、もう一度かあさんからのメールを確認する。
内容を一瞥してから、自身のすべきことを確かめるように呟いた。
「そうはならないさ。きっとな」
内容といっても、メールの中身は今も昔もずっと変わらない。
永遠がはじまった当初から同じ時刻に届く、かあさんのメール。
何かと思えば、仰々しい黄金に縁取られた鏡の画像が添付されただけで、それ以外は一文字も記されていない。
不審メールもいいとこだ。どこで手に入れたのか知らないが、わざわざかあさんのアドレスを使っているところが不謹慎だった。
「なぜこんなものを送ってきたのか….」
霊力でも宿ってそうな胡散臭い、鏡の画像。
その鏡面には決まって湖と山々が映り込んでいる。
「その真相も、今にわかる……!」
怪しすぎるので、相手にするべきではないと判断して今日まで無視を決め込んでいた。
「予知は忌まわしい。それは今でも変わらない。だけど」
退屈だった日々に舞い込んだ非日常に、誘われるがまま飛び出した感は否めない。
それでも、かあさんからのメールと俺の予知夢が同じ光景を視せたというのが、俺の直感を強く刺激してやまないのだ。
「直感は信じるかどうか。だったよな、かあさん……なら!」
休憩所で黄昏るだけの観光客たちを背にし、俺は再びバイクを駆った。
直感を信じたり予知夢に向き合ったりと、なんだか休業して久しい自営業が強く思い出される。
今日一日でずいぶん気の持ちようが変わった。
「でも、今日はまだ終わりじゃないけどな。本当にすごいのはこれからだ、これから」
はやる気持ちに比例してアクセルが回り、あっという間に件の湖のきわにたどり着く。
いつしか日は落ちて辺りは薄暗くなっていた。俺が深呼吸をするごとに、湖の光景が予知夢と同じものに近づいていく。
直感の通りなら、今夜ここで、言葉にならない何かがはじまるのだ。
「来るぞ……!」
直感を信じるなら、永遠すら凌駕しうる一大イベントが、もうすぐそこまで迫っていた。