35/39 【休火山の蝶】
休火山は盆地の街最北端に位置し、ある程度標高の高い斜面からなら、盆地の街を一望できる。
俺がいるのはちょうど五合目あたり、観光客用の案内板あたりにバイクを着けた。
顔を上げたすぐ先には、休火山がそびえ立つ。
「街の北端、休火山か。最後に来たのは、まだかあさんが生きてた頃だったな……」
ここから徒歩で火口付近まで岩肌を登っていく。
かあさんからのメールの画像をよく観察すると、空がほど近いことがわかる。
察するに、標高が高い場所での瞬間を切り取られたのだろう。
「あの画像に写っていたのが永遠崩しなら……今日ここで決着なんだ」
似たような景色が続くので、具体的にどこを目指すべきかはハッキリしない。とにかく一度火口付近まで向かう必要がある。画像と一致するスポットを詳しく探すのはそれからだ。
ごつごつした岩の斜面を歩き始めた。火口のさらに上空はどんよりと曇っているので、そう汗もかかずに足を運んでいく。
「場所の問題もあるけど、露希が来てくれるかどうかも気がかりだな」
独りごちる反面、とはいえ今の露希なら永遠だろうと旭賀さんの死期だろうと向き合えるだろ、とほとんど全幅の信頼を置いていた。
幼馴染としてそばで見てきたからわかる。たとえ怖くても尻込みはしないはずだ。
「来てもらわなくちゃ困る。あいつが来てくれなきゃ、永遠崩しは土台無理になってしまう」
背負う刀の存在を確かめるように、柄に右手を回す。
ここへ来る途中で園鶴義のもとへ立ち寄り、刀を返してもらっていた。
もちろんその際、永遠崩しの最終工程についても訊かせてもらった。
園鶴義曰く、必要なものは二つだという。
この水晶の刀と、露希に託した水晶。
俺たち二人が互いに未来を望みながら刀で水晶を割るのが儀式だと、園鶴義は断言した。
画像の中の俺たちが構え合うあの光景にも納得がいく。あれは諍いでもなんでもない、まさに儀式の瞬間だったのだ。
「二人の望みを合わせないとダメらしいな。俺は未来を、露希が永遠を望んだら台無し。水晶も刀も探し直すハメになる」
思いが平行線なら、振り出しに戻る。それならまだ、結果としてはマシな方だ。
ゾッとすることに、園鶴義は続きを語った。
曰く、双方が永遠を望んで儀式を敢行した場合、永遠が決定的なものとなる。
たとえば霊峰で初めて園鶴義と邂逅した、あの日。
仮に俺が園鶴義に敗れていたら、“根源”を占有した彼は一人で儀式を行い、永遠を固着させるつもりでいたという。
「この場に水晶はない。露希に託したっきりだ。ここまで来たら、永遠崩しが成功するかどうかは露希次第だ」
岩肌を歩き通して三十分くらいが経った。
丸太の小屋に無人の広場という、目印にちょうどいい場所を見つけたので、俺は休憩がてら露希を待つことにした。
雲は相変わらず分厚くて、ただでさえ無彩色の岩肌が一層寒々しい。
表情のない空と地面が一面に続く様は、生活感のない自分の部屋を思い出す。
だからといって、この期に及んで心細さを感じたりはしなかった。
「永遠以前は仕事が燻ってたせいで、私生活まで味気なくなったんだよな。永遠になったらなったで模様替えしても戻されるし。みてろよ――――無事に終わったら、ぜったいビフォーアフターしてやるからな」
終わったあとの楽しみに思いを巡らすこと小一時間、露希はやって来た。
俺と同じく徒歩で岩肌を登る。その腰には、風呂敷に包まれた水晶をしっかり括っていた。
「……おひさです」
「……おう」
永遠崩しが成立するかどうかは彼女の一存にかかっていたが、心配なかったようだ。「ほんとに来たな」とか、「ほんとに待ってたんだ」などとお互い思ってるのが、言葉にしなくても伝わる。
「メールにあった場所ってここ? てゆーかちょっち休憩していい?」
「いや、もっと頂上付近じゃないかな。それも火口近くの。休憩は許可する」
二人で岩肌登りを再開した頃になっても、空は依然として曇天。
永遠最終日に限らず七日間の天気は決まっているので、深夜になるまで雲が晴れる事はないしうっかり雨が降る事もない。
いつも通りの空模様だ。しかし厚い雲は、見上げる者に波乱を暗示させる。
俺たちはメールの光景を目指して火口付近へ足を進める。その間、俺たちは終始無言だった。
頂上が近づくと、同時に緊張感を帯びた空も迫ってくる。
「永遠崩しが始まる前に、あらためて露希に訊いておきたい」
後ろをついてくる露希を振り返る。
岩肌はそこそこの傾斜があるが、秋の山の涼しさが助けてか、彼女に息が上がった様子はない。
「露希は、やっぱり永遠でいたい?」
永遠崩しはいよいよ大詰めだ。今日までの間、様々な出来事があった。
それらを経てなおも永遠が良いと言うのなら、俺はもう彼女を止めるつもりはなかった。
説得もしない。結果として永遠が確定的になったとしても、露希が確固としてそれを望むなら――――いや、それだけはダメだ。
やはり永遠ではいけない。露希、永遠を崩すと言ってくれ。……頼むよ。
「映画館で閃司に言われて、あたしは決めたよ。あたしはね……」
せめて俺だけは強く未来を願い、儀式の結果を「振り出し」に抑えなければ。
「振り出し」に戻るだけなら、最悪でもやり直しが効く。決断を先延ばしにできるなら、その方が……。
「あたしも、閃司といっしょに――――わわっ!?」
返答のかわりに聞こえてきたのは、水底から大量のヘドロを掬い上げたような重たい音。
次の瞬間、視界の端で岩肌が弾け、橙色の飛翔体が地面を突き破って空に躍った。
「閃司っ、アレ! 一体なに何ナニ!?」
露希の指さすはるか上空に、点が灯っていた。
正体不明の橙色が、灰色の雲間からこちらを睥睨する。
「あれは、蝶の翅……?」
先ほど耳に届いたヘドロ音は何だったのか、そもそもどこから?
辺り一帯は岩肌で、川はおろか水の気配すら感じられない。
ただし休火山というくらいだ、代わりにマグマならいくらでもあるはず。
「あいつ……霊峰で出くわした蝶人間か」
まさかあのヘドロ音は、あいつがマグマ中から這い出た音だったのか。
蝶人間は空高くで翅を揺らす。そうして上空に留まっていた。
その様子はただ佇んでいるに過ぎず、俺たちからは点にしかみえない。
しかし、それほどの距離があるにもかかわらず、蝶人間の放つ霊力の圧が喉元まで迫るようだった。
呼吸を奪い肺を硬直させる力量を前にしながら、俺は刀を抜き放った。
「降りて来いよ蝶人間。あんただって、そこからじゃあ何もできないはずだろ……!」
聞こえるような距離でもないだろうに、蝶人間は悠々と斜面に降り立った。同じ目の高さで睨み合うほど、あいつの神霊っぷりを肌に感じる。
人の体に蝶の翅を植え付けたようなシルエット。
宿す霊力が濃密すぎるのか、蝶人間の体表にはひっきりなしにプロミネンスが発生している。
「見た目通りの熱さだな……あたりの気温が上がっていくのを感じる……!」
太陽を彫塑して生み出されし威容。
むやみに近づくことすら能わぬ極熱。
俺は自然と露希を庇う態勢を取っていた。
「露希は離れていて。その水晶を壊さないように、壊されないように」
「う、ウン。閃司は大丈夫……だよね?」
返答のかわりに水晶の刀身に霊力を込め、虚空をひと払いする。
涼しげに青く澄んだ霊力光を一帯に飛散させ、蝶人間の霊力を弾き飛ばす。
ほんのひと振りで熱気が引くのを認め、背後の露希が頷いた。
露希は斜面を降りていく。ほんの隙を許さない状況下では、その背中を見送ることはできなかった。
目線はそのまま、蝶人間を捉え続ける。
『永遠は総意だよ。彼女の総意。他でもないアナタがそれを踏みにじるのかい?』
「永遠か未来かは露希に決めさせることにした、もう俺からは何も言わない」
蝶人間が首を傾げる。動作は人のそれに近い。およそ人ではないだろうけど。
「どうにでもなれ、って言ってるんじゃあない。露希が自分で向き合って選び取る。向き合った末の選択なら、どう転がっても本人なりの意味は生まれるだろ」
首を傾げていた蝶人間だが、どうやら俺の言いたいことを汲み取ったらしい。
蝶人間の肌に浮くプロミネンスが煌々と敵意を帯びた。
「誰のソウイだか知らないけど、儀式は俺たちのモノだ! 誰にも介入させはしないっ!」
蝶人間の放散する圧倒的なプレッシャーも、熱気も、敵意も押し退けんばかりの霊力を発揮した。
「霊力行使・【未来視】。対象はあんただ、蝶人間」




