32/39 【事故の真実】
旭賀さんから連絡をもらった直後、俺は女刑事と合流。そのまま覆面パトカーで自宅まで送ってもらった。
覆面パトカーには走り屋の若い男も同乗していた。どうやら女刑事は彼をきっちり検挙できたようだ。
おかげで走り屋から恨めしい視線を浴び続ける事となったが、ちょうど日の出の六時ごろには、露希の家の前に着くことが出来た。
「旭賀さん、もう起きてるとは言ってたけど……いいのか、こんな時間に?」
インターホンを押すにしては、あまりにも早朝すぎる。玄関前でためらっていると、気配に気づいた旭賀さんがサッシから声をかけてきた。
リビングに通され、熱い麦茶が出される。旭賀さんは白湯だった。……体に障らないためだろうか。
「露希の身に起きた異変についてわしなりに考えたんじゃが、それを語るには九年前の事故まで話を遡る必要があるんじゃ」
俺がずっと知りたかったことを、旭賀さんは語りだす。
そして俺が知りたかったと同じく、旭賀さんも「ようやく話せる」といった様子だった。
熱い麦茶を啜りながら、俺は旭賀さんの二の句を待つ。
「九年前の事故。かあさんが死んだ事故でしょうか」
「そう……そうじゃ。その事故のこと、なんじゃがなぁ……」
旭賀さんは歯切れ悪く答えて、少し間を置く。
白湯で口を湿らせてから、ポツポツと続けた。
「そういう事になっとる事故、とでも言えばええんかのう」
「? そういう事もなにも、かあさんはあのときに……」
当時はまだ幼かったが、それでもかあさんが死んだ事故について俺はちゃんと把握している。
事故現場や、犯人がいまだ逮捕されていない事も、誤って記憶したつもりはない。
それでも、旭賀さんが出鱈目を言っているわけではないことは、はっきりとした語り口からわかった。
「閃司君にも心当たりがあるんじゃないかえ?」
「心当たり……そんなの」
白状すれば、心当たりはある。
初めて会った頃の、幼い露希の姿が脳裏にチラついた。
「わしはこう記憶しておる。事故に遭ったのはクルヒさんともう一人……露希も、あの日に、死んでしまうはずじゃった」
とても忘れられんよ……と、泥でも吐くかのように言葉が重たく発せられた。
あの日、露希も事故に遭っていた。
そう聞かされて「やっぱり、そうか」と頷く自分と、記憶との食い違いで戸惑う自分とで二分する。
「でも実際、露希は今も生きてます」
九年前の事故の核心に迫っていると思うと妙に緊張して喉が乾く。
喉は乾くのに、麦茶を飲むどころではなかった。
「クルヒさんが死に瀕した露希を救ったんじゃ。霊力行使というやつでの」
「救った? 世相の霊力行使で、ですか」
旭賀さんの話を疑うつもりはないけど、流石に妙な流れだと思う。
世界を見渡せばたしかに、傷や病を癒す霊力を行使する人もいるだろう。
しかしかあさんに医療行為じみた、もっといえば魔法じみた霊力行使が可能なのだろうか。
かあさんは占い師だった。霊力を用いて世相を見通し、未来を憂う相談者にちょっとしたアドバイスをする仕事。
洗練された霊力行使で、しかしささやかに奉仕するのみだった。
「露希が事故に遭っていたとして、重体の露希をかあさんが救えるとは思えないんですが……」
「今となっては、正確なことはわからんがの。ただ、わしにはそうとしかみえなかったんじゃ」
「ほんとうに、そんなことが……って、ん?」
あの日の事故を、現場で目撃したんですか? そう訊こうとして視線をあげたとき、旭賀さんの顔はまるで自分を責め苛むように歪んでいた。
「轢き逃げ犯は、まだ捕まっておらん」
「え、ええ。最近知り合った女刑事が、いまだにあの事故を追っていると……そう言ってました」
「ああ、ああ。
………………そうだろうとも。
警察署に出向いたとて、自首扱いどころか裁判にすら進ませてもらえんかった」
「!」
俺は目を見開く。
――――旭賀さん。今の言葉は、まるで……。
「クルヒさんと露希を轢いてしまったのは、わしじゃ」
うんともすんとも反応できなくて、リビングに硬い沈黙が下りる。
決定的な告白に驚きこそすれど、今さら怒りは湧かない。
かあさんとの死別は俺にとって過去のことであり、すでに乗り越えたことであり、決別を済ませた話なのだから。
「旭賀さん…………」
「……」
「事故の前後のことを、詳しく話してみてくれませんか?」
「…………。クルヒさんを亡き者にしたわしが、どうして閃司君に隠し立てなんてできよう……」
麦茶と白湯をお互いに飲むと、旭賀さんは訥々と言葉を紡いだ。
実行犯だったはずの旭駕さんだが、警察の調べでは「診察を受けていた」というアリバイが成立していたとのこと。
「余命宣告を受けたのもこの日、ということになっておる。モチロン、わしの記憶とは食い違っておるが」
起きた異変はそれだけではなかった。
事故以前までは朝望家と旭賀さん、そして露希は家族ぐるみで付き合いがあった。
これはかあさんと俺、それに露希が写った写真の通りだ。
しかし事故後、どういうわけか俺たちの間にあったはずの交流は一切無かったことになっている。
俺の記憶でも、露希と初めてあったのは事故後だ。
あの事故現場に居座っていた当時の俺は、露希と何の疑いもなく「はじめまして」の挨拶を交わしている。
写真の中の露希と、記憶の中の露希。同一人物では辻褄が合わなくなってしまう。
「――――髪が」
「ぅむぅ? 髪?」
交通事故自体はいたって普通の、日常起こりうる事象だろう。
だから露希を中心とした様々な記憶違いの原因は、かあさんが露希を救うために行使した霊力にあると思う。
「露希の髪が緑色になったのは、いつでしたっけ? 俺の記憶だと、わりと最近だったような気がするんです」
シャンプーの香りがマスカットのようで、爽やかな露希に似合っている。そう褒めた翌日にはもう、鮮やかな緑に染めてきた。
それはつい最近――もちろん、永遠が訪れる以前だけど――の話だ。
少なくとも、俺たちが中学を卒業した以降の思い出だったはず。
「いや、違うか。事故現場で初めて会ったときから緑色してたな、あいつの頭」
露希について考えだすと、決まって記憶が食い違う。
思考の沼に落ちそうな俺に、旭賀さんは助け舟を寄越しくれた。
「事故に遭ったあの子がクルヒさんの霊力を受け取った次の瞬間、気づくとわしと露希は家に飛ばされていた。まるで最初からそうしておったように露希はテレビを観ておったし、わしは手に診断書を握っておった」
露希の髪色が目に見えて変わったのはその瞬間からだと、旭賀さんは自供するみたいに言った。
「なんかそれ、遷移みたいな現象ですね」
お互い、麦茶も白湯も飲み終えている。
旭駕さんは二人分の湯飲みをキッチンに持っていき、俺の分の麦茶も新しく注いでくれた。
戻ってきた旭賀さんに頭を下げて、結論を告げる。
「打ち明けてくれてありがとうございます。たとえ旭賀さんが事故を起こした本人だとしても、露希が真っ直ぐなやつに育ったのは……旭賀さんが秘密を守り続けたおかげだと思います。それに、隠さず教えてくれたことで、ハッキリわかりました――――かあさんの霊力行使の正体が」
やっぱり、かあさんが治癒の霊力を行使して露希を救った、というのは腑に落ちない。
そのかわり。
露希が事故に遭遇した事実そのものを無かったことにする、というやり方なら合点がいく。
「事故の瞬間にかあさんが発動した霊力行使は、事実を書き換えるタイプのシロモノだったんです」
こじつけと言うなかれ。
世相占い師としてやっていけるかあさんの霊力行使なら世相の操縦、すなわち世の中の有り様そのものを書き換えることすら可能だったのではないか。
「占い師としての枠組みを飛び越えたとんでもない霊力行使だけど、かあさんなら……世界の一部を書き換えることだって出来たんじゃないかって、そう思うんです」
旭賀さんはふむう、と唸る。俺と同じく、旭賀さんの中でも思考のピースが繋がりつつあるようだ。
「瀕死のあの子を救うために、あの子を中心に世界を書き換えた……か。クルヒさんや、そうなのか……」
「記憶の混濁にはかならず露希が絡んでますし、まったくの見当違いではないと思うんです」
それっきり言葉は続かず、俺は麦茶の湯飲みに手を伸ばす。
「そうだ旭賀さん。記憶違いとか事実の書き換えのことって、露希はどの程度知ってるんです?」
「やや、あの子にはまだ何も……むっ!?」
何事だろうかと、手に取りかけた麦茶を離す。目を見張る旭駕さんの視線を追って振り向くと。
「うーっす、おはよジさまぁ〜……もう寝てなくていいの……」
んぁ……だの、ふぁ……だのと、リビングに現れた露希は生あくびをかく。
「んげ!?」
「げっ、てのは失礼だろ。げってのは」
「だ、だってだってだぁってほらっ、寝癖とかあくびとか目ヤニとかついてたらヤじゃんっ!」
俺の家に泊まり込んだくせに、寝癖なんて今さらじゃないか。
反射的にそう言いそうになるが、そんな思い出すら永遠が訪れたせいで白紙になったんだっけ。
露希は気にするほどでもない寝癖を手櫛で直している。
撫でつけているのは黒髪だった。園鶴義が事故に遭った一件からずっと、緑色には戻っていない。
「ああん髪ハネちゃう……もーっ濡らしてくるっ」
「ほんにそそっかしい子じゃ。ここ最近は色々あったろうに、まるで変わらんの」
露希がお色直しから帰ってくる前にと、俺はスマホを取り出す。
「あの、旭駕さん」
メールリストを開いて、旭賀さんに差し出した。
「露希の体に起こった異変についても放っておけないですけど、今日はもう一つ聞きたいことがあって」
スマホに表示されているメール一覧の中から、かあさんのメールを選び取る。手探りに思えた永遠崩しを二度に渡って先導してきたこのメールにはしかし、今回はロックがかかっていた。
「かあさんのメールが開けなくなってしまったんです。今まではこんなことなかったんですが……」
「ふむぅ……クルヒさんからのメールはこの家のパソコンにも届くように設定してある。じゃが、そんなことが起こっとったか、知らなんだ」
事態を把握していなかったらしく、首をひねって唸るばかりだった。
かつての園鶴義のように、霊力を扱える何者かによる妨害か。
あるいはもっと別のなにかが原因か。
いくつか憶測をしゃべってみるも、残念ながら旭賀さんにピンときた様子はない。
麦茶を飲み終えてひと息つく頃になると、外は朝焼けを通り越して青空になっていた。
「では旭賀さん、お邪魔しました」
「訊きたいことがあったらいつでも来るといい……と言いたいが、わしの体調次第じゃな! かっかっかっ!」
体調という単語を耳にしたせいで、俺は別れ際に笑い返すことができなかった。
旭賀さんに聞かれないあたりまで歩くと、やる瀬無さのあまり独り言ちる。
「旭賀さん、今日はたまたま調子が良かっただけ……なんだよな」
旭賀さんから直接連絡をもらう以前、電話越しの露希はしきりに『まだジさまの体調が良くならなくて……』と俺を断っていた。
「俺は、元気があるときの旭賀さんとしか会えてない。病床に伏す旭賀さんをこの目で見たことは、ない」
露希は俺の前で明るく振る舞うし、旭賀さんも俺に弱った姿を見せない。
一方で露希は容態の悪い旭賀さんをずっと介助し、死期を身近なものとして目の当たりにしてきた。
だから俺と露希とで、永遠や未来に対する思いが違ってくるのも当然だ。
玄関に帰り着くまでの間、そんなことを考えていた。
外の日差しが完全に空に昇る頃、俺は自宅で朝食を作り終える。
テーブルの上には、メールリストが開きっぱなしのスマホと運んできた朝食。
食べようと手を合わせたときインターホンが鳴った。
応対用の画面をみるや、露希がデカデカと映っている。魚眼レンズ越しにこちらを覗き込む様子は、はじめてインターホンを押した小学生みたいだった。
「……目玉焼きの匂いを嗅ぎつけてきた?」
『失礼しちゃう! あたしをのけ者にして密会してたのが気になってソワソワしてたら、ジさまが『行ってみたらええ』って言うから!』
「お、おう……とりあえず入ってきな」
玄関で靴を脱ぐ気配がした。
だけどどうしたのか、露希は一向にリビングへあがって来ない。
「目玉焼きも追加で焼こうか?」
呼びかけても反応はなかった。普段ずかずかとあがり込むのだから、今さら遠慮してるわけでもないだろう。
玄関まで迎えに行くと、彼女は写真立てを手に取り眺めていた。
俺に記憶の食い違いをもたらした、あの写真だ
「憶えてるか露希。その頃の俺たちはさ、まだ家族ぐるみで付き合いがあって……ぁ」
そういえば、露希は昔のことをどのように記憶に留めているのだろう?
かあさんと露希、ついでに俺も映ったスリーショットの写真。
この当時の記憶が、今の露希にはあるんだろうか。
旭賀さんから訊きそびれてしまった。
「ふふ、やった。閃司が作ってくれんの?」
「ん、目玉焼き?」
「そ。目玉焼き」
「半熟で二個?」
「そ。わかってますねぇあたしのコ・ト」
写真立てをそっと元に戻し、露希はテーブルに着く。
テーブルには俺のスマホが開きっぱなしで置いてあった。
「閃司のスマホみーちゃお」
「おい……まぁいいか。覗かれて困るものもないしな」
俺は露希の目玉焼きを作るためにあらためてキッチンに立つ。
露希の覗き見は見逃した。「親にスマホを貸してもらってるタイプの小学生みたいだな」と口にはせずに見逃した。
「ふぅ。半熟で二個、完成っと」
できたての皿を露希にお出しする。
そのときだった。俺は驚いて目玉焼きの皿を取り落としそうになる。
「そのメール、開いたのかっ」
露希が。
露希がかあさんのメールを眺めている。
霊力由来のロックが掛けられ、決して開くことの適わなかったあのメールをだ。
「露希が解いたのかっ?」
「解いたのかって、なんのこと?」
「だって、そのメールが開くはずは……!」
起きた異変はそれだけではなかった。
「なーんか、前みたやつよりぼやけてるね、この画像。うまく読み込めてないのかねぇ……って、あれ?」
露希の髪色だ。
霊力を浴びて色を取り戻した黒髪が、たちまち緑に変化していく。
髪に反応がみられたと同時、部屋中に霊力の光が迸った。
俺は目撃する。露希の手からスマホへと霊力が流れていくのを。
「霊力を扱ってこなかった露希がっ、霊力を注いでいるのか!?」
「えっ、えっ? あたしなんも何も……わわっ」
「画像が鮮明になっていく……これは!」
霊力の“移し替え”は、露希の霊力が空になるまで続いた。
露希が自分の意志でやっているわけではないらしい。霊力は決壊したダムのような激しさでスマホに収まっていく。
畳み掛けた異変がようやく鎮まる。
辺りを満たした霊力の光が止んだと同時、
「露希っ、平気か? それに一体どうしたんだ……その髪」
メールを完全に開くために霊力を行使し尽くした影響なのか、露希の髪は霊峰に赴く以前の緑色へ逆戻りしてしまっている。
「何が起こった……」
「ど、どゆこと……?」
せっかくの目玉焼きが冷めていくが、そんなことを気にする余裕は、二人にはなかった。




