26/39 【幻風景の露希】
霊峰での出来事があってから、俺は一度も家に帰らなかった。だから、こうして露希と顔を合わせるのも久しぶりだ。
目の前の彼女は、いつの間にか緑髪を黒く染め直していたようだ。
カーブミラーに手をつき、俺の隣に彼女が並ぶ。九年前よりも彼女の背丈が高くなったからか、事故現場が狭くみえた。
「やぁやぁやぁ~、な~んかすっごく久しぶりなカンジ……一か月ぶりくらい?」
「ああ、だいたいそのくらいか……え」
その髪どうしたんだ。色を戻すのはめんどくさがってただろ?
俺がそう訊く前に、露希の口から信じられない単語が飛び出た。
「いま、一か月ぶりって言ったか?」
「うん」
「わかるのか? 記憶があるのか?」
直近で露希と会ったのは霊峰の山頂。あそこで二つ目の根源である刀を持ち去ってから、すでに六つの永遠を経てここにいるはずだ。
たった一回遷移しただけで記憶のほとんどを失っていた露希から、一か月前の話題が出るのは異常事態だった。
「う~ん……なんか憶えてるんだよね。なんでかは自分でもよくわかんないんだけど」
「なぜか急に、か。その髪の色と何か関係があるのか?」
「う~ん。うう~~む。どうだろ~?」
露希は指先で髪をいじる。ちょいちょいと踊る黒髪は根本から毛先まで真っ黒である。頑張ってムラなく染め戻しました、というレベルではない。
まるで最初からそうであったかのように真っ黒かった。
俺はなにかを見落としているような引っかかりを覚える。
引っかかりの正体に心当たりもあった。
「黒くなったのは、霊峰での一件のあとからか?」
「そそ! いつもみたいに永遠が終わって、自分の部屋で目を覚ましたら見事な黒髪に……」
「……やっぱりそうか。でも、そんなことがあり得るのか……?」
思わず露希を観察する。まじまじとした視線を投げられて露希は身をよじるが、それには構わずに気配を探る。
「いまの露希からは霊力を感じる」
「えぇっ!?」
この胸の引っかかりは、俺の霊力が露希の霊力に反応して引き起こされていたのか。
「露希はさ。未来が視えたり刀から炎を出せたりする?」
「できないっ! 試したことないけども!」
まぁそうだろう。俺は胸の内で頷いた。
いや、霊力をその身に宿したいま、理屈上は霊力行使も可能である。今はまだ方法を知らないというだけで。
俺がいない間に、霊力を扱った経験がないゆえに力を暴発させてしまった……といった事態も起こっていないようで安心した。
「やっぱり閃司も、あたしのこの髪に心当たりがあるんだ?」
「ああ。端的に言えば、いまの露希には霊力溜まりが発生しそうなくらいの霊力が宿ってい……って、ん?」
露希の言葉にまた引っかかりを覚える。
「俺“も”? その髪のこと、俺の他にも訊いてみたのか?」
「うん。びっくりしてすぐジさまに駆け込んだけど……」
「旭賀さんか。なんて言っていた?」
それが、と露希は困った顔で口ごもる。
「むつかしいハナシすぎてよくわかんなかったです」
「な……」
髪色が変わっても霊力が宿っても露希は露希だった。
「大事なところだろ!?」
「だってだぁって難しかったし、ですし……」
霊力なんて得体の知れないモノが絡んだ話を、常人に理解しろというのも無茶かもしれない。
ため息を吐くかわりにやれやれと頭をかいた。
「じゃあ俺もいっしょに事情を聞こう。旭賀さんは家に?」
露希は慌てて両腕でバツをつくる。
「あっ、今日はダメッ。あんまし容態良くなさそうだったし、しばらくは安静にしてほしいかなぁ」
予想外の返答だった。
おまけに容態、安静という嫌でも余命を意識させられるフレーズに胸が冷える。
「……良くなってくれればいいけど」
そう言葉を振り絞るのが精一杯だった。
「そこは問題なしっ。あたしのヘアカラーはフカギャクになっちゃったけど、ジさまの体調は今まで通り遷移で元に戻るっ!」
遷移するから平気、か。
それを聞いても俺は内心複雑だった。
永遠が露希に安心をもたらしているのに反して、俺は永遠を崩すと心を決め直したばかりだから尚更だ。
「にしても、ホント久しぶりじゃん? 家行っても閃司いないし連絡してもスルーだし」
「ああ……それはごめん。ちょっと色々あって」
園鶴義を【未来視】で死なせて以来、露希のことも永遠崩しの遂行もおざなりにしてしまっていた。
それでも、心理的な整理はもう済んだ。
「ならせっかく帰って来たんだし、ゆっくり休むのもいいんじゃないかなっ」
露希の言うように、自分の部屋に戻るのも悪くない。
永遠崩しを再開するにあたって、方針を立て直したかったのだ。
露希がカーブミラーから手を離す。
「ジさまの体調が良くなったら閃司にも教えたげるからーっ!」
手を振る露希と別れ、俺は事故現場をあとにする。ほんの数分とかからず玄関に帰り着いた。
「ただいま……一ヶ月半か。つくづく久々の帰宅だな」
玄関のシューズボックス、その上に飾られた写真立てが、伏せられっぱなしの格好で俺を出迎えた。
「違和感、というより新鮮だな。いつもなら家を出る前に直してるから」
遷移から目覚める場所が自室のベッドから取調室になって以来の帰宅だった。
今日を以って、永遠崩しを再開しよう。
靴を脱ぎながらポケットからスマホを取り出した。
「これまで持ち去った“根源”は、水晶と刀。この二つ」
これまで通りなら、今すぐにでも三つ目の“根源”を狙いに行くべきなのだろう。
しかし、そうもいかない理由があった。
「困ったことに、もうかあさんのメールはあてにできない」
今までなら、かあさんのメールに添付された画像をヒントに“根源”をみつけ、そして持ち去る。
永遠崩しなんて右も左も知れない儀式を進めてこれたのは、そうした確固たる手順が用意されていたおかげだった。
しかし霊峰での一件以来、“根源”の在りかを示し続けたその画像は、どうしてかロックが掛かり開くことができなくなってしまった。
みたこともない、検索にもヒットしない現象が邪魔をするのだ。
ただのエラーではないことは明白だった。
「掛かっているのは霊力によるロックか。くそっ、あの夜のうちにしっかり確認しておけばよかった」
このロックを解かない限り、永遠崩しを進めることはできない。だからこそ今一度、新しい方針を立てたいのだが……。
手詰まり感のあまり靴を脱ぐことも忘れて立ち尽くし、俺は何度も思考を往復させた。
電子データに霊力由来のロックをかけられる、埒外な霊力の使い手がどこかにいる。
「霊力なんて非化学なモノでテクノロジーに干渉するなんて……」
一見眉唾に思えるがそこはそこ、ほかでもないかあさんだ。
世相によって内容を変化する画像、なんてシロモノをすでに作っているわけだから不可能ではないのだろう。
「となると、かあさん本人がロックをかけてたりしてな」
俺にはまたしても、そう直感するだけの心当たりがあった。
旭賀さんを生かしたい露希の気持ちを無視して永遠を終わらすのはあり得ないし、遷移のたびに死に続ける園鶴義を放置するつもりもない。
「問題を残したまま永遠を終わらすのは許さない――――かあさんがそう言ってるみたいなんだ」
もちろん永遠崩しを断念したりはしない。
ただ、園鶴義の死という解決すべき問題が増えた、それだけの話だ。
「とにかく、現状じゃ手がかりが足りなすぎる。すぐにでも着手出来る事といえば……」
打てる手があるとしたら、予知夢に頼る、くらいだろうか。
映画館で予知夢を視た日のことを思い出していた。あの予知夢があったおかげで、かあさんのメールが手がかりになると気づけたのだ。
「予知夢は偶発的なんだよな。予知夢が霊力行使なのかと言われれば、少し違う気もするし……」
進展を見せぬまま数分、俺は玄関に立ち尽くしていた。
気を取り直して靴を脱ぎ、伏せっぱなしだった写真立てを立て直す。
そのフレームの奥には俺が、かあさんが。そして露希が、過去から笑顔を届けている。
……そういえば。
この頃の露希は、まだ髪が黒かったんだっけか……、
「………………っ、」
写真の中で笑い合う三人のことは、今日まで毎日のように視界に入れてきた。
そのはずなのに――――ピリッ、と脳裏に電火が爆ぜる。
「ぐうっ――――っ痛ぅ!?」
露希とかあさんが並んでいる。
二人を見比べて光景を認識し視覚情報が脳に到達すると、痛みは重みを増していった。
言うなれば錠前の鎖を引きちぎるような、長いこと眠っていた記憶を突き起こすような、およそ日常生活では遭遇し得ない頭痛。
「そうか、そうか、そうか……っ!」
写真は生前のかあさんと露希、ついでに俺のスリーショット。
ハッキリ言ってありえない光景だった。
俺の記憶では、俺が露希とはじめて出会ったのは交通事故の後だ。
それは勘違いなどではない、あの出会いがなければまともに立ち直れなかったのだから。
矛盾の輪郭が鮮明になっていく。
鈍痛のせいで、矛盾を見て見ぬふりをすることもできない。
「かあさんと露希がいっしょに居るなんてのは、あり得ない……!」
俺は靴を履き直して玄関ドアを突き飛ばした。
突き動くままに向かった先は、あの事故現場。
俺の記憶とあの写真の光景は、言い訳しようもなく食い違っている。
しつこいくらいの頭痛は、これがただの記憶違いではないことを裏付けた。
「露希とは何者なんだ…俺の知ってる露希って、一体誰なんだ……?」
露希と出会うきっかけとなった事故現場に着くまでの間、なぜだ、どういう事だ、と思考がかき混ざって止まらなかった。
息せき切って事故現場に走り着くも、当然露希は帰った後だった。




