25/39 【閃司の原風景】
緑髪の少女と出会ってからも、相変わらず俺の事故現場通いは続いた。
それは復讐のつもりで繰り返していたことなのに、いつしか包丁を持ち歩かなくなっていた。
「あれぇせんじっ。いつものカバンは?」
「あ、あれはその……暑いから、もう持ってこなくてもいいかと思って」
手を伸ばせば届く距離に露希がいる。
そんな状況で、いつまでも澄ました顔で凶器を隠し持っているのは、彼女を騙しているようで据わりが悪かった。
「あのカバン抱えてると、けっこう蒸れるんだ」
俺は地べたに尻を着けたまま答える。
「……それにかあさんが死んだ今、どうせ復讐を済ませたところで……だしさ」
失意の呟きはアスファルトと同じくらい無機質で、どうもあたりに響かない。もちろん露希に聞かせるつもりもなかった。
「そーだっ、なんかたしかなんかねっ、黒いのは熱くなりやすいんだって。せんじしってた!?」
曲がり角にいる俺をみつけては、露希は他愛ないやり取りを持ちかけてくる。
俺にとっても、露希がいつしかおなじみの存在になっていた。
「カバンも黒だったじゃんっ。んぁー思い出しただけであついっ、暑すぎるよもうウチいこうよ、ウチっ」
露希から遊びに誘ったり、露希から学校での出来事をしゃべり立てたりする。俺は話題にひたすら頷き返すのがお決まりのパターンだ。
小学校に通わなくなった俺は、世間は夏休みの最中だったことを露希の話から知らされたりもした。
「いつも言ってるだろ。俺はここに残るよ」
基本は頷いてばかりの俺だけど、場所を移すことだけはしない。
死んだかあさんと想像上の犯人しか頭に無かった俺の日常に、この少女はするりと入り込んで来た。
気を許していたのは間違いない。それでも俺が露希の提案で事故現場を離れたことはなかった。
「こうみえても、ちょっとした用事があってここにいるんだ」
「えぇ~? せんじってば、いっつもそればっかり……」
数十分後、露希は暑いあついとひとしきり言い残し、結局その日は帰っていった。
秋ごろになると、事件が起こった。
夏休みが終わって、残暑をすぎて秋になっても、露希はほぼ毎日事故現場に佇む俺のもとへ通い続けていた。
「はいコレ! はいはい飲んでコレのんでのんでぇ!」
下校時間をとっくに過ぎた夕方前の頃だった。アスファルトの熱もいくぶんか和らぐ時間帯。
露希は二本のラムネ瓶をぐいぐいっと突き出しながら、俺のすぐ隣りに尻を着ける。
「これは……」
しきりに「飲んで」と繰り返す露希のそれは、ラムネ瓶を勧めるというよりは頼み込んでいるふうだった。
「ああ、なかにビー玉が入ってるやつだね」
たぶん露希は、飲み物自体に興味があるのではなくビー玉が欲しいんだろうな……、この頃の俺はすでに露希はどんなやつかを掴み始めていた。
事件が起こるこの日、俺たちはビー玉のために肩を並べてラムネ瓶をあおった。
ラムネ瓶自体は別段変わったことはない。俺は始めての炭酸を飲み下しながら、露希がまくし立てるようなマシンガントークで学校での出来事を展開する。それをいつも通りに聞いていた。
露希からの夕飯の誘いも、俺はいつもの用事で断った。
「せんじー? 明日もまたここに来るー?」
これを訊いてくるのが、露希の帰宅の合図だった。
「もちろん。まだやめるわけにはいかないから」
口ではそう言いつつ実際、復讐の達成は途方もなく難しいとわかっていた。
もはや実行しようとすら思わない
。
包丁だって一度キッチンに返して以来持ち出していない。曲がり角を通りがかる車にたいし、敵意で歯を食いしばり睨みつけることもなくなった。
「……。俺も学校に戻るべきかな」
露希がいなくなった後も、アスファルトに座りっぱなしで考え込む。
正直、笑う場面が増えたと自分でもわかっている。
露希とやり取りを重ねるうちに包丁も手放した。
血眼になって追ったはずの車を気にも留めず、露希とのやりとりに夢中になった瞬間は一度や二度じゃあない。
復讐のための張り込みはいつしか、露希とのおしゃべりタイムにすり替わっていた。
このときの時刻は六時半前。当時の俺はまだ知る由もないが、ちょうど霊力が満ちる黄昏時――――事件まであと少し。
「あ、しまった」
俺はいまだアスファルトの上を動けずにいて、何とはなしにポケットに突っ込んだ手に、コツンと硬質な感触があった。
それは露希との会話に夢中で渡し忘れた透明のビー玉。
「桐織のやつ、あんなに必死に頼んどいてもらい忘れるって……」
透明なビー玉はガラス製であった。
「そんなにいいものかな、これ……」
俺がじぃっと見つめる手のひらの上のこれは、ガラス製であって宝石ではない。ましてや水晶でもない。
ためつすがめつ眺めてみるも、ビー玉は煌めかなかった。
摘まみ上げて下から覗き込む。
眼球近くまで近づけて内部を見回す。
薄暮の夕日に照らす――――と、【未来視】は起こった。
「! これって、あの日と同じ現象……!?」
現在の俺が水晶で視るのと同じように、覗き込んだビー玉の中で未来の瞬間が像として結ばれる。
「白い車がこっちに向かってくる……って、それだけ?」
ビー玉を道路に向けると、それは視えた。
曲がり角に座る俺の右手側から、かなりの速度を保ったままカーブしようとする車の映像が、ビー玉内部に広がる。
目の前で何が起こっているのかわからないなりに、俺は左側の道路にもビー玉を向けてみる。
ほんの試しにそうしただけなのに、ビー玉は思いもよらない反応を示した。
「っ、桐織!?」
右から白い車、左からは露希。
このまま放っておけば、映像の中の両者が曲がり角で衝突事故を起こすだろう。
残暑の汗に、戦慄の冷や汗が混じる。
「でもあれかな、ビー玉がたまたま変な反射をして、それで……」
それで変な見え方をしちゃっただけだ。
そう言い聞かせたとき、俺の右方から白い車が現実の車道に現れる。
ビー玉の映像とまったく同じ速度でこちらに迫る、迫る。
「おーいっ! せんじー?」
「! 桐織、来ちゃダメだ――――桐織!」
ばつが悪そうに緑髪の頭をかく露希もまた、俺の左方から駆け寄って来る。
「ごめんゴメンごめんなさーいっ、あたしったらビー玉もらい忘れちゃっ……ひゃっ、せんじっ!?」
車からでは曲がった先に子どもがいるとはわからないだろう。
運転手に向かって手を振ってみせるが、減速する気配はない。
「くそっ、とまれぇっ!」
俺はとっさの判断で車の進む先に飛び出した。
後先は考えていない。死んでは何も残らないというけど、かあさんもいないうえ学校にも通わない俺にはもとより何も残っていない。
だから身を投げてでも車を止めることに躊躇いはなかった。
「――――っ!」
衝撃に備えて体が強張る。
衝撃はやってこない。
やがて緊張が解けて、無事を悟った。
運転手は俺にたいしてバカだの危ないだの注意か罵声をあげている。いまだ露希のことが視界に入っていないらしい。
俺の背後で露希は腰を抜かしていた。
「桐織、平気か?」
運転手にかまわず露希を助け起こして道路脇によける。そうして定位置のアスファルトにへたり込んだ。
いつもの場所に体を落ち着けると、助かった実感が湧いてどっと気が抜けた。
俺の動揺も相当だったけど、危うく事故になりかけた露希のほうがよほど竦みあがってしまっていた。
「桐織、……えっと」
露希はうつむいたまま両手で胸を押さえている。
目の焦点はぶれ、必死に浅い呼吸を繰り返す。
地上にいながら溺れてしまいそうなその様子が、俺の目にひどく弱々しく映る。
当時の俺にはかけるべき言葉をすぐにみつけることができなかった。
絞り出すような判断の末、そっと隣に座り直す。
「お、俺も桐織も助かったから、さ……その、安心しろって」
小さく丸まった彼女の背中を包み込むようにさする。しかし、それだけでは足りない。
ただならぬ容態の露希を前にして、してあげられることがなさすぎた。
「助かったから。平気だ。だから……えーっと、そうだな……」
露希の小さな両手が、自身の胸をしきりに押さえつけている。
俺は背中をさするのとは逆の手を、彼女の両手に添わせた。
じんわりとした手の温もりに任せたところ、露希の表情には次第に血の気が戻ってきた。
「俺さ、久々に学校行ってみようと思うんだ」
俺ははっきりと宣言した。
話しかけても大丈夫そうな頃合いを見計らって、自然と出た言葉だった。
「どうも俺は、ずいぶんと桐織に助けられたてたんだな」
「う……? たすけてくれたのはせんじじゃん……」
月日にして二月だろうか。立ち直るのには長い時間を要したけど、その長い時間を共にしてくれた露希の存在が、俺の中で日増しに大きくなっていた。
露希を安心させようとしていたがそのじつ、長い時間をかけて俺のほうこそ安心させられていたのだ。
かあさんの死別を悲しむ心や犯人への復讐心なんてとうに凌駕して、ただ自然と、そばにいてくれた露希が俺の心を占めていった。
「ともすれば、俺を支えてた自覚なんて桐織にはなかったかもしれないけど。でも、時間が経てば人は変わる、俺は桐織のおかげで変われた」
だって気づいてるか? 俺は今日まで一度も。
「今日まで、ただの一度だって、学校に戻ろうなんて思わなかったのに」
露希のおかげでようやく前を向ける……と、そこまで素直に言うのは照れくさいからやめておいた。
「よくわかんないけど、せんじの学校だと夏休みは明日までなの?」
****************
「こうして、俺はかあさんの死から立ち直った。具体的には、二月という時間を要して」
かつては見通しの悪い曲がり角だったが、今はカーブミラーが安全を見守っている。
いつ設置されたのかわからないそれの支柱を撫でると、時間の流れが身に染みた。
「だからこそ俺は思う。露希が旭賀さんとの別れから立ち直るためには、一週間ではいけない。カーブミラーだって一週間では建たないだろう――――永遠の中にいては、人は救われない」
俺たち人間には時間が必要なんだ。
一週間を繰り返すだけの仮初めの月日じゃなく、健全な未来があるべきなんだ。
当時九才だった俺にそのことを教えたのは他でもない、露希だ。
「うわうわうわぁ~、なんだか懐かしいなぁ~。昔はよくここでおしゃべりしたもんよねっ、閃司っ」
アスファルトに座る俺の頭上から声が降ってくる。
月日や年月というのは、悲しみに暮れた日々も復讐に駆られた日々も過去にしてくれる。
その圧倒的な優しさを、露希は俺に身をもって示してくれた。
永遠を崩す理由を見つめ直し終え、俺はアスファルトから立ちあがった。




