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24/39

24/39 【追慕の曲がり角】

 【未来視】を初めて視たのは、かあさんと口論になった翌日だった。


『なんだこれ。うちのリビングの……映像?』


 当時の俺は小学一年生だった。

 小学校からの帰り道、ふとカーブミラーを見上げると、それは映っていた。


 我が家のリビングでひとり夕ご飯を食べはじめる俺の姿が、住宅街のカーブミラーに浮かんでいる。


『見間違い……?』


 小さな手でぐしぐしと(まぶた)をこすっても、カーブミラーの映像は顕在だった。


『あれ……見間違いじゃない。なんなんだろ、一体』


 鏡の中のリビングを不思議がった俺は、つい食い入るように観察する。

 食器は当時の俺がいつも使っている子供用だったし、時計の針に至るまで鮮明に映し出されている。


 その家に住んでいる俺やかあさんにしかわからないような細かい部分までもが精巧に再現されていたのだ。

 

 それほどの再現性でありながら、しかし鏡面のリビングには足りないものが一つあった。


『かあさんがいない……? まぁ、いなくたって気にすることないけどっ、あんなひと』


 前日の口論が尾を引き、幼い俺はかあさんについてそんなふうに言ってしまった。独り言とはいえ思い出すだけで寂しい。


 俺は興味津々で鏡の像に見入った。

 それが死を宣告する【未来視】であるとも知らずに。


『時計は六時半。もしかしてご飯をこの時間に食べ始めれば、かあさんと顔を合わせずに過ごせるのか……?』


 どういう経緯で?

 そう思いつつも、俺はその後友達の家で時間を潰すのだった。自分の家には帰らず、もちろんかあさんにいつ帰るとも告げず、友人宅に直行した。


 時刻が六時半になる直前まで、自分の家には帰らなかった。


『ただいまー……なんて。あの鏡にみたとおりなら、かあさんいるはずないけど』


 家に帰り着いて、ほんとうにかあさんがいないと知ったときはガッツポーズした。とにかく気まずいのが怖かったから。


 でも、これからずっと顔を合わせず過ごす、というわけにいかないと理解していた。ただ当時の俺は、仲直りするのにいま少し猶予がほしかっただけで。


『いただきます!』


 その日はカレーだった。

 かあさんが作ってくれたカレーをひとりで頬張る。昨日の口論のことをあーだこーだ言われることもなく、のびのびとした心地で食べ終える。


『……そろそろ、帰ってこないかな』


 食べ終えてお腹いっぱいになったし、あとはお風呂と歯磨きをして寝るだけだから、もし帰って来たとしても逃げ切りようがあった。


 だけど、かあさんはまだ帰ってこない。


 リビングの固定電話が鳴ったけど、かあさんがいないときは出なくていいと教えられていたので、しつこくかかってくる電話を俺はすべて無視した。


 外では複数種類のサイレンが響いている。家の前を通り過ぎ、どこか近所で停まったようだ。パトカーと救急車のサイレンの違いを覚えたのは、思えばこのときだったような。


『かあさん帰ってこないし、先にお風呂入っちゃおっかな……』


 着替えを手に脱衣所に向かう俺の足を、インターホンが唐突に止める。


 夕暮れ過ぎの来客を、子供ながらに変だなと思った。

 変、ぐらいならよかったのだが、不穏だとすら感じた。玄関ドアの擦りガラスに映る人影が物々しくて、出るのが嫌だった。


『自分の家なんだから、チャイムなんて鳴らさないよね、普通……かあさんだよね?』


 やっとかあさんが帰ってきた、と安心したかったけど、それ以上に不安だった。

 家の中も家の外もいつもと雰囲気が違いすぎる。


 恐る恐る開いた玄関ドアの向こうには警官がいた。

 事故を報せるための電話をかけたが出なかったので、ためしにと直接家を訪ねてみたらしい。




 警官は幼かった俺に、かあさんの事故死を口頭で伝えた。


****************


「やっと着いた。電車が動いてくれないとなると、家に帰るのも楽じゃないな」


 取り調べを受けた庁舎から俺の自宅付近まで、おおよそ五時間は歩き通した。


 電車は無理でも途中でタクシーやバスを拾いたかったが、残念ながら利益が消える永遠社会ではめったに運行しない。

 しかたなく霊峰を登ったとき以上の体力を浪費して自宅付近まで帰り着いたのだ。


「九年前の、かあさんの事故現場。今となっては懐かしい場所だ」


 あらためて永遠崩しに動き出す前に、大変な徒歩移動をしてでもこの場所へ来たかった。


 カーブミラーが一本建っただけの、見通しの悪い曲がり角。

 その住宅街の脇で、俺はそっと目を閉じた。


 九年前の出来事を見つめ直すために。


****************


 事故死の報せを受けてから後日、かあさんが事故に遭った現場に向かった。


「ここが、そうなんだ……」


 ふらふらとした足取りと同じく覇気のない呟きが、事故現場である見通しの悪い曲がり角に霧散する。


「べつに何もないな。いつもと何も変わらない」


 これだけ見通しが悪いくせにカーブミラーすらないのか、ここは。


 ペタン。たいして荷物を入れてないカバンを抱きかかえながら、曲がり角のすみっこに力なく座る。平日の昼前という中途半端な時間帯なので人通りも車通りも皆無だった。


 幼い俺がひとりぼっちでいようと、誰も関心を寄せない。そもそも無人だ。

 真夏の日射を吸ったアスファルトの熱さにも構わず、ひとり事故現場に居座った。


「むしろ、これでいい。人気の無いほうが、都合がいい」


 小学校をさぼってまで事故現場にたどり着いたのは、誰かに励ましてほしいから、ではなかった。


 俺が当時七才だったことを考えれば、かあさんを失った寂しさや悲しさといった感傷に縛られ、囚われるのも仕方ないはずだった。


 しかし俺はそうはならなかった。


「誰かに見張られてたんじゃ、やりづらいからな」


 悲しみに暮れるのにもいい加減飽き飽きした俺は、次の段階に進もうとしていた。

 胸に抱えたカバンの重さを感じながら、夕方までジッと座り尽くす。


 夕方過ぎになり、陽が落ちる。

 辺りは薄暮、すなわちかあさんが事故に遭ったときと同じ時間帯。


「六時半……かあさんを轢いた誰かは、この時間にここの曲がり角を使ったんだろ」


 当時の俺は、時間帯から鑑みて車通勤の大人が犯人だと踏んでいた。

 だから仕事からの帰り道と思われるこの曲がり角で、警察の張り込みみたいなマネをする。


 その執念深さ、恨みの深さは一歩間違えれば「子供のマネごと」では済まされなかった。


 あのとき抱えていたカバン。その中身の重さを、今でもよく覚えている。


「だったら、またここを通るはず。逃げおおせると思うな、犯人」


 軽い、重いはなにもグラムの話ではない。

 事の重大さを子供ながらに理解していた、ということだ。


「刺す。刺す。かならず」


 自宅から持ち出した包丁入りのカバンをきつく抱き過ぎて、気づいたときには胸が汗でびっしょりだった。


 夜遅くまで待ったが、結局それらしい車は通らなかったので、その日の復讐活動はそれでお終い。


「………………」


 家に帰り玄関に無言で踏み入る。

 次の日になって、また何も言わず玄関を出た。

 ただいまも行ってきますを告げる相手はいないのだから、無言なのも当然だろう。


 事故が起きた曲がり角の地べたに座り、夜になったら家に引き返す。カバンの重みだけを意識しながら、当時の俺はそればかりを繰り返した。


****************


「でも結局、俺が犯人を襲うことはなかった」


 九年越しに、俺は曲がり角のすみに座ってみる。自然、昔は建ってなかったはずのカーブミラーに寄り添う格好になる。年月の経過が感慨深い。


 思えば、心の底から犯人を憎む少し前には、幼い子どもらしく泣いてばかりの時期があった。

 自分の部屋でひとり体を丸めて縮こまって悲しみに暮れ、やがて涙は収まり気持ちが落ち着いたと思いきや、今度は冷静になった頭でひとりきりの時間と直面しなくてはならない……そんな期間が、あったのだ。


「なにか夢中になれるものでもないと、やってられなかったんだ。復讐が心の拠り所だった、とでも言えばいいのかな……」


 座る俺の隣に佇むカーブミラーの柱を撫でながら、俺はもう少し記憶を辿ることにした。


****************


 さっさと曲がり角にたどり着き、もはや定位置となったすみっこに尻を着ける。


「血とかは当然拭き取られてるとして。事故でできた車のへこみとか、キズでわかると思ってたんだけど」


 この頃になってようやく、幼い俺は犯人を見分ける手がかりがないことに気づいた。


 気づいた、というのは正確ではない。もともと居ても立ってもいられなくなって始めたことだ、手がかりなしを重々承知で張り込んでみたものの良い案は浮かばず、いよいよ手詰まり感を否めなくなってきたのだ。


「もっとこう、直感でわかるものだと思ってた」


 ひょっとしたら気配や雰囲気でわかるかもしれないと、そう考えていた。

 かあさんを殺した車なら、理屈はさておきピンとくるものがあるはずだと半分本気で信じていた。


「聞き込み、ってやつが必要なのかな……なんか嫌だな」


 隠し持った包丁の重みが蘇る。こんな危ないものを抱えたまま誰かとしゃべるのは、きっと居心地の良いものではないだろう。


 最初から、誰にも知られずに完遂させるつもりだったのに……と。当時の俺が、ついに復讐を無理だと悟ったのかと思いきやとんでもない。


「ここで諦めたってしょうがないじゃないか。かあさんは死んだ、もういない。元の生活になんて戻れっこないんだぞ……くそっ!」


 七才の子供が抱いて当たり前の、死別の辛さ。このときの俺はその辛さを、まだ本当の意味で乗り越えてはいなかった。


 復讐という形にはなったけど、一応は目標があって行動できていた。


 しかしそういった恨みや衝動は、かあさんのいない現状を誤魔化しているに過ぎなかった。


 聞き込みするか、しないか。考えてるうちに、日差しの厳しい午後になる。


「ねっ、こんにちは!」


 声をかけられると同時、体がビクッと跳ねる。反射的に声とは逆側へカバンを押しやった。


「きみきみ、きみさーっ! いっつもここにいるよねっ?」


 元気な女の子の声だった。ランドセルを背負っているので、もしかすると同級生だったりするのかもしれない。


「はじめましてっ!」

「………………」

「いっつもここでなにしてるのっ!?」


 座ってる俺の上からすっごい笑顔で、すっごいでかい声を浴びせてくる。

 一目で可愛いと思ったけど、顔や声よりも眩しい緑髪(・・)に目を引きつけられた。


 何者? というか誰なんだ?


「……誰?」

「んー、なぁに? もっとおっきい声で!」


 九年前。初めて会ったときから露希はこんな感じだった。


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