02/39 【続くしかない日常】
2024年の正月休みが終わるかどうかのタイミングで完結予定です。
すでに幾千回と訪れた11月23日の朝。
「……目を覚ましたところで。これといってやるべきこともないんだよな……はぁ」
永遠への無気力に辛うじて打ち勝ち、ベッドから身を起こす。そのままのたのたとした足取りで、どうせ外出の予定など皆無なのに着替えに向かう。
窓のシャッターを全開にし、とくに感慨が湧くでもない朝日を部屋に呼び込むと、さぁどうしたものかと腕組みした。
面倒くさいが朝飯を摂ってもいいし、桐織のところへ遊びに行ってもいい。
あてもなく散歩してもいいし、無免許の俺がそこらへんの月極駐車場に駐めてある誰かのバイクで遊びに行こうと、きっとお巡りさんに何を言われるでもない。
自営業に精を出してもいい……けど。
残念ながら、俺の仕事の性質上、永遠社会じゃあ役に立たないだろう。
「縛りがないのも考えものだよな。まったく」
無数に浮かぶ選択肢のなかに、しかしピンとくるものはなかった。
なぜなら、永遠社会だから。言葉の意味はあとから嫌でもわかってくる。
永遠は季節ごとの長い休暇のようでもあれば、無期懲役のようだと錯覚する俺みたいなやつもいる。
言ってしまえば永遠とは究極的な自由であり、永遠だからこそどんな出来事も虚しいものに思えてしまう。
とにかく、終わりのない空白期間のようなモノなのだ。
どう過ごしても許されるわけだが、残念ながら俺の中の興味や関心など軒並み枯渇してしまった。
11月23日から29日。29日から23日へ遷移する際、基本的に人の記憶や出来事などは白紙に戻される。何も起きなかったことになるのだ。
一週間というまったく同じシナリオを幾千と繰り返し続けているのだから、心を使い果たすのも無理はない。
「ああ。ヒマだ。退屈だ。脳が萎縮する。空っぽになる。そろそろ独り言のバリエーションも尽きる頃だ」
つまるところ、俺は暇で仕方なかった。その枯れ具合ときたら、空虚なんて言葉では生ぬるい。
「飯を作るのさえ億劫だ。食べるのすら手間だ。かといって、他にすることなんか何も――――ん?」
と、つまらなさそうに部屋の壁のシミを目で追いかけていたとき。
俺の視線は、手にしていたスマホに引きつけられる。
桐織からのメッセージ通知で画面が点いた。
「なんだ? こんな朝早くにメッセージを寄越すなんて」
それはいつもの永遠とは明らかに異なるイベントだ。カッサカサに枯れた俺の意識は水分を求めてメッセージに食いかかった。
二つの通知のうち、かあさんのアドレスで送られてくる不審なメールをスワイプで消し飛ばしてから、桐織とのやり取り画面に切り替える。
タップして開いた瞬間、『遊ぼ!!!!!!』というどストレートなお誘い文句が視界に飛び込む。吹き出しのサイズをめいっぱい使うのが露希流だ。
「相変わらず自由なやつだな。良くも悪くも」
露希が元気いっぱいなのも永遠社会のおかげ……いや、永遠社会のせい、というべきか。
永遠のせいで彼女は変われないでいる、向き合うべきものに向き合えないでいる。
「まぁ、露希のやることなすことにビックリマークが多すぎるのは、永遠以前から変わらないか」
呆れつつも、俺には断る理由がなかった。
永遠を過ごすうち、いつしか朝食を摂るのさえ面倒だと感じるようになった俺は、リビングを素通りして玄関口まで階を降りた。
靴置き場に設置されたシューズボックス。その箱の上には、意味ありげに伏せられた写真立てがある。
靴を履きながら、写真立てを伏せっぱなしにしていたことを後悔する――――永遠が訪れると知っていたら、きちんと立てておいたのにな。
「永遠がはじまる前に立ててさえいれば、こう淋しい思いをしなくて済んだんだが……なんて。今さら言ったところで詮無いことか」
倒れた写真立てが目に入れば無条件に悲しくなるのが人情だ。
写真立ての状態、なんて些細なところまで永遠の原理原則に縛られていると思うと――――永遠が、無性に憎い。
玄関を出る前に、俺は写真立てを正しく立て直す。
一週間が経てば、また元に戻ってしまうと知りながら。
永遠に対して虚しさを覚えて以来、外に出る日は必ずそうするようになった。
何故見えるようにしておきたいのかは、自分でもわからない。
永遠にたいするささやかな抵抗なのかもしれない。
意味などない。だけど決して譲れなかった。
かあさんは過去、桐織は未来。
この写真は象徴なのだ。
俺と桐織、それにかあさんが、過去から笑顔を送っている。
「行ってくるよ、かあさん」
隣の家に桐織はいる。
表札には『旭賀』とある。
それは桐織の祖父の苗字だった。
「おじゃまします。桐織、いるか?」
チャイムも鳴らさずに玄関扉を開くが、そこはお互い様だ。
玄関脇の額縁を覗いた。
一枚の写真が収められている。
観光資源である山脈、木々を背にピースする三人。
とくに背の高い休火山は、盆地都市の象徴である。
休火山のふもとの湖で、俺と桐織、かあさんが笑っていた。
青空に映える休火山と三人。俺の家に飾ってあるものと同じ写真。
「おあよ~っす……あ、閃司それ」
気の抜けた声とともに、廊下奧の階段から桐織が現れる。
「懐かしいっしょ~、湖で撮ったやつ」
「ああ、桐織はあの頃よりかわいくなったし、俺は視力の低下に伴って目つきが悪くなった」
まだ黒髪だった頃の幼い桐織が、写真のなかでとびきりの笑顔を咲かせている。
「緑髪にしてきたときはさすがに何事かと思ったけどな」
「閃司が褒めたからぢゃんっ!」
「褒めたのはシャンプーの匂いだけだったろ」
マスカットみたいな爽やかな香りだったから、いつもサッパリと振る舞う桐織の人柄に似合ってるんじゃないか……俺がそう伝えたところ、なんと翌日、髪色までマスカットにしてきたのだ。
このときほど桐織の事を単純なやつだと思った日はない。
俺はその愚直すぎる素直さに振り回されることもあれば、背中を押されることもあった。
「永遠になっちゃったし、23日に戻るたびに黒に染め直すなんてとても無理なんだから。褒めた責任ちゃんと取ってよね」
永遠がはじまったのは、桐織が髪を緑に染めて間もなくのときだった。
仮に今、髪を黒に染め戻したとして、11月29日から23日へ遷移する際、直したはずの髪色はたちまち緑に強制逆戻りするだろう。
そこらへんの事情は、玄関脇で伏せられた写真立てと同じだ。
無機物だろうと人間だろうと関係ない。
いくら無慈悲だとしても、永遠の前ではひとしく繰り返しなのだ。
それが永遠社会ならではの、揺るぎなく避けがたい決定事項だった。
「それで遊びにって、どうするつもりだ? 具体的には何をしたいんだ?」
「うん! 閃司はどこ行きたい!?」
「プランとか考える前に誘った感じか?」
「うんうんうんそうそうっ! 閃司あたしのことよくわかってんねー!」
旭賀さんに挨拶してから、俺たちは駐車場に向かった。
目的はバイクだ。住宅地に囲まれた月極駐車場には、俺が常習的に失敬しているバイクがあるのだ。
「よかった、今日もあるぞ」
ハンドルの両サイドに引っ掛けてあるヘルメットを手に取る。
「ちゃんと被るんだ。あんまり思い出したくないけど、事故ってのは悲惨だからな……」
「はいはいはいー、わぷっ」
俺は黒、桐織には白のヘルメットを被せてやり、差さりっぱなしのキーを回した。
先ほどの失敬という言葉通りだが、一応補足しておくと。
俺たちは、今まさに跨っているこのバイクやへルメットの、本当の持ち主を知らない。勝手に使わせていただいてるだけの身だ。
俺も桐織も自分のバイクなど持っていない。今年で十六だが、無免許。
俺は永遠の中で教習課程をクリアしているが、やはり永遠のせいで公的な記録として残ってはいない。
桐織は桐織で、そんなことに時間を割けない家庭の事情があった。
「うひょー、かっぜきもちいねー!」
バイクが本格的に公道を走り出すと、桐織は俺の背に体をピトッと預けてきた。
彼女はバイクのスピードを怖がっているのか、はたまた楽しんでいるのか。
背中から抱き込んでくる腕の締めつけ感は、法定速度の速い大通りに出るほど強くなった。
露骨に言うなら、桐織は俺に胸やら腿やらを強くつよーく密着させてきた…………にも関わらず、俺がそちらを意識することはまったくなく、むしろ別の考えごとに気を取られていた。
「天気、街並み。先週も走り回したはずのバイクの燃料メーターの値さえ、いつもと変わらない」
バイクを走らせているとき、胸の内にはいつも同じ思いが募る――――俺は一体、何をしているんだ、と。
俺がバイクに乗るようになったのは永遠が訪れてからだ。
バイクに乗るなど、永遠以前の暮らしなら、ぜったいにあり得ない行為だった。
無免許かつ、二人乗りが違反かどうかにも疎いくらい、乗り物に関心があるわけでもない。
人並み程度の良識を備え、万引き一つしてこなかった俺がいまや人様のバイクを乗り回している現状は、あまりに現実感がなさすぎる。
「バイク窃盗、からの無免許運転。二人乗り……は、たしか違反じゃないのか? いずれにしても世も末だな――――永遠のせいで、世も末になったんだ」
独り言は、視界の端に映るガードレールや並木と一緒に、非常識な速度で後方へと消し飛んでいった。
「んー? 閃司ー! なんか言ったー!?」
エンジン音に邪魔されて聞き取れなかったらしい。
「エイまで聞こえたっ! エイのなんとか、まで聞こえましたけどもーっ!」
桐織には悪いけど、わざわざ聞き返してもらうようなことは言ってない。
聞かせるべきでもなかった。
俺と違って、桐織は永遠に対してポジティブだから。
信号待ちでバイザーをあげ、頭だけ振って桐織に向き直った。
「映画でも観に行こうかって言ったんだ。どうだ?」
「おほー、映画っ! いいですな~ゴーゴー、閃司ゴーゴーゴーゴー」
「赤だよ。信号。あと、途中でガソリンスタンドに寄るから、そのつもりでいて」
桐織が永遠の訪れを歓迎した理由は言うまでもない。
旭賀さんの余命が尽きないからだ。
直接の血のつながりはなくとも、たった一人残された家族なのだから、永遠を推すのも無理はない。
旭賀さんがいなくなったら、桐織はあの家でひとりきりだ。
俺は、一人でいること自体は慣れっこだった。
しかし唯一の肉親との死別に直面した桐織が、同じように乗り越えられるとは限らない。
「もっとも、俺は信じてるけど。露希ならどんな未来でも平気だって」
「んー? 閃司ー! まぁたなんか言ったー!?」
永遠社会。
良くも悪くも、永遠社会だ。
信号が青になったのを確認して思考を打ち切り、バイクを発信させる。
映画館を併設したショッピングモールまでの道のりに、そのガソリンスタンドはあった。
「じゃあじゃあじゃあ、あたしちょっとトイレタイムね!」
セルフスタンドでバイクを停めたときの第一声がコレである。
こんな調子で、桐織の底抜けな活発さがいまだ失われていないことこそ、この永遠社会最大の恩恵といっても過言ではないだろう。
桐織がいつまでも健やかなのは、旭賀さんとともに暮らせているからこそなのだと思う。
11月23日から11月29日を永遠に繰り返しはじめて、一体何日が経過したことか。
少なくとも、旭賀さんの本来の余命など圧倒的に置き去りにするだけの日数が経ったことは間違いない。
悲しみに暮れる桐織を見ずに済んだという一点では、永遠も悪くなかった。
「うおっ、……とと」
ボーっとしたままレバーを握ったものだから、ノズルの先からガソリンを漏らしてしまう。
乾いてヒビの走るアスファルトの上に、ガソリンは複雑な形状の斑点を作る。
「…………くそっ」
不安定な形をしたシミは、俺の動揺をあらわしているようで癪だった。
ガソリンを注入し終えた俺は、辺りに桐織の姿を探す。
「にしても。我ながら映画ときたか。その場の思いつきで提案したけど、永遠以降もう何回目になるやら……ま、桐織がいいって言うなら、いいか」
休憩室で妊婦さんらしき女性と話し込んでいる桐織を見つけて、俺もそこへと混ざっていった。