16/39 【永遠の守り人】
夕日は死を意味する。と、どこかで聞いた。
根拠は知らない。しかし実際、夕日を浴びる刀身は剣呑な陽炎を放ち、人の脂など容易く貫く鋭さを誇っていた。
これをまともに受ければ、なるほどたしかに死に至れるかもしれない。
「なんて、冷静に考えてる場合じゃあない……!」
客観的にみて窮地だ。俺たちは今すぐ逃げ出さなくてはならないはず。
頭では理解していても、俺の体は一向に走り出そうとしなかった。
予想だにしない襲撃者を前に足が震え、死を予感する。
「――――、くっ!」
視える人が視れば、今の俺たち二人には色濃い死相が浮かんでいることだろう。
「せ、せん……じ」
戦慄の中、露希も俺と同じく声を出すのがやっとの様子。
「露希、今は逃げよう!」
ともかく、スーツ侍が構える刀の殺傷範囲から抜け出さなくては。
強張る足を引っぱたき、彼女の震える手を取って駆け出した。
だが駆け出してすぐ、露希にぐいと手を引っ張られてしまう。
「っ、どうした!?」
「せ、閃司……だめ、からだが」
動けずにいる彼女に引き止められてしまい、逃げるべき方向とは逆側につんのめる――――こうしている今も、スーツ侍は迫ってきていて。
「ごめん……立てなくて……!」
「……くっ!」
無理もない。
普通の神経をしている人間なら、まず恐怖で動けなくなる。
それほどのプレッシャーを、スーツ侍は放散していた。
「あんた、なんだって俺たちに斬りかかるんだ!? こんな場所で……まるで、待ち伏せでもしてたみたいだ」
「なぜ? なぜかだと? ヘハハハ……」
露希が平静を取り戻すには時間がいる。それまでは、少しでも時間稼ぎをする以外にない。
「御前たち不穏分子は斬る……消し去る」
「不穏分子だって? 言ってる意味がまるでわからない……」
「御前たち、とくに男児の貴様だ。その宝晶を携えて此処へ来たからには、言い逃れ出来んぞ」
放散していたスーツ侍の敵意が、ゆらりと俺に集中する。
錐の先端を押し当てるような、あたかも実体があるかのような殺意を目の当たりにして肌がチリついた。
怯むな俺。露希を逃がすためにも、もっと時間を稼げ。
「やっぱり……誰かと勘違いしてるだけだろ。俺たちはただ……」
「ただ、何だ? この期に及んで御託は聞かん。永遠社会を穢す非人など、その宝晶の持ち主たる貴様以外に在るものか――――成敗いたす」
「な……くっ、話し合いはダメだ。露希立て!」
依然として硬直する露希の体を無理やり引き上げつつ、必死の檄を飛ばす。
「立たなきゃだめだ! 武器もない話も通じない、それにもしお前が傷ついたら、旭賀さんの具合だってさらに悪くなるだろ! 一緒にあいつを振り切るぞ!」
手を引いたまま全速力で走り出すも、よたよたとした足取りの露希は格好の的となる。
「斬り捨て……御免!」
一声とともに、スーツ侍が攻撃態勢に入った。
コンパクトな振りかぶりは素人のそれではない。
達人さながら無駄のない刀の引き付け。
苛烈な灼熱の霊力が刀身を中心に渦巻くのを、俺は“視”た。
「でぇやぁぁあああ!!」
対して、俺は足元の砂利と砂を乱雑に掴み。
「――――ここか」
スーツ侍の頭めがけて投げつけてやった。
砂粒で目を潰した隙を突き、俺たちは一気に登山道を下る。
見通しの悪そうな茂みを見つけるや、転げ落ちるようにしてそちらに身を隠した。
「何者なんだ……しかもなんだ、あの霊力を宿した刀……くそっ、わけがわからない」
ここはもう、観光客が通るような正規の道ではない。
現時刻は夕暮れ。しかし方角的に夕日を浴びない獣道であり、とにかく視界が悪かった。スーツ侍恐るべしといえど俺たちの追跡は困難なはずだ。
「はぁ、はぁっ、足音は聞こえない……っ、うまく撒けたか……っ?」
大木の根に腰かけ、息を潜める。今のところ、近くにスーツ侍の気配はない。
身を隠せる木陰も多く、周囲は静謐。加えて、俺は霊力行使・【失せ物探し】でスーツ侍を察知できる。
要するに、俺たちが発見されるより先に、スーツ侍の接近に気づけるのだ。
あの刀の熱波は恐ろしい。それでも一旦距離を離してしまえば、あとは逃げるなり隠れるなり、襲われる以前に確実な一手を打つことが出来る。
「露希、平気か?」
「う、……うんっ、足、動くよ……下山もできそ……」
口ではそう言いつつも、荒い呼吸とともに肩を大きく上下させている。
「そ、それよりも、さ……永遠崩しどころじゃ、なくなっちゃった、ね……」
「……いや、それはどうかな」
「へ? いや、いやいや。いやいやいや閃司? 山、下りるよね。帰るよね? もちろん撤退するでしょ?」
「しないよ。むしろ好都合だ。なんせ――――」
俺の直感では、“根源”を顕現させるためには一定量の霊力を消費する必要がある。
湖のときは霊力溜まりの中心に水晶があって、その水晶が永遠を抜け出したように、明日の朝、霊峰でもまた少し永遠を抜け出せる何かが起こる。
具体的に、何が起こるのかはわからない。
でも、直感レベルで気づいている。
永遠を崩すのには一定量の霊力が必要なのだろう。
その条件を満たせるとしたら、今日だ。
「なんせ――――わざわざ霊力溜まりの方から、足を運んでくれたんだから」
スーツ侍の刀に霊力溜まりが宿っている以上、霊力溜まりの自然発生は期待できない。
だが刀の霊力を逆に利用してやれば、霊力溜まりをこちらのモノにすることは可能。
予想外の状況に陥りはしたが出来るはずだ。啓示にも似たかあさんのメールがついてるんだから。
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園鶴義は、不穏分子たる青年と少女を一太刀のもとに葬るはずだった。
だというのに、始末を着け損ねたまま草をかき分け踏みしだき、いまだ木々の中で視線を巡らせている。
彼らを見つけ出せずにいるのだ。
「あの青年。己が刀を振るうより先に気取っていたか……ヘハハハッ、さすがは宝晶持ちよのう」
刀に情けを乗せたつもりは微塵もなかったであろう。童相手であろうと、斬るべきは斬る男である。
何某かを乗せていたとしたら、それは殺意。
躊躇を忘れて一線を越えんとする狂気。使命感から生じる不退転の意志。身籠った妹に這い寄る悲劇を、永遠に遠ざけんとする誓い。霊力を宿すこの刀に選ばれた自分になら永遠の守り人になれる、という自負。
「太刀筋を気取った……? 否、未来を視た、という方が正確か。あの童め、永遠の世を享受する身でいながら、未来などと……まっこと不謹慎な術だ。彼奴は最優先で、斬る」
永遠を守る。
そう冀えば冀うほど、刀は力を貸してくる。
そう冀めば冀むほど、霊力はさらなる灼熱へと昇華する。
斬るべき相手が未来の呼び込み人ならなおさらだ。
彼奴を葬れ、彼奴を斬り捨てろ……殺意を膨らませれば膨らますほど、盆地の街全体の霊力を巻き込んで園鶴義の力となり、全能感が満ちゆく。
理論上、この街すべての霊力を掌握し、自身の感覚器と盆地の街を一体化することも可能だった。
しかし、ほんの一握りの霊力が、園鶴義の凱旋を阻害している。
完全なる永遠の守り人への進化を遂げんとするのを拒む霊力があるのだ。
霊力に意思はない。
霊力が指向性を持つのは、人の意思で行使された場合のみ。
永遠を守護する園鶴義に抗う霊力とはつまり、永遠を崩さんとする不穏分子の霊力以外にあり得ない。
「ほう、其処に隠れておったか……ヘッ、へへ。ケッハハハハハハ……!」
園鶴義の超常的な霊力行使を以ってすれば、霊力を垂れ流す不穏分子の居場所など手に取るように知れた。
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この木陰からでは、夕焼けを直接拝むことは叶わなかった。
かわりに標高が高いので、星がよく見える。
背の高い木の葉と分厚い雲の隙間から星々がポツポツと瞬きを始めたのを確認し、とうとう完全に日が落ちたのだと知った。
辺りに一層の闇が降りる。
「閃司ホンキでやるつもり? 霊力溜まりを宿してるっていう刀を奪って……」
「その霊力溜まりを利用して、祠に祀る。そうすれば、何か反応があるはずだ」
“根源”が顕現するのか、それとも一気に永遠を崩してしまえるだろうか。
いずれにしても、永遠崩しに進歩があるのは間違いない。
スーツ侍の持つ刀を目にしたとき、祠の形が妙な横長をしている理由がわかった気がした。
あの祠は、刀を御神体として祀るための物なのだ。
そう考えれば霊力を宿す刀身や、祠の形にも説明がつく。
「たしかに、熱波を帯びたあの刀は危険そのものだ。でもこっちにだって、それに対抗しうるアイテムがある」
左腰の水晶に手を当てながら、自分への励ましを口にする。
スーツ侍との遭遇直後からずっと、俺は素の状態で【予測】を行使していた。
今は露希にもわかるように、水晶を介して【予測】を視ている。
霊力行使の方法は二つある。
一つは、スーツ侍の刀や水晶などの、霊力を宿せる物体の力を借りるやり方。
もう一つは、勇者が魔法を打つみたいな、生まれ持った資質や後天的な訓練によって霊力をその身に宿して直接扱う方法。これができるなら、水晶は別に市販の物でも問題ない。
俺は後者だ。
俺は水晶がなくとも霊力を行使できる。
というか、透明な物体なら大体なんでも利用できる。目玉に直接霊力を流して行使する、とかが便利だ。
スーツ侍にたいしてアドバンテージがあるとするなら、霊力行使の練度だ。
【予測】で常に相手の一歩先を踏み、確実な一手を重ね続けさえすれば、逃走はもちろん、意表を突いて刀を奪うことだってやってやれないことはない。
「さてさてさぁーって、刀のおじさんはいまどうしてるかなぁ~っと……おやおやおやぁ?」
「どうした……ん? これは……」
水晶を覗き込む露希が、素っ頓狂な声を上げた。
俺は自分の右眼球、その水晶体で【失せ物探し】中のスーツ侍を監視しつつ、なおかつ水晶で【予測】を行使している。
俺たちはそうやってスーツ侍の行動と位置をつぶさに観察していた。
だから、水晶の【予測】結果を見た露希が奴の構えを不思議に思うのもわかった。
「あいつ、一体なにをやってるんだ?」
【予測】の中で、スーツ侍が刀を振りかぶる。しかしそこに俺たちはいない。
【失せ物探し】の結果からしても、俺たちとスーツ侍は何百メートルと離れており、このまま刀を振り下ろしたところで刃が届かないのは言うまでもない。
「………あ。振り下ろしたな」
「だねだねだねぇ……」
定点カメラさながらに姿を捉える【失せ物探し】が、スーツ侍の攻撃モーションをリアルタイムで映す。
この瞬間、はるか遠い山中のどこかで、スーツ侍が素振りをしたわけだが……それが何になる?
無為に終わったはずの素振りに、水晶の【予測】は警告を発している。
「火難の相が出てるけど…………何も起こらないな。なんだったんだ、今の――――」
たとえるなら、その一撃は遠雷だった。
刃を振り下ろしたその数瞬の後――――不可視の熱波とも言うべき凄まじい衝撃が俺たちを襲った。
殴りつけるような風圧、肺腑をも焦がさんとする灼熱が押し寄せる。
「ぐっ、げほっ……あっづ……喉が、灼けそうだ……かはっ」
木々を薙がず、木々を燃やさず、俺たちだけを対象とする灼熱。
そんな異常現象の正体は一つしかない。
「熱波かっ! それも、あんなに遠くから……うそだろ」
やってやれないことはないなどと、数分前の自分がいかに自惚れていたかを理解する。
「露希ごめん。プラン変更だ」
「けほけほ、けほぉおあ! そりゃぁ……そうでしょーよ。プランBよ、逃亡! 撤退! エスケープ!」
「いや、あいつがどんなに強大でも、明日の朝には永遠崩しを推し進められるはずだ。そこはかあさんの世相占いが確約してる。だから譲れない。んでもって、俺ちょっと思いついたんだけどさ……」
スーツ侍と熱波の刀をまともに相手するのはやめだ。命が幾千あっても足りない。
かといってこのまま引き下がるつもりもない。
大丈夫だ。直感は火事場にこそ舞い込む。
「残された道はまだある。刀を奪わずに霊力溜まりを祠に祀る、最後の方法が」
時間がかかる方法だとわかっている。
【予測】中の水晶がまたも火難の相を発した。
この策が成るまでの間、不可視の熱波をきっと何発もかいくぐらねばならないだろう。
死線を前にしても、永遠を崩したい気持ちは揺らがなかった。
「分水嶺……だけど、今はやらなきゃいけないときだろ」
――――スーツ侍が次の攻撃動作に入ったのを、【予測】が捉えた。




