01/39 【永遠がはじまる】
みつけてくださった読者さんに感謝。
書きます。
2024年の正月休みが終わるかどうかのタイミングで完結予定です。
この時代を過ごしてきた人間なら、未来社会というワードを一度は聞いたことがあると思う。
ならば――――「永遠社会」というワードはどうだろう。
「ちょちょちょ、まってっ! ちょっとまってっ」
11月22日から23日へと移ろいゆく、秋晴れの夜半の事だった。
俺の部屋の日めくりカレンダーを破る音と、露希のうろたえる声が重なる。
「そんな驚くことないだろっ。俺のほうこそ照れくさいんだ」
同い年の少女、露希は両の手のひらを左右に振る。
全力で窓拭きするみたいな彼女のオーバーな身振りから、戸惑いがわかりやすく見て取れた。
ぶんぶん首を振るのに合わせて、同年代ではあまり見かけない鮮やかな緑髪もよく揺れる。
「だってほら……急じゃん? なんの心の準備もなしにそんなそんな、そんなそんなそんな……」
窓の外の夜空を見ての通り、時刻は十一時。
両親のいない家、そのうちの一室に、年ごろの男女が二人きり。
日めくりカレンダーは破られた。あとはもう眠るだけ。ここまで来て一体なにを慌てることがあるだろう。
「いやはやイヤイヤッ、っぱ身構えるのも無理ないと思わんっ?」
「身構えるって、なにが?」
露希は大げさだな。まぁ、それもいつも通りといえば、その通りなんだけど。
と思いかけたとき、俺はある忘れ物に気づいた。この部屋には――――露希用の布団一式を敷いてなかった。
自営業の雑務でしか座らない勉強机や、たいして種類を取り揃えてないクローゼットなど、私生活などあってないような俺の部屋に、今日だけはもうひとり分の寝具が必要だった。
だからだろうか、露希はなにか勘違いをしている。
大方、同じベッドで寝かされるーとか、閃司の狼ヤローとか、露希の脳内ではそんな感じの早合点が起きているんだろう。
あぁ……ほんとうに言い出しそうだな。
でもそうはならない。なぜなら、
「桐織、なんて呼び方、いい加減他人行儀だと思わないか」
「だどもだどもーっ、うれしいけど不意打ちじゃん、ずるじゃんっそーいうのはっ!」
俺はただ名前呼びを敢行しただけだ。それ以上先に進むのは、俺たちにはまだ早いだろう。
下心ではないと思う、ただ自然に、関係性のまかせるままにそう呼びたくなっただけだ。
「ともかく。露希の布団、運んでくるよ」
「ぅおっ、だ、から……名前呼ばれんの恥ずぃ……~っ!」
「なに言ってんだ。俺の事はいつも閃司せんじーって呼ぶくせして」
露希もとい桐織露希は、あわてたままの格好でわんわん呻く。
外は夜中、きんと静まり返っている。七月の日本晴れが似合う彼女の爽やかな声は、窓の向こうの星まで届いてしまいそうだ。
……ほっておくと近所迷惑になること請け合いなので、俺はシャッターを閉め切って星を隠した。
しばらくして敷いてやった布団一式に露希、一方俺は自分のベッドに寝転ぶ。
時刻は十一時過ぎ。就寝前の空気であり、明日の朝を意識する時間帯だ。
「電気消すよ。もう目を閉じて静かにするんだ露希。良い子にするんだぞ、露希。わかったか露希」
「連呼ダメダメ、コラコラ閃司ぃ? ちょっち調子乗ってるんじゃなーいー?」
露希の反撃を遮るようにして、電気を消した。
暗くてみえないが、露希が自分の体を布団の中へと潜り込ませていく気配がする。
彼女に貸した布団一式はもともと、かあさんが使っていた物だった。
あれから九年が経ったのか。寝具はすっかり、隣の家から遊びに来る露希専用になって久しい。
「いや別々に寝るんかーい。そーいうことするんじゃないんかーい」
大人しくなったと思ったら今度はひとりでツッコみ始めた。
「そういうことって?」
「ゑぁ"っ、ダメダメダメそこは深掘りしちゃダメだからっ」
ひとつ屋根の下だから一肌脱いでひと悶着とか、齢十六しかない俺たちの間にはまだその流れは来ない。それが周りの同年代の常識的に考えて遅いか早いかどうかも関係ない。
ただの呼吸か寝息か、今度こそほんとうに、寝る前の気配が部屋に漂う頃。
「なぁ露希」
「うぉっ、また下の名前で呼んでぇ。なんすか?」
誤解は解いたというのに、呼び方ひとつでしどろもどろに陥りかけるのは相変わらずだ――――露希の心は人より乙女チックなので、名前呼びに慣れてくれるのは相当先じゃないだろうか。
そんな彼女と晴れて同意を交わす未来があったとして、はじめては来年くらいか、はたまたもっと先の将来か。
そういった話を露希とするのは生々しくて耐えられないので、さすがによしておいた。
「そもそもが、今の俺たちって友達から恋人への発展途上、くらいの関係性だよな?」
「ハイハイハイはいはい深掘りは禁止……ん、恋人へ発展て!? ちょちょちょ、閃司っ! ちょっとまってっ」
露希のまてまてまてという訴えを、俺は瞼を閉じながら受け止めた。
今宵、俺は彼女との関係を思い切って一歩進めた。
なんのことはない、ただ呼び方が変わっただけだ。そう言われればそれまでなのだが、俺にとっては心躍る時間だったのだ。
その興奮を初冬の夜が冷ましていく。
心地良い涼やかさに包まれた頃。
俺の意識は眠気にさらわれて、フッと現実を離れた。
俺たちがちょうど寝静まった、11月23日の0時00分。まさに日付が変わった瞬間。
近くに放置した俺のスマホが明滅するのを、俺は瞼越しに捉えた。
液晶の眩しさで露希が目を覚ましてはいけないので、即座に画面を落とす。
その一瞬で確認したかぎりでは、メールの着信通知だったように思う。
表示された文字列がかあさんのメールアドレスと同じだったのは、寝ぼけて見間違えただけだろう。
翌日がやって来た。俺はメールのことなど気に留めるどころか完全に忘れ去り、いつもと変わらない数日を過ごす。
日中は細々と続けている鳴かず飛ばずの自営業に苦心し、夕飯時になれば下校してきた露希と束の間の休息を共有した。
露希が俺の家に乗り込んでくることもあれば、逆に俺がお隣さんである露希の家にあがり込んだ日もある。
そんないつも通りの一週間が過ぎようとしていた、11月29日。
この日だけはちょっと変わった出来事が起こっていた。
「閃司に問題ジャジャーンっ、今日が29日ってことは~?」
「? 今日が29日だと、一体どうなるんだ?」
俺と露希、そしてその日はもう一人、旭賀さんという露希の祖父その人と三人で食卓を囲んでいた時の事だ。
「だぁからだからっ、あたしが閃司に問いかけてるんじゃないですかぁ〜っ!」
夕飯中に突如催された唐突なクイズ。首を傾げたのは俺だけじゃない。
たくあんを口に運んでいた旭賀さんも箸を止め、残り少ない余命に合わせて枯れはじめた顔を怪訝そうな形に変えた。
「露希や。この孫はほんに文脈というものを知らんなあ」
続きを促す俺の視線を受けても、露希は答えを発表しない。
「ま、そういうところが愛で甲斐なんだがぁなあ」
「でしょでしょでしょ~。ジさまはあたしのことわかってるぅ」
くっ、孫の魅力に夢中な旭賀さんは答えてくれそうにない。
なら、クイズは俺が付き合うしかないのか。このむちゃぶりが過ぎるクイズにまともな答えがあるとも思えないんだが……。
「えっと、そうだな……誰かの誕生日、とかか?」
判定は? と聞くと、理不尽なことにブブブブブブーと返された。ブが多い。
「正解は~、今日が29日ってことは、明日は30日ぃ!」
「それはそうだろう。え、もしかしてそれだけか?」
「――――ですが、」
正解を発表してから、まさかのですが問題に発展するとは。
露希が底抜けに自由なのは今に始まったことじゃない。とはいえクイズは斬新だなと言わざるを得ない。
「今日は金曜日だから、明日は土曜日だなぁ~っと思いまして、まして、ましてまして……」
「土曜日……だけど。え、やっぱりそれだけなのか?」
「や、だからだからだからーそのぉ……え〜、はい。明日はあたしとデートなどいかがっすか閃司クン?」
さぁ本題に戻ろう。おおむねいつも通りの一週間に、ささやかな例外が発生したというのが一連のトピックだったわけだが。
俺が彼女を露希と呼ぶようになったのは言わずもがな、露希が俺を遊びに誘うときの誘い文句が「デート」になったのだ。
「うーぃす閃司ぃ次の土曜遊び行こか。どこ行くゥ?」と尻上がりな関西弁でカラんできた従来の露希では到底考えられない。
デート。こんなに胸踊るワードが他にあるだろうか。
誘ってきた露希の頬が赤いのをひとたび認めると、俺の中にほんのりと予感が芽生えた――――きっとまた、関係が一歩前進する。
それは翌日のデートへ向けた期待と言い換えてもいい。
自分の胸の内を自覚すると、“露希”呼びを踏み切った夜よりも激しく恥ずかしさがこみ上げるので、ぜったい露希には悟られたくないけど。
先の見えない自営業生活が続くなかで、よもやこんなにも心豊かなイベントに遭遇できるとは。
九年前の自分に「明日は露希とデートだ」と告げても相手にされないだろうな。
夢見心地で日めくりカレンダーを破く。11月29日だったカレンダーは、露希の他愛無いクイズの通り30日を示した。
………………日付は。当たり前のように変わるはずだった。
明かりを落とした、露希がいない自室。
俺一人では生気を感じさせないこの部屋で、スマホの液晶が煌々と照っていた。
デートへの期待、あるいは緊張のあまり眠れずにいた俺は、ついその通知に目を向けてしまい――――ああ、やっぱり。
ああ、またなのか。
たった今届いたメールの着信日時は11月23日0時00分とある。
日時の表示がバグっているのではない。
「永遠社会」を生きる俺たちに11月30日は来ない。
未来社会というワードを耳にしなくなってから、どれくらいの歳月がたっただろうか。
今世は永遠社会。ようするに、世間は未来と引き換えに永遠を手に入れたのだ。
11月23日の理不尽な朝が来る。
俺はすべてを投げ出したい心地で眠い視線をあげると、日めくりカレンダーが視界に入った。
カレンダーはとっくに破り捨てたはずの11月23日を示している。
また、永遠の一週間がはじまった。
読んでくださった読者さんに感謝。
次も書きます。