伯爵令息は子爵令嬢に婚約破棄しようとするが、猛暑すぎてそれどころじゃない
「リエータ・サマーリア! 君との婚約を……」
金髪碧眼の伯爵令息カロル・ヒッツェの言葉が止まった。
なぜなら、暑いから。
季節は夏、時刻は昼過ぎ。ここはとあるホールで、社交パーティーが開かれていたのだが、今年の夏は記録的な猛暑で、パーティー会場も凄まじい暑さになっていたのである。
ホール内には西日が照り付け、ちょっとしたサウナのような有様になっていた。
もちろん、冷房として氷も置いてあるのだが、まさに焼け石に水であった。
「婚約を……ぐっ、暑い……!」
カロルが思わず唸る。すでにスーツやシャツは汗だくである。
婚約者である子爵令嬢リエータも応じる。
「暑いですねえ……あぢ、あぢ、あぢ」
明るめの茶髪で、ドレスを着崩したリエータ。
扇子をせわしなくパタパタとあおぎ、ハンカチで顔や体をベタベタと拭きまくる様子からは、貴族令嬢としての品格は感じられない。喫茶店で冷たいおしぼりをもらったおじさんさながらである。
カロルが彼女との婚約破棄を決意した理由もここにあった。
当然政略結婚なのだが、カロルはどうしてもこのリエータに異性としての魅力を感じられなかった。
婚約破棄をすれば世間体はもちろん、貴族として様々なペナルティを背負うことになるが、それでもなお、彼の決心は変わらなかった。
このパーティーで婚約破棄を宣言しようと決めていた。
ところが、今日はあまりにも暑すぎた。
自分も相手も汗びっしょりで、婚約破棄のような重大な宣言をするような雰囲気ではない。そんな思惑が、彼の口を止めた。
「あづい、あづい、あづい~!」とカロル。
「あぢぃ、あぢぃ、あぢぃ~!」とリエータ。
もちろん、暑がっているのは彼ら二人だけではない。他のパーティー参加者たちも同様である。
「暑すぎる……!」
「あぢいよ~!」
「汗が止まらないわ……」
貴族の子息や令嬢がホール内でだらしなくうなだれている。
こんな暑さの中、和やかに談笑やダンスなどできるはずもない。
もはや社交パーティーではなくなっていた。
「暑いと言ったら罰金」というゲームをやったとしたら、おそらくとてつもない額の金が集まったことだろう。
カロルはせめて体を冷やそうと水をがぶ飲みするが、
「くそっ、ダメだ! 水を飲んでも汗が出てくるだけだ……」
どうにもならない。
リエータも扇子をあおぐスピードをさらに上げている。その姿に色気は皆無で、カロルは「もう少し気温が下がったら婚約を破棄しよう」と決意を固めた。
だが、パーティー会場で騒ぎが起こった。
「大変だ!」
「人が倒れたぞ!」
「大丈夫か!?」
パーティー参加者である男性の一人が体調を崩してしまった。
カロルとリエータもすぐ駆けつける。
意識はあるようだが、手足に力は入っておらず、うめき声を上げている。
誰もが手をこまねいている。
このパーティーの主催はカロルである。どうしていいか分からず、おろおろしてしまう。
すると――
「カロル様!」
リエータが動いた。
「な、なんだリエータ」
「この方をもう少し涼しい場所に移動させましょう。早く!」
「分かった!」
指示に従うカロル。
会場内より会場外の通路の方が日差しもなく涼しいので、男性をそちらに移動させる。
さらにリエータはてきぱきと男性の衣服を緩める。まるで迷いがない。
「まだ氷が残っていますよね。持ってきて下さい!」
「ああ!」
カロルとしてもこの男性を助けたい。きびきびと動く。
リエータは氷をハンカチで包み、首や腋の下、太股の付け根などを冷やす。
「なぜそんな場所を?」
カロルの問いに、リエータは即座に答える。
「大きな血管があるので、効率的に体を冷やすことができるのです」
「なるほど……」
しばらくして――
「うう……」
男性の意識がはっきりしてきた。呼びかけにも応じられるようになった。
「さ、これを」
リエータが塩の入った水を飲ませる。
「ありがとう……」
リエータは他のパーティー参加者に医者を呼ぶように指示を出しており、男性は駆けつけた医師らによって運ばれていった。
その後の報告では、命に別状はなかったらしい。応急処置が的確だったようだ。
一刻を争う事態であったが、ひとまず危機は去った。
やがて夕方になり、社交パーティーも終わりを告げた。
参加者たちが次々に帰路につく。
すると、リエータがカロルに話しかけてきた。
「カロル様」
「ん?」
「先ほど、パーティーの最中何か言いかけてましたよね。婚約が……と」
「ああ」
もちろん、カロルは覚えていた。
「あれはひょっとして、私との婚約を解消したいということだったのでは?」
「……」
「そうですよね。私は令嬢として、礼儀はなっていませんし、殿方を引きつけるような魅力もなく……」
うつむくリエータ。
「いいや、それは違う」
カロルはきっぱりと言った。
「私はあの時、『君との婚約を誇りに思う』と言おうとしたんだよ」
「え、そうなのですか!?」
「ああ、君のような聡明な令嬢と婚約できて本当によかった」
「まあ、聡明だなんて……」
この数時間で、カロルの婚約破棄願望は消え去っていた。
カロルはリエータの熱中症に対するてきぱきとした処置を見て、すっかり惚れ込んでしまったのだ。
彼女には魅力がない、どころか「彼女には魅力しかない」と思うほどに。
「結婚してもよろしく頼むよ」
「はいっ!」
こうして二人は婚約を破棄することなく、無事結婚した。
結婚後、二人は貴族界でも有数の熱々夫婦となった。
リエータは熱中症の処置の時のように見せた聡明さで夫をよく助け、カロルもまたそんな妻に引っ張り上げられるように立派な貴族に成長していった。
やがて、子供も生まれ、彼らの家庭生活は安泰である。
「おはよう。今日も美しいよリエータ!」
「あなたこそ凛々しいわ、カロル!」
カロルとリエータは、今日もお互いに“熱中”している。
おわり
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