269 優しい人達
「おじ様、こちらを預かってまいりました」
ルイスを家まで送り、そのまま彼女の自宅へお邪魔すると、珍しくルイスの父親であるヴァリスがすでに帰宅していたので手紙を渡すと、「誰からだ?」と不思議そうに封書を裏返す。
後ろの封蝋を見て少しばかり目を見張った。
「嬢ちゃんが俺に手紙を寄こすなんてな」
封蝋は王女専用のもので本人からの手紙だという事だ。
ヴァリスは表情を改めて手紙を読む。
そこまで長くない手紙を読み進め眉間にぐっと力が入った。
読み終わったら眉間を揉み解しながら長いため息をついた。
「これは、間違いではないのか?」
「私は今日本来お休みをいただいてましたの。夕刻に呼ばれて登城しましたので、彼を見ていませんが、主の様子では間違いありません」
私はきっぱりと言い切ったが、ヴァリスはあまり信じていない様子だ。
彼とクラースの関係はこの間聞いただけで、どこまでの付き合いなのか知らないが、彼の死を信じたくないのだろう。
「疑うわけじゃないが、あの嬢ちゃんにそこまで分かるのか?」
「主の力を口外できません。けれど、殿下は深窓の姫に見えてとてもお強くていらっしゃいます。そして見抜くこともおできになりますわ」
私の言葉をじっとこちらを見つめて様子を伺うヴァリスに目を逸らさずじっと見つめ返す。
先に目を逸らしたのは彼だった。
静かに目を閉じまた息をつく。
「⋯⋯クラースはそれなりの実力者だ。騎士団では新米だろうが彼奴は強い」
「強くても、相手が相手では対応出来なかった。だから利用された、という事です」
事実だけを相手の顔を見てこれもまたきっぱりと言い切る。
暫く無言で睨み合う。
ルイスはそれをはらはらしながら見守っていた。
「そういえば、おじ様は彼とあれからお会いしていませんの?」
「会ってないな」
「そうですか」
あれから約二ヶ月。
もしヴァリスがその間に会っているのだとしたら、大体いつ頃亡くなったかを絞れたかもしれないが会ってないとしたら分からない。
「で、その相手というのは?」
「調査中ですが、ある程度予想はついておりますわ」
「ほぉ。クラースの姿を奪った阿呆は禁術の使い手だろ?」
「そうですわね」
「⋯⋯⋯⋯ふん、愚か者共が動いている、か」
「あら。ご存知ですの?」
「これでもS級の冒険者をしているからな。情報はいくらでも入ってくるさ」
情報はギルドからだけではないだろう。
同業者や情報を扱う専門ギルトもあるので、そこからかもしれないし、貴族からと言うこともある。
存在自体を怪しんでいてもその名くらいは広まっているから、知らないはずはないか。
「嬢ちゃんが狙われてるのか?」
「それは分かりませんけれど、可能性は否定出来ませんわ」
「嬢ちゃんは俺達にも気を付けろと言ってきているが⋯⋯」
「クラースが狙われたとなれば、おじ様の事は知られているでしょう。娘であるルイスが側近を務めているのです。貴方方を人質にあの方を要求されるとも、クラースのような末路を辿るとも限りませんわ」
そうなったとしても優先するのは何においてもステラ様なので、自分の身は自分達で対処して欲しいと言外に含める。
ヴァリスは正確に受け取り肩を竦める。
「忠告はありがたく取っておこう」
ヴァリスは手紙を燃やした。
私は伝え終わったので二人に挨拶をして帰途についた。
昼間の一件で、夕食をいただいた後、お父様が宮廷から戻ってきたので談話室に集まった。
お父様は気遣うように私にそっと声をかける。
「ステラ、昼間の一件だが、あの後問題はなかったか?」
「はい。特にありませんでしたわ」
「そうか」
「お父様、心配してくださってありがとうございます。けれど、平気ですわ」
「ステラこそ無理をしなくていいんだぞ?」
「大丈夫ですわ。それより、お父様の方で何か分かりましたか?」
私は話題をさり気なく変える。
心配してくれるのは嬉しいけれど、今はあまり触れてほしくて気づかれないようにと表情を引き締める。
今、私の心配よりも気にしなくてはいけないことが他にあることだし、お父様も深く追求せずにいてくれるのでありがたい。
お父様の話では今回騎士団の一人が犠牲となった事で、軍部の上層部に騎士達を確認するように通達したとのことで、表立って動くと警戒されるので、元々騎士団内で模擬戦を行う予定だったためにそれを利用して確かめることになっている。
それと同じくして魔法師団も同様に行うようだ。
混乱を避けるために、この事実は上層部、騎士団団長と副団長のみとした。
ただ、警備の問題から、近衛騎士全員には情報共有され、いつも以上に私達の警護に当たってくれるそうだ。
肝心のクラースに成りすました者は暫く泳がせて監視を付けたという。
まだはっきりと何が目的か分かっていないので今のところは私達には周囲に気を付ける事少しでも異変を感じたらすぐに知らせる事、何よりも一人で行動しないよう念を押された。
話が終わり部屋に戻ってくると、何だかずんと体が重く疲れてしまい、早々にベッドへ入ったけれど眠れるはずもなく、結局ベッドから出てきてソファに座った。
お行儀が悪いけれどソファに足をのせてクッションを挟んで三角座り状態だ。
どれくらいの間そうしていたか⋯⋯。
部屋は適度に暖かいが眠くなる気配もない。
ただ無心となり時間だけが過ぎていく。
「姫様」
遠慮がちに声をかけてきたのはノヴルーノだった。
その声で私はようやく顔を上げた。
「何か分かったの?」
「はい。クラースは二週間前の休日に一人で街に出かけています。その際、荒くれ者に絡まれていた子供を助けて、その子を家まで送り、暫くその家で滞在しています」
「特におかしい点はないわね」
「はい。翌日は騎士団に出勤をしています。彼と仲の良い騎士団員は多少口調が違うことに違和感を覚えたようですが、特に気にすることなく過ごしていたようです」
「それはそれで問題あると思うのは私だけかしら」
「付き合いの頻度にもよると思いますが、騎士団に所属するものとしてはその違和感を覚えた時点で警戒すべきです」
ノヴルーノの言葉に私も頷く。
普通口調が違えばおかしいと疑うはず。
その仲の良い騎士団員を一応調べたが不審な点はなかったそうだ。
けれど他の騎士団の者は気づかなかったのか、その辺りが気になるが、それでも今回の事で最終的には再度教育しなおしてほしいところだ。
「話を戻しますが、その子供の家はすでに蛻の殻でした」
「ということは、最初から仕組まれていた?」
「はい。その可能性が出てきました」
「子供に絡んでいたという者達はどうしたの?」
「そちらは捜索中ですのでもう少しお待ちください」
「分かったわ」
それきり口を閉ざす。
直ぐに情報が集まるとは思っていない。
「クラースは約五年の間、姫様にお仕え出来た事を誇りに思っていますよ」
「⋯⋯え?」
ノヴルーノを見ると珍しく静かに微笑んでいた。
いつもはアステールと違って冷静沈着であまり表情も動かないから貴重で良いことがありそうだと斜め上な感想が浮かぶ。
「クラースが? まさか。嫌われてなかったと思うけど、けど⋯⋯」
「間違いありません。それに、シベリウスの騎士をやめて宮廷の騎士団に入るほどです。騎士団に入れば姫様を見かける事はあっても、言葉を交わすことはほぼないに等しいにも関わらず追いかけてきたのは、姫様を想っての行動です」
「確かに、そうね」
「それに、あの真面目な彼が与えられた役目を途中で投げ出すような性格ではありませんから。子犬のように姫様を追ってきても不思議ではありませんでした」
――子犬って!
ノヴルーノの言い方がおかしくて笑いが込み上げてきてくすくすと笑う。
クラースは子犬っていう可愛らしさはないと思う。
言葉として選ぶなら忠犬が合っている気がするが、ノヴルーノの言葉選びとクラースを子犬と評価し彼とのギャップにやはり面白くて笑いが止まらない。
ひとしきり笑ってようやく落ち着いた。
「ノヴルーノ」
「はい、姫様」
「ありがとう」
「いえ。少しでもお気が紛れましたのならよかったです」
子供のころからずっと側にいてくれるアステールとノヴルーノだからクラースの事もよく知っているのであんな言い方をしたのだろう。
「アステールにも伝えてほしいのだけど、二人共、気を付けてね」
「はっ。ご安心ください。我々は決して姫様の命なくお側を離れることはありません」
「私も、そんな命はしないから、絶対に離れないでね」
私の言葉に静かに、深く頭を下げ姿を消した。
――ノヴルーノに心配かけちゃった。
アステールは若干⋯⋯いや結構気安くて私に軽口を言うが、ノヴルーノは真面目であまり面白いことを言わないのに、さっきは本当に珍しかった。
私は、きっとクラースの死がまだ信じられない。
あの禍々しい魔力は間違いないし、見間違えることもない。
けれど、アステールも言っていたし見た目はクラースそのものなのだろう。
そこが奴らの狙いなのかもしれない。
知った者だからこそ躊躇する。
もし、私がクラースの姿をした者と対峙したとして、ちゃんと切り捨てられるのか。
それこそ敵の思う壺だろう。
はぁ、と思いため息をつき頭を振る。
私が躊躇すると皆が危険な目に合う。
それだけは許せない。
もう一度息をつき、顔を上げる。
相手がクラースの姿をしていたとしても、それはクラースを殺した犯人で禁術を使った愚か者。
目の前に現れたら躊躇わず、敵として切り捨てる判断しなければならないと、自身に言い聞かせる。
今日何度目かわからないため息をつく。
ため息ばかりだと皆に怒られそうだなぁとぼんやりと考えていると、目の前に心が落ち着く少し甘い香りのするミルクティーがそっと準備してくれたのはモニカだった。
「休んでなかったの?」
「そういうステラ様こそ」
モニカ達はクラースの身に起こったことを知っている。
情報を共有しておかないとこの王宮に現れるとは限らないので、私達がこちらに戻る前には既に通達されていた。
モニカもシベリウスでクラースと共に私に付き添っていたので、モニカも沈痛な面持ちだ。
「クラース卿の件はステラ様のせいではありません」
「モニカまで⋯⋯。今日は同じ言葉を何度も聞いたわ」
「ステラ様が臣下を大事にされているのを皆存じておりますから」
モニカの言葉を聞きながら温かい紅茶で乾いた喉を潤す。
ほぉっと体が温まる。
優しい味だ。
「モニカ、心配してくれてありがとう。けど、大丈夫よ」
私はそう言ってモニカを見て微笑んだ。
それでもまだ心配そうな表情を崩さない。
「あまり、ご自身のお心から目を逸らさないでくださいませ」
モニカの言った言葉がよく分からず、首をかしげる。
どういう事だろうと思いつつも、眠れなくてもそろそろベッドに入ってください、と言われて素直にベッドへ入る。
モニカにもゆっくりと休むように伝え、私は一応目を閉じる。
それでも中々眠る事が出来なくて、ただ時間が過ぎるのを感じていた。
翌日、学園へ向かうのに準備を整えて外に出ると、マティお従兄様とレオンお従兄様がいて少し驚いた。
いつもなら学園を卒業したべリセリウス卿やエドフェルト卿が交代でついてくれるからだ。
「マティお従兄様、レオンお従兄様。おはようございます」
「おはようございます」
「ステラ様、おはようございます。今日は僕達がご一緒いたします」
「おはよう、皆。もう来ていたんだね」
お従兄様とあいさつをしていたら、後からヴィンスお兄様もいらっしゃって揃ったので馬車に乗り学園へと向かった。
揺れる馬車の中でリディアーヌはぼうっと外を見ていた。
その様子を心配そうに見つめられていたけれど、リディアーヌは気付くことなく外の景色をただ見つめているだけで、たまにふぅっと息をはく。
「ステラ様、昨夜はあまり眠れなかったのですか?」
「⋯⋯え、あ、そうね、中々寝付けなくて」
寝不足なのは分かっていた。
少しだけ目の下にクマが出来ていて、モニカ達に化粧で隠して貰っている。
「学園までまだ少し時間がありますから、寝てください」
「平気ですわ」
「少し目を閉じるだけでも違いますよ」
昨日はそれで全く眠れなかったのだけど……というのは言わないでおく。
お兄様達に心配そうな顔で見つめられて仕方なく目を瞑る。
そして⋯⋯⋯⋯。
「眠りましたね」
ぽつりと呟きステラ様が寝やすいようにとゆっくりと自分の膝に頭をのせる。
レオンはそっと窓のカーテンを閉め、外から見えないようにした。
「マティ従兄上、ステラとクラースはどのような関係だったんだ?」
「そうですね。護衛という立場にあっても、ステラ様の体力づくりで指導したりと話す機会は多く、ステラ様も彼を信頼していました。クラースも最初こそ遠慮がありましたけど、段々とステラ様に対して遠慮がなくなり、無茶をしたら容赦なく注意したりしていましたから。主従としていい関係を築いていましたよ」
「成程。クラースはかなり身近な存在だったんだな」
「そうですね」
それきり三人共口を閉ざす。
馬車の中は無言のまま、学園へ向かう車輪の音だけが響いていた。
「ステラ様、そろそろ着きますよ」
「ぅん⋯⋯⋯⋯」
「ステラ様」
再度呼ばれて漸く目を開けると視界がおかしかった。
見間違いかとパチパチと目を瞬かせるが目の前にはお兄様達の膝があり、あれ、と思って視界を上げると、私を見下ろしているお兄様達の笑いをこらえた姿が目に入った。
「えっ!? え? あれ⋯⋯」
がばっと起き上がり横を見るとマティお従兄様が「よく眠れた?」と声をかけてきた。
「私、寝ていましたか?」
「気持ちよさそうに寝ていたよ」
ヴィンスお兄様に言われて自分でもびっくりした。
まさか目を閉じただけで寝てしまうなんて⋯⋯。
「兄上の膝の上が寝心地良かったのですね」
レオンお従兄様に揶揄われ、うっと顔が赤くなる。
それを無視してマティお従兄様に向き直る。
「マティお従兄様、お膝貸してくれてありがとうございます」
「いえ。先程よりもすっきりとされた様子で安心しました」
あっさり寝てしまったことにも驚きだけど、それよりもお従兄様が言うように眠る前よりも頭がすっきりとしている。
マティお従兄様に髪を整えて貰っている内にどうやら学園へ到着したようだ。
今日はそのままマティお従兄様に教室まで送ってもらった。
馬車の中で少し眠れたこともあり、今日の授業は途中眠気に誘われる事無く無事に一日を過ごした。
帰りの馬車の中で、マティお従兄様に再度お礼を伝えた。
お従兄様が眠る様にと言ってくださらなかったらきっと今日一日の授業は集中できずに受けていたかもしれない。
それにしてもお従兄様に言われてすっと眠ってしまったことが未だによくわからなかったけれど、ヴィンスお兄様は一人じゃなかったからだろうと仰った。
それって私が一人では眠れない子供みたいだと抗議したけれど、今の私の状態がいつも通りではないからと言われてしまった。
多分、クラースの事で心配されているのだろう。
だけど、いつまでも過ぎてしまった事にとらわれているわけにはいかないので、私自身はいつも通りにしているつもりだったけれど、お兄様達の目から見たらそうではないらしい。
そういえば、学園でもレグリスがいつも以上に私の側にいたなと、周囲を警戒しての事だとも思うけれど、さり気なく気を使ってくれているのだろう。
「ステラ様、お茶とお菓子をどうぞ」
「ルイス? これはどうしたの?」
「この間、マティアス様達と王都へいかれた時に寄ったとお伺いしたカフェのケーキです。こちらも悩んでいらしたとお聞きましたので、買ってきました」
――もしかしてルイスにも気を使われている?
折角買ってきてくれたので私は執務を始める前にいただく。
沢山のナッツが乗ったキャラメルが香ばしくて食べ応えのあるタルト。
仲のクリームは甘さ控えめで、淹れてくれた自然の甘さの蜂蜜紅茶とよく合う。
「とっても美味しいわ! ありがとう、ルイス」
「とんでもありません」
「ルイス達も食べたの?」
「私達も今からいただきますわ」
私が夢中になっていたから気が付かなかったけど、アルネが皆の分も準備していた。
美味しいスイーツにお腹が満たされて幸せいっぱいだ。
さて、今から執務に集中しようと書類を手に取ろうとし時、思いもよらない人が執務室を訪れた。
ご覧いただきありがとうございます。
ブクマ、いいね、評価をいただきありがとうございます。
次回も楽しんていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします(ꈍᴗꈍ)





