268 忍び寄る闇の気配
冬の休暇が終わり学園が始まる。
三年は大きな問題も無く、平和に終れそうだ。
毎年何かありすぎてこうして平和に過ごせるのは嬉しい。
学園では冬の休暇が終わると、待っているのは最高学年の卒業式パーティーだ。
八学年は冬の休暇が終わると生徒会へ来るのも減り、たまに顔を出すくらいなのだけれど、マティお従兄様は毎日生徒会に顔を出していた。
その理由は私がいるからで、帰りはそのまま宮廷まで護衛をしてくれる。
卒業式まではずっとそうしてくれるのだとお従兄様は言ってくれた。
きっとお従兄様なりの優しさだ。
ティナも同意してくれているらしく、今回はマティお従兄様に譲るのだと話していた。
毎日お従兄様と共に行動し、沢山お話をして楽しく過ごしている。
そこにはヴィンスお兄様も一緒で、お兄様にとってもマティお従兄様は従兄であり、 普段はマティと呼んでいるが、たまに従兄上と呼ぶこともある。
ヴィンスお兄様にとって妹と弟はいるけれど、年上の兄弟といえば従兄であるマティお従兄様だけだ。
それもあってお兄様はマティお従兄様を尊敬しているようだ。
そして今日は従兄と呼んでいた。
「従兄上は普段学園で何をしているんだ?」
「授業を受けていますよ。自習も多くなりますけど、それぞれ学びたい事、仕事に関しての予習をしたりすることもあります。まぁ、授業というよりも決まった職場の勉強が主ですね。そこで分からないことを先生に質問したり調べたりと、有効活用出来て有意義に過ごせてますよ」
「なるほど。自分の好きに使っていい時間なんだな」
「そうですね。殿下でしたら執務もさらに増えるでしょうから、冬の休暇以降は学園に通わなくても問題ありません」
八学年ともなれば殆どが将来に向けての勉強と職場での振る舞いを復習し、試験がある者は試験勉強が主でその対策に教師が付き添う。
早ければ学園に通いながら早々に仕事をする学生もいて、八学年ともなるときちんと書類を提出していれば出席日数は考慮される。
その場合は職場の上司に書類を作成してもらい、学園側に提出する必要がある。
所謂不正対策だ。
生徒達の事を考えた対応で学生達も安心して自分達の事に専念できるのは嬉しいことだろう。
宮廷に帰ってきて執務室に入ると、ティナとルイスに出迎えられた。
暫くは急ぎの仕事もなく穏やかな学園と執務を行っている。
週末には学生の皆揃い、ルイスとティナ、マティお従兄様は週末に休みを取ることも多くなった。
といっても護衛が主なティナとマティお従兄様は順番に休みを取っているので、週末はどちらかがいなかったりするけれど、フィリップが既に主力としてその手腕を発揮しているので、マティ従兄様も安心しているようだ。
マティお従兄様が思っていた以上にフィリップは優秀だと話していた。
そしてあの交流会の後に出されて訓練内容に基づき、フィリップは真面目に取り組んでいるようで、以前よりも体つきが少し変わったように思う。
たまに学園でマティお従兄様やレグリスと手合わせを行っているようなのだけれど、かなり強くなったと言っていたので、元々の素質もあるのかもしれない。
そしてそれぞれに合わせて訓練内容を作成した大人達の手腕にも驚かされる、というよりも怖い、の一言だ。
お父様に話をしたら「恐ろしいな!」と顔を青ざめさせていた。
私も貰った訓練内容を実践しているけれど、それに付き合ってくれる皆もその効率の良さと適切な内容に驚いていた。
そのお陰もあって私も前よりも剣のキレが良くなったと騎士団の副団長からも褒めてもらえたので真面目に取り組んでいてよかった。
やはり成長したと褒めてもらえると嬉しい。
それはさておき、週末、いつもと変わらず執務をしているとルイスが書類の不備を見つけ、いつものように丁寧に一言書き加えて纏まったらそのまま各部署へ書類を戻す為に部屋を後にした。
これはルイスの仕事ではないのだけれど、彼女の性分と言っていいかもしれない。
「ルイスさんって優しすぎるよな」
「それがルイス嬢の良いところだよ」
「レグリスは彼女を見習ってみたらどうだい?」
「あら、それはいいわね」
「え!? ステラ様、俺それなりに優しいと思いますけど!?」
「レグリス、そういうのは自分で言うべきじゃないよ」
「ロベルトの言う通りよ」
皆で手は動かしているけれど、和気藹々としているところにルイスが戻ってきた。
「戻りました」
「おかえり。問題なかったかしら?」
「はい。訂正して今日中には書類が届くと思います」
「そう。ありがとう。少し休憩を取ってね」
「ありがとうございます」
アルネが手際よくルイスにお茶を準備する。
最初のころ、アルネにお茶を淹れてもらう事すら恐縮しっぱなしだったルイスも今では慣れた様子でお礼を言っていた。
それを見ながら書類に目を通し、署名をし、時には差し戻すために軽く一言書いておく。
そんな時、扉の外が少し騒がしくなった。
「何事かしら」
「見てきましょうか?」
「いえ、少し様子を見ましょう」
先程まで執務室の中では和やかだったのが珍しく緊張をはらんだ空気に満ちた。
珍しいことだ。
そして何故かぞわりと背筋に嫌な悪寒が走った。
『姫様』
『どうしたの?』
声をかけてきたのはアステールだった。
珍しくその声が動揺しているような、信じられない何かを見たような響きをはらんでいた。
『こちらに来ているのはクラースです』
『クラース? 彼の階級では此処に来ることは出来ないでしょう? どうして⋯⋯』
クラースが規則を破って此処に来るはずがない。
彼は真面目で規則をちゃんと守る人だ。
だからこそ、シベリウスで私の護衛を伯父様から任されたのだから。
それなのに⋯⋯それとも何かあったのか。
いや、何かあったとしても指示を仰がず此処に来ることもおかしい。
私は何故か先程からずっと嫌な予感が拭えずにいた。
だから普段は閉じている感覚をふわりと開いていった。
いつもより感覚が鋭くなり、その分感じていた嫌な予感が、気持ちの悪い程の気配に変わりビクリと体が揺れる。
扉の向こうから感じる気配。
これは⋯⋯禍々しい魔力。
『あれは、クラースじゃない』
『⋯⋯はい。クラースは魔力がありません』
それなのに扉の向こうから感じるのは間違いなく魔力だ。
どういうことなのか。
それにこの気配⋯⋯。
「ま、まさ、か⋯⋯」
ふとゼフィールのレイフォール陛下が仰っていたことが頭をよぎった。
あれは“禁術”だ。
ということは、クラースは、もう⋯⋯。
ぎゅっと手に力が入る。
感情が爆発しないように息を整える。
『アステールとノヴルーノはあれを追いかけて探ってきて。けど深入りしすぎはダメよ』
『御意』
『ノルヴィニオはルイスのお父様が無事か確認してきて』
『はっ』
クラースが標的にされたのは、この間会ったから?
調べれば私がシベリウスでクラースが護衛についていたのは分かるだろう。
けど⋯⋯、この間クラースに会っていなければこんな事にならなかったかもしれない。
「ステラ様、顔色が悪いです」
声が聞こえてふと意識を戻すと、皆が心配そうに私を見ていた。
その中でレグリスは警戒するように扉の向こうを睨んでいる。
「マティお従兄様、私⋯⋯」
ぎゅっと目を瞑る。
弱気になったらだめだ。
事が起こってしまってからあれこれ考えても意味がない!
『セリニ、陛下にこの件を報告してきて』
『はい』
一度深い息をつき、私は顔を上げた。
この中で事態を察知しているのはレグリスとマティお従兄様の二人。
フィリップは何かは分からないけど、何かがあると漠然と感じているようだ。
私が皆の様子を見ていると、控えめなノックがあり声をかけられた。
この執務室を護っている近衛だったので入室を許可した。
「失礼いたします」
「何があったの?」
「それが、騎士団からの使いだという中級騎士が来たのですが、本来であれば此方へ来る事が出来る階級のものではなく、そもそもその内容も不明な点がある為に追い返しました。今騎士団へ確認を行っておりますので、殿下にはご不便をおかけしますが、暫く安全の為に部屋から出ないようにしていただきたく、お願いに上がりました」
「成程。分かりましたわ。引き続きよろしくお願いしますね」
「はつ! 失礼いたします」
あれは既に遠ざかり、周囲に嫌な気配はない。
けれど心はずんと重く暗い影がのしかかる。
「アルネ」
私がアルネを呼ぶと直ぐに頭を下げ部屋を後にした。
名を呼んだだけで察知して動いてくれるのは侍従の鏡だ。
今直ぐに出来ることはない。
『姫様、戻りました』
『ルイスのお父様は?』
『ご無事です。魔力を見ましたが彼そのものです』
『そう。よかった。ありがとう』
安どのため息をつく。
とりあえずルイスのお父様が無事でよかった。
『ノルヴィニオ。ティナを呼んできて』
『はっ』
休みのところを呼び出すのは気が引けるけど、今はそんなことを気にしてはいられない。
待ち人が来るまでの間に手紙をしたためる。
書き終わるころに来客が来て応接室に通したとアルネから報告を受けたので、レグリスに執務室を任せてマティお従兄様とともにそちらへ向かった。
応接室へ入ると、べリセリウス侯爵とレオンお従兄様がいて二人は立ち上がろうとしたけれど、私はそれを制した。
「殿下、直ぐにお知らせいただきありがとうございます」
「殿下がご無事で安心しました」
お父様のお手を煩わせるのは気が引けるけれど、この件は私一人の問題ではない。
何が目的かわからないし、相手の見た目はクラースで王国騎士団に所属している為にお父様達にも警戒を促す必要もあり、事は大きくなりそうだ。
「それで、報告にありました者は殿下の元護衛でしたね」
「えぇ。シベリウスで護衛をしてもらっていた、クラースという騎士よ」
「え? クラースですか?」
私がクラースの名を告げるとレオンお従兄様は驚き声を上げ、マティお従兄様も驚いていたけれど、すっと元の表情に戻っていた。
「今騎士団にいるクラースは、クラースであってクラースではありません」
「禁術、ですか」
私の一言で分かる侯爵は流石だとしか言いようがない。
「えぇ。以前にゼフィールの陛下に教えていただいたものかと思います。彼は魔力を持ちませんが、あれからは禍々しい魔力を感じました。だから、あれはクラースではないのです」
「と、いう事は、本人は既に亡くなっているという事ですね」
「⋯⋯えぇ。そうなりますね」
侯爵の言葉を聞いて、クラースを知っている二人は神妙な面持ちだ。
クラースには双子の兄弟がシベリウスにいて、私もシベリウスにいた頃はクレールに魔法を教えて貰っていたので彼に申し訳ないと、こんな事口に出せば怒られそうだけど、私を追って王都に来なければこんな事にはならなかったと、止めればよかったと後悔する。
「殿下のせいではないですから思いつめないでください。クラースもそんなこと望んでないでしょう」
「お従兄様⋯⋯」
「マティアス卿の言う通りですよ、殿下。彼が亡くなったのは殿下のせいではありません。敵は闇の者と関係があるかと推測しますが、彼は殿下に近づくため狙われたのでしょう。だからと言って悪いのは敵であって殿下ではありません」
「分かっているわ。だから何も言ってないでしょう?」
「言葉にはしていませんね」
「顔にも出してないはずよ」
「殿下ならばそう思っているかと思いまして、一応釘を刺しておきました」
「⋯⋯そういうの、止めてほしいわ」
こっちは気持ちを抑えているっていうのに侯爵の容赦のない言葉に少しだけ、睨んでしまった。
私が睨んだところで痛くもなんともないんでしょうけど。
「今からお伝えすることは両殿下へとなります。レオナルド卿もヴィンセント殿下の元へ戻られたら伝えてください」
「はい」
「今回はエステル殿下の元へその者が訪れましたが、狙いが王女殿下で決まったわけではないでしょう。本当の狙いどころが分かるまでは両殿下、並びに実力に自信のない側近は一人で行動しないよう徹底するよう、陛下のご判断です」
今回禁術を用いてまでこの宮廷に入り込んだとなればそれ相応に気を付けなければならない。
それに、クラースだけではないかもしれない。
私も流石にクラースは知っているから今回分かっただけで、他の者達が既に禁術にやられて姿形を模造せれていれば分からない。
どこでどう狙われるか、会うもの全ての者達に気を付けるなんて中々心休まる時がなくなる。
もしかしたらそれが狙いでこちらの気力を削ぎ落してから狙ってくるのか⋯⋯。
考え出したらきりがない。
「先ずは警戒しつつ、情報を集めなければなりません。相手はまだこちらが気づいた事を知らないでしょう。警戒と言っても、いつも通り自然に振舞ってください」
「確かにそうね。こちらが変に警戒を強めてしまえば彼等に気づかれてしまうわね」
「殿下、自ら積極的に動こうとなさらないで下さい。必ずこちらに相談してください」
「分かっています。動こうにも皆に止められてしまうからそう心配しなくても大丈夫ですわ。私よりもお兄様が心配ですわ」
「エステル殿下、ヴィンス様の事は僕達にお任せください」
レオンお従兄様が力強く言ってくださるけど、レオンお従兄様も気を付けてほしい。
言葉にしなくてもお従兄様は私の言いたいことを分かったようでにこりと微笑み「気を付けます」と呟いた。
それから私がクラースと公に戻ってから会ったことがあるかを聞かれたけれ、この間マティお従兄様と一緒に街へ出かけたときに偶然会ったことを伝えた。
その時確認をしていないけれど、クラース本人だったと思う。
彼からは禍々しい気配も、魔力を感じることはなかった。
だからその後の出来事だろう。
その辺りはアステールが調べてくれるだろうから、彼からの報告を今は待つのみ。
私に注意事項を伝え終わった後、侯爵とレオンお従兄様はそれぞれの主の元へ戻っていった。
「ステラ様、そろそろ執務室へ戻りましょう」
「⋯⋯そうね。皆にも話さないと」
暫く応接室で無言のまま考え込んでいた私に声をかけてきたお従兄様は、力強く、けれど優しく私の肩に手を置いた。
私がクラースの事で気持ちが沈んでいるのだろうと余計な言葉を掛けずにいてくれるのは、今はその気遣いが嬉しい。
私はマティお従兄様と一緒に執務室へ戻ると、既にティナが到着していた。
「ティナ、早かったわね」
「お呼びと伺い、直ぐに参りました」
「休みなのにごめんなさい」
「お気になさらないでくださいませ」
「皆に話があるので、一度手を止めて聞いてほしいの」
その言葉で手を止めて私の話を聞く体制をとる。
「先程この執務室を訪れ、近衛に阻まれて入って来られずにいた者はクラースと言って、私がシベリウスで過ごしてい頃の護衛だったの。だから彼を知っているのだけれど、先程の者はクラースではなかった。彼は魔力がなく、今日訪れた者には魔力があった。だから姿形は知ったものだけれど全くの別人なのだけど、違うのは魔力だけで他はそのものなの」
私が言ったん言葉をきり息をつく。
「禁術⋯⋯」
「レグリスは知っているの?」
「母上から聞かされたことがあって、禁術たる所以は術者を危険に晒す、非人道的、人の理を外れる事などから禁術に分類しその行使を、または術の研究を廃止した。その中のひとつに自分の姿を捨てて記憶までも本人そのものに姿を変える、という術があり、今回はそれが使われたって事。ただ一点、魔力だけは同じには出来ないので違いを見分けるとしたらそこしかない」
「その通りよ」
レグリスの説明を聞いて、ティナとマティお従兄様以外の側近は皆信じられないとばかりに驚いている。
けれど実際使われ私の側まで近づいてきている警戒しないと皆も危険に晒されること、先程侯爵と話したことを彼等に伝えた。
帰りも出来たらまとまって帰ってほしいが、それぞれ護衛もいるだろうからそれとなく警戒するよう促した。
ルイスだけは平民で護衛という護衛がいないので、ティナを呼んだのはそのためだった。
「ティナ、今日ルイスを送っていったときに、ルイスのお父様にこれを渡してほしいの」
ティナに渡したのは一通の手紙。
一番狙われやすいのはルイスだろうから、彼女の父にも警戒してほしいという内容だ。
「ルイス、暫く書類を他部署へ持っていくのは控えてほしいのが本音だけど、あまりいつもと違う行動はとってほしくないので、ティナかアルネにお願いして宮廷内であっても一人で動き回らないでね」
「気を付けます。けど、ティナは大丈夫なの?」
「私なら平気よ。心配してくれてありがとう」
それでもまだ心配性なルイスはティナを見つめるけれど、当の本人は至って普通でいつも通りだ。
その二人を見送って今執務室には私とマティお従兄様の二人残っている。
「お従兄様、詳細が分かったら伯父様にお手紙を書くので渡してほしいの」
「父上だけじゃなくてクレールにも、ですね」
「うん。私は二人に沢山教えて貰ったから」
私が領にいるクレールの事を考えていると、お従兄様の視線を感じて視線を上げると、呆れと心配、そしてそれ以上に私のせいじゃないのだと目で語っている。
私は分かっている、と控えめに微笑んで応えた。
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とても嬉しく励みになります。
次回も楽しんていただけたら幸いです。
よろしくお願い致します。





