194 お粗末な事件
翌日執務室へ行くと昨日お兄様が仰ったようにベリセリウス卿が執務室で既に仕事を始めていた。
「おはようございます」
「おはよう。今日もお願いしますね。昨日の今日だけれど、何か進展はあったかしら?」
「いえ、あの件についてはまだ報告はございません」
昨日の今日では流石に分からないかな。
私もあれから考えてはいたけれど、結局いつのまにか寝てしまっていたようで、朝起きたらとベッドで寝ていた。
たまにこういう事もあるので慣れっこだけど。
お父様達に知られたら叱られるのは目に見えてるので私達だけの秘密だけどね。
モニカ達にも知られてない筈。
それは置いといて、今日のやるべき事はと⋯⋯。
「殿下、セイデリア辺境伯夫人からお手紙が届いておりますよ」
「ベティ様から? レグリスが忘れるから直接送ってきたのかしら」
「そうかもしれませんね」
ベリセリウス卿はクスクスと笑いながら仕分けされた一番上の手紙を指し示した。
そういえばレグリスはどれだけ叱られたのかしら。
忘れたのは彼だから叱られる事に関しては擁護出来ないけれどね。
ベティ様からのお手紙にはレグリスが手紙を渡し忘れた事への謝罪とティナを伴って行く事へのお礼が綴られていた。
セイデリアに行ったらベティ様が稽古をつける所を是非見学させてもらおう。
その他にも何通かお手紙を開けるが、特に急ぐような内容のものはない。
手紙といえば昨夜ふと気になったのだけど、あの筆跡を何処かで見たような気もしなくもないんだよね。
思い出そうと記憶を辿っていたら急に体がビクッと震えた。
――何!?
一瞬とても嫌な感じがした。
『アステール』
私は警告の意味を込めてアステールを呼んだのとほぼ同じくらいにベリセリウス卿が声をかけてきた。
「殿下、如何されましたか?」
「一瞬だけど、何か嫌な感じがしたの」
それを聞いたベリセリウス卿は一瞬目を鋭くさせたけれど、直ぐにいつもの表情に戻った。
アルネも同様でベリセリウス家の人達はやっぱり普通ではないのだと感じる。
声に出しては言わないけれどね。
それよりさっきの感じがあの時に似ていた。
私が攫われたときと同じ気配。
ふと他に意識を向けるといつも感じられる精霊達の気配があたふたと遠ざかっていた。
やっぱり何かあるわ。
『アステール、周辺に異常はないかしら?』
『今のところ目に見える異常はありません』
『そう。けど精霊達が逃げていってるようなの』
『それは⋯⋯!? 姫様、我々も注意は怠りませんが、十分にお気を付けください』
『分かっているわ』
周囲に異常がない、という事は特に不審な人物もいないのよね。
けど、精霊達があたふたしてるって⋯⋯そう言えば前にエストレヤが近づけないって言ってなかったかしら。
という事はやっぱり闇の者達が関わっているのかもしれない。
「ベ」
『やはり報告に合った通りこの間とは姿が違うね』
――この声は!
声が聞こえていたのは私だけではなかったようでベリセリウス卿を始めアルネが私を護る為に動く。
それは影の皆も同じでセリニが私の側にすっと現れた。
「出て来なさい」
「そう慌てなくても目の前にいるよ」
そう言って現れたのはフードを目深に被っているが、あの時に見た模様と同じもので、あの時逃げた者の声に似ている。
「久しぶりだな。といってもあの時と姿が違うようだね。あの時冷静だったのには納得だよ。ただの令嬢かと思っていたがまさか王女だったとは。あの時のネズミは護衛というわけか」
私達の目の前に現れたと思ったら一人勝手に話し始め、アリシアと私が同一人物だと知っているようだ。
公になっている今、その事には別段不思議はないけれど、何故此処に闇の者が現れたのかどうやって此処まで入ってこられたのかが気になるわ。
ただ今はこの場をどうするかが先決ね。
「此処へお喋りをしに来たわけではないでしょう。何用です?」
「せっかちだな。俺が此処にいる理由は分かってるんじゃないのかな?」
「質問を質問で返さないで頂きたいですわ。あのお手紙は貴方の仕業?」
「手紙? あぁあれか。あれは面白そうだから手を貸したが俺からではないよ」
あの手紙自体はやはり別の者なのね。
手紙の件は気になるけれど、今は目の前の闇の者にどう対処するか。
今の所特に仕掛けてくるようではなさそうだけど、油断は出来ない。
「さて、本題に入ろう。グランフェルト王国王女、俺と一緒に来ないか?」
「お断りします」
「即答だな」
「あの時にも言いましたが、貴方方に手を貸すことも魔力を明け渡す事もありません。諦めて大人しく捕まりなさい」
「それは聞けない相談だな」
大人しく捕まるとは思っていないけれどね。
だからといって私がついて行く事もない。
そう言えば私の元に闇の者が現れたというのに周囲が静かすぎるわ。
外に異変は伝わっていないのかしら。
『アステール、ここに闇の者が来ていることはお父様に知らせたの?』
『ノヴルーノが陛下の元へ報告に行きましたが戻ってきません。何かしら細工がされているものと思います』
やっぱり。
となれば、私達でどうにかするしかないのだけれど、どうしたら⋯⋯。
そう思っていたら、相手が話を変えてきた。
「話は変わるが、あの手紙の差出人は気にならないのか?」
急に何をいうかと思えば手紙の差出人の話。
気にならない訳がないが、それよりも一体何をしたいのかさっぱり掴めない。
「貴方の目的は何です?」
「質問に質問で返すとはな。案外グランフェルトの王女は気が短いんだな」
「貴方に言われたくありません。それに貴方と悠長にお話を楽しむ趣味はありませんわ」
「それで、気にならないのか?」
此方の話は聞かないのね。
相手のペースで話が進まない。
「あの手紙はイーサク・二ルソンの仕業でしょう」
私がそう答えると、闇の者だけでなくベリセリウス卿やアルネも視線は外さなかったが一瞬驚いた表情をしていた。
「ほぉ。よく分かったな」
「筆跡に見覚えがありましたから。ですが現在保護下にある彼が何故あんな手紙を送る事が出来たのか疑問に思っていたのだけれど、貴方の発言で納得がいきましたわ」
「おやおや。私はお姫様に手掛かりを与えてしまったみたいだな」
彼は何でもないという風に肩を竦めている。
ただ面白そうだからと彼に手を貸したという事が腑に落ちない。
「で、一緒に来ないか?」
どれだけ自由なのかしら。
その自由な発言に呆れてしまう。
相手に常識を求めても仕方ないかもしれないけれど。
こう話があちこちとふらふらされては堪らないわ。
それが狙いなのかもしれない。
「何度誘われてもお断りします。|私〈わたくし〉が貴方に大人しく捕まりなさいと言って断るのと同じくね」
「それもそうだな。今日は実際にお姫様に会って見たかっただけだからそろそろお暇するよ。流石に此処では分が悪いからな」
「自分勝手ですわね」
「お姫様も俺に常識を求めてるわけじゃないだろう?」
「求めていない、というよりも期待しておりません」
それを聞いた彼は可笑しそうに笑っていた。
「ゼフィールの王女と気性が似ている。それだけじゃない、まだまだ成長しそうだし、兄王子も楽しみな逸材ではあるから今は何もしない」
「どういう意味です?」
「あぁ、酒と同じだ。寝かせれば寝かす程に味わい深くなる。それと一緒だ。もっと成長しそうだから今は未だ寝かせておくとしよう」
最後は独り言のように呟いたと思ったら現れた時と同じように唐突に消えた。
彼が消えたらふと体が楽になりふうと緊張を解すように息を吐いた。
何をしに現れたのか全く分からないけれど、取り敢えず誰も傷つかずに良かったわ。
最後に呟いていた意味がわからないけれど、今は何も起こらなかった事に安堵する。
「失礼いたします」
闇の者が去った直後にノックと共に執務室の扉が開き入って来たのは侯爵だった。
表面は冷静そのものだけど、私が無事なのを見てふと力を抜いたところを見ると見た目と違って焦っていたみたい。
それは周囲に異変を悟らせないために平静を装ってきたのは少し考えればわかる。
まさか宮廷に、それも私の執務室に簡単に侵入されてしまった事が公になったら大問題だ。
扉を閉めてこちらへ近づいてくる。
「殿下、ご無事で安堵しました」
「侯爵、外から何か異常はなかったですか?」
「いえ、見た目の異常はありませんでしたが、扉が開きませんでしたので、近衛達が異常を察知したぐらいです。その他の者達がこちらに来た形跡もありませんのでご安心ください」
――大事になっていないようで良かったわ。
私は安堵してほっと一息ついた。
「殿下、先ずは一息ついてください」
アルネはそう言うとお茶を淹れてくれたので私はお礼を言って手を伸ばす。
カチャンッ
「姫様!」
セリニが慌てて私の濡れた手を取り拭くと共に火傷をしていないか丁寧に見ている。
私は何故カップが割れたのか分からなくて不思議に思い自身の手を見つめる。
「手が震えていらっしゃいますね」
侯爵が心配そうにそう声を掛けてきた。
――手が震えている⋯⋯?
そう言われて私は自身の手をもう一度見ると、微かに震えていた。
だけど何故震えているのか分からなくて不思議だ。
私が疑問に思っていると侯爵がいつの間にか隣に来て膝をついていた。
「殿下、お手元失礼致します」
そう言って震えている左手をそっと包み込む。
侯爵の手は意外に温かいのね。
そんな場違いな感想が浮かんだが、侯爵は真剣な表情で私に頭を下げた。
「曲者の侵入を許してしまい、申し訳ございません」
「あれは、ただの侵入者ではないでしょう」
「仰るとおりですが、宮廷内でみすみす殿下を危険に晒してしまったのは我々の落ち度です」
「そのようなことはないわ。ベリセリウス卿やアルネ、私の影達が側にいましたもの。大丈夫よ」
「殿下、差し出がましい事と存じますが、今は無理をする必要はありません」
「無理はしていませんよ」
「では何故震えていらっしゃるのです?」
それを言われると言い返せない。
私にも理由が分からないから。
相手の嫌な気配に全く怖くなかった、とは言わない。
だけどそれだけで何故こんなに手が震えているのか。
「⋯⋯分からないわ」
「去年の秋口の出来事が原因ではありませんか?」
秋口って⋯⋯私が攫われた時の出来事ね。
何故あれが原因だというのかしら。
「あの時、殿下を庇って傷ついた者がいましたね。彼が、というよりもその出来事が原因でしょう」
その言葉を聞いて私はその時の事を鮮明に思い出した。
ノヴルーノが私を庇って腕を失った事。
私は思わず自身の手をぎゅっと握ろうとしたけれど、侯爵に手を取られていたので動揺した事が直に伝わってしまった。
私は心を落ち着かせるために一息つく。
「恐怖を覚える事は決して悪い事ではありません。殿下がそれだけ周囲の者達を大切に思って下さっている事は我々にとっては嬉しくもあり誇りです。ですが、ご自身が何に対して恐怖を覚えるのか、それらをご自覚していただいた上でご覚悟下さい。この世は決して平和とは言い難いです。殿下はこの先も狙われるでしょう。貴女を庇って護衛の者達が傷つく事はこの先もあります。ですから殿下はご自身の事を理解し、受け入れてください。とても難しい事かとは思いますがそれが護る側の安全でもあるのです」
私は彼等が傷つく事を理解はしているけれど、私を護って傷つく事に対して覚悟が足りない、と侯爵は言う。
昨夜皆と似た様な話をしたけれど、まさか直ぐ同じことを言われるなんて。
今回私を護ってベリセリウス卿達が、皆が傷つく事は正直怖かった。
侯爵が話すように私はその事に恐怖を感じているがそれを表に出さず気づかないふりをするように心の奥にしまい込んでいたのだけど、侯爵はその恐怖を認め、覚悟するようにと私を諭す。
あの後も、そして昨夜アステールに似た様な言われていたけれど、そう簡単な事ではないと突き付けられる。
「殿下、すぐにとは申しません。ですが、殿下のお気持ち次第で護衛達の動きも変わります。その事を心に留め置いてください」
そう言うと私の手を離し、セリニに促され隣室に移動した。
そこにはいつ来たのかエメリが私の着替えを準備して控えていた。
脱いだ衣服を見ると思ったよりも染みになっている。
自分の手を見るともう震えは止まっていた。
――覚悟、そして自分の弱さを認めること。
頭では分かっているけれど、心がついていかない。
まだまだ未熟だと思い知らされる。
「ステラ」
考え事をしていたらいつの間に来たのか、ヴィンスお兄様が学園から帰ってきていた。
詳細を知っているのか心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「お兄様、おかえりなさいませ」
「ただいま。顔色が悪いな。無理をせずに休んでいればよかったのに」
「そういうわけにはいきませんわ。それに怪我をしたわけではありませんもの」
怪我もなく大騒ぎになったわけでもないので急に休めば何かあったのではと余計な詮索をされてしまうでしょうしね。
私は大丈夫だとお兄様に微笑むとしょうがないと頷くとベリセリウス卿と話をし始める。
そんなお兄様を暫く見つめていると、話が終わったようでお兄様と共にお父様の執務室へと向かった。
執務室に入ると忙しくしているお父様にソファへ促され暫く待つと一段落したのか向かい側に座ると直ぐに本題に入った。
「ヴィンス、詳細は聞いているな?」
「はい、学園からの帰りに聞きました」
「奴の話ではお前も狙ってると発言していたようだ。そうだな、ステラ?」
「はい、はっきりとそう話しておりましたわ。真意の程は分かりませんが、まだ成長しそうだから寝かせておくとか発言していました」
「魔力はある程度血筋もありますが、成長過程にある殿下方ならまだ増加するでしょう。あの者達はそれを狙っているのでしょうね」
「全く嬉しくないな。⋯⋯結局奴等は何が目的なのでしょう?」
お兄様に同意です。
だけど、私達の魔力目当で増加するのを待つって、普通に考えて未熟な今が彼等にとっては楽なはずなのに何故何もせずに退いたのかしら。
謎だらけだわ。
「奴等は今各地で今回と似たようなことを繰り返しているらしい。ステラの元に現れた奴はゼフィールの第一王女の元に現れた者と同一人物だろう。その他の国とも情報共有がされている。特に国の中枢に近い人物で魔力の多い者達と言葉を交わすだけで何もなかったというのは今回の件と同じだ。ただ自分達の存在を強調したいのか、又は別の目的か⋯⋯」
「今言えることは奴等の言葉を警戒しつつ我々は他国と連携し備えることです。どちらにせよ良からぬことには変わりないでしょうからね」
ちらりと隣を見るとお兄様も知らない情報だったみたい。
「陛下、その情報は私達には共有していただけないのでしょうか?」
「ヴィンスの言いたい事は分かる。だが、お前達はまだ未成年だ。危険事を引き受けるのは我々大人の役目だ」
「ですが、情報が分からないよりも分かった上で行動する方がよいのではないでしょうか? 知らないで行動している方が危険な方へ進みかねませんよ」
「ヴィンスの言う事も一理あるが、逆にお前達が情報を知れば余計に危険を招くのではと懸念してるんだ」
お父様は私達を心配してそう仰るけれど、ある程度情報があるのとないのとでは違うと思う。
それはお兄様も同じ考えのようでお父様に食い下がる。
「ステラはどう思う?」
「私は、陛下とお兄様、どちらのお考えにも賛成です」
「ステラは気にならないのかい?」
「勿論気になりますし、自分達の事なら猶更知っておきたいです。ですが、陛下の仰ることも理解できます。それに私はまだまだ未熟です。今はもっと成長する事が大事だと思うのです」
先程の事もあるので今は甘える、というわけではないけれど、その間にもっと成長出来ればと思う。
だけど何も教えて頂けないのはお兄様の意見にも賛成なので、今日みたいに何かあってからでは遅いので、お父様達の判断で知っておかなければならない事は教えて欲しいし、私達が疑問に思い質問した事には真剣に答えて頂きたい事はお伝えした。
全てを隠すのはまた違うと思うから。
それには頷いて下さったので、私は納得するがお兄様は私の話を聞いて納得する部分とそうでない所があるようだけど、お父様が折れることはないので、条件を追加してこの件は終わった。
闇の者達の件に関しての話が一段落した後、お父様は私の方を向いて話し掛けてきた。
「ステラはあの手紙が誰か分かっていたのか?」
「いえ、分かっていたわけではありませんわ。ただ、あの筆跡に見覚えがあったのですが、対峙しているときにふと思い出したのです」
「それで奴が手を貸したと分かった訳か」
「はい」
先程の、闇の者とのやり取りの確認。
お父様も予想を着けていたでしょうがどうやって手紙をお父様のところまで届いたのか、それが分からずにいたようだ。
今となったら疑問点が解決したから良かったと言えるけれど、まさか闇の者が絡んでいたとなると、彼の処遇が気になる。
どのような経緯でそうなったかは事情聴取を行ったが、彼にしてみたら何処の誰だか分からないが、自分の境遇を肯定してくれる存在だったのでお願いしたら快く引き受けてくれた、という事らしい。
という事は、彼は反省をするどころか私に対して逆恨みをしているという事だ。
反省をし、更生する意思があるならば罪は軽く済んだだろうに、今となっては王族を脅迫したという罪が加算され、更にはそうだとは知らずとも闇の者との関連性が生まれてしまったためにその罪は重くなる。
学園の件だけならば私が関与できたけれど、こうなってしまったために私の手を離れる事になった。
こうしてお粗末な手紙事件は呆気なく幕を閉じた。
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次話は来週土曜日に更新致しますので、よろしくお願い致します。