184 ブルーノ医師
慈善活動を行った日の二日後、執務室にフリュデン嬢の定期報告の為にアンデル伯爵が訪れていた。
話を聞けば、私と会った昨日から見違える様に元気を取り戻したという。
一番彼女の心に引っかかっていた事は人を傷付けた事だったのだろうと。
まだ暫くは様子を見ないといけないけれど、その報告を聞く限りではもう大丈夫そうなので安心した。
後は彼女が学園に復帰するのを希望するならば、彼女を利用した者達への恐怖心を克服、までは難しいかもしれないけれど、そちらの問題を少しでも軽くする事と私が進めている学園内の科の創設ね。
そう直ぐに学園が変わるかと言ったらそうではないし直ぐに始められるものでもないので彼女自身の味方になってくれる者がいればいいのだけれど。
――良い事を思いついたわ! これなら少しは風当たりが収まるはず。
「アンデル伯爵」
「はい」
「彼女は学園に復帰したいという意思がありましたね?」
「仰る通りです」
「一先ず、先程言っていた通り克服出来るように助けてあげてください。次の担当の方にも会っているのでしたら心配はないかしら」
「そうですね。彼女も幼い頃に学園で似た様な経験をしておりますので令嬢の心にも寄り添えるでしょう」
「貴方がそう言うのならば大丈夫でしょう」
伯爵も王宮筆頭医として引継ぎがあるので流石にフリュデン嬢の事まで任せるわけにはいかないので来週からは伯爵の元で学んでいた者が担当する事になっているのは既に聞いている。
私が先程思いついたことは今後の彼女の回復状況によって実行するかを決めるので、今の所は対応策の一つとして留めておく。
さて、次に考えなければならないのが学園の事。
学園に関してはブルーノ医師のお力を貸していただけるので、再来週の会議までに教育部のアルセン子爵を交え話をする予定となっている。
日程は今週末で側近が揃う日に行い、直にどのような事を行うかを感じ、考えて欲しいという事もあるけれどまだ学生なので直接関わり合いになるので一緒に聞いて貰いたいので、私はその話し合いに向けての準備を進める。
そうして過ごすとあっという間にブルーノ医師と会う日を迎えた。
その日の午前中、皆が揃ったところで内容を纏めた書類に目を通し軽く確認を行い皆が疑問に思う箇所に答えていく。
そしてお昼休憩を挟み時間丁度にブルーノ医師とアルセン長官、そして補佐のエリ嬢が執務室にいらっしゃった。
「お待たせ致しました」
「時間丁度ですわ。お待ちしておりました。ブルーノ医師今日はよろしくお願い致します」
「こちらこそ、若者達とお仕事をご一緒させていただき私まで若くなった気がします」
「あら、医師はまだまだお若いですわ」
「殿下まで陛下と同じような事を仰いますね。流石は陛下のご息女」
それは褒めてないわね。
きっとお父様があれこれとブルーノ医師を引き留めていた事を仰っているのだわ。
私としては別に嘘は言っていないのだけれど、医師は楽しそうに笑っていた。
私の側近達とは初めて会うので紹介をして挨拶が済んだところで早速本題に入る。
先ず、エリ嬢からブルーノ医師に説明し私達の進めようとしている詳細を知ってもらう。
医師がご存じなのは噂程度の事だったので、最初から説明が必要で話を最後まで聞いて頂き最終的にご協力いただけるかお伺いしようと思っている。
助けて頂けるのは嬉しいけれど、詳細を知った上で医師の考えもあるだろうし、無理強いはいけない。
医師からの申し出だったし問題なくあっさり助けてくれそうな気もするけれどね。
「⋯⋯詳細は以上です」
「ふむ、殿下はまた難しい事をなさろうとしておられますな。じゃが、これらが学園で浸透し少しでも考え方が変わっていけば人間関係はもっと豊かになるでしょう。現状、貴族平民関わらず此処ほど陰謀に満ちた所はそうありますまい。子供は親を見て育ちますからな。親の気性をそのまま受け継ぐ子が殆どです。中には反面教師にされる子もおりますが少数でしょう。私も色んな者達を見てきましたが⋯⋯学生の間は学園内が生活の殆どを占めますので授業の中で学んでいけば、時間はかかるかもしれませんが少しずつでも変わっていくかもしれませんな」
医師はそういうと感慨深く深くうなずいた。
医師という立場で色んな人を見てきているが故に何か想う事があるのかもしれない。
「ブルーノ医師。この件につきまして私達は素人ですわ。だからと言っていつまでも変わらずにいるのはただ現実から逃げているだけで何も変わる事が出来ません。少しずつでも変われるきっかけがあるのならそれを実行したく思います。改めて医師にお願い致します。この件を進める為に是非専門家である医師のお力を私達に貸して頂けないでしょうか?」
私が改めて医師にお願いをすると、表情を改め私達一人ずつ表情を確認し頷いた。
「私でお力になるのであれば、喜んでお手伝い致しましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願い致しますわ」
詳しい内容を聞いて尚心よく手を貸して頂けてほっとする。
それは教育部のお二人も同じ思いだったようで表情から安堵したようだった。
さて、此処からは来週の会議に向けての話し合いとなる。
医師のご教示の元、学園でどのように教育していくのが良いか、また先生方への教育も行わなければならないのでそれについても話し合っていく。
その中で医務室とは別に一室を設けて専門の医師を常駐させる事も案に上がった。
これは私も考えていた事だけど、あの広い学園でまず一人を置く事にし、様子を見たうえで増やすことも視野に入れる。
勿論生徒達の情報は保護されなければならないので考えなければならない事は沢山ある。
教育を取り入れる事に関してはクラスを受け持つ担任がいらっしゃるので、その先生が教育を行うのが一番生徒と接しているのでいいだろうという事になった。
ただ先生方に負担が増えるので焦り過ぎては先生方が参ってしまうだろうと、一年と詰め込み過ぎず、期間を長く設け勉強を行うのが良いだろうと。
そして一年後に新しい学科として取り入れる事を設定し、それに向けてどのような教育を行うのが良いか医師の意見を参考に来週の会議に向けて決めていく。
その中で医師は時に私の側近達にも意見を求め彼等の考えを聞き、それに対して良い点悪い点を話して下さるのは、既に教育を行ってくれているような、そのように感じる。
それは私や教育部の二人に対しても同じで勉強になる。
かなり真剣に話し合っていたから気が付くと話し合いを始めてから三時間が経とうとしていた。
だけどその甲斐あってかなり詳細な話し合いが出来たので良かったと思う。
教育部の二人は早々に内容を纏めて来週の頭に来ますと執務室を後にし、医師はまだこちらにいて私達と一緒にお茶を共にしている。
「医師今日はありがとうございました。とても有意義な時間を過ごせましたわ」
「ほほ。私も若者達の意見が聞けて楽しかったですよ。皆真剣にこの件に取り組んでいらっしゃるのでこの先の未来は明るいですな」
ブルーノ医師は何処か遠い目をしてそう仰った。
そんな様子を見た事が無いので私は心配で声を掛けると、首を軽く振って話始めた。
「私の教え子の中にはとても深い傷を負った者が沢山います。時間をかけて回復した者もおりますが、助けられなかった者も多いのですよ。今もそうですが弱者が悪いというバカげた風習が根強く残っているのがこれらを助長させているのです。いくら私が発言したところで階級も低くただの医者という事もあり中々意見が通らないのが実情で、出来た事と言えば医学の中に精神的な問題とどのように向き合うのか、人と人の繫がりの大切さや人を思いやる心の教育を取り組む事だけでしたが、今殿下がこうして動かれているのを見るとようやく時代が動き出したのだと安堵します」
「ブルーノ医師、それは違いますわ。医師がなさってきた前提があっての今なのです。それがなければ私が考えているこの件はもっと困難でしたでしょう。医師の教えがあったからこそ私はアンデル伯爵にも助けられています。そして今ブルーノ医師は私達を助けて下さっていますわ。それはとても心強い事です」
「そう言って下さるとは。頑張ってきた甲斐があるというものです。さて、少々長居し過ぎましたな」
「いいえ。医師とお話が出来て良かったですわ。とても楽しい時間でした」
「このような老いぼれとの話が楽しいとは。殿下は嬉しい事を言って下さる」
「医師は老いぼれなどではありませんわ」
「殿下は嬉しい言葉を掛けるのがお上手ですな」
「本心ですのに⋯⋯」
私がそう零すと、医師は孫を見るような優しい表情で私を見ると辞去の挨拶をして執務室を後にした。
執務室に私と側近達だけになり、私は今日の話し合いについて皆に感想を聞いてみた。
普段は学園で学んでいる為にこういった事は皆にとって今回が初めての事で側近として仕事に慣れてきているとはいえ、いつもの仕事とは違うから意見を聞いてみたいと単純に思ったのもあるけれど、率直に事が進んでいる事に対して学生である皆に意見を聞いてみたいからだ。
休学中の身といえど、私も一応学生ではあるのだけれどね。
「今日は初めて話し合いの場に参加してどう思ったかしら?」
「率直の感想を宜しいでしょうか?」
「勿論よ」
「ステラ様は本当に私と同じ十歳なのでしょうか?」
そう発言したのはロベルトだ。
そういえば王宮に帰ってきて本当の自分で過ごしている内に偽ることなく普通に過ごしていたのと普段側近の皆より大人達との交流が主なのですっかり忘れていたわ。
私がその言葉にふと止まってしまうとマティお従兄様が助け舟を出してくれた。
「ロベルト君、ステラ様は間違いなく大人びた十歳だよ。シベリウスにいた頃からよく読書に没頭していたからね。大人顔負けだよ」
「お従兄様、それは褒め言葉ではありませんわね」
「褒めたつもりですけど、そう聞こえませんでしたか?」
「全く褒めておりませんわ! 私が周囲の声が聞こえなくなるからと叱られた記憶の方が多いです」
「きちんと覚えて頂けていたようで安心いたしました」
それは暗に覚えているのだったら気を付けなさいという事ね!
そんな意味を込めてお従兄様を見つめると、すごく良い笑顔で頷かれた。
「お従兄様は置いといて、流石に年齢までは偽っていませんわ。同年齢よりも周囲に大人達が多いので、幼い頃からよく伯母様達からも嘆かれていたのよ」
「シア様の頃からとても聡明でしたから殿下だと知ってからは特に何も思いませんわ。ヴィンセント殿下然り、流石王家の方々は一味違うのだと納得致します」
「確かに、ディオ様の仰る通りですね」
「ロベルト君、ステラ様の傍にいれば沢山の事を学べますわよ」
「ティナ様も学んでいらっしゃるのですか?」
「えぇ。年齢は関係ないわ。気にしていたら成長できないわよ」
ティナの言葉で彼ははっとした様に私に向き直り謝罪の言葉を口にした。
「ステラ様、申し訳ございません。他意があった訳ではなく⋯⋯」
「分かっているから気にしなくてもいいわ」
彼にそのような意図での発言ではないのが分かっているから怒る事でもない。
ただその言葉を聞くのが久しぶり過ぎて驚いてしまったからロベルトに誤解を与えてしまったようだった。
「話は変わりますが、ダールグレン嬢へのお手紙は如何しますか?」
「その件ね。きっと今日はフリュデン嬢に会っているでしょうから私と面会した件は伝わっているでしょう。彼女の心の痞えが取れたことは喜ばしいですが根本的な解決には至っていないけれど、思っていたよりも彼女に直接会う事が出来たので後は従妹であるダールグレン嬢が力になってあげればいいでしょう。特に此方からの指示はないわ」
「では彼女にはそのようにお伝えいたしますね」
「お願いね」
後は身近なご両親や令嬢が力になってあげれば日常生活には支障は無いでしょうし、気になる事と言えば二ルソン家。
あのメモはお父様にお渡ししてそれ以来特に何か言われる事も無い。
侯爵なら知っているでしょうけれど今日は此方には来ていない。
確認するにしても来週ね。
あ、忘れない内に渡しておかなければ。
「レグリス、これを先生に渡しておいて欲しいの」
「これは、課題ですか? もう終わったのですか!?」
「終わったわ。何時までも時間を掛けても仕方ないでしょう?」
「まぁ、それはそうですが⋯⋯それにしても早すぎ」
レグリスってたまに口調が戻るのよね。
今まで通りとまでいかなくてももう少し気軽に話してくれてもいいのにという気持ちがあるけれど癖づいても困るので暫くは一線を引くようにとお父様から釘を指されている為にそれに関してはまだ何も言わない、というか言えない。
「私の顔に何かついてますか?」
「何も。それよりも明後日はまた学園が騒がしくなるかもしれないわね」
「殿下が学園を休学中に慈善活動を行った事で何かしら噂が飛び交うでしょう。よく注視しておきます」
「面倒ごとばかりだけれど、お願いね」
「それが私達の仕事でもありますから」
お兄様の側近を務めるのも大変だと思うけれど、私の側は違う意味で大変よね。
それなのに何の負担も感じられずに引き受けてくれるので有難いわ。
ただ、本来して欲しい事とは別にある。
「本当は来週の会議にルイスとロベルトに参加して欲しいのよね。学園があるから仕方ない事なのだけれど」
「私達まで学園を休んでしまったら問題になりそうですものね」
「私が学園に復帰すれば私の予定に合わすことになるけれど。今は休学中の為あちらの予定に合わせる事が得策だもの。我儘は言えないわ」
今は同席出来ないけれど、今後私が復学すれば否応なく参加してもらう。
ルイスにとっては将来に向けての勉強の場となるので出来るだけ携わって学んで欲しい。
私としてはもっと長く側についてくれると嬉しいのが本音なのだけど強制は出来ないものね。
将来どうなっているかは分からないけれど、今から卒業しても私の側にいて貰う為に口説こうかしら。
一番はルイスの気持ちではあるけれど半ば本気でそう思う。
私がルイスを見ながら考えていると私の視線に気づいて声を掛けてきたので何でもないと首を振る。
今日は話し合いがあったという事もありあっという間に一日が終わってしまった。
――皆ともっと一緒にいたいな。
週末皆が登城し、帰り際になるといつもそう思う。
大人びていると言われてもこうして皆と会えば仕事をしていても楽しい。
雰囲気がそうさせているのかもしれないけれど、早く学園に行きたいなと思ってしまう。
皆が挨拶をして執務室を後にする中、マティお従兄様とティナの二人が何故か残っている。
「二人共どうしたの?」
「ステラ様、我慢のし過ぎは身体に毒ですよ」
「何の事?」
「せめて私達の前では素直になってください。そういう所は幼い頃から全く変わっていませんね」
私が考えている事が分かっているのかマティお従兄様はそう言ったけれど、そう素直になるわけにもいかない。
「マティお従兄様には敵いませんわね」
「これでも貴女の従兄ですからね」
「お従兄様のお気持ちは嬉しいですけど、口に出すと余計にそう思ってしまから、口にはしませんわよ。分かっていらっしゃると思いますけど」
「ステラ様は意志が強くていらっしゃいますが、逆に私達も中々本音を言わないステラ様に少し寂しく思うのですよ。お立場からそうなってしまうのは仕方がない事だとは理解しております。ですが、いくらお立場ある身といえど色んな事を溜め過ぎはお身体に毒ですわ」
ティナの言っていることも分かるわ。
だから最近ベリセリウス侯爵は私を揶揄いつつも溜めすぎないようにと適度に私の力を抜かせようとしているのは知っている。
それを考えるとティナってほんと侯爵にそっくりよね。
「私の顔に何かついていますでしょうか?」
「何もないわ。ただ前にも言ったけれどティナって侯爵に似てるわって思っただけよ」
「ステラ様⋯⋯前にも言いましたけれど、全く嬉しくありませんわ」
今回も憮然とした表情できっぱりと否定する様子に私とマティお従兄様はくすくすと笑った。
いつもの時間より更新が遅れてしまい申し訳ありませんm(_ _;)m
お読み頂きありがとうございます。
ブクマ、いいね、評価、そして誤字報告ありがとうございます。
次回はまた二周間後の十二月十日に更新致しますので、次話もよろしくお願い致します。





