自粛10日目 根気
パリンッ!
「あっ……」
小さな破砕音が響いた。
割れたのはガラス製のコップだ。
別に床に落としたりしたわけじゃない。ただ普通につかんでいただけだ。
食事の準備中からしてそうだった。
軽くつかんだつもりの皿が割れてしまうし、包丁を使えばまな板ごと切ってしまった。
私ってこんな不器用、いや、馬鹿力だっただろうか……。
『急なレベルアップの弊害ですね』
「あー、そういうことか」
昨日一気にレベルを30まで上げてしまったものだから、実際の腕力に感覚がまだ追いついていないということか。
別に、ムキムキになったわけじゃなく、見た目の変化がないのも、感覚のズレを一層増してしまっているように思う。
本当、不思議な世界だわ。
「あー、力加減注意しないとなぁ」
『だったら、ちょうど良いものがありますよ』
と、机の上が光ったかと思えば、数十枚のカードがバラバラに置かれていた。
大きさは手のひらくらい。様々な幾何学的な紋様が描かれたそれは、サイズ感でいうと、私の世界で言うところのいわゆるトランプと大差ない。
『ちょうど暇だったので、挑戦していたのですが、このカードを使ってタワーを作ってみませんか?』
「あー、あれね」
2枚のカードの上の辺だけを合わせて、三角形を作り、それを並べたり、重ねたりして、最終的に大きなタワーを作るという遊び。
手先の器用さをはかるにはもってこいということで、テレビの企画ものでも度々目にする。
確かに、これを完成させられるならば、力の調節もバッチリというものだ。
だけど……。
「苦手なんだよなぁ……」
元々私は、こういう細かい作業は苦手だ。
職業柄、揃えたり、整えたりといった作業が不得意というわけではない。むしろ、得意だ。
でも、あくまでそれはパソコン上での話。
自分の手先を使って、揃えたり、整えたりというのは、正直面倒くささの方が先に立つ。
「ま、物は試しでやってみますか」
どうせ暇だし、とりあえず挑戦だけはしてみよう。
さっそく、カードを左右の手にそれぞれつかむ。
む、ただ、持つだけでも、すでにカードを折ってしまいそうなんだが……。
『勇者様、ファイト!!』
「お、おうよ……」
なんとか最初の2枚で三角形を作る。
力が増していることもあってか、思った以上に集中力が持って行かれる。
ふぅ、と一度深呼吸。
そのまま、ゆっくりとした動作で慎重に三角形を増やす。隣に1つ、もう1つ、さらに1つ。
ふぅ、これで一応1列は完成。
次は2段目だ。1段目と違い、次は置く時に机に手の重さをかけることができない。
難易度は一気に倍だ。
『勇者様、4段作りましょうね! 4段!』
「わかったから、ちょっと黙ってて……!」
べしゃ!
と、王女への返事に気を取られたせいで、手に力が入り、両手に持ったカードを真っ二つに折ってしまった。
『あっ』「あっ」
さらに折れたカードに気を取られた瞬間、1段目のカードに右手が接触。
『あっ!?』「ああああっ!!!?」
見事カードは全て机に倒れ伏した。
「………………王女」
『す、すみません!! 謝りますから、その顔止めて下さい!! 怖いです!!』
まったく……。
気を取り直して、もう1回。
これは長い戦いになりそうだ。
30分後──
「無理じゃ、こんなもんっ!!!!」
手に持ったカードをめんこのように地面に投げつける。
無理無理無理無理無理無理。
2段目まではなんとかいけたけど、3段目からはもう無理!!
そもそもただでさえ苦手なのに、馬鹿力になってしまった今の状態でできるわけないじゃん!
もうやらん!!
ベッドにダイブ。気分転換しようと、枕元にあった漫画に手を伸ばす。
ビリィイイイ!!
「あっ……!?」
ページをめくろうとして、今度は漫画を破ってしまった。
もう、何やってるんだ私……!!!
「あー、もう、くそぉ……!!!」
物に当たると、すぐに叩き壊してしまうので、代わりに髪の毛をくしゃくしゃと乱暴に掻く。
やっぱり最初からやるべきじゃなかった。
力を調整するどころか、イライラから、かえって被害を広げてしまっている。
『勇者様、ごめんなさい。私が変な提案したばっかりに……』
王女の心底申し訳なさそうな謝罪の声が耳に届く。
その声音に、変に昂った気持ちが少しだけ落ち着いた。
「…………別に、王女のせいじゃない」
ああ、もうこんなことでイライラして、他人に気を遣わせて、私は子供か。
『勇者様……?』
「あんたは、4段完成させられたの?」
『あ、えーと…………はい』
「じゃあ、私だってやってやる」
昔から、私は基本負けず嫌いだ。
それにハンディがあるほど燃えるタイプだ。
いいさ。やってやろうじゃないか。
「絶対に完成させる……!!」
1時間後──
「つ、ついに来た……」
何度目のチャレンジだろうか。
数えきれないほどのリスタートの末に、ついに私は3段目を完成させることに成功した。
作らなければいけない三角形はあと一つだけだ。
ごくりと唾を飲み込む。
何も言わないが、王女も固唾を飲んで見守ってくれているのがわかる。
気負うな。やることは今までと同じだ。
「ふぅ……」
最後の2枚を慎重に、慎重に、3段目の上へと載せる。
手が震える。心臓がバクバクいっている。額をゆるやかに汗がしたたる。
心を鎮めろ。ビークール。
三角形の長辺を重ねた。あとは、手をゆっくり放すだけだ。
そっと、ゆっくり、落ち着いて。
そして、わずかにカードを支えていた指が離れた。
1……2……3……。
「できた……」
自然と口からそんな言葉で出た。
「よっしゃぁああああ!!」
『やりましたね!! 勇者様!!』
途方もない根気を振り絞って、小さな三角形は、ついに大きな三角形へと姿を変えた。
ああ、なんだろう。
本当にくだらない事なのに、涙が出そうになる。
まさか、異世界に来て、一番の達成感が、トランプタワーを完成させたことになるとは、なんともしまらない話ではあるけど。
『これで力のコントロールもばっちりですね!』
「うん、これでもう大丈夫」
はぁ、それにしても疲れた。
凝った肩をほぐそうと、腕を思いっきりグッと伸ばしたその時。
──バキィッ!!
「あっ……」
私の拳はあろうことか、天蓋付ベッドの柱をへし折っていた。
『…………もう少し慣れが必要かもですね』
ふぁああああああああ!!!
この気持ちどこにぶつけたらいいのーーー!!!!




