第94話 エデンの書②
――――神の化身こそ、人類が長年にわたり抱いてきた絶対的存在へのあこがれを満たしてくれる存在だ。そして、世界の頂点に君臨する彼らのもとで、人類は本来の謙虚さを取り戻し、自然と調和した生活を送ることができるだろう。
虚妄の神の時代に続いて訪れた近代。人類が万物を支配する権利を有するという錯誤が地球環境の破壊をもたらし、暗黒の二十一世紀には自らの生存すら危うくした。この星ではそのようなことは決して起きないだろう。人類は生態系ピラミッドの下位の存在としてアヴァタールその他の巨神たちのコントロールを受け、文明の野放図な拡大は抑制されることだろう――――。
ギガファウナ信仰に目覚めた者たちはそう考え、新たなる神との出会いを寿いだ。
しかし、すべての乗組員がその考えに賛同したわけではなかった。
大半の者は彼らの話に耳を傾けず、旧態依然とした人間中心主義を信奉しつづけた。彼らはこの新世界を人間にとってより快適なものに作り替えることしか考えていなかった。急速に準備が進められる惑星開発計画のかたわらで信仰に目覚めし者たちの声は無視され、しだいに彼らはセドナ丸社会の中で異端者として疎んじられていった。
だが、彼らは諦めなかった。それどころか社会からの疎外はむしろ彼らの信仰心を燃え上がらせ、集団の結束を強める方向に働いた。彼らはセドナ丸の社会に背を向け、偉大なるアヴァタールの生態をよりいっそう熱心に調べ始めた。
やがて、彼らはアヴァタールの電子の歌声に気づいた。それは電磁波スペクトルのごく狭い帯域でのみ響いていた。彼らがそれを発見したのはまったくの偶然だった。解析の結果、その歌声には膨大な情報が含まれていることがわかった。だが、その内容を解明するまでには至らなかった。
社会の主流から距離を置いた彼らだったが、その時点ではまだ完全に決別したわけではなかった。
しかし、ある事件がきっかけとなり、彼らはセドナ丸の主流派を敵視することになる。
それはある通信技術者の内部リークから発覚した。
実はこの数か月、セドナ丸は太陽系に調査報告を全く送信していなかったのだ。アヴァタールをはじめ、他の超巨大生物の発見についても指導者たちの指示ですべて差し止められていたのだ。
彼らは指導者たちに抗議し納得のいく回答を求めた。だが、返ってきた答えは「これらの発見は重大な内容を含むため、誤謬がないよう十分に精査する必要があり、その作業に時間を要している」と、まったく要領を得ないものだった。
不審に思った彼らは指導者たちの態度の裏に何が隠されているのかを調べ始めた。
彼らの信仰はセドナ丸社会の裏側でひそかに広まり、様々な組織に同志たちが入り込んでいた。彼らは同志たちから入手した情報を総合し、生産モジュールで大量の武器、弾薬が製造されていること、数機の着陸艇がさかんにベータ大陸との間で往復を重ねていること、そして、大勢の兵士がそれに乗って惑星に降りているらしいことを突き止めた。
ベータ大陸で何か、きな臭い事態が進行している。
真相を突き止めるため、目覚めし者たちは自分たちの着陸艇でベータ大陸に向かった。
そこで彼らは信じがたい光景を目にした。
焼き尽くされた森林、切断された大型動物の頭部の山、穴だらけになって横たわる巨大生物の死骸……。地獄のような風景がどこまでも続いていた。
その上空を先へと進んでいくと、やがて戦いの最前線にたどり着いた。
そこでは兵士たちが現地の生物に対し無差別に攻撃を加えていた。
それは統率の取れた軍事作戦などではなかった。野蛮で無軌道な破壊行為。まさに虐殺だった。兵士たちは森に燃料を撒いて火を放ち、逃げ出してきた大型生物の横腹にミサイルを撃ち込み、粒子ビームを浴びせ、一分間に数万発の銃弾で頭部を粉々に撃ち砕いた。そして、全長百メートルの山のように巨大なディノガイア(オニダイダラのことだろうか)に熱核兵器を投下した。死体が散乱するただ中で、奴らは笑いながら殺しまくっていた。
その常軌を逸した様子から、兵士たちの多くがアルコールや薬物を摂取しているのは明らかだった。だが、それにしても彼らはあまりにも残虐すぎた。人間がこれほど残虐になれるものだろうか。彼らは準惑星セドナのコロニーでは普通の市民だったはずなのだ。
目覚めし者たちは兵士たちの上官に詰め寄った。いったいこれは何のつもりだ。今すぐ止めさせろ、と。だが、上官は冷ややかな笑みを浮かべて反論した。これは指導部から正式な許可を受けた作戦だ。諸君らに止める権利などない。我々はこの星の巨大生物を好きなだけ殺してもよいと指示を受けたのだ。
そして彼は続けてこう言い放った。
「さあ、諸君らも狩りを楽しんだらどうだ。狩猟本能が刺激されるだろう?武器は貸してやるぞ。どれが好みだ?重機関銃か、レーザーか、それともプラズマ砲か。いらない?ははは。……さあ、用が済んだらとっととママのところに帰るんだな、動物愛護団体のオカマ野郎どもめ」周囲の兵士たちから嘲笑を浴びながら、彼らは黙ってその場を立ち去った。
すぐに軌道上のセドナ丸に戻った彼らは、兵士たちの蛮行を船長に直訴した。
しかし、セドナ丸船長のウィリアム・ブラックモアの返答に彼らは愕然とした。
「惑星上の巨大生物たちは将来的に我々の植民の障害となる。そのため早期に排除しておきたいと考えている」
続けて彼はこう言った。
「それに、あれは彼らの、そして我々の特権なのだよ。命を賭して危険に挑んだ冒険者のみが手にすることを許された勝利の盃だ。かつてアメリカ大陸を征服したフランシスコ・ピサロやフェルナンド・コルテスのような選ばれし征服者だけが味わうことのできた禁断の美酒だ。わかるかね?手つかずの新世界を、誰にも邪魔されずに奪い尽くす。これこそ限界なき自由がもたらす究極の愉悦。恒星間移民の醍醐味だ。そのために我々は狭い地球を離れてここまで来たのだよ」
だから指導者たちは地球への送信を止めていたのだ。自らの蛮行を他の世界に知らせないために。そもそも、仮に送信していたとしても、地球の人類社会はセドナ丸の横暴に対してできることは何もなかった。仮に彼らを止めるために宇宙軍を差し向けたとしても、到着する頃には大量殺戮はとっくの昔に完了し、すでに手遅れになっていることだろう。
自分たちで止めるしかないのだ。
そして、彼らは実力行使に乗り出した。
セドナ丸の通信室を占拠し、これまで差し止められていた調査の記録を太陽系に向けてゲリラ的に送信した。送信はすぐに停止されたが、最も重要なアヴァタールの映像は何とか送ることができた。全人類はこの星に驚異的な生物が存在することを知るだろう。少なくともこれで、すべてを闇に葬るつもりだった彼らの計画の一部を挫くことができた。
それと同時に、彼らは船内ネットにベータ大陸での兵士たちの蛮行の情報を公開した。船長や兵士たちの行動に対する反対運動が巻き起こることを期待したのだ。
だが、反響はほとんどなかった。巨大で醜悪なモンスターどもが駆逐されることを喜ぶ者は多かったが、そのことに怒りを覚えたり悲しんだりする者は驚くほど少なかったのだ。それどころか大勢の者が「モンスターハンティング」への参加を希望して軍事部門に殺到した。
ゲリラ的送信と機密情報の暴露に携わったとして大勢の同志が逮捕され、反逆罪により処刑された。その様子は公開され、それを見て大勢の乗組員が歓声を上げた。この惑星に到着してから、セドナ丸の社会は急速に変質し、いまや乗組員たちの理性のタガは緩み始めていた。
惑星あさぎりに逃亡し辛くも難を逃れた一握りの目覚めし者たちは決意した。邪悪なるセドナ丸は滅ぼすべしと。
彼らはアヴァタールの聖なる歌声を解析する過程で、かつて一度だけ電波を使った意思疎通を試みたことがあった。歌声に使われているのと同じ波長でメッセージを送り返した結果は悲惨なものだった。怒り狂ったアヴァタールは彼らの通信施設を徹底的に破壊し、あやうく彼ら自身も全滅するところだった。
この荒ぶる神の力を借りて彼らは罪深きセドナ丸に天罰を下すことにした。
まず血祭りに上げられたのはベータ大陸で野蛮な殺戮にふける兵士たちだった。
目覚めし者たちは兵士たちの通信施設を外部からハッキングし、アヴァタールの怒りをかき立てる波長をアンテナから全方位に向けて発信させた。
まもなく兵士たちの頭上にアヴァタールが飛来した。はじめのうち、兵士たちは巨大な「ラスボス」の出現に興奮していたが、すぐにそれは焦りに変じ、最終的に恐怖と絶望に変わり果てた。兵士たちの浴びせる機関銃もビームもプラズマ兵器も、そして核ミサイルでさえもアヴァタールにはまるで通用しなかった。それらは偉大なる超巨大生物の怒りの炎に油を注ぐ効果しか発揮しなかった。
すべてが終わるのにたった六分しかかからなかった。兵士たちは誰一人として生き残れなかった。すべての車両や着陸艇や前線基地は跡形もなく破壊された。
あたりに捻じ曲がった金属片と人体の残骸だけを残し、アヴァタールは悠然と去っていった。
目覚めし者たちは兵士たちが残していった火器を鹵獲すると、着陸艇でセドナ丸に舞い戻った。
兵士の大半はベータ大陸でのハンティングに興じていたため、船内の警備は手薄だった。セドナ丸に押し入った彼らはわずかな警備兵を射殺した後、船長をはじめとした指導者たちを拘束し、その場で処刑した。
のこる千五百名以上の一般乗組員たちは銃で脅して船の居住区画に押し込んだ。そして外側から隔壁を溶接して閉じ込めると、彼らはセドナ丸を去った。
遠隔操作で船のメインアンテナから例の電波を送信すると、まもなくそれはやってきた。宇宙空間から現れた五体のアヴァタールは怒りもあらわに一斉にセドナ丸に突撃した。それはシロナガスクジラに襲いかかるシャチの群れのようだった。合金製の巨大なセドナ丸の隔壁はまるで紙のようにやすやすと引き裂かれ、食いちぎられた。船体の裂け目から噴出する空気とともに大勢の乗組員が宇宙空間に吸い出されて即死した。船体は真っ二つに分断され、そのうちの片方は閃光を放って大爆発した。
こうして、怒りの日は終わった。
セドナ丸が破壊された後、彼らは文明を捨て、自然と共存した生活をはじめた。
荒ぶる神のもとで慎ましく生きていく道を選んだのだ。文明のもたらす快適さは得られないが、日々の生活は充実したものとなり、魂は救われるであろう。
最後にエデンの書はこう結ばれていた。
――――この星の自然を決して破壊するな。テクノロジーの呪いを捨て、自然と同化して生きよ。それならば我々の子孫が諸君を受け入れるだろう。もし人類中心的な生活を捨てず、この世界の支配を目論むなら、愚かなるセドナ丸と同じ運命を辿るであろう。諸君が賢明な決断を下すことを望む――――