第93話 エデンの書①
――――地球からの来訪者よ。星々の海を越え、祝福されしエデンにようこそ。
我らの後を追い、いつか必ず誰かがやって来ると確信していた――――。
エデンの書の冒頭部はこのような書き出しではじまっていた。
まるで目の前に転がる骸骨から話しかけられたかのように感じ、牧野は思わず背筋が寒くなった。気を取り直し先を読み進める。
――――諸君は我々が送信した映像を見てくれただろうか。
ならば、あの生物の姿にきっと驚いたことであろう。
我々はあれを神の化身、アヴァタールと命名した。
彼らはまさに神のごとき種族だ。
諸君はすでにこの星で彼らと遭遇したであろうか。ならばこれ以上の説明は不要だろう。アヴァタールたちの絶対的な前に人類のテクノロジーなど取るに足らぬことを思い知らされ、自らの傲慢さを悔い改めたであろう。
もしまだであれば諸君は幸運だ。この書を読み、今すぐ人類中心主義的な生き方を改められよ。さすれば将来にわたりこの星系で生き延びられる可能性が高まることだろう――――。
端末に残っていた動画データから、反乱者が常軌を逸していることはわかっていたが、まさかギガバシレウスを崇拝の対象にしていたとは。しかし、いったいなぜ彼らはそんな異端の信仰に走ったのだろう。彼らは宇宙都市で暮らす知的な技術者だったはずだ。牧野は疑問に感じた。
その疑問に答えるように、冒頭部に続いて綴られていたのは、セドナ丸の乗組員たちの来歴と彼らが太陽系を出発して以降の苦難の旅路だった。
彼らはもともと、太陽系の果てをめぐる準惑星セドナの住人だった。
その中核は初期の小惑星人の一派だった。彼らは高度な宇宙工学の技術と有り余る財産を持ち、何よりも自由とフロンティアを希求していた。旧弊な価値観の支配する地球圏から可能なかぎり距離を取り、独自の発展を遂げるためはるばる太陽系の最果てまで移住してきたのだ。
だが、そこに住んでいたのは小惑星人だけではなかった。月、火星、それに地球など、太陽系中の様々な場所に暮らす人々が各々の理由をもって集まってきていた。その中には環境の激変で住み場所を失った難民や、一獲千金を狙う破産した月鉱山の採掘業者、単なる辺境マニア、それにある種の世捨て人や犯罪者まで含まれていた。エリートたる小惑星人たちは寛容にも一定の基準をクリアした者は受け入れ、コロニー社会の一員とした。
しかし、彼らの夢は挫折した。太陽系の果てのセドナはあまりにも暗く、冷たく、すべてが凍り付いていた。はるか遠い太陽は空に見える星のひとつに過ぎなかった。人間の精神はこのような暗くわびしい世界で生きられるようにはできていなかった。コロニー全体に憂鬱と閉塞感が蔓延し、進歩への活力は失われていった。離脱者が続出し、人々のあいだでコロニーの閉鎖がささやかれるようになった。
だがその時、一部の者がまったく別の意見を主張した。
我らが向かうべきは内側ではない。外だ。さらに遠くへとエクソダスを推し進め、太陽系を離れ、別の恒星をめぐる惑星に新たなる楽園を築くべきだと。
この過激な意見は熱狂的な支持を集め、ついに移住計画が実現に向けて動き出した。彼らは巨大恒星間移民船セドナ丸を巨額の予算と十年の歳月をつぎ込んで建造すると、コロニーの住人約二千名を乗せて太陽系から旅立っていった。
恒星間の旅も波乱続きだった。
船の航行システムに見つかった深刻なバグ。小天体衝突。生産モジュールの故障により発生した食糧不足。それがきっかけとなって起きた一部クルーたちによる暴動とクーデター未遂……。
そうした数々のトラブルを乗り越え、彼らはついに人類未踏の惑星あさぎりに到着した。長年、氷と闇と人工物しか目にしてこなかった彼らにとって、緑あふれる惑星あさぎりはあまりにも美しく映った。
はやる気持ちを抑え、彼らは慎重に惑星の調査を開始した。事前の観測通り、その環境は人類の居住に最適だった。すぐに明らかになったのはこの惑星に無数の巨大生物が生息していることだった。
やがて彼らは有人着陸を敢行した。いくつかの地点をめぐりながら、その場所の地質や生物相を記録し、コロニー建設に最適な地点を探していった。
そんなある日、ついにその瞬間がやってきた。
セドナ丸乗組員がギガバシレウスと遭遇したのだ。
それはまさに全人類を驚愕させたあの映像が撮影された瞬間だった。
――――その日、海岸線に沿ってマーキュリー地方に出向いた帰路だった。我々は海辺の岩場で新種のデイノグナトゥス類と遭遇した。全長十メートル以上におよぶ蛇のように長い胴体と四対の足を持つ恐ろしい捕食者だ。それは鋭い牙をむき出しにして我々に向かってきた。
兵士たちが自衛のため慌てて武器を準備しはじめたその時だった。
突如として空が暗くなり、突風が吹き荒れだした。
天候の急変かと思ったがそうではなかった。
あの時の驚きをどう表現すればいいだろう。嵐雲や山塊と見紛うその巨大な物体は信じられないことに生物だった。それは太陽を覆い隠し一瞬にしてあたりを夜に変えた。気づいたときには我々に襲いかかろうとしていたデイノグナトゥスはその超巨大生物のあぎとにしっかりとくわえられていた。
次の瞬間、雲間から沈みゆく太陽の光が差し込んだ。光を浴びてその巨体を覆う鱗がいっせいに黄金色に燃えたった。
それは啓示の瞬間だった。
その姿のあまりの神々しさに、無意識のうちに私は地面に両膝をつき、両手を組み、その存在に一心に祈りを捧げていた。「おお、神よ」と。
私は特に信仰心にあふれた人間というわけではない。それどころか、その日まで私は無神論者として生きてきた。だから私は自分自身の反応に驚いた。彼らは人の心の奥底から強烈な畏怖の感情を呼び起こす存在だった。
太陽がゆっくりと沈んでいくにつれ、黄金に燃え立っていたその神々しい生物は黄金からオレンジ、赤、紫へと色彩を変化させていった。そして太陽が地平線の向こうに没した瞬間、それは巨大な翼を広げ、尾部からまばゆい炎を振りまいて天空へと去っていった。
その場にいた者はみんな呆然とその光景を見守っていることしかできなかった。人類を超越した存在。彼らに出会うために我らはこの星に来たのだ。あの瞬間、私の中にあった迷いはすべて焼き尽くされ、新たな人間に生まれ変わったのを感じた――――。
ギガバシレウスに神を感じたのはこの本の著者だけではなかった。
あの時に同行していたカウンセラーにして進化心理学者のスティーブンソンという人物もそうだった。彼もギガバシレウスと遭遇した瞬間、自分の心が満たされるのを感じたという。それはかつて味わったことのない感情で、今まで存在していることさえ気づいていなかった心の空洞が埋められたようだった。彼はその感情の正体を考察した。そして次の結論に至った。
更新世の巨大生物を喪失したことによる人類共通のトラウマ。
彼の考えはこうだ。
全世界の人類共通の概念、神。なぜ人は神を信じ、求めるのだろうか。そもそも神という概念はどこから生まれたのだろうか。天災や自然現象の擬人化にしてはあまりにも生々しく、存在感が強すぎる。
もしかしたら、過去の人類は神のように強大な存在と現実に出会っていたのではないのだろうか。人間を超えた力をもつ上位存在に。
そう、実際にそんな存在が過去の地球にはいた。
更新世の巨大動物相だ。
彼らこそが人類に謙虚さを学ばせ、世界の頂点に君臨するのは自分たちではなく、より偉大な存在だという感覚をもたらしたのだ。
五万年前、アフリカを出た人類は世界各地でメガファウナを容赦なく狩り立てて絶滅に追い込んだ。だが、彼らは巨獣たちを憎んでいたわけではなかった。それどころか彼らは巨獣たちの体現する力強さと美しさを称え、敬意を抱き、愛してさえいたのだ。
自らの貪欲さではからずも巨獣たちを滅ぼしてしまったことで人類自身も心に深く傷を負った。
人類は罪悪感と喪失感を背負ったままその後の歴史を生きていくことになった。心の空洞を埋めるため人類の祖先はメガファウナにかわる新たなる存在を求めた。卑小な人間を超える、圧倒的な力を持った存在、畏敬の対象を。しかし見つかるはずがなかった。
やがて苦悩の末に彼らはついに自らそれを創り出すに至った。
すなわち、「神」と呼ばれる存在を。
だが「神」はメガファウナと違い現実の裏付けを持たない妄想上の存在でしかなかった。そのため、集団ごとに思うがままに乱立された無数の神々は相互に矛盾をきたした。人々は自らの「神」の正当性を主張し、他の「神」を否定した。こうして宗教対立がはじまった。それは後の人類史に大きな災いをもたらしていくことになった。
やがて科学の進歩とともに「神」や宗教は力を失っていったが、人類の心の中には絶対者を求める欲求がくすぶり続け、それは数々のフィクションの中で怪物、怪獣、モンスター、または英雄として絶えず生み出され続けた。
しかし、この星でついに人類は本当の絶対者と相まみえることになったのだ。
妄想の「神々」などではなく、大地を闊歩し、空を舞う血肉を備えた存在と。
しかも、それは太古の地球の巨大生物を超える超巨大生物だ。
ついに巨獣殺しのトラウマが贖われる時が訪れたのだ。